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運命の環は巡る  作者: らみ
終末を望むもの
35/59

草原のただ中で・2

 


 トゥルグの村は集落と言っても良いような小さな村である。人口はわずか数十人、10世帯足らずで皆が家族のように暮らしていた。

 空が茜色に染まる頃、ラウルとカイルは村に辿り着いた。ここは辺境とはいえ街道沿いの村である。旅人を受け入れてくれる家があるはずだからと村の中に踏み入れば、なぜか村長と名乗る老人が出迎えた。

 そのまま村長宅に連れ込まれ、あれよあれよと言う間になぜかカイルが上座に据えられる。「ようこそお越し下さいました」と頭を下げる村長に、いったい何が、と話を聞けばザックが余計なことを吹聴していったらしい。

 なんでもカイルは「殺された両親の敵を討つため、勇猛果敢なアクサライ人の助力を得ようと王宮へ向かっている西の果ての亡国の王子」なのだそうだ。そして自分は王子を陰ながら助ける騎士だと言って、ザックは去って行ったと言う。


 ラウルは激しい頭痛とめまいを覚え、額に手を当て低く唸った。

 確かにあの男は騎士のようだが、雇い主は帝国だ。しかも西に滅んだ国など存在しない。

 まさかこんな荒唐無稽なホラ話、信じるはずもないと思ったのだが村人たちは真に受けた。そのため二人は村人総出で熱烈な歓迎を受け、挙げ句珍獣扱いで持て成された。

 外套を脱いで顔を露にすれば歓声が上がり、差し出された茶を啜ればどよめきが起こる。そしてまた、流暢なアクサライ語を話すと知れると周りに人が群がった。一挙手一投足を注視され、カイルは居心地悪そうに小さくなる。

 もはや見せ物状態で、とても我慢ならなかった。

 ラウルは誤解を解こうと必死になって説明した。しかし類い稀なカイルの美貌や優雅な物腰は、ホラ話の裏付けにしかならなかった。何を言っても「わかっていますとも」と訳知り顔で頷かれる。

 さらには羊が3頭も振る舞われ、村中が沸き立った。

 お手上げだった。羊を潰すなど滅多にないのに、3頭も。ここまでされては、とても文句は言えなかった。見ればそれまでこちこちに固まっていたカイルも、村の子供たちと遊んでいる。

 これはもう、村人たちに娯楽を提供したと思って諦めるしかないか。

 ラウルは気持ちを切り替え、村人達と一緒になって酒と食事を堪能した。

 やがて篝火が焚かれ、音楽が奏でられる。宴は夜遅くまで続き、カイルも楽しそうに笑っていた。



 ◇  ◇



 次の朝、いつも通りに起床し身繕いを済ませると、ラウルは腰を下ろして少女の様子をうかがった。

 布団は丸く盛り上がり、その隙間からは艶やかな黒髪が覗いている。一昨日は板間に雑魚寝だったが昨夜はちゃんとした寝具であったせいか、カイルはまだぐっすりと眠っているようだ。

 寝かせたいのは山々だがもうそろそろ夜が開ける。陽のあるうちに、可能な限り移動しておきたかった。けれど慣れない旅で疲れているだろう少女を好きなだけ寝かせてやりたいというのも、正直な気持ちではある。

 もう少し、もう少しと待ってみるものの、布団はいつまでたってもぴくりとも動かない。


「……カイル?」


 不安に駆られ、ラウルは布団をかき分け覗き込んだ。

 どきり、と心臓が跳ねる。

 色を無くした青白い顔、苦しげに寄せられた眉、かすかに開いた口元。息をしているのか不安になるほどの、浅い呼気。昨日までの、瑞々しい生気に溢れた姿が嘘のように、少女はすっかり弱っていた。

 咄嗟に額に手を当てるが、熱はない。むしろひやりと冷たいほどだ。

 小さな身体をそっと抱き上げ頬を叩く。何度か名を呼ぶと目蓋が震え、ゆっくりと開かれた。どんよりとした暗い瞳がラウルを見上げ、ひび割れた唇がかすかに動く。

 ラウルは痛ましい思いで眉を寄せた。問題ない休んでいろ、と伝えると、ほっとしたように目元が和らぎ再び瞳は閉じられる。

 言葉は発せられなかったが唇の動きから、言いたいことは伝わった。

 なにを詫びようと言うのか、ごめんなさい、と少女はそう言っていたのだ。



 ◇  ◇



 陽が中天にさしかかる頃、カイルは再び目を覚ました。

 枕元に座っていたラウルに気がつくと、眼を細めて嬉しそうにほわりと微笑む。身を起こすのを助けてやり、それから白湯を含ませた。ゆっくり飲ませて濡れた口を拭ってやると、カイルは赤ちゃんみたい、と頬を染めて俯いた。

 身体からはくたりと力が抜け、とても力が入らないというのに、赤子もなにもないだろう。病人は大人しく甘えていろと寝かしつけながら頭を撫でると、カイルはぷう、と頬を膨らませた。


「わたし、大人なのに」

「病気の時は、大人も子供も関係ない。……気分はどうだ?」

「……はい。もう平気です」


 そう言って口を閉じたが、なお物言いたげに見上げてくる。どうした、と促してやれば眉を下げてごめんなさい、とまた詫びた。


「明日には歩けるようになりますから。今日は……休ませて貰っても、良いでしょうか?」


 謝ることじゃない、ちゃんと寝ていろともう一度、ラウルは黒い髪をくしゃりと撫でた。子供じゃないのに、カイルはそう言ったが、眼を閉じればすぐに眠りに落ちてゆく。

 その身体をしっかりと布団で包み、ラウルはじっと少女を見守った。

 朝よりはマシになったが、まだ顔は青白い。風邪かとも思ったが、どうやら違うようだ。熱もなく、むしろ身体はひやりと冷たくなっている。

 村人達も、心配していた。

 大丈夫、疲れが出ただけだ。すぐ治る。そう言い聞かせたが、同時にそう信じたかった。


「国境を越えたから。気候が変わって……身体がびっくりしたのでしょう」


 病気ではない、少し疲れただけだとカイルは言った。

 しかし、本当にそれだけだろうか。

 ラウルは医者ではない。人の身体や病気のことはわからないが、それでもただの疲労ではないように感じられる。得体の知れないなにかに囚われたような焦燥感だけが募り、落ち着かなかった。

 それでも夕には身を起こし、カイルはわずかながらも食事を採った。頬にも赤みが差し、復調の兆しが感じられる。

 心配かけてすみません、とはにかんだように微笑む姿に、皆でほっと安堵した。




 そしてその夜。

 夜半すぎ、ラウルは少女の声で眼が覚めた。

 荒い息。小さな、そして苦しげなうめき声。

 カイルは、うなされていた。

 ラウルは飛び起きて少女の元に駆けつけた。名を呼んで肩を揺すり、頬を叩いて意識を浮上させようと試みる。

 しかし悪夢に捕われたのか少女は弱々しくもがくばかりで、一向に目覚めない。


 いや。やめて。放して。

 ──どうして、こんな。どうして。


「あのとき」だ。襲われたというその時、その記憶が少女を苦しめている。

 抱き起こせば頭を振り、ラウルの手から逃れようと必死になって爪を立てる。精一杯力を込めるが、しかし指の一本も引きはがせない。

 ラウルはもう一度、強い口調で名を呼んだ。


「カイル!」


 はっとして、びくり、と少女は仰け反った。

 虚ろな眼を見開いて、それでも必死になって手を伸ばす。


「お兄さま……」


 宙を彷徨う手を握りしめ、ラウルはあらがう身体を抱き込んだ。

 もう大丈夫、心配ないと何度も囁き、胸の内に閉じ込める。

 身体から強ばりが溶けるまで、ずっとそうして抱いていた。


 やがて少女は落ち着きを取り戻し、ほう、と吐息が零れ落ちた。耳を澄ませば微かに寝息も聞こえてくる。

 しかし身体はすっかり冷えきって、指先も足先も、氷のように冷たくなっていた。

 ラウルは少女を抱いて横になり、布団を引き上げ身体を包む。

 この指先に、温もりを取り戻してやりたかった。

 手羽でも胸肉でも、好きなだけ齧ればいい。

 それで悪夢から解放されるなら、いくらでも差し出そう。



 ◇  ◇



 ん、と鼻から息が洩れ、柔らかな身体がすり寄ってきた。胸の下から背中へと、撫でるように片手が回されもう片方も首に回り、きゅうとしがみついてくる。宥めるように小さな肩をさすってやると、さらに力が込められた。

 息苦しい。ラウルは眼を開け胸元を覗き込んだ。


「お兄さま? わた──わたくし、素敵な夢を見たのです」

「……うん?」


 広い胸に頬を寄せ、少女は幸せそうに笑んでいた。

 まだ夢から覚めたくないというように、闇色の瞳を目蓋の裏に隠したまま、カイルはその素晴らしさを語りだす。


「髪を切って、男物の服を着て、美味しいものを食べながら旅をして。真っ白な靴下をはいた馬にまで乗ったのです」

「…………」

「わたくし本当に楽しくて」

「…………」


 ね、お兄さま、聞いています? と仰のいて、黒と翠の瞳は正面から交わった。


「「…………」」


 長い睫毛が音をたてて瞬いた。

 ぱち、ぱちと何度か瞬きを繰り返すと今度は眉がひそめられ、首が斜めに傾いた。

 背に回った腕が解かれて伸びて、ラウルの頬に当てられる。

 その指は何度か輪郭をなぞるとこめかみで止まり、目尻をぐいと押し下げた。


「ひっ!」

「…………?」


 どうした、と口を開きかけた途端、少女は青ざめ飛び退いた。

 エビが跳ねるように、横になったまま飛んで後退したうえ布団の中で丸まって、カイルは顔だけを表に出す。さらにぼっと音が聞こえそうなほど、その美貌は一瞬にして綺麗に茹で上がった。


「ラ、ウル? どうして? ……ええ? 夢じゃ」


 この時のラウルはただ嬉しくて。悪夢から逃れて元気になった少女に微笑みかけながら、どこか苦しいところはないかとじっと目を凝らして見つめていた。

 夢と現実の狭間で混乱するカイルを宥めてやれば良かったのだ、とは後々気付いたことである。


「わ。わた、わた……わたし、じゃない。わたくし、なにを……」


 陸に打ち上げられた魚のように、ぱくぱくと口を動かしカイルは喘いだ。

 柳眉がひそめられ、闇色の瞳がじわりと潤む。そしてたった一言、心からの叫びを残して少女は布団に潜り込んだ。


「ラウル、酷い!」


 布団の中で篭城した少女を攻略するのは、なかなか大変な仕事だった。




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