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運命の環は巡る  作者: らみ
北方公路
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邂逅・3

 


(人が良い──というよりも『オカシイ』と表現すべきだな、これは)


 ラウルは呆れ、大きく息を吐いて天を仰いだ。

 さらわれかけていたというのに、この少年はそれに気付いていないようだ。しかも己を攫おうとした相手のことを本気で気遣っているときた。

 こんな少年の「お守り」をする護衛士にラウルは心から同情した。護衛対象が「これ」では相当苦労するだろう。なぜならこういう輩ほど、彼らを撒くことに夢中になるからだ。恐らくこの少年も、そうして「自由」とやらを満喫した気になっているのだろう。なぜ護衛がつけられているのか、彼らはそれを理解しようともしない。なんとも愚かなことだ。

 ひとこと文句を言ってやろうかと思ったが、ラウルは首を振って口を閉じた。


(──いや、止そう)


 自分も護衛を生業としているせいか、つい熱くなってしまったようだ。この少年が「そう」だと決めつけるのは早計だ。これまでの経験から、ほぼ間違いなく「そう」だとしても、例外というものがある。

 そもそも自分は無関係なのだ。他人が無責任にどうこう言う話でもない。なによりこれ以上関わるつもりもないのだから、下手に口を出すべきではないだろう。自分にできることといえば、気の毒な護衛を陰ながら応援することと、この「荷物」を無傷で送り届けることぐらいだ。

 この少年との付き合いも、ほんの一時のこと。

 ならば多少のことは我慢しよう。


 結局新調した剣に慣れるどころか抜くことすらできず、「荷物」だけが増えてしまった。お預けを食らったようで残念な気がしないでもないが、不幸な子供を作らず済んだのだ。それで満足すべきだろう。

 ここはさっさと「荷物」を届け、心残りを無くすべきだ。

 そして明日から思う存分この剣を振るえばいい。

 では届け先は、と考えて、ラウルは迷わず宿を選んだ。

 多少なりとも身分ある者ならば、護衛や従者と共に村長宅で世話になるのが一般的だ。そこで内密に、といったところでこんな辺境では意味がない。たとえ口止めしても村人全員が家族のようなこの村のこと、あっというまに噂は広がり貴人の来訪を皆でひっそり楽しむことになる。

 口止めというのは「外」の人間に対するもので、身内は別、というのが村人たちの考えなのだ。

 だが先ほどの宿の女将にはそんな素振りは見られなかった。あの一家とは懇意にしているから、なにかあれば耳打ちしてくれるはずだ。それが無いということは「催しもの」は無いのだろう。

 とすればこの少年は、忍んで来たということだ。

 すると話はさらに簡単で、彼らはごく普通に宿に泊まることになる。「外」の人間がうろついても目立たない場所が宿しかないという意味で、この村には選択肢など存在しないのだ。

 たとえ民家に世話になったとしても、それはすぐ村人たちの知るところとなる。そして護衛対象が消えたとしたら護衛士はやはり宿で情報を集めるだろう。

 いずれにせよ、宿で待つのが一番だ。

 様子を見ると少年は、いまだゴロツキどもの消えた方向を心配そうに眺めている。それに声をかけ、顎をしゃくって促すとラウルは村へ向かって歩き出した。



 ◇  ◇



 森を抜けると空は鮮やかな朱に染まっていた。そこには少々気の早い幾つかの星々が、藍に変わろうとする空で盛んに瞬いている。道の脇の下草からは、これからが我らの時間とでもいうのだろうか、身体全体を震わせる甲高い虫の音が、そこここから響いていた。


 無言で歩みを進める護衛士の後を、少年はちょこちょこと小走りになりながらついてきた。特に足を速めたわけではなかったが、少年はラウルの胸までの身長しかない。歩幅の違いを配慮するべきだったと少し歩みを緩めれば、少年はにこりと笑んでラウルを見上げた。


「……おい」

「はい」


 やはりおかしな少年だ。

 変声前の高い声が、弾んでいる。

 はい、とただそれだけなのに、怯えや嫌悪は全くなかった。それどころか嬉しくて仕方がないというようだ。犬だとしたら、盛大に尾を振っていることだろう。


「いや……なんでもない」


 ラウルは口元を手で押さえ、今度はゆっくりと歩き出した。

 胸の内がむず痒いような、何とも妙な気分だった。

 向けられているのは明らかな好意だ。

 でもそれがなぜなのか、わからない。この子供は自分がどれだけ危険だったか理解していないのだ。助けられたなどと思ってもいないだろう。

 ならばなぜ、と隣を見下ろすと、気付いた少年がラウルを仰ぐ。

 外套のフードは被ったままだというのに、その奥からは親しみを込めた視線がこれでもか、と飛んでくる。

 こんなふうに初見で好意を寄せられたのは、初めてのことだった。恐れや怯えなら慣れたものだが、出会い頭の親愛の情というのはこれまで一度もなかったことだ。

 それゆえラウルは困り果てた。

 この少年を、どう扱って良いのかわからなかった。




 意識して歩幅を緩めると、今度は無意識のうちに眼が少年を追うことに気がついた。

 なぜかと考え、ほどなくして思い当たる。

 少年の何気ない振る舞いが、流れるように美しいのだ。

 つま先から接地する滑らかな歩き方、前を見据えて背筋を伸ばし、胸を反らせたその姿勢。ただ歩いているだけなのに優雅としか言いようがない。

 市井のものは、こんな風には歩かないし歩けない。これは、にわか仕込みでできる所作ではない。

 ただ歩くだけでも眼を惹く。こんな身のこなしをするのは上流の貴族でしかありえなかった。


(──なんなのだ、この子供は。怖がるどころか懐いてくる。厳つい顔の見知らぬ男と二人きりで、警戒心はないのか?)


 不機嫌そうに口を結んで歩いてみても少年は変わらなかった。にこにこと、それはもう嬉しそうについてくる。

 まるでカモの雛のようだとラウルは思う。生まれて初めて見た生き物を、親だと思ってついて回るあの習性だ。

 まるでラウルが親鴨であるかのように、少年は全幅の信頼を寄せていた。


「俺に、ついてきても良いのか?」

「……どういうことでしょう?」


 尋ねれば、一拍おいて少年はわからない、というように小首を傾げた。

 フードに隠れて表情はよく見えないが、どうして? と全身で訴えている。

 ラウルはさらに困惑した。

 これは大物なのか、それともただの馬鹿なのか。


「さっきのゴロツキどものように、俺はあんたを攫って売っぱらうつもりかもしれんぞ?」


 意地悪くにやりと笑ってそう告げれば、少年は「え?」と言葉を呑み、ふう、と落胆したように息を零した。


「……そういう、ことでしたか。親切な人たちだと……思っていたのに」

「…………」


 やはり気付いていなかったのか。

 こいつはやはり、馬鹿の方かもしれない。

 そもそも鴨は警戒心が強いのではなかったか。餌付けもしないうちからこれでは、あっという間に食べられてしまうではないか。

 そんな懸念を感じ取ったのか、少年は両手をぐっと握りしめ、ラウルの前に立ちはだかった。


「ですが! 貴方は信頼に足る人です」

「……どこにその保証がある」


 やれやれ、と両手を広げてみせると、少年はわずかに口を尖らせた。

 その仕草も子供らしくて面白かった。笑いをこらえながらもじっと少年を見つめていると、その両手にまた力が込められる。

 そしてなぜわからないのかと、むずかるように少年は言い切った。


「その剣を、持っているからです!」


 視線の先には、手に入れたばかりの黒剣があった。これのどこが証になるのかと眉をひそめたラウルに、少年は自らの剣を差し出した。

 装飾の無い、鍔が通常よりも小さい細身の片手剣──手に取ってみるまでもなく、それはラウルが買ったものと同じものだ。


「貴方の剣とわたしの剣は双子なのです。ですから、貴方が悪い人であるはずがありません!」


 少年は、そう断言した。

 胸を張るその姿は自信と歓びに満ちている。

 だがラウルは剣を手にしたその興奮が、しおしおと萎れていくような気がしてならなかった。


(このお人好しと、俺が同じ……?)


 意味不明な理論を展開する少年を前にして、ラウルは黒剣を手に入れたことを初めて深く、海より深く後悔した。



 ◇  ◇



 再び無言で歩き出したラウルの後ろを、小走りで少年はついてきた。


「あの……」


 足を止めて睨みつけるが少年は全く怯まなかった。それどころかいそいそと外套のフードを取ると胸に手を当て足を引き、優雅に腰を曲げて礼をとる。


「お礼が遅くなったうえ、顔も見せずに失礼しました。──助けてくださって、ありがとうございます。……心からの感謝を。あの……」


 名前を教えて頂けないでしょうか、と困ったように尋ねられてラウルは答えられなかった。

 眼と口をぽかんと開けて、間抜け面を晒しているとわかっていたが、それでも声が出なかった。

 見惚れていた。

 どこの宮廷儀礼かというような場違いな礼ではなく、少年の、その顔に。


 遠く、地平の彼方へと駆け抜けようとする陽の残した最後の光がその身を照らし、浮き上がらせる。

 濡れたように艶やかな黒髪と、同じ色に煌めく瞳。

 雪花石膏の肌にはまっすぐ通った鼻筋と、ほのかに色づいた唇が完璧な位置に配置されていた。うなじのあたりで切り揃えられている髪は額から両耳にかけてがやや長く、顎の下辺りで毛先が緩く波うって少年に優しくも儚げな印象を与えている。


 世の中にはこんな、美しいとしか言い様のない人間も存在するのか。

 30余年生きてきて、ラウルは初めて「見惚れる」という言葉の意味を実感していた。


「……ラウレンティス・ルシンガー。ラウルでいい」

「はい、ラウルさん。わたしのことはカイル、と呼んでください」


 誤摩化すように名乗ると、少年はそれはそれは嬉しそうに微笑んだ。

 濡れたように潤む黒い瞳。低い位置から首を傾げて見上げてくるその姿は、まるでか弱い小動物だ。それは餌付けもしていないのに、勝手に懐いてすり寄ってくる。

 目眩がした。

 駄目だ、囚われるな。

 どこかでそんな声が聞こえたが、遅かった。

 頬がじわりと熱を持ち、意図せず胸が高鳴ってしまう。

 これを邪険に扱うことなど、どうしてできよう。小動物は可愛がるために存在しているというのに。

 ラウルは緩む口元を手で押さえ、視線を逸らして呟いた。



「……『ラウル』と。『さん』はいらない」

「はい。……ラウル。ではわたしのことも、カイルと呼んで……」


 ぐう


「あっ……」


 少年は、咄嗟に腹を押さえて俯いた。漆黒の髪の隙間から覗く頬が赤く染まって見えるのは、夕日のせいだけではないだろう。


「……腹が、減ったか」

「……はい……」


 消え入りそうに小さな声で呟くと、恐る恐るといった様子で闇色の瞳が見上げてくる。

 懐いてきた小動物を、無碍に振り払うことはできなかった。

 くすんだ金髪をかき上げて、ラウルはひとつ大きく息を吐く。


「──ではカイル、食事に行くか」

「はい!」


 空が朱から藍へと色を変える中、二つの影がカユテの村へと伸びていった。




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