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運命の環は巡る  作者: らみ
終末を望むもの
46/59

探し物屋の女魔術士

 


 光の帯が目蓋に当たり、女は顔をしかめて寝返りを打った。

 ころりと体勢を変えながらも薄い布団を引き上げ顔を伏せ、またすぐにすうすう穏やかな寝息を立て始める。しかし光は陽の動きと共に移動する。やがて女の目蓋を眩しく照らし、再び起床を促した。


「ううん……もう少し……」


 光を避けようともう一度ころりと転がって、そして女は床に落ちた。


「……うう」


 一瞬眼が開いたが半分ほどでまた閉じられた。さらに布団を引き上げ顔を隠し、飛び出した足先は膝を曲げて中に入れる。

 固い床の上で丸くなり、それでも女は寝続けた。



 ◇  ◇



(どうする……?)


 扉の前で、男はじりじりと待っていた。

 断言できる。彼女はまだ起きていない。

 何度戸を叩いて名を呼んでも、中から物音ひとつしないのだ。

 そろそろ時間だ。今日も予約がびっしり詰まって余裕がない。遅れるわけにはいかなかった。

 どうすれば、と思った途端に右手の重みが増した気がした。恐る恐る開いてみると、そこにはくすんだ金色の鍵がある。


(こ、これを使う時か? そうなのか?)


 しっかり握りしめていたためか、鍵はじっとりと生温くなっている。

 無性に喉の渇きを覚え、男はごくりと唾を飲み込んだ。


(この部屋の、鍵を開ける……)


 真っ先に脳裏に浮かぶのは彼女の寝顔。しどけなく開いた唇はほんのりと赤く染まって柔らかそうで、まるで齧ってくれと言わんばかりで……

 小鼻がぴくぴく膨らんだ。

 いかん、と男は妄想を振り払う。


(今日は遅刻できないんだ。どうしてもアイツを起こさなきゃならなくて、これはあくまで職務の一環で……)


 よしんば着替え中だったとしてもそれは事故だ。わざとじゃない。決してわざと見るような真似はしない。それにこれは仕事だ。やましい気持ちなど、わずかにでもあってはいけないのだ。


(うう……やるぞ。やってやる!)


 気合いを入れて、震える指で鍵を握った。

 しかしいざコトを起こそうとしても上手くいかないものである。

 何度差し込もうとしてもぶれる右手を支えるために、男は両手で鍵を持った。扉の前で膝をつき、しっかりと狙いを定めてそっと鍵穴へと差し入れる。

 入っ──


「うぐっ!」


 た、と思った瞬間扉が開き、ぶ厚い木の角が男の額をしたたかに打った。

 目の前では色とりどりの火花が散り、鼻の奥がつんとする。

 痛みのあまり、声も出せずに悶える男に出てきた女は慌てた様子で駆け寄った。


「えっ? やだケネス! 大丈夫!?」

「ぐぐぐ……起きたか」

「ごめんね。まさかそんなところにいるとは思わなくて」


 介抱しようとする女に、男は扉を閉めるようにと促した。

 これは不慮の事故。こちらの不注意だ。彼女が気にすることではない。

 何度も何度も謝りながら、促されて女は部屋を施錠した。鍵を回せばかちゃりと鳴って、扉に錠前が下ろされる。

 いつもの音だ。

 異常なし、と自らも確認し、そして男は気がついた。

 前触れなしに扉が開くなどおかしいではないか。


「ジュリア? 夕べは鍵、かけて寝たか……?」

「あ、あれ? ……そういえば。どうだった、かな?」


 ぎくりと肩をすくませて、女は探るように男を見た。


「部屋に入ったらすぐ締めろと、いつも言っているだろ?」

「はい……夕べは、その。あんまり疲れてたから、ついそのまま寝ちゃって」

「忘れたんだな?」


 低く抑えた声ではあるが、怒りの込められた男の様子に女はしゅんと小さくなった。

 ごめんなさい、と項垂れローブをぎゅっと握りしめる。緩やかに波打った艶やかな黒髪が、さらりと肩を滑り落ちた。


「……ケネスがいるから。だから大丈夫って安心しちゃって」


 おずおずと、女は胸の前で両手を合わせた。上目遣いで青灰色の大きな瞳に見つめられれば男は詰まり、それ以上の言葉を飲み込まざるを得なかった。

 ぐぐ、と拳が握られたかと思うとはあっと大きく息を吐き、男は額に手を当てる。

 いつもこれだ。この眼に弱いんだ、俺は。

 まったく仕方のない。男は女を促した。


「行くぞ、遅刻する」

「……うん」


 女がローブを被ると二人で階段を駆け下りる。

 駆けると共に翻るローブは濃紺。肩から下げた荷袋の中には小さめの銀の盆。三色の旗こそ表に出していないが、女は魔術士であった。




 小さな公園まで駆けつけ木陰に置かれた椅子に腰を下ろし、女は必死になって差し出されたピデを頬張った。

 ここ数日、こうやって朝食を用意するのはケネスの役目になっている。茶を入れて、屋台で簡単な食事を買っておくのだ。自分はその時済ませるから食べるのはジュリアだけ。二度手間で、効率が悪いとわかっている。けれどこの方が護衛には都合が良いのも確かだった。

 はくはくと食べる姿を横目で見ながら、男は布で包んだ水筒を取り出し中身を器に注いで待つ。ピデの中身はチサの葉とトマト、チーズにオレフの実。そこに塩と胡椒と酢を少々。さっぱりとした味付けだ。器の中身は濃い目の茶。砂糖少々、牛の乳はたっぷりと。

 どれもジュリアの好物だった。


 アルトローラ帝国皇帝崩御。

 その突然の知らせは文字通り世界を揺るがせた。ここルッカレでも街は虚脱に包まれ、そして週が明けると大混乱に陥った。

 治安維持を目的としてテネルス王国がアルトローラ帝国との国境を一方的に封鎖したのだ。それを受け、アクサライ王国でも帝国との国境に警備のための人員を配置することを決定、実行された。もっとも国境を接すると言っても往来の少ない辺境のこと、アクサライ王宮ではあまり乗り気ではなかったようで、ルッカレから分隊2つが派遣されただけである。

 しかし「国境封鎖」により大陸間交易の大動脈ともいえる中央公路が止まった事実は大きな衝撃となって伝わった。噂が噂を呼び、はては巨大な尾ひれがついて人々の間を駆け巡る。


 ──帝国が各国から大使を引き上げ始めた。新皇帝が大陸全土の平定に乗り出すためだ。その証拠に帝国軍が国境に集まっている。帝国領内にいる外国人は国外退去となり、その際には財産が没収される──


 真偽のほども定かでない、突拍子もない流言飛語が飛び交った。人々は翻弄され、為替は乱高下して毎日のように値が変わる。はては取り付け騒ぎまで発生し、損をした者、大もうけした者、悲喜こもごもの様相を呈していた。

 これに対し各都市での帝国領事館では風評を完全否定、本国からの通達として外国人の移動及び私有財産は保証されると発表した。そして資金を潤沢に供給し、この不測の事態によって金を必要とする民間人に無利子での貸し付けを行った。

 そして職員達が冷静に対処したことも大きかった。

 これらの処置により人心は落ち着きを取り戻し、混乱は沈静化に向かっていった。

 テネルス王国による国境の封鎖もわずか3日で解除され、帝国は変わらないと徐々に浸透していった。少なくともその週の終わりには、ここルッカレの街での混乱は治まりつつあった。


 ジュリアは「探し物」専門の魔術士だ。

 そのためどこから聞きつけたものか、あの鐘の鳴った次の日から人々が殺到した。

 交易の品はどこにあるかとかそういった話が主であったが知人の安否や果ては迷子の依頼までやってきて、彼女は寝る間もない忙しさであったのだ。とても全部の依頼はこなせないと料金を値上げしてみたが、それでも客は絶え間なく訪れる。

 皆困っているのだからと朝から晩まで働いて、それがもう1週間。毎日何度も魔術を使い、疲労が極限まで達しているのは明らかだった。幸い明日は公休日だ。「探し物」など止めさせて、一日ゆっくりさせてやりたい。

 だが、とケネスは息を飲み込んだ。

 ピデの欠片を飲み込んだのを見計らい、手にした茶を渡してやる。

 ありがと、と女は受け取り口をつけると無邪気に笑んだ。丁度良い温度に冷めた茶を一気に飲み干し、膝を払って立ち上がる。

 行こ? と歩き出した後を追い、ケネスは溜めていた息をそっと吐き出した。


 この3年、ジュリアは毎日職場に通っていた。

 職場と言ってもただの小さな部屋である。大通りから一歩入った静かな通り、そこに面した建物2階の小さな一室。扉は2つあるが中はこれまた小さな部屋が1つだけ。細長い部屋の間を厚い布で仕切ったここが、ジュリアが魔術を用いて「探し物」をする場所だ。

 そこに毎日通い、依頼があれば依頼をこなし、そして彼女はある人を捜していた。

 どんなに遅くなっても疲れていても、必ず一度は彼の人を捜して魔術を使う。それは彼女の恋する相手。10年間想い続け、今なお恋い焦がれるその人に逢いたいと、その一心でジュリアは魔術士になったのだ。

 けれどもうすぐ期限が来る。

 それまでに逢えなかったら家に戻る、そういう約束なのだ。

 そして次の雪見月が終われば先は無い。今は水月5日、残りはもう4月を切っていた。


 裏口の前でジュリアを下がらせ、ケネスは鍵を明けて中の様子を確認する。仕切りの布を開ければ机と椅子しか無い部屋には隠れる場所など存在しない。しかしそれでも毎日安全を確認し、それからジュリアを招き入れる。鍵を閉め、それから二人で開店の準備だ。といっても、やることと言えば部屋の空気を入れ替え椅子と机を整えるぐらいのものである。あっと言う間に準備も終わり、ジュリアがローブを被り直して腰掛けた頃合いに、ケネスは表の扉を開けた。すでに予約客が落ち着かない様子で待っており、いそいそとジュリアの前に腰を下ろす。

 仕切り布を引いてその場を離れ、ケネスも小さな机に向かって腰を下ろした。慣れない手つきで帳簿を付け始めると、布の向こうからぼそぼそと話し声が聞こえてくる。憔悴した客にジュリアが穏やかに話しかけている。この分なら今回は、ケネスの出番はなさそうだった。

 護衛のはずが、ここのところすっかり秘書兼雑務係となっている。ジュリアはそんなことはしなくて良いとケネスを止めた。しかし客のすべてが問題を起こすわけでもない。ひとりで手持ち無沙汰でいるのも退屈なのだ。

 納得いかないと激高してジュリアに掴みかかるような客はごく一部だ。ほとんどは彼女の魔術に救われ安堵して帰ってゆく。まれに興奮して飛び込んでくる客の言葉は大抵これだ。


「荷が来たよ、ジュリアさん! あんたの言った通りだ!」


 ありがとう、と何度も繰り返し、そして客は笑顔で帰る。

 魔術士としての腕は確か、そのうえ美人とくれば人は放っておかないものだ。外国人の、しかも魔術士ということで当初遠巻きにしていた近所の人も、最近ではジュリアちゃんジュリアちゃんと可愛がっている。


(……俺、形無しだよなあ……)


 ケネスは23歳、中級護衛士だ。この年で「中級」というのは悪くない。しかしここから「上級」に上がるにはそれなりの実績が必要になってくる。

 こういった都市部では、警備隊が整っているため護衛士の活躍するような大きな事件は起こり難い。だから手っ取り早く実績を挙げるため、若い護衛士達は地方に向かう。大陸の3大国以外では、まだまだ護衛士の需要は高いのだ。


(護衛士としての実績、か……)


 護衛士ならば、やはり「特級」に憧れるものだ。

 現在特級護衛士は五十余人。半数以上は引退しているから、現役の「特級」というのは本当に数が少なく引く手数多だ。弟子入りを望むものも多いし裕福な商人が泊付けのために雇うこともある。それに「特級」ともなれば引退しても軍の指南役に誘われたりと、護衛以外の仕事も豊富にある。

 ジュリアが惚れたのは、そういう男であった。

 まだ子供だったケネスはジュリア好みの男になろうと護衛士を目指し、そして目的は叶ったが。


(……ヤツはその頃もう『上級』だったってんだから……)


 現在の自分とは状況が違う。一概に比べられるものでもない。けれど20代半ばで「上級」まで上り詰めたという話は他にはない。

 差は大きかった。

 そしてその護衛士は、ジュリアを助けた功績を認められ「特級」の称号を与えられたという。


 あれから10年。

 あの人はもう結婚して、子供だっているかもしれない。

 どこかの国で、家族と幸せに暮らしているかもしれない。

 それなら良いの。

 でも。

 ……それでも。

 一目でいい。

 ……逢いたいの。

 わたしはこんなに大きくなりましたって。

 こうして生きているのは貴方のおかげなんですって、ちゃんとお礼を言いたいの。


 ほろほろと大粒の涙を頬に伝わせ泣きながら、そう言ってジュリアは微笑んだ。




 例の男がアクサライの護衛士組合に所属していると調べ上げたのはケネスだ。ジュリアは家名しか知らなかったから、ついでに名前も教えてやった。

 恋敵なのに。

 なぜそこまで、と自分が酷く滑稽に思えて仕方が無かった。

 けれどその情報を聞いたときのジュリアときたら、月の女神も霞むほどに美しい笑みを浮かべたのだ。

 その笑顔は自分のものではない。あの眼差しは感謝であって、恋慕ではない。しかし間近で見れば蕩けるほどの幸福感に包まれて、もっと見たいと願ってしまう。

 もっと、もっと。

 その青灰の瞳に自分だけを映して欲しいと望んでしまう。

 無論、打算もあった。

 期限までに「彼」に逢えなかったら、その時はケネスとのことを真剣に考えるとそう約束を貰っていた。

 逢わせてやりたい。けれど、それを望まない自分もいる。


(馬鹿だ……俺……)


 ケネスはごつんと机に額を打ち付けた。途端にびりりと鋭い痛みが走って息が詰まる。

 忘れていた。ここには今朝作ったばかりのたんこぶがあったのだ。


(馬鹿だろ……俺……)


 じわりと滲む涙を拭い、男は机に突っ伏した。



 ◇  ◇



 目の前には水を張った銀の盆。

 両手を添え、水面が動かなくなった事を確認すると女は静かに目を閉じた。


 脳裏に浮かぶ、あの姿。

 頬を流れる血は赤く、顔も身体も黒く汚れて煤だらけ。それでもジュリアを抱え、もう大丈夫だと微笑んだ。

 身体を抱える大きな手。

 揺らぎなく、しがみついてもびくともしない広い胸。

 そして身体全体から立ちのぼる、深い翠の優しい陽炎。


 女はそっと眼を開けた。

 青灰の瞳は今や晴れた空の明るい青に輝いている。

 青の瞳で水面をじっと見つめて何事かを囁くと、やがて翠の光が現れた。

 ぼんやりと光ったそれは盆の縁で蛍火のように瞬くと、吹き消されたように揺らいで消えた。

 呆然と見開かれた明るい青の輝きが、徐々に青灰を取り戻す。


「あの人だ……」


 逢いたくて逢いたくて、ずっと探していた人物が近くに来ている。

 当てもなく彷徨っても見つからない。でも街道の交わるこの街ならば、立ち寄ることもあるかもしれない。逸る気持ちを抑え、ずっとそう言い聞かせて待っていた。

 ──やっと。やっと!

 唇を戦慄かせ、女は両手で顔を覆うと嗚咽をもらして蹲った。



 ◇  ◇



 ざあっと葉が斜めに傾ぎ、風がうねりとなって駆け抜けた。

 緑の波は音を立て、幾重にも折り重なって不規則な縞模様を描き出す。

 彼方の影の小さな灯火、天の星まで強い風に散らされて、それでも弱々しく瞬き返す。

 西の空でほっそりと輝く月が、頼りなくも草の海の道しるべとなっていた。


 また風の波が押し寄せた。

 岩の影、小さな窪地で身を潜めた2つの影が大きく揺れる。波が去ればいっとき小さくなった炎は再び勢いを取り戻し、力強く輝きだした。

 小さな影が夜空を見上げ、藍の夜空に白く流れる雲に、ぽつりと吐息のような言葉をもらす。


「嵐が……来るかもしれません」

「ああ。明日は少し急ごう。……行けるか?」

「……はい」


 風に体温を奪われないよう、2つの影はそっと寄り添い身体を休めた。




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