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運命の環は巡る  作者: らみ
終末を望むもの
39/59

草原の街・3

 


 羊肉と野菜の焼き飯、煮込んだ具を詰めた揚げ饅頭、鶏肉の串焼き、野菜と卵のスープ、そして葡萄。

 立ち並ぶ屋台で買った熱々の料理は、木陰にあつらえられた休憩所に持ち込んだ。そして鼻の頭に汗をかきながら、一口食べては舌鼓を打ち、二人でこれも美味しいあれも旨いと分け合った。

 ふっくら炊かれた焼き飯は、あっさりとした塩味だ。しかしそこには肉の旨味がしみ込んで、干し葡萄と野菜のほのかな甘みが加わり頬が落ちそうになるほど美味だった。揚げ饅頭の皮はさくさくして中は甘辛、とろみをつけた熱々の具がみっしりと詰まり、齧った時には舌を火傷しそうになった。スープは赤、黄、緑と眼にも鮮やかで、食べてみれば歯ごたえの異なる野菜が口の中で絶妙な調和をみせる。これはなんだと首をひねりながらも美味ければ良いという結論に達し、二人で腹を抱えて笑い合う。串焼きには独特の香草がまぶしてあって、カユテともトゥルグとも味が違った。そして一通り味わった後は葡萄で締めだ。

 久しぶりの美味い料理はあっというまに二人の腹に納まった。そして夜は宿でまた別のものを食べようと、茶を啜りながら相談する。

 結局ラウルの半分ほどの量を、カイルは食べた。カユテでの健啖ぶりを知ってしまえばひどく少ない気がするが、子供の食べる量としてはそう悪くない。しかも今日は陽が中天を過ぎても調子が良いようで、始終にこにこ笑っていた。

 子供の笑顔とは不思議なものだ。たったそれだけで、胸の内を暖かく満たしてしまう。ラウルもその例にもれず、自然に頬が緩むのを感じていた。

 どこまでも青いソマの空。

 さらりとそよぐ、乾いて澄んだ心地よい風。

 草原から拭く風が、淀んだ空気を吹き飛ばす。

 ずっと乱れていたラウルの心も、すっきりと洗われたようだった。


 胸のつかえが降りると、やらなければならないことが見えてくる。忘れないうちに、とカイルを連れて、ラウルはとある店に立ち寄った。

 そこは革製品の店だった。馬装用の様々な品がうずたかく積まれており、「馬のお店ですね!」とカイルは眼を輝かせ、ひとつひとつの品に真剣に魅入っていた。ラウルはそれを横目に別の品を検分し、そしてある物を手に取った。


「カイル、こちらへ」


 上機嫌でやってきたのを、小さな丸椅子に座らせる。怪訝そうに見上げてくる顔に微笑んで、差し出したのは小さな長靴(ブーツ)だ。

 それは柔らかい子牛の皮でできた子供用の長靴で、靴の前面に細やかな模様が刻まれていた。試しに履かせてみると、あつらえたようにぴたりと合う。


「ちょうど良いな。そら、立ってごらん」

「ラウル? これ……」


 良いから、と立たせてつま先、踵、足の幅を確認する。

 出来合いにしてはまずまずだ。しっかりした作りだし、装飾も美しい。ひとり満足していると、カイルがつんと袖を引いた。


「ラウル。わたし、靴を買う余裕は……」

「知ってる。だが靴は大事だぞ?」

「それは、そうですけど」

「また明日から歩くんだ。ここは俺が出すから、痛くないのにしておきなさい」


 そう言うと、カイルはそっと目を逸らして(おもて)を伏せた。上着の裾を握りしめ、どうして、と唇が動くのに、ラウルはにやりと口元を引き上げる。

 カユテの武器屋で買った長靴は、大きさが少々合っていなかった。それでも足に布を巻いて多少調節していたようだが、靴の方が耐えられなくなったようだ。トゥルグを過ぎた辺りで靴底の縫い目が切れ、つま先が開いてしまっていた。動かなければわからない、小さな穴。しかしそのまま使えばやがて穴は大きくなり、足の負担になってしまう。昨日カイルが倒れ込んだのも、靴に原因のひとつがあっただろう。

 ソマを過ぎれば街はない。ここで不備は整えておかなければならなかった。


「どうだ? 合っているか?」


 膝を上げて地面を踏みしめるように、カイルは店内を歩いてみせた。大丈夫、と頷くのを確認するとラウルは手を挙げ店主を呼ぶ。


「これを貰おう。テネルス銅貨ならいくらになる?」

「はいよ、5枚になりますね」

「! やっぱり、やめます!」

「……やめない。これはこのまま履いていく。古い方の処分を頼む」

「はいはい。毎度!」


 声もなく悲鳴を上げるカイルを尻目にさっさと会計を済ませて外に出ると、ぐいと腕が後ろに引かれた。


「こら。危ないだろう」

「ラウル! どうして……!?」

「なんだ、やはり合わないか? ならもっと上等なのに交換……」

「違います! 靴はぴったりです!」

「それは良かった。歩き易いだろう?」

「はい! ……ごまかさないでください!」


 ぷう。

 柔らかそうな頬が、綺麗に丸く膨らんだ。足を開いて腰に手を当て身体を反らし、きりりと柳眉を逆立てて、カイルは精一杯男を睨みつけた。その様子は可愛らしい以外の何者でもないが、どうやら怒っているようなのでラウルは話だけは聞いてみることにする。

 腰を屈めて視線を合わせると、カイルはまずは、と丁寧に両足を揃えて深々と頭を下げた。


「長靴を買っていただいて、ありがとうございました」

「……ああ」


 フードの両脇から、艶やかな黒髪が零れ出る。それを見ながら、ラウルは吹き出しそうになるのを懸命に堪えていた。必然声は低くなり、小鼻が膨らみ眉間に深い皺が刻まれる。じゅうぶん時間を置いて顔をあげたカイルはその様子に一瞬怯んだが、また仁王立ちになるとぐっと瞳に力を込めた。大きく息を吸って人差し指を立て、口をとがらせ良いですか、と前置きしてから小言を始める。


「ラウル。無駄遣いは良くないと思います」

「無駄? なにが」

「この靴です。買うのでしたら、もっと安いのにしなければ」


 やめるって言ったのに、さっさと買ってしまうのだから。値引き交渉しても良かったのではないでしょうか。

 カイルの説教を、ラウルは感心しながら聞いていた。

 子供とはいえ、やはり女だ。1シャルクでも無駄遣いはできないと、随分気合いが入っている。


「それに宿だって。……あんな高級な宿に泊まって贅沢したら、これからお金がいくらあっても足りません!」


 ふむ、とラウルは頷いた。

 確かにあの宿はこの街では高級な部類に入りそうだが、ルッカレに行けば中ぐらいの水準だ。けして贅沢なわけではない。それに安宿に泊まって盗みにあったら、それこそ目も当てられないだろう。

 そう説明したが、カイルは納得しなかった。


「だって。……わたしのせいでしょう? わたしがいるから、あんな高い……」

「高い? なにが」

「一泊で……銅貨が3枚も」


 ラウルはおや、と片眉を引き上げた。知られないようにしたつもりだったが、いつの間に。

 耳聡いものだと感心していると、その沈黙を肯定と受け取ったのかカイルは両手を白くなるほど握りしめ、唇を噛んで俯いてしまった。

 アクサライは物価が安いから、もっと安く泊まれるはずなのに。

 そう呟く少女の頭に手を載せて、ラウルは腰を伸ばして立ち上がった。


「そうじゃない。俺一人だったとしても、あの宿に泊まったろうな」

「……うそ」

「嘘じゃないさ。俺の故郷はニールだからな。どうしても風呂が恋しくなる」

「おふろ……」


 小さく零れた言葉をすくいあげ、ラウルはことさら明るく少女に尋ねた。


「そうだ。カイル、風呂は好きか?」

「はい! 大好きです!」

「そうか」


 それは良かったと微笑めば、少女もつられてにこりと笑う。が、すぐにはっとして、またごまかした、と口をへの字に曲げてとがらせる。

 流されなかったか。

 困ったものだとラウルは苦笑した。


「わかった。ちゃんと説明するから、宿に行こう」

「本当ですね?」

「ああ、ここでは少々難があるから、部屋でな」


 宥めるように肩を叩いて歩き出せば、カイルも不承不承ついてくる。けれど新しい靴の具合がよほど良いのか、徐々にその歩みは軽くなってくる。その軽やかな足音を聞きながら、怒っていたはずなのに、とラウルは笑いをこらえるのにずいぶんと苦労した。



 ◇  ◇



 宿はソマの街の中央部からやや東側、東西に走る太い通りに面して建っていた。木造の大きな2階建ての建物で、カユテと同じく1階は食堂になっている。ただ食堂の他にも休憩所を兼ねた広い受付があったり揃いの服を着た使用人が何人もいたりすることから、カイルは高級と思ったらしい。

 元々交易商向けの宿だから、確かに高級そうには見える。

 木彫りの透かしが入った綺麗な衝立て、不思議な模様の大きな壷。調度類は帝国風なのに、壁には美しいアクサライ刺繍の施された布が掛けられ不思議な調和をみせている。

 そして二人が泊まる部屋もまた、物珍しいものだった。

 寝台とは言えないような低い台に敷かれた布団に小さな卓、そして絨毯の上には数枚のふかふかの座布団。

 部屋に戻るとラウルは布団の上に胡座をかいた。カイルはその前に座布団を抱えて座り、提示された思わぬ話に眼を丸く見開いた。


「お湯が……使えるのですか?」

「ああ。身体を軽く流すぐらいしかできないが、それで我慢できるか?」

「もちろんです!」


 こくこくと何度もカイルは頷いた。そして両手を頬に当て、夢みたい、とうっとり呟き眼を閉じる。

 この地の水は貴重だ。だから風呂に入るなどめったにあることではない。だから風呂好きにとっては、この誘いはたまらなく魅力的だろう。

 やっと機嫌が直ったか。ラウルが胸を撫で下ろした瞬間、またしてもカイルははっと息を呑んで身を乗り出した。


「で、ですが! ここでお風呂なんて、やっぱり贅沢です!」


 世間知らずの貴族の娘と思いきや、カイルは意外にも貧乏性だ。そのうえ贅沢は敵だとばかりに倹約に精を出す。カユテの武器屋でぼられたせいで、確かに手持ちの金では心もとない。だがこの街に来るまでも出てからも、金を使う場所などほとんどないのだ。少しぐらい使っても問題ないし、それに無為に湯を使うわけでもない。


「まあ待て。ただ身体を洗うだけではない」


 いいか、とことさら神妙な顔をして、大事なことだと念を押す。


「風呂のついでに洗濯をする。そうすれば、一石二鳥だ」

「……あ」

「だいたい北方公路沿いにくれば、ここで一息つくのが普通なんだ。だからお前がいてもいなくても、やることにそう変わりはない。……それに」


 こちらにおいで、と目元を和らげラウルはカイルを手招いた。素直にやってきたのを隣に座らせ、懐から取り出した身分証を握らせる。

 それは二つ折りにされた革製のもので、使い込まれてつやつやと光っていた。しかし表面に刻まれた模様はまだくっきりと残っており、これが護衛士の紋章だと教えてやると、眩しいものを見るようにカイルは眼を細めてそっと触れた。

 斜めに掲げられた剣に重なる盾。そして盾の表面には獅子。アクサライでは獅子だが帝国だと太陽、テネルスだと錨。盾に刻まれる模様によって、その護衛士の所属がわかる。そして中を開ければ姓名、性別、生年月日、出身地、加えて髪と眼の色が記された羊皮紙が、しっかりと縫い付けられていた。


「……ラウル、34歳だったの?」

「そうだな。もう立派なおじさんだ」


 そう自嘲すれば、少女は頭を横に振って必死になって否定した。


「いいえ、いいえ! わたし、もっと若いと思ってました」

「……世辞はいらんぞ?」

「本当です! それにラウルは『お兄さん』だもの」


 そこだけは譲れない、と鼻息荒く拳を握った少女に眼を細め、見せたいのはそこじゃない、とラウルは表紙と羊皮紙の間に指を入れた。

 取り出したのは、別の羊皮紙だ。

 開けてごらん、と手渡すと、カイルは折られた紙を慎重に開いて中の文字を確認し、そして眼と口をあんぐりと丸くして固まった。

 予想通りの反応に、ラウルはくつくつ喉を鳴らす。


「どうだ、中々のものだろう?」

「ラ、ラ、ラウル。……こ、これ!」


 震える指で示したのは、羊皮紙に記された文字だ。「預かり証」と飾り文字で書かれた下に、日付と預けた金額、そして残額が載っている。残金は、5桁を優に越えていた。


「単位は『シャルク』じゃないぞ? ちゃんと『アシェラート』と書いてあるのがわかるか?」


 こくこくこく。

 今度は首を縦に振りながら、カイルは2つの羊皮紙をラウルにぱっと押し付けた。

 見てはいけないものを見てしまったというように、少女は肩をすくめてぎゅっと眼を閉じている。その様子を微笑ましく見つめながら、ラウルは身分証を元の場所にしまいこんだ。


「いいか? 今は手持ちが少なくても、ルッカレには組合があるからそこで必要なだけ引き出せる。だから金のことを心配する必要はないんだ」


 わかったか、と肩下にあるこめかみをつついてやると、ゆらりと黒い頭が傾いでいった。これで納得するだろう、そう思ったのだが、戻ってくる反動でカイルは顔をあげるときっと男をねめつけた。


「でも。これはラウルが働いて貯めたものでしょう?」

「そうだな、護衛士になってから18年になるが、今まで使おうとも思わなかったから。気がついたらそうなっていた」


 やれやれ、と肩をすくめてみせるとカイルはまたしても憤慨した。

 握りしめた両の拳で膝を叩いて頬を薔薇色に染め、ラウルこそわかっていない、と力を込めて反論する。


「だったら! もっと自分のために使ってください!」

「なにを言う。好きなように使っているじゃあないか」

「じゃあ、靴は! これは、ラウルには履けないでしょう?」

「……気に入らなかったのか?」

「いいえっ! とっても素敵です!」


 気落ちしたように溜息をついてみせれば、これだ。

 くっと息が漏れ、肩が揺れる。

 一度(たが)が外れてしまえば、もう限界だった。

 俯いたままくすくす笑い出した男を呆気にとられて見ていた少女だったが、やがてはっとすると、きゃんきゃん仔犬のように吠えだした。


「ラウル! またわたしでイイコトしましたね!?」


 寝台で腹を抱えて笑い転げる大きな背中を小さな拳が何度も叩く。

 だがその軽やかな衝撃は、笑いの衝動にいっそう拍車をかけただけだった。まともに息もできずに涙を流して悶える姿に、少女は顔全体を綺麗に紅く染め上げる。そしてふいと顔を背けて部屋の隅で小さくなって、そこでひとりで拗ねだした。

 やがて呼吸を落ち着かせたラウルが「風呂上がりに葡萄」いう魔法の言葉をかけるまで、カイルの臍はずっと曲がったままだった。




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