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運命の環は巡る  作者: らみ
終末を望むもの
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再会・4

 


 結局、ケネスという護衛士は現れなかった。

 なにか事情があるのだろう。本来真面目な男だから近くにいるかもしれない。俺がちょっくら探してくる。そう言って、酒場の主人は出て行った。

 事情── 一方的に呼び出して、言伝もなしにそれをあっさり反故にする。そこにどんな理由がある? そもそもいまここに、こうして居ることをなぜ知っているのだ。そしてこの街に入った途端に怯え、震えだしたカイル。とても無関係とは思えなかった。

 現れない男、戻ってこない酒場の主人、こちらをずっと探っている護衛士たち。疑えば切りがない。しかしたとえあの娘と引き離すことが目的だったとしても、そばにはまだあの騎士がいる。あの男なら大丈夫だと、その点だけは信頼できた。


 手にしたグラスをそっと置き、ラウルはちらりと窓を見た。

 外が明るくなってきた。もう夜が明ける。これ以上は待っていても無駄だろう。

 手元に視線を戻せば琥珀色の酒がランプの明かりを弾いている。ケネスとやらのおごりだとかで、上等なものだった。しかしとても味わうどころではない。それどころか酒場に充満した酒精がねっとりと身体にまとわりつくようで、どこか気持ちが悪かった。

 椅子を引き、店を出るとラウルはそのまま宿に戻った。酔いは感じなかったが冷たい水で顔を洗って気を引き締める。

 今回こちらの出方をうかがったのだとすれば、遠からず向こうから動いてくるだろう。油断すればそこを突かれる。心してかからねばならなかった。




 そして部屋に戻って扉を開け、ラウルは愕然とその場に立ち尽くした。

 寝台の上では頼りの騎士が大の字になっていびきをかき、男と壁との小さな隙間でカイルが窮屈そうに眠っていたのだ。

 確かにそばにいてやってくれと頼みはした。しかし一緒に寝ろとは言っていない。


「……モーブレー」


 一度ならず二度までも。しかも連日で。

 このとき確かになにかがはじけ飛ぶ音がした──とは、後にザックが語ったことである。



 ◇  ◇



 青い空を灰色の雲が次々に横切っていく。雲とともに風も流れ、熱気はわだかまる間もなく散らされる。

 神殿前の広場の一角、木陰に置かれた長椅子に、カイルはラウルと並んで座りそして小さくなって項垂れていた。


「……ザックさんには、わたしからお願いしたのです」

「それでもあれは問題だな。大人というなら、簡単に異性と共に寝るものではない」

「……はい……」


 カイルの気持ちは容易に想像できた。得体の知れない不安に怯え、眠れなかったのだろう。それに二人並んで眠るさまはまるで熊と仔猫のようだった。心配することなどなにもない。見ればわかるが、だからといって容認できるものでもないだろう。

 これからは心するように。そう釘を刺すとカイルは神妙な顔でうなずいた。ならこの話はこれで終わりとフードの上から手を乗せ撫でると、黒い瞳が和らぎ笑みの形に細められる。そのまま手を差し出すと、カイルはいそいそと握りしめてきた。

 夏の終わりのこの季節、陽が出れば汗ばむほどに気温が上がる。しかしこの指先はひやりと冷たく小刻みに震えていた。室内では平気であっても外に出た途端に震えだす。カイルの異常はこの街に原因があるのだと、そんな気がしてならなかった。だから明日、組合で金を受け取ったら馬を買ってさっさと街を出てしまおう。ラウルはそう決意して、白いその指を握りしめた。


 目の前の参道を行き交う人々を眺めつつ、他愛ないことを話しながら腰を下ろしてザックを待つ。その祈りが終わるまではまだまだ時間がかかるだろう。けれどたとえ日が暮れたとしても、二人はなにも言わないつもりだった。

 今朝方ラウルが大きな雷を落としてから、3人は連れ立って神殿へとやってきていた。亡くなった皇帝の冥福を祈るためだ。あれから10日過ぎても神殿には絶え間なく人が訪れ、その死を悼んでいる。帝国皇帝というのはそれだけ特別な存在なのだ。


 この大陸の人々は創世の双子神──陽の神と月の女神を信仰している。

 神殿といえばこの双子神を祀ったものであり、それはここルッカレでも同様であった。神殿の総本山は聖国ニール。ラウルの故国である。その教えによると双子神は陽と月の化身であり、輝ける(らん)から生じて世界を創ったと云われている。その後荒廃した大地と人を導き平定し、世界が落ち着いたいまは天に昇って空を巡りながら人々を見守っているのだそうだ。陽も月も見上げればそこにある。人々にとって神とは身近にあるが遠いもの、そして帝国民にとっては皇帝そのものを指していた。

 なぜならアルトローラ初代皇帝が陽の神ともその子であるとも伝えられているからだ。そのため帝国にとって皇帝は国を治める唯一であり、信仰の対象ともなっている。だからその突然の死はあらゆる意味で衝撃となったのだ。そしてザックは帝国の騎士、その想いはひとかたならぬものがある。祈りに時間がかかるのも当然だった。


「──悪い。遅くなった」


 栗色の髪を短く刈り込んだ男が近づいてきた。頭に小さな帽子を乗せているためまだ違和感が拭えないが、ザックだ。目の縁と鼻の頭を赤く染め、それでもどこかすっきりした顔で微笑んでいる。


「あのさ。こっから南の公園にな、面白い像があるんだってよ。行ってみようぜ」

「ザックさん?」

「足止めされてんだろ? だったら1日ぐらい、のんびり観光でもしようや」

「でも、お仕事は? ……急ぐって」

「休暇だ、休暇! いーだろ、たまには」


 そこまで口にして、ザックの顔が不意に曇った。膝に手を当て腰を落とすと恐る恐るカイルを下から覗き込む。


「それとも俺が一緒では……嫌か?」

「いいえっ!」


 ふるふるっと頭を振ったカイルに笑顔を見せるとザックはひょいと立ち上がり、ラウルに向かって可愛らしく小首をかしげてねだってみせた。


「なあ、いいだろ?」

「……構わんが。本当にアレを見たいのか」

「アレ?」

「確かにこの街の名物だろうが……怒るなよ?」

「……石像だろ? なんでいちいち腹ぁ立てなきゃなんねーんだよ」

「ならいい。……では行こうか」


 怪訝そうな顔をするカイルにうなずいて、ラウルも長椅子から立ち上がる。「そうこなくっちゃ」と足取りも軽く前を歩く騎士に二人も続いて歩き出す。

 ザックはときおり振り返り、愛おしそうにカイルに向かって微笑みかける。濡れた土色の瞳は澄みわたり、一片の曇りもみられない。背筋はしゃんと伸び身体中から生気がみなぎって、一昨日までのあの姿が嘘のようだ。祈ることで彼のなにかが決着し、騎士として守るべきものを定めたようである。

 その瞳が向けられたのはこの少女。その事実にラウルの心は乱される。

 道中ずっと西を眺めていたカイル。トゥルネイ山を見ているのかと思っていたが、その先に帝都があると気づいたのはいつだったか。そしてこの騎士のあの言葉。

 これまでずっと眼を背けていた予感に、これ以上眼を逸らし続けるのは難しかった。




 呆然と像を見上げていたザックが、そっと視線を逸らすとラウルに向けた。


「……なあ。これ、さ……」


 胸の高さほどもある巨大な台座には、大きな石像が乗っている。

 中心には男性の像。そしてその足元には苦悩する人間が数多く横たわっている。苦しそうにうずくまるもの、泣いているもの、助けを求めるように男性に向かって手を伸ばすもの。男性は右手に長い杖を持ち、両手を広げてそれらに向かって柔らかく笑んでいた。

 これは陽の神を現す構図である。


「すごい……」


 一方カイルは大きな瞳をさらに大きく見開いて、まじまじと像を見つめていた。


「お腹が出てる……」

「言うなっ!」


 かっとザックが吠えるとカイルは首を竦めてひょいとラウルの背に隠れた。


「普通はなぁ、皇帝陛下に配慮して、イルファ神の頭は布で覆って顔を隠すんだよ! なのに!」


 この像の男は二重あご、表情も微笑むというよりにやけているように見える。おまけに髪が後退してきた中年で、はち切れんばかりに腹がぽこりと突き出ていた。

 これがルッカレ名物のひとつ、ころころ太った陽の神像である。


「皇帝陛下ってのはな、めちゃくちゃ格好いいんだぞ? 間違っても腹なんて出てねぇし、禿げることもねえ!」

「そ、そうですか」

「そうなんだ! 代々陛下はよく似た面差しで、しかも美丈夫という言葉がぴったりで、男だって見惚れるほどで……」


 ザックの熱弁は留まることを知らなかった。身振り手振りを交えながら、皇帝がいかに端麗であるかを語っている。カイルはいちいちうなずいているがそんなことをしていたら間違いなく日が暮れる。そこでラウルは帝国人を一発で黙らせる「不思議な言葉」を唱えることにした。


「そう、『皇帝陛下は素晴らしいな』……ところでモーブレー。ここで人気があるのは裏の像のほうだが」

「裏? ……ってえと女神エルフィ?」

「ああ、霊験あらたかだと評判らしい」


 本当にぴたりと口を閉じ、ザックは瞳を瞬かせた。言葉の効果に感心しつつもラウルは男を促して、像の裏に向かって歩き出す。胸の下ではカイルがほっと息をついて脱力していた。後でこの言葉を教えておかなければならないだろう。


「おおおっ!? こ、これはっ!」


 表にあった陽の神イルファと背中合わせになるように、月の女神エルフィの像が建っていた。

 右手には剣を掲げ、足もとにはやはり苦しむ民の姿がある。が、女神は全裸でその民を踏みつけていた。踏まれた男は苦しんでいるというよりも、どこか嬉しそうに見えなくもない。そして女神の胸も尻も陽の神同様はちきれんばかりであるが、こちらの腰は限界まで引き締まっている。


「何十年も前に、当時の豪商の夢枕に女神が立ったとか。お告げの通り神殿に寄進すると、以後豪商は資金繰りに困ることはなくなったらしい。それで女神に感謝するためにこの像を建てたということだが」


 ラウルの解説を聞いているのかいないのか、ザックの視線は女神像に釘付けだった。上から下までじっくりと、そして何度も往復させながら見入っている。


「けしからん。公共の場にこのような女神像とは、いやー実にけしからん」

「……ザックさん……」


 目尻を下げ、鼻の下を伸ばしながらそんなことを口にしても説得力は皆無である。陽の神に対してあれだけ熱弁を振るったのだ。女神にしても侮辱されたと腹を立てるかと思ったが、どうやら本能が勝ったらしい。あからさまな態度にカイルの眼も据わってきた。これは早々に種を明かしてやらなければならないだろう。

 一度ごほんと咳払いをして、ラウルは重々しく口を開いた。


「実はな、この女神像は女性にことのほか好評なんだ」

「どうしてですかっ!?」

「……へえ?」


 カイルがきゃんと吠え、ザックは心底不思議そうに眼を丸くした。

 先ほどとは逆の反応にラウルは大きくうなずくと、像の下をひょいと示す。


「そら、その男の周りを見てみろ」


 女神に踏みつけられた男の像の周辺には薄い木片が散らばっている。そのひとつを手に取ると、ザックは興味深そうに検分した。アクサライ語で書かれた短い文言はどうやら名前のようである。


「……なんだこりゃ」

「男の人の名前……ですか?」

「言い伝えは2つある。『月夜の晩、エルフィ像の下で愛を誓うと成就する』。そしてもうひとつは」


 指を立てると二人はずいと身を乗り出した。姿形はまったく違うのに、なぜか表情が良く似ているのが微笑ましい。


「『不誠実な男の名をこの像に捧げると、その男は不能になる』だ」

「…………」


 笑いをこらえながらもしかつめらしくそう告げれば、ザックは一歩後じさって憎々しげに顔をしかめる。そしてカイルといえば一瞬きょとんと小首をかしげ、すぐにぱっと眼を輝かせた。


「凄い! そのお話、よく覚えておくことにします」

「やめろ、チピ。……覚えなくていい」

「大事なことではないですか?」

「エルフィはそんなこと、しねぇから」

「……そうでしょうか?」

「ったりめーだ。神がいちいち個人の願いなんか聴いてられっかよ!」


 顔を強ばらせながらもザックはそう断定し、そそくさとその場を後にした。どうやら先ほどからこちらをうかがっている女性に気づいたようだ。3人が像の前から離れると、その女性は早速木片を像の下に差し込み去っていった。

 その様子を横目で見ていたザックはぶるりと大きく身震いし、今度は腹が減ったとわめきだした。言い伝えを目の当たりにして冗談でもこの場に留まっていたくないと、そう思っているのは間違いない。


「……さあ、飯だ飯!」


 さっさと行こうと促す男にラウルとカイルは顔を見合わせくすりと笑う。足を早めたザックに遅れないよう、二人も小走りで後を追いかけたたのだった。



 ◇  ◇



 最近できたという公園近くの食堂で、3人は少々遅めの昼食をとった。

 肉うどんに蒸し饅頭、野菜と魚の汁もの、豚の串焼き。食後に柘榴と紅蜜柑で口を整え茶で締める。独特の香りのあるコダの葉にザックは微妙な顔をしたが「まあ、これもアリか?」と食べていた。西の人間だとまったく受けつけないものもいるが、この分なら心配なさそうだ。カイルも平気な顔をしていたので大丈夫だろう。


「に、してもだ。よく神殿が許したよな……目と鼻の先だぞ、あそこ」

「莫大な寄進だったそうだからな。明らかに『似ていない』なら別物だと、そう判断したらしい」

「っかー! 大人の事情ってヤツかよ。えげつないねぇ」

「でも、ああいう陽の神さまも楽しいですよね」

「おまえね。イエーツ神殿の壁画を見てみろよ。顔が見えなくたってなあ、そりゃあ感動もんだぞ?」

「ヴィエナ大神殿も豪華だな」


 やいのやいのと騒ぎながら食べる料理は美味かった。

 一息つくと、ザックはぽんと両手を叩いて少年のような笑みをみせた。


「さあ、次はどこに行く?」

「そうだな。ここから少し北に行くと遊技場があるが」

「なんかやってねーのかな?」

「競馬、闘犬……闘鶏もあったか? いま開催されているのは……」

「……馬?」


 なにがあるのか訊いてみようか、と言いかけたところでカイルがきらきら輝きだしたので、なにがなくとも競走馬を見学することに決定した。ザックが先導し、ラウルはカイルの手を引き大通りを北に向かう。

 道は大きく人出も多く、かなり賑わい混んでいた。2人で手をつないでいては歩きにくい。人通りの少ない裏通りに行こうかとラウルがそんなことを考えていたそのとき、不意に呼びかける声がした。


「ルシンガーさまっ!」


 はっとして、声の方を振り返る。

 フードを降ろし、濃紺のローブをまとった女。この姿は──


(──魔術士!)


 魔力という見えざる力を使って様々な奇跡を起こす、選ばれし者。

「なにか」に怯えるカイル、ラウルがこの街に来たと知って呼び出したケネスという護衛士。すべてが「魔術士」によって繋がってゆく。


(この、女……?)


 思考を奪われたその一瞬、握った指が振りほどかれた。


「ラウ──っ」


 驚愕に見開かれた黒い瞳。伸ばされた手がみるみるうちに遠くなる。

 すれ違いざま見知らぬ男がカイルを抱え、走り去っていったのだ。


「──チビっ!」


 気づいたザックが振り返る。ラウルのことなど見向きもせずに、すぐに連れ去られた少女を追って駆けだした。

 握りしめた手のひらは空を切る。指を絡めればそのときだけは震えを止めた、あの冷たい感触。こんなにもはっきりと覚えているのに、あっさりすり抜けさらわれた。

 手のひらに爪を食い込ませながらもラウルは歯を食いしばり、魔術士の女に一瞥をくれるとザックを追って走りだした。




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