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運命の環は巡る  作者: らみ
終末を望むもの
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灰色の鐘の音・1

 


 青々とした草は、やがて萎れて薄茶色になっていた。灌木すら葉を落とし、枝の先も変色して触れれば音を立ててぱきりと折れる。街道の両脇には角張った大きな岩がそこここに腰を据え、風が吹けば砂埃が舞い上がる。辺りには鼠といわず、虫の一匹もいなかった。

 聞こえるのは地を踏みしめる二つの足音。

 半円形に開けた場所で、大きな影が立ち止まった。

 陽は中天を過ぎて影の長さが増してくる。乾いた空気が汗を攫って不快感は減っているが、そのぶん身体は知らず知らず乾いている。水分はこまめに補給しなければならなかった。


「休憩しよう」


 小さな影を座らせて、大きな影も荷を置いた。それからひとつの柘榴を割って二人でゆっくり口にする。血のように紅い実から溢れる強い酸味が、溜った疲れを和らげた。


「……思ったより酷いな」

「樹が……全部枯れてますね」

「ああ。これでは井戸も涸れるわけだ」


 変わり果てているが、元々この場所は小さな休憩所だったようだ。

 二人の上には葉のない細かい枝が横に広がり、編み目のような影を落としている。往時にはロバに引かせた荷車や、徒歩の旅人もいたものだ。それが今や影もない。皆この地を早く出ようと、機動力のある馬で一気に進むのだ。


「3……4年前とは一変したな。ここは早く抜けた方が良さそうだ。……どうだ、行けるか?」

「はい。大丈夫です」


 厳しい顔でカイルは頷いた。体調が悪いというよりも、この状況に衝撃を受けているようである。ラウルは眼を細め、前方に視線を転じて口を開いた。


「ここからあの岩場の辺りはよく山賊が出たものだが……」


 ぎょっとして顔を挙げた少女に、安心するよう微笑みかける。指差した遠くの岩場の方に、荷を積んだ馬のような小さな影が見えたのだ。

 遠くの景色は陽に熱せられ、不規則に揺らいで影は生き物のように動いている。馬と思ったのは錯覚だった。


「あそこには井戸があるから。休憩するのに一息ついたところを襲うんだ」


 けれど、とラウルは岩場の周りを見回した。

 黒と白、そして灰色の色のない世界。ソマからわずか半日足らずでここはまるで別世界だ。


「この分だと山賊の類いもいないだろうな。待ち伏せる間に干涸びる」


 襲われる可能性は低いが、井戸は間違いなく涸れている。次の井戸までそう暢気にもしていられない。ラウルは立ち上がって荷を持った。半日ソマで休んだおかげかカイルの調子も悪くない。このままいけば、明日にはこの岩地を抜けられそうだ。

 埃と乾きから喉を守るために鼻から下を布で覆い、二人はまた、岩がむき出しの乾いた大地を歩き出す。


「……ここには、トゥルネイ山からの水脈があるはずなのに」


 ぽつりと布越しに、呟くような言葉が零れ落ちた。

 前を見てしっかり大地を踏みしめながらも、生命の気配の感じられないこの光景が信じられないというように、カイルは小さな胸を痛めていた。


「だから少しぐらい雨が降らなくても、樹は枯れない。深く深く根を伸ばして、樹は水を吸い上げる」

「それは、兄上が?」

「はい。……この地はすべて、見えないところでちゃんと繋がっているから。だから神から見放された土地なんてないんだよって」


 歩みを止め、カイルはぐるりと周りを見渡した。


「なのに、ここは……」


 起伏は少ないが、一面の岩と砂。街道沿いに植えられていた樹木も灌木も立ち枯れて、まるで冥界に迷い込んだようだった。

 神の恵みを失った土地──確かにそう言えなくもない。

 けれど。

 ラウルは立ち尽くす小さな背中をぽんと叩いた。縋るように黒い瞳が見上げてくるのに微笑んで、先へ進もうと促した。


「心配するな。雨が多い年もあるだろう? 今年はたまたま逆になったというだけだ」

「そうでしょうか……」

「ああ。もうすぐ雨期だ。西から雲が流れて雨が降る。そうしたら、あっというまに緑になる」

「そう……なりますか?」

「なるさ。こういう場所は何度も見たことがある。だから大丈夫」


 なにもないように見えてもちゃんと生きている。今はただ眠っているだけ。

 そう言って力強く頷けば、カイルもやっと安心したようだ。強ばった肩の力を抜き、また一歩を踏み出した。




 トゥルネイ山から伸びた大地の「うねり」に皺がより、ミズルの小さな山々を形成する。

 このミズル山地とトゥルネイ山の間を縫うように、北方公路は南に向かって伸びていた。ソマからはほぼ平坦な道のりだが、稜線というにはなだらかな丘を越えればすぐに緩やかな下り坂になる。

 すでに峰筋は目前に迫っており、そして涸れた井戸は坂を少し下った先にある。ここまで1日で辿り着けるとは思わなかったが、この分なら大丈夫。明日にはこの岩地を抜けられるだろう。

 二人は黙々と足を進めていたが、ふと、カイルが立ち止まった。

 剣の柄を握り、わずかに左半身を開いてじっと前方を見つめている。


「どうした?」

「馬が……駆けて。とても急いでいるみたい」


 その言葉が終わるや否や、稜線の向こうに土煙が上がったかと思うと数頭の人馬が躍り出た。ラウルも荷を置いて、腰の剣に手を伸ばす。眼をすがめて様子を見るが、山賊の類いではないようだ。服装からすると帝国人。先頭にいる身なりの良さそうな軍人風の男は騎士だろうか。他に商人風の男が3人と、最後に護衛士のような男が続いていた。

 平坦な岩場に出ると人馬はいっそう速度を上げ、そして二人の前をあっという間に駆け抜ける。

 すまないとかなんとか、そんな言葉を置いて慌ただしく去っていった人馬を見送り、ラウルはカイルの頭から土埃を払ってやった。


「いまの人たち、どうしたのでしょう」

「さあな。……何かあったのかもしれん」

「……良くないこと、でしょうか」

「わからない。彼ら個人の事情かもしれないな」


 そうは言ったものの、「良くない事である」という確信があった。

 何かが起きている。

 なんの根拠もない直感だが、胸のざわめきが止まらなかった。




「……わあ……っ」


 フードを外して風に髪を遊ばせながら、カイルは声を上げて目の前の光景に魅入っていた。

 北方公路はまっすぐ南に向かって伸びている。遠くの空には綿をちぎったような雲がぽつぽつ浮かび、薄紅色に染まっていた。坂の中腹からは徐々に産毛のような草が生え、やがて緑一色となって羊のような茂みまで生やしている。

 空は燃えるような赤。地は暗く、そしてふたつの交わるその先に、ルッカレの街がある。


「そうだな。……あと3日頑張れば、今度こそちゃんとした風呂に入れるな」

「本当ですか!?」

「ああ。たっぷり湯を張って、気が済むまで浸かっていられる。面白い屋台もたくさんあるんだ。夜遅くまで開いているし、美味い料理を出す店もある。全部は回れないだろうが1日はゆっくりして、しっかり身体を休めよう。……良いな?」

「はい!」


 少々疲れた顔をしていたカイルだったが、途端に元気になって歩き出した。

 いったい何があったのか、ルッカレに行けば謎が解ける。

 逸る気持ちを抑えて二人は身体を休めたのだった。



 ◇  ◇



 謎は存外すぐ解けた。


「……ラウル。あれ……」


 指差す先に、小さく黒い連なりが見える。

 昼に軽く食事を摂った後、出発しようと腰を上げた時だ。

 綺麗に縦1列に並んだ人馬。6騎が一塊になり、それが4つ。それぞれが馬に大きな荷を積んで、ゆっくりと街道を登ってくる。人も馬も揃いの服、馬装。

 やがてはっきりしてきた掲げる旗には、濃い緑の地に黄色で獅子と星。アクサライの国旗だった。すると彼らはアクサライ兵か。

 ならされた街道から外れ、二人は人馬に道を譲る。大小さまざまな石の転がる道の端でアクサライ兵を見送っていると、下から一騎駆けてきた。

 襟元にある階級章から、この場の隊長格のようだ。


「君らは二人か?」

「ええ、私は護衛士です。弟子を連れて、サリフリへ」


 がっちりとした体格で目つきの鋭いその男は、徒歩の二人をちらりと検分すると黒々とした髭を撫でた。


「……そうか。水は足りているか?」

「大丈夫です。……何か、あったのですか?」

「我々は北に向かっている。新たな命あるまで国境を封鎖する。……戻るなら、今のうちだ」

「いいえ。私たちは、このまま。……なぜ国境を」

「その答えは持っていない。状況はルッカレで訊くと良い」


 男はさらりと馬首を巡らし隊の後ろに戻っていった。

 身体の奥底に、どろりとした不安感が澱のように溜まってゆく。

 昨日のあの男達は、それであんなにも急いでいたのか。中央公路では一度テネルスに入らなければならないが、北方公路からなら直接帝国へ抜けられる。あの分だとテネルスも帝国との国境を閉じたのだろう。

 何が起きているのか、まったくわからなかった。

 しかし軍が国境を封鎖するなど、唯事ではない。


(戦──? まさか。ありえない)


 そんな兆候はどこにもなかった。

 そもそもここ数十年、戦らしい戦など起こってはいないのだ。戦というのは歴史の中の出来事で、地方の小国同士の小競り合いや内乱など、人伝に聞いたり物語で読んだりするだけで現実味などありはしない。


(ならば、いったい何が)


 思索にふけるラウルの手に、ひやりとしたものが触れた。

 縋るものを求めるように、それは両手でラウルの手を握りしめる。


「メレクおばさんに……もう会えない? おじさんにも、あの方にも……」


 俯いて、涙がこぼれるのを精一杯我慢している声だった。

 いけない。

 動揺すれば、カイルにも不安が伝わってしまう。これ以上確実な事はなにひとつわからないのだ。(いたずら)に悲観すべきではない。


「心配するな。本気で帝国と事を構えるなら、分隊じゃ済まない。あれはただの様子見だ」

「でも……国境を封鎖だなんて」

「大丈夫。長くは続かないさ」


 緊張のあまりすっかり冷たくなってしまった小さな両手を包み込み、ゆっくりと熱を移して落ち着かせる。すべてはルッカレに着いてから。

 大丈夫、大丈夫と何度も繰り返し、ラウルはその手を強く握りしめた。


「……行こう」


 カイルは口を引き結び、こくりと頷き歩き出す。

 手をつないだまま、二人はまた坂を下り始めた。不安に駆られる心を抑え、一歩一歩前に進む。

 ルッカレに行かなければ。わかってはいても、どうしても足取りは重くなる。


「……ザックさんは、どうしている?」

「大丈夫。彼は腕も立つ。安心しろ」

「でも……帝国の、騎士なのに」


 歩みが止まり、深い闇色の瞳が遠い東の空の果てを臨む。

 ラウルも同じように東を見据え、一晩を共に過ごした騎士の無事を願った。

 乗っていたのは脚の強い馬だったから、もう大分進んでいるはずだ。

 祖国から遠く離れた場所でのこの知らせ、彼はなにを想うだろう。

 ふと、ラウルの耳に静かな言葉がかすかに触れた。見下ろせば、少女が東の空に祈っている。


 ──ザックさん、どうか無事で。


 その祈りが届くよう、ラウルもそっと眼を閉じた。



 ◇  ◇



「見えてきたっ。おーっしジュニア、もう少しだ」


 美味い飯にたっぷりの湯を張った風呂、そして女……は仕事中だ、やめておくか。

 馬上で伸び上がって前方を確認すると、帝国の騎士、ザカライア・モーブレーは愛馬の首をぽんと叩いた。馬の方にもその興奮が伝わるようで、何を言わずともルッカレの街に向かって足を速めてくれる。

 ここまで強行軍だったから、今日は一日しっかり休んで存分に疲れを癒すことにしよう。ジュニアにもたらふく食わせて、好物の林檎も与えなければ。

 栗色の頭とまだらになった無精髭をひと掻きすると、ザックはルッカレへとまっすぐに駆けて行ったのだった。




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