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運命の環は巡る  作者: らみ
終末を望むもの
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再会・1

 


「あんたら、あの場にいなくて良かったってもんだよ」


 荷馬車に乗ったテネルス男はそう言って、大きな口を開けるとかかかと笑った。

 向こうはどこもかしこも大混乱だ。街の中には行き場を失った荷があふれ、届かない荷を探す者、店を開けられないと嘆く店主の怒号が飛び交いそれはもう酷い惨状だったのだ。国境封鎖を解除したといってもあれではまだまだ治まるまい。だから俺は南のリゼに行ってみる。


「まあ向こうで売れりゃ、そらそれで構わんからね。テネルスに入ってすぐに引っ返して来て良かったよ」


 男はまたかかかと笑い、馬に鞭を入れると去っていった。


 アルトローラ帝国皇帝崩御。

 そんなことが起きていたとは想像すらしなかった。

 皇帝──それは帝国にとって唯一の弱点だ。

 帝国皇帝と言えば代々賢帝として知られているが、子宝に恵まれないことでも有名だった。亡くなった皇帝には降嫁した姉がいるがそちらにも子はいない。そして皇家には皇太子が一人きり。帝位を巡る争いなど起きようはずもないのだ。

 だというのに治安維持を名目に国境を封鎖するなど正気の沙汰とは思えない。テネルスも動揺したということだろうが、いかにも拙い対応だった。根も葉もない噂を真に受けるなど、これでは帝国民の感情を逆撫でするようなものではないか。

 今後何事もなければ良いが。


「カイル──歩けるか?」

「はい……平気です。大丈夫」


 顔を強ばらせながらもカイルはわずかに頷いた。

 テネルス王国による国境の封鎖はわずか3日で解かれたが、さらに3日経った今、ここアクサライ王国でもまだ混乱が続いていた。一時よりは治まったということだがそれでも街道にはテネルスに向かう馬車、引き返してきた交易商、伝令に走る人馬などがひしめいている。

 そのため徒歩の二人は街道から追いやられ、歩き難い草地を歩かざるを得なかった。

 荷を背負い、足もとに目を向けながら歩くカイルの足取りはそれでなくともどこか重い。あの兵士達に出会ってから、どこか沈みがちではあったのだ。昨夜は街の明かりを見て幾分気分も浮上していたが、騒ぎの原因を知ってまた意気消沈してしまった。せっかく体調が良くなってきたというのにこれではまた具合が悪くなってしまう。


 陽は中天を過ぎルッカレの街はもう目の前だ。

 街の入り口には細かな意匠の施された大きな石の門が建っている。図案化された花や鳥、馬まで彫られて美しいがしかしそれもカイルの心には届かなかった。ちらりと見上げ、ぽつりと「綺麗」と呟くとまたとぼとぼ歩き出す。


(やはり駄目か……無理もない)


 これは帝国人特有の反応だ。

 皇帝を誇りとし、拠り所とするからこそ突然のこの訃報に心がついていけないのだ。街道を見ても帝国人なら一目で分かる。もう1週間が過ぎたというのにどこか虚ろなままであった。

 この少女も例にもれず、相当衝撃を受けているようだ。


(まずは神殿に寄って──)


 そんなことを考えながら門をくぐったその時、正面から強い風が押し寄せた。

 耳元ではごうごうと空気の塊が唸りをあげ、外套の裾が音を立ててひるがえる。咄嗟に背けた頬には容赦なく砂粒が当たり、隣にいたカイルも風に煽られたたらを踏んだ。ラウルはよろけた身体を引き寄せ腕の中に閉じ込める。街道のそこかしこで悲鳴のような声が上がっていた。

 やがて風が収まると、人々は愚痴と共に安堵の息を吐きながら三々五々に散ってゆく。

 空を見れば雲は流れ量も多い。天候が徐々に悪化しているようだった。


「酷い風だ。目は大丈夫か?」


 腕の中の少女に声をかけるが返事はない。それどころか上着にいっそう強くしがみついて離れようとしなかった。


「……カイル?」


 どうした、と覗き込めば少女は真っ青になっている。

 類い稀な美貌は恐怖に歪み、おののく瞳でラウルを見上げ、震える指で必死になってすがりつく。


「──ラ……ウルっ」

「どうした!?」

「……嫌な、嫌な感じがして……」


 歯の根も合わず、かたかた震えながらカイルはただただ怖いと訴える。

 叩きつけるような風が吹いた。それだけだったはずだ。しかしこの様子は尋常ではない。


(なにかが──起きた?)


 訝しむ間もなくまたひとつ、強い風が二人を包み去ってゆく。

 まるで空で渦巻く雲のようだ。抗いようもなく、目に見えない「なにか」に翻弄されようとしている。

 不吉な予兆にラウルは強く奥歯を噛み締めた。



 ◇  ◇



 いつものように小さな椅子に腰を下ろし、水を張った銀の盆に両手を添える。

 瞳が明るい青の光を放つと同時、水面には翠の光点が浮かび上がった。光は動き、街の西へと辿り着く。と、凪いだ水が突如として波打ち光は霧散した。


(また──)


 きり、と女は唇を噛んだ。

 あの人はこの街に入ったはずなのに。

 光が指したのは西の門。なのにそこから先の足取りがどうやっても追えなかった。


(あの人だけ見えないなんて)


 何度試しても同じだった。近所の八百屋のおばさんも肉屋の旦那さんだってわかるのに、あの人だけがかき消されたように見えなくなる。


「……なにかが……邪魔してる?」


 そう思ったらいても立ってもいられなかった。魔術士がなにかしなければ、こんなふうには絶対にならない。良くないことが起こっているのは間違いなかった。


(探さなきゃ。そして知らせないと)


 ふらつく足を叱咤して、ジュリアは裏口から外に出た。強い風がローブの裾を巻き上げ長い黒髪をさらってゆく。

 あの人だけが見えないなら、その近くの「雲」に異常があるはずなのだ。水盤が使えなければ自分の眼で確認するしか方法はない。

 髪が頬をくすぐるが、無視してしっかり地を踏みしめる。

 目の前にあるのはすり減った石畳の道。その両脇に立ち並ぶ雑多な家々。街路樹は葉を大きく揺らしている。公休日だから歩く人はほとんどいない。けれど見慣れたいつもの風景だ。

 覚悟を決めて息を吸い、ジュリアは被ったローブをはぎ取った。


「──っつ」


 途端に色とりどりの雲が視界に重なり頭がずんと重くなる。

 苦痛をこらえ、ジュリアは目をこじ開けぐるりと周りを見回した。

 目のふちがちかちかする。眩しさに涙が出てきてくらりとよろけ、壁に手をつき息を吐いた。


(駄目。ここじゃわからない。もっと開けた場所──大通りへ行かなくちゃ)


 壁を伝いながら歩き出そうとして、ジュリアは肩を引かれて倒れ込んだ。

 あっと思った時にはすでに見知った男の腕に支えられ、頭にローブが被せられてしまっていた。「雲」が消え、視界が元に戻ってゆく。再びローブを外そうとすれば手を取られ、もがく身体は簡単に押さえ込まれて動けなくなってしまう。

 ジュリアは男を睨みつけた。


「放して!」

「ジュリア! 落ち着け!」

「落ち着いてる。急いでいるだけよっ」

「そんな状態で探したって、見つかるものか!」

「だって急がないと! また行ってしまうじゃない……」


 あの人がそばにいる。

 ずっとずっと探していたの。

 いま逢えなかったら、きっともう二度と叶わない。


 ほろりと涙が伝い落ちた。

 盛大に顔をしかめたケネスが己の肩口にジュリアの額を押し付ける。そして宥めるように肩を軽く叩きながらもう一度、「落ち着け」と声をかけた。


「護衛士なんだろ? だったら明日必ず組合に寄るはずだ。だから大丈夫。会えないことなんてない」

「……寄らないかもしれない」

「こんな時期だ。誰だって情報が欲しい。それに護衛士の集まる酒場がある。だからそこで張ってれば、今夜にでも会えるかもしれない」

「来ないかもしれないじゃない……っ」

「来るさ。絶対だ」

「でもっ……」

「忘れたか? 俺も護衛士なんだぜ? 流儀は良く知ってるさ」


 そっと耳元で囁かれ、ジュリアは涙が止まらなくなった。


 どうしてそんなに優しくしてくれるの。

 貴方の気持ちを知っていて、私はそれを利用しているのに。

 こんなに酷いことってない。なのに。

 ごめんなさい──


 情けなくて悔しくて。けれど感謝の気持ちで一杯で、ジュリアはケネスに縋って泣いたのだった。



 ◇  ◇



 がたん、と遠くで何かが倒れる音がした。

 びくりと身をすくませカイルがぎゅうと胸元にしがみつく。


「大丈夫、心配ない」


 落ち着かせるよう背中を撫でれば徐々に強ばりが解けてゆく。促して、二人はまたゆっくりと歩を進め始めた。

 あれからずっと、カイルはなにかに怯えていた。なにが怖いのかはわからない。けれど雲の影にさえ怯えるなどただ事ではないだろう。しがみついて離れないのを抱え込むようにしてようやく宿の近くまで辿り着いた。公休日のためか道は閑散として、どこかうらぶれた感じがする。

 こんな状態のカイルを連れて歩けるはずもない。暖かいものを食べさせ風呂に入れ、寝台でゆっくり休ませなければ。

 それで落ち着けば良いが──

 少女の背を支えながら歩いて宿の裏手にさしかかった時、胸元からぽつりと声が響いてきた。


「……ジュニア?」

「なに?」

「ラウル、ジュニアがいます。ザックさんのジュニアが」


 まさか、と裏口を開けて馬房に入れば、そこには言葉通りの馬がいた。

 額に星のある、四肢の先が白く抜けた立派な黒鹿毛。

 確かにあの騎士の馬だ。しかしなぜここにいる。


「ジュニア……どうして? ザックさんは?」


 声が震え、すがりつく手に力が込められる。

 なぜ、ここに。

 ひやりと冷たいなにかが、身体に触れていったような気がした。



 ◇  ◇



 まだ陽は高い。

 しかしこの館の一室、帝国様式で整えられた上等な客室はすでに闇に覆われていた。

 窓という窓には板戸が降ろされ分厚いカーテンまでかかり、その人工の闇の中には熱を持たない光が灯ってひとつの影を落としていた。

 ゆったりとした長椅子に深く身体を沈めているのは壮年の男だ。

 目尻に深い皺を刻んで眺める先には酒の入ったグラスがひとつ。

 男は動くと滑らかな玻璃の曲面をすくい取り、ついと手元に引き寄せた。手のひらからゆっくり体温を移して二度三度と傾ければ、琥珀の液体が光を弾いてきらりと揺らぐ。蓄光球の穏やかな光はこの酒を引き立たせ、立ちのぼる香気も南国の花の香りに似てまた素晴らしい。

 そしてグラスの中で煌めく星。その赤い光はまだほんの欠片だというのにこの輝きといったらどうだ。

 忍び笑いが漏れると闇の中から声がした。


「旦那さま?」

「……もう一輪、(つぼみ)が見つかったよ」


 息を呑む気配がした。ここ数年、花はもとより莟すら見つからなかったのだ。ここにきて立て続けに2輪ともなれば驚くのも無理はない。


「まぁあ、本当でございますか?」

「ああ。今度の莟はどうだろうね? 綺麗に咲いてくれれば良いが」

「大丈夫ですよ。咲きますとも」


 声は自信に満ちていた。

 それを男は横目で見ながらくすりと笑う。

 この召使いの女は魔術士でもないくせに、時として予言めいたことを言うのだ。


「……根拠は?」

「根拠など! 勘ですよ」

「勘、ねぇ……」


 男は手にしたグラスを掲げ、輝く星を下から見やる。

 不規則に光を弾く液面の下、ゆらゆらと揺らめきながらも赤い星は輝いていた。小さくとも力強いこの星ならば、確かに大輪の花を咲かせてくれそうだ。


「……勘も馬鹿にできないからな」

「そうでしょうとも!」

「莟は保護しなければならないだろう。咲くかどうかはそれからだ」


 待ち望んだ莟である。咲く前に枯らすなど許されることではない。


「穢され枯れてしまう前に……」

「ええ、ええ。旦那さま。今度こそ」


 頷き返すと星もろとも、男は酒を喉の奥に流し込んだ。

 押さえきれない歓喜で口の端が引き上がり、瞳が淡い青の光を帯びてくる。


「──待っておいで、可愛い莟。迎えに行くのはもうすぐだ」




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