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運命の環は巡る  作者: らみ
終末を望むもの
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草原の街・1

 


 斜めから、刺すような陽射しが鋭く大地を照らしている。それでも影は人の形を地面に写し、秋の気配を知らせていた。

 この光が優しく円く、すべてを包み込んで穏やかになった頃、それが冬の始まりとなる。霊峰シャンティーイから吹き下ろされる冷たい風が来る前に、冬支度を済ませなければならなかった。

 この地の秋はとても短く、あっというまに過ぎてしまう。

 厳しい冬を乗り切るために、夏の間の成果を持ち寄り足りない物を補いながら、人々は助け合って生きてゆく。そのため秋から冬が始まる直前まで、草原のただ中のソマの街は、交易の街としての賑わいをみせるのだった。


「幕家は氏族でだいぶ形が異なるし、布なんかも家族単位で模様が違ってくるからな。あの幕家が集まると、それは見事なものなんだ」


 ソマの周辺に黒い点のように見えるのが、周辺から集まってきた各氏族の幕家である。中央公路沿いではあまり見られなくなってしまったが、内陸ではさらに規模が大きくなる。

 かつて訪れた町での様子を話して聞かせると、カイルは黒い瞳を輝かせ、興味津々聞き入った。幕家が集まるのは年に一度と知って肩を落としたが、すぐに拳を握りしめて宣言する。


「今回は無理だけど、来年は絶対見に行きます」


 そう言って、にこりと笑って歩き出した。


 カイルは一晩で、これまでの不調が嘘のように回復した。

 量はまだ少ないが、食事も摂れるようになってきた。歩いてもふらつかないし、顔色も悪くない。本調子とはいかないまでも、復調に向かっているようだった。

 街に興味が引かれるのだろう、下り坂を駆け出しそうになるのを止めながら、護衛士とその連れは、予定よりもだいぶ早くソマの街に辿り着いた。




 荷を担いだ男、駆け回る子供たち。馬やロバを連れた商人風の男、美しい刺繍の施された衣装を身にまとった女たち。人々が行き交う街道に面した大通りは、賑やかな喧噪に包まれていた。

 建物からは可動式のひさしが伸び、その下には色とりどりの品々が並べられている。肉、野菜、果物はもちろんのこと、布の小物や革製品、毛織物から雑貨まで、果ては鶏やら羊やら、とかく売れるものはなんでも揃っているようだ。

 アクサライの人々の華やかな装いが眼に眩しく映るのだろう。目を離せばどこかに飛んでいってしまいそうなカイルを連れて、ラウルは大通りから一歩逸れた道に入った。


「……両替、ですか?」

「ああ。とりあえず銅貨を1枚、両替しておくと良い」

「おじさんは……テネルス銅貨と帝国銅貨は大陸中で使えるって」

「そうだな」


 フードの奥から首を傾げて見上げてくる少女に眼を細め、頷くとラウルは説明する。


「アクサライは物価が安いから。食べ物なんかは銅貨で支払ったりすると、釣りがないことがある」

「……ええ?」

「だから、少し小銭を作っておいた方が良いんだ」


 両替しすぎると重くなるから、少しだけ。そう言いながら立ち止まったのは、店とは思えない小さな家の前だった。怪訝そうな顔をするカイルに、柱の一部を示してやる。装飾に紛れて、そこには「両替」と描かれた小さな板が掛かっていた。

 中を見れば奥は高床になっており、卓がひとつ置いてある。薄暗いその室内で、ひとりの強面の老人が腰を下ろして茶を啜っていた。

 ラウルはフードを外すと、カイルを連れて遠慮なく中に入る。


「……なんだね、あんたら」


 ずかずかと奥に踏み込んできた、いかにも外国人といった格好の二人に老人はおっくうそうに声をかけた。髪も眉も髭すらも白く染まった目つきの悪い老人は、眼光鋭く二人を睨む。


「両替を頼む」

「……いくらだ」

「テネルス銅貨を2枚」

「40シャルクになるが、良いかね?」


 おや、とラウルは片眉を跳ね上げた。


「随分だな。ルッカレでは48シャルクだったが」

「向こうと一緒にされちゃ困る。ここにも相場って物があらぁな」

「……そうだな。もうそろそろ、寄り合いの季節だ」


 老人の瞳に、険を帯びた光が宿った。むっつりと口を結んで腕を組み、ぎょろりとラウルをねめつける。

 ラウルの方も負けてはいない。その背の高さを生かし、腰に手を当て力を込めた眼でもって、しっかと老人を見下ろした。

 強面同士がにらみ合い、静かな火花が散らされる。


「……42」

「相場は46ってとこだろう?」


 両手を広げて肩をすくめたラウルを見上げ、老人の眉と口髭がぴくりと動いた。膨らませた頬からゆっくりと息が吐き出され、唸るような声が低く響く。


「44だな。……これ以上は出せん」

「よし、それで」


 二人は固く握手を交わし、契約の成立と相成った。

 革袋から取り出した2枚のテネルス銅貨と、小さな穴に紐が通された長方形の貨幣が引替えられる。

 じっと二人を見ていたカイルが促され、老人の前に歩み出た。


「……あの、おじいさん。わたしも両替してください」


 両手を重ねた手のひらに、テネルス銅貨が1枚、ちんまりと乗っている。

 身を乗り出して銅貨とカイルを交互に眺めた老人は、鼻に皺を寄せると大きな溜息をついた。


「……22シャルク、だな」

「はい! お願いします」


 銅貨を受け取り差し出された白い右手をがっちり握った老人は、二度三度、その手を上下に動かした。そして卓の引き出しから金を取り、ほら、と差し出し小さな手に乗せる。貨幣を受け取ると、カイルは眼を輝かせて数え始めた。


「……確かに」

「確かに!」


 ラウルが再度確認したのに続けてカイルも声をあげ、ありがとうございました、と笑顔をみせた。その様子に老人は眼を細め、穏やかに祈りの言葉を投げかける。


「……陽が旅路を照らすように」

「御身にも安寧を」

「御身にも、安寧を!」


 返された言葉に老人は、ほお、と眼を丸くすると頬を緩め、そして満面の笑みを浮かべて頷いた。強面が一転し、とろけるように目尻を下げた様子にカイルも嬉しそうな笑顔をみせた。そして手を振り別れを告げて、二人は両替屋を後にした。




 街道から一筋外れたやや小さな道を、二人は南に向かって歩いていた。住宅地がほど近く、大通りの喧噪もここまでは聞こえてこない。等間隔に並んだ街路樹には馬が繋がれ、主人が戻るのを待っているようだ。


「……おじいさん、びっくりしてましたね」

「そうだな。あの挨拶は、アクサライ人独特のものだから」


 くすりと笑い、カイルは楽しかった、と上機嫌だ。


「両替って、とってもどきどきするものですね!」

「あー……いや、今回はたまたま、だ」


 両替であんな交渉をするのは久しぶりだった。最近はどこでも相場はそう変わらないと安心していたが、辺境ではまだまだ遅れているようだ。外国人と思って吹っかけたのだろうが、本当に油断も隙もない。

 妥当な値で取引できて、やれやれと胸を撫で下ろすラウルの横で、カイルはなにやら復習していた。


「ここは田舎だから、運ぶ経費が掛かって都会よりも交換比率が悪いけど、これから幕家の人たちが集まってくると、テネルス銅貨の需要が高まるのですね?」

「……ああ、そうだ」

「だから都会と同じ率で交換できる……でも、どうしてテネルスのお金が欲しいのですか?」


 ちゃんとアクサライのお金があるのに。

 カイルのその疑問は、もっともなことだった。

 それにしてもずいぶん難しい言葉を知っている。なかば感心しながらも、ラウルはにわか教師となって解説を試みた。


「そうだな、やはりアクサライの外では使えない、というのが大きいだろう。金貨や銀貨もあるが、王都周辺でしか出回ってないしな」


 アクサライ金貨があることを知らない人も大勢いる、と言うと、カイルは眼をまんまるに見開いた。


「帝国やテネルスの貨幣は、価値がそうそう変わらないから。そう言う意味でも人気があるな」

「……ラウルは、なんでも知ってますね」


 凄い、と尊敬の眼差しで見つめられ、ラウルは視線を泳がせ頬を掻いた。大した説明にもなっていないのに、と少々気恥ずかしい。


「このお金も素敵なのに」


 カイルが指に挟んで掲げたのは、先ほど両替してもらったシャルク貨幣だ。長方形の表側には飾り文字で「1」と、裏側にはアクサライ王家の紋様が刻まれている。巧い具合に上端の真中に穴が空けられており、紐を通せば首飾りになりますね、とカイルは少女らしい発想をみせた。


「まあ、初めてなら物珍しく見えるだろうな。……さて、着いた」

「……ラウルの、お知り合いのお家ですか?」


 足を止めたのは、住宅街の一角。塀に囲まれた小さな平屋の家だった。

 庭にはいくつか果樹が実り、入り口には赤と青の2色の長い旗が掛けられている。

 カイルはそれに気がつくと、顔をしかめて後じさった。じり、じり、と後退する肩に手を当て阻むと、恨めしげな瞳が見上げてくる。


「こら、逃げるな」

「わたし、もう良くなりました」

「まだ完全じゃないだろう? 一度診てもらおう」


 この先はルッカレまで医者はいないのだから、念のため。そう言ってもカイルは頑として動こうとしなかった。

 なぜそんなに拒むのか。ラウルは膝をついて小さな手を握り、俯いた顔を覗き込んだ。しかし少女は顔を背けて視線を逸らし、決して視線を合わせようとしない。

 先ほどまでの上機嫌がすっかり萎れ、口がへの字に結ばれている。眉も哀しげにひそめられ、見ているだけで胸が痛んだ。

 けれどラウルも譲れなかった。宥めるように声をかけると、ぽつりと本音が洩らされる。


「お医者さんは……嫌い」

「どうして?」

「……痛いこと、するでしょう?」


 痛いこと、か。ラウルの目元がふ、と緩んだ。

 幼い頃に、よほど酷い目に遭ったとみえる。一番下の妹も、医者と聞くと泣いたものだ。


「そんなことはしないさ」


 痛くないようにしてくれと、ちゃんと伝えてあげるから。

 そう言って微笑むと、探るような視線が交わされカイルはおずおずと口を開いた。


「……本当?」

「ああ、約束する」

「ラウル、傍にいてくれますか?」

「……もちろん、一緒についているから」


 それなら。

 小さく頷いた少女の手を引き、ラウルは入り口の戸を叩こうと敷地の中に踏み込んだ。

 ところが。


「やっぱり止めます!」

「往生際の悪い! 言うことを聞くと言ったろう!」

「そ、それは……」


 直前になってカイルはごねた。

 そして言い淀んだ隙をついて少女を抱え、ラウルは医者の家に飛び込んだのだった。




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