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運命の環は巡る  作者: らみ
終末を望むもの
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灰色の鐘の音・2

 


「ああっ! 人だ、人がいるっ!」


 ソマを発ってまる3日。交易商の先を駆けたため、人影すら見なかった。

 人と遭わないということは、人語を喋る相手もいないということだ。愛馬のジュニアに話しかけても返る言葉は馬語である。どんなことでも構わないから人の言葉を話したかった。

 目の前には切望した人間が多数。しかも動いて喋っている。

 幻ではないと感極まるのも当然だった。


 街道の真ん中で「おはよう!」と声をかけて笑っている、馬に乗った茶色の熊。いかにも怪しいこの男の周りには、ぽっかりと空間ができていた。

 それでも幾人かが曖昧に返事を返すと熊は頷き満足そうに去って行く。

 危うく警備隊を呼ばれるところだったとは、茶色の熊ことザカライア・モーブレーのまったく知らないことだった。




 北方公路はルッカレの西で中央公路と合流する。中央公路は流石主要な街道だけはあり、常に人や物が行き交っていた。その緩やかな流れに乗って、ザックはルッカレの街へと入ってゆく。

 街は週末ということもあり、いつにも増して賑わっていた。

 ここルッカレの街はテネルス国境にほど近く、中央公路、北方公路、そして南方のロベリア半島に伸びるドリマリア街道が交わる交通の要である。人と荷が集まるこの街は、アクサライ王国西部最大の都市だった。

 街は小高い丘を背にして南に向かって開けている。北側は高級住宅街。ここに領主の館もあった。そして街の中ほどを街道が東西に貫き、この周辺に大きく繁華街が広がっている。官公庁は街の東部、西側には神殿と大きな公園があり、人々の憩いの場となっている。そして南側には一般市民のこまごまとした家が連なっていた。


 石造りの尖った屋根は帝国風、きらびやかな丸い屋根はテネルス風、木造の平らな屋根はアクサライ様式だ。街道の両脇に立ち並ぶ様々な形の家々、人々のざわめき、かしましい物売りの声。馬車が行き交い馬がいななき、露天には色鮮やかな野菜や果物、珍しい花まで揃っている。

 久方ぶりの「人の世界」に、ザックの足は浮き立った。


「やーっぱこれだよ、これ! 文明ってスバラシイ!」


 くっと拳を握りしめ、男はまた歩き出す。まずは宿で部屋を取ってジュニアの世話。それが終わったら飯を食って、準備ができたら風呂でさっぱり汗を流す。

 なんでもない日常が、いまは恋しくて仕方がなかった。




「……やっぱあのおっさん……凄ぇ」


 こざっぱりとした格好に着替えたザックは、目抜き通りを歩いていた。

 愛馬の世話と風呂を済ませ、気分は実に爽快だ。そして決めた宿も実に良かった。

 サリフリまでの助言を乞うたとき、あの護衛士からそれぞれの街でのお薦めを教えてもらっていたのだ。ルッカレならこの宿、と示されたのは街の南部の繁華街のど真ん中。ごく近くに花街まであるので邪推したが、とんでもない誤解だった。こじんまりとしているが中は手入れが行き届き、従業員も丁寧だ。まだ午前中だというのに嫌な顔ひとつせず、空いている部屋へ通してくれたばかりか風呂まで整えてくれたのだ。馬房も清潔だったし良い馬だとジュニアを褒めてもくれた。そしてなによりその値段。


「これでたった帝国銅貨4枚ってんだから」


 6枚が相場だと思っていたので、これはなかなか大きな差だ。

 浮いた金で何を買おうか。

 そんなことを考えながら、ザックは通りの店をひやかした。

 西の公園の奇妙な彫像を眺めてから神殿に寄り、見学がてら旅と給料の無事を祈ってみる。それから両替商で小銭を作ったりしていると小腹が空いてきて、屋台で軽くつまめるものを買って食う。こんなにのんびりしたのは久しぶりだ。

 やがて陽が傾くと、一気に人出が増してきた。

 明日は公休日、多くの店が休みになる。必要なものは今日のうちにというわけだ。

 ここのところ馬と草しか目にしていなかったため、曜日の感覚が曖昧になっていた。ザックも慌てて買い出しに走る。

 念願の帝国製胃腸薬はすぐに見つかった。ここから先は毎晩宿に泊まれるだろうから、水も食料も最小限で構わない。しかも宿で弁当を作ってくれるということなので、ひとつ任せてみることにした。

 それから、と考えジュニアの林檎を探したが、こちらはまだ店になかった。代わりに唐黍もろこしを数本買ってみたのだが、試しに生で食べれば意外に美味い。確かに火を通した方が甘みは増すが、そのままでも瑞々しいのでつい半分ほど食べてしまった。


「……まー、人間用だ。構わんだろ」


 いくらなんでも浮かれすぎだと自嘲して、栗色の頭をくるりと掻く。半分ほど芯になった唐黍を見ていたら、国境で別れた二人のことを思い出した。

 強面の護衛士と、可愛い顔でも大食漢の小さな少女。あの二人はいまどこにいるだろう。


「チビたちは……もうソマに着いたか?」


 食べ盛りを抱えていては食糧を持って歩くだけでも大変だろうと、トゥルグで村長に金を渡しておいたのだ。そしてくれぐれも粗略に扱わないように、少々刺激的な与太話も混ぜてみた。娯楽の少ない辺境のこと、村人達はさぞ楽しんだことだろう。その時の二人の顔を見てみたかったものだとひっそり笑う。


「あいつら、今頃どうしてっかな……」


 たった一晩を共に過ごしただけなのに、会いたくて仕方がなかった。あのおっさんがついているなら安全だ、そう思ってはいても、やはりあのチビはこの手の内に置きたかった。


(……だってよ、あんなに似てるのに)


 記憶の中にある顔と、あの少女は瓜二つと言って良い。

 確証は何もない。本人も知らないかもしれない。けれどあんな顔はそうそうあるものでもない。それにチビはこの紋章の意味を知っていた。恐らく同じ紋を持つ誰かが傍で守っていたのだ。

 葡萄の葉で縁取られた太陽の紋。

 これは皇家に忠誠を捧げた証、そしてザックの誇りでもあった。


「──あれ?」


 ふと閃いて、ザックははたと我に返った。


「そもそもアイツ、なんで逃げてんの?」


 一時は悪巧みでもしているのかと疑ったが、アレにそんなことができるとは思えない。そして黒髪の女性ばかりが攫われる、あの事件の被害者であった事は間違いないだろう。なにか誤解があって逃げたにしても、この紋の持ち主なら助けてくれると聞いてはいなかったのだろうか。

 それにハーシュは瀕死の少女を「見つけた」と言っていた。もしやその時には紋の持ち主はすでに……


 愛馬を近くの木陰に連れ出し唐黍を与えながら、ザックは思考にふけっていた。

 兄はずっと昔に亡くなった。だったら血を受け継いでいるのはあのチビひとりだ。それなら余計に厳重に守ってやらなければならないんじゃないか?


「でもハーシュは先に行けって……確かにおっさんは護衛士だけどよ? チビの方が大事じゃねぇか。アイツの身柄を確保する方が先じゃねぇの?」


 確かに「転送」とかいう魔術は悪用されれば危険極まりない。けどそれをあのチビが変に使うとも思えなかった。目的地は同じなのだ。2人に同行し、その間に何をするつもりか聞き出す手もあったはずなのに。

 今となっては任務自体に無理があるような気がしてくる。伝説の魔術を調査するというのは建前で、本当の目的はもっと別の──


「うぉあ!」


 突然髪を強く引かれ、ザックは思わず声をあげた。

 頭上でぶちぶち音がするのは、少なくない数が犠牲になったためだろう。

 いってぇ、と頭に手を当て顔を向けると、犯人は涼しい顔で立っていた。悪いなどとは微塵も思っていないようで、ごりごりと熱心に口を動かしている。そうして髪が咀嚼されていくのはとても哀しいことだった。


「……てめっ……ジュニア! 俺の髪は餌じゃねえ!」


 髪は男の命なんだぞ、と怒ってみせてもどこ吹く風だ。美味いものをもっと出せと、肩に掛けられた布の袋に頭を入れようと大きな唇をしきりに左右に動かしている。


「唐黍はもうねーよ。ほら見ろ、どこにもないだろ?」


 袋の口を開け、空っぽの中を見せてやる。顔を斜めにしてじっと中を確認するとザックの愛馬、ハーシュ・ジュニアは頭を挙げた。そして鼻の穴を大きく開けるとぶるると首を振るってさっさと馬房に戻って行く。

 目の前にいたザックは当然、まき散らされた鼻汁を頭から浴びることになった。


「うわっ! きったねぇ。俺ぁ風呂入ったばっかだぞ? おまえ、馬としてそういう嫌がらせはダメだろ!」


 齧られた頭もよだれでべとべとだ。これではもう一度洗わなければならないだろう。

 主のことを綺麗に無視して割り当てられた馬房の入り口にやってくると、ジュニアは「早く開けろ」と前肢を掻いた。


「……わーったよ」


 扉を開ければまた鼻を鳴らし、ジュニアはとっとと中に入って行く。定位置につくと水を飲み、そして飼い葉を食みだした。口直しということらしい。

 しっかり扉を閉めて大きく息を吐きだして、ザックは木陰に座り込む。


「林檎はまだ時期じゃねーんだよ。そんぐらい、わっかんないかねぇ?」


 これではどちらが主かわかりゃしない。

 なにか大切なことが閃きそうだったのに、ジュニアのせいでそれもすっかり台無しだ。なんだったっけと頭に手を差し入れてみると、べとついた髪の長さがまだらになっていた。


「ひっでえ……」


 せっかく人間らしい生活を送れると思ったのに、なんだか気分が沈んでくる。

 気持ちと一緒に陽もまた沈み、そして鐘の音が聞こえてきた。

 低く響く重厚な鐘の音。

 それがひとつ、ふたつと加わりやがてみっつの鐘が重なって鳴り響く。


「なんだ……? なんで3つ……」


 こんな風に鳴る鐘はこれまで一度も聴いたことがない。

 通りに出て見渡せば、人々も皆一様に西の方を眺めていた。

 身体を芯から揺らす荘厳な鐘の音。

 3つの鐘が重なり響き、十重二十重に木霊しているようだった。


「どういうことだよ。……これって、まさか」


 神殿の鐘が鳴ることはそう珍しいことではない。しかし通常はひとつだけ。春分、秋分、夏至、冬至。そしてその地域の祭りの日。その夜明けと共に、鐘が鳴る。

 そしてふたつの鐘が同時に鳴るのは慶事。しかしこれは帝国皇家と王族のものであり、鳴らされるのはやはり夜明けだ。

 ならば日暮れと共に鳴らされる、みっつめの鐘の意味は──?


 神学の授業でまっさきに習うことだが、ザックは夢見心地で聴いていた。誰もがそんなことがあるわけないと、無邪気にそう信じていたのだ。歴史を紐解いても一度もなかったことである。あくびを噛み締め右から左へ、さらりと聞き流していたものだ。

 記憶の底を無理矢理探り、そしてザックはへたり込んだ。

 膝が笑っている。手が震え、とても力が入らなかった。

 まさか。まさか、そんなことは。


(確かめねぇと……)


 奥歯を噛み締め壁を伝いながらも足を前へと進めるが、ぐらりぐらりと不規則に足もとが揺らいでいる。どこをどうやって歩いたのかもわからない。しかし気がつけば神殿前で、人の波に揉まれていた。

 右も左も人、人、人。押されるままに、ザックは進む。

 神殿前では神官が事情を説明しているようである。しかしこの人ごみでは何を言っているのかまったく聞こえてこなかった。

 前方で、どよとざわめきが沸き起こった。それは瞬く間に広がって、ある単語のみがザックの耳に飛び込んでくる。


「……ホウ、ギョ?」


 頭が理解を拒否していた。

 しかし嫌が応にも不吉な言葉は次々に耳に飛び込んで、ザックの身体を浸食する。


 ──帝国の

 ──崩御

 ──現皇帝


 世界が突然暗くなり、歯の根が合わずにがちがちと音を立てた。

 身体の震えが止まらない。

 手も足も、自分の物とは思えなかった。



 ◇  ◇



 帝国歴2576年 秋風月の27日。

 アルトローラ帝国皇帝崩御を告げる鐘が、大陸全土で響き渡った。




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