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運命の環は巡る  作者: らみ
北方公路
31/59

  閑話 〜 苦難の道 〜

** オノレ砦で好評発売中! **



 かっと血が沸騰し、逆流する。

 武器屋の親父め。この世間知らずがモノの価値を知らないことをいいことに、ぼったくるとは見上げた根性だ。次に会ったら覚えていろ。

 ラウルは胡座をかき、腕を組むと口をむっつりと引き結んだ。眉の間に深い皺を刻んで目蓋を閉じるが時折口元がひくりと動く。

 カイルはこの黒剣に、どれほどの価値があるのか知らなかったのだ。それを責めるわけにはいかなかった。悪いのは、どう考えても武器屋の親父だ。

 言葉にできないありったけの罵詈雑言を脳内で何度も繰り返しながらラウルは耐えた。

 それでも押さえきれない怒気が、小屋の中にじわりと満ちて広がった。


 折り曲げた膝の上に両手を当てて、カイルは肩をすくめてじっとラウルの様子をうかがっていた。こめかみの血管が浮き出るその様子に、小魚、と小さく呟き荷を漁りだす。

 目的のものはなかったが別のものを見つけたようで、手にした缶と囲炉裏の薬缶、そして先ほど洗った食器を順に見て、カイルは静かに動き出した。




「……あの、どうぞ」


 おずおずと、湯気の立つ茶が差し出された。

 ラウルは眼を開け目の前のものを一瞥する。

 随分と香りの良い茶だったが、入れられていたのは世辞にも趣味が良いとは言えない器だ。軍の支給品にセンスを求めても仕方が無いが、それにしても酷過ぎる。

 浅めのソーサーに、持ち手のない、口の広がった浅めの茶碗。先ほどは気がつかなかったが、よくよくみれば外側には「トゥルネイ山地 オノレ砦」と抽象的な藍の文字がでかでかと染め付けられている。受け皿に描かれた模様も、また同じような文字だった。

 ラウルはひっそりと溜息をついた。

 全体的に青味がかった灰色の厚ぼったい陶器は、当然のように質が良くない。せっかくの茶だというのに、水色(すいしょく)がくすんでしまっている。香りはいいのに、これでは味も半減だ。


「ラウル……あの。休憩、しませんか?」


 恐る恐る、うかがうようにカイルは提案した。両手を胸の前で握りしめ、緊張している様子にラウルははっとした。

 すっかり怯えさせてしまったようだ。折角の気遣いを無駄にしてはいけない。金がないのも茶器の趣味が悪いのも、この子の所為ではないのだから。

 ラウルは礼を言うと柔らかく微笑みかけた。


「……いただこう」


 茶を啜り、旨いと褒めるとカイルは眼に見えてほっとした。

 実際、店で飲む茶より数段良い味だった。まともな茶器で淹れたなら、もっと旨かっただろうに悪趣味な器しかないのが残念だ。

 ラウルは目蓋を閉じると茶の味だけに集中した。

 ほどよい苦みとコク、そしてほのかな甘み。鼻に抜ける爽やかな香り。辺境でこれだけのものが飲めるとは、まったく思いもよらなかった。

 そうしてラウルは茶の味を堪能していたのだが、不意に陶然とした声が耳に入ってきた。


「素敵……」


 空耳だ。

 やはり疲れているのだ。今日は早く休まなければ。

 必死にそう言い聞かせたが、ほう、という溜息に、ラウルはつい眼を開けてしまった。そして目の前の光景を、記憶から消してしまいたくなった。

 目蓋のように、自由に閉じられない耳が恨めしい。

 なぜならカイルは茶碗を両手でそっと持ち、瞳を潤ませうっとりと眺めていたのだ。

 ラウルの口から、はあ、と大きな溜息が漏れ落ちた。


「それは軍の支給品だ。諦めろ」

「……でも。受付で販売してるみたいですよ?」


 ほらここに、と差し出された紙にはファンシーな文字が踊っていた。



  ☆★☆  オノレ砦謹製  ☆★☆


    ティーカップ&ソーサー

     (ティーボウルタイプ)


     1客/1帝国銅貨


  ☆★☆ 大好評発売中! ☆★☆

     〜 詳しくは受付まで 〜 




 ラウルは唸り、そっと眉間に手を当てた。


(この砦に駐留しているのは、帝国の、正規軍……)


 軍はいったいこの辺境でなにがしたいのか。

 こめかみがずきずきと痛むのは、気のせいだと思いたい。

 そしてこの悪趣味な茶器を眺めて頬を染める美少女も、見なかったことにしてしまいたい。

 だが──


「……欲しいのか?」

「えー……と、お金がないので、諦めます」

「欲しいんだな」

「……はい」

「今は、ダメだ。……それはわかるな?」

「……はい……」


 しゅんとカイルは萎れるように小さくなった。

 その様子に、ラウルは言葉が詰まってしまう。

 なにかの罠だ。甘やかすな。どこからかそんな声がした気がしたが、聞けなかった。


「まあ、いずれ……な」

「ほ、本当ですか!?」


 途端に顔を輝かせ、カイルは満面の笑みを浮かべて喜んだ。

 言葉ひとつでくるくる変わる表情に、ラウルは苦笑するしかない。


 いずれ、機会があったなら。


 この口約束をラウルが激しく後悔するのは、まだずっと先のことになる。




 


** オノレ砦の商品開発! **



 炭入れの箱と桶を持って、ラウルは小屋の外に出た。半円形の広場を横切って、兵舎と思しき建物の戸を叩く。

 すぐに返事があり、炭が無いというと出てきた兵は眼を丸くした。


「足りませんでしたか? すみませんねぇ」


 こちらへどうぞ、と食堂に案内され、まあどうぞ、と無理矢理小さな椅子に座らされた。気が付けば、周りは兵達によって二重三重に取り囲まれている。

 ラウルは兵舎の食堂で、尋問を受けていた。


「いえね、最近はほら、経費節減経費節減ってそれはもう五月蝿いでしょう?」

「この砦なんかは通行量が少ないから、真っ先に槍玉に挙がってしまいまして」

「以前はここも、一個小隊でもって回してたんですけどね、人員が減らされてしまいました」

「今じゃ分隊2つですよ」

「それでも仕事量は変わらないのですから、なかなか厳しいものです」


 は〜っ、とその中年の兵が零すと、周りも一斉に相槌を打つ。


「そのうえ、外部資金を稼いでこいって……軍にそれは、略奪でもしろってことですかね」

「勿論そんなことはできませんから、旅人さんにね、なにか買ってもらおうと」

「それで商人の方に色々聞いてみてですね」

「ここには土も木もある、ということで、陶芸を思いついたわけでして」

「運良く兵の一人に、陶芸経験者がおりまして」

「当初はそれはもう、見られたものではありませんでしたが、最近は腕を上げまして」

「皿だけでなく、茶器まで作れるようになりました」


 するすると人垣が割れ、「オノレ砦謹製陶器」が次々にラウルの前に並べられる。


「……で、どうでしょう? ご感想など頂けないでしょうか?」

「どんなことでも! 忌憚ないご意見を、是非!」

「「お願いいたします!」」


 周りから一斉に頭を下げられて、は〜っ、とラウルは項垂れた。

 なんなのだ、ここの兵達は。

 言うだけ言って、さっさと終わらせよう。


「その前にひとつ訊くが」

「「なんでしょう!」」

「本当に、どんな意見でも良いのだな?」

「「もちろんです!」」

「では……」


 ひとつ頷くと、ラウルは「忌憚ない意見」を述べ始めた。


「まずこの柄だ。悪趣味、の一言に尽きる。しかもこの内容も問題だ。『トゥルネイ山 オノレ砦』。絵が描けないからとりあえず文字にした、というのがあからさま過ぎる。観光地でもなんでもない場所で、地名を書いたからと言って物が売れると思うな。しかもなんだ、この皿は。釉薬に漏れがある。ここから水分が染み込んで、染みになるだろうが。それにこの、ヘアーラインなど貫通しているじゃないか。使えんぞ、これは。そもそも陶器というものは、白くて薄いものに価値があるんだ。こんな青くて分厚く重い皿に、どれだけの価値がある? 丈夫だけが取り柄としか思えんが、それすらも満足にできないようでははっきり言って作るだけ無駄だ。止めてしまえ。もし本格的に作るというのなら、まずは土だ。焼いて白くなる土を探せ。できれば硬質磁器が良いが、無理だったら……」


 あるものは頷き、あるものはメモを取りながら、兵達は身を乗り出して真剣に聞いていた。

 それからしばらくの間、ポットの茶が空になるまで、ラウルの講義は続いたのだった。


「……とりあえず、そんなところだ。これらが改善されなければ、まず見向きもされないだろうな。こんなものを好んで使うのは、余程の馬鹿か物好き……」


 はっとして、ラウルはまた大きく項垂れた。


(馬鹿で物好き……そういえばいたな、すぐそばに)



 



** 苦難の道 **



「待てよおっさん、話を聞け!」

「……これのどこに、話すだけの余地がある?」


 護衛士の口元に、うっすらと笑みらしきものが浮かぶ。

 その様子に騎士は頬を引きつらせ、じり、と一歩後退した。騎士が下がった分だけ護衛士は間を詰め、二人の間の空気がじわりと密度を増してゆく。


「泣かせたのは、お前だろう……?」

「──え? ……違う、誤解だって!」

「五階も六階もあるか!」


 その瞬間、小屋の空気は凍り付いた。

 時間が止まったかのように、しん、と永遠にも等しい沈黙が辺り一帯を支配する。




「おっさん……今時親父でもそんな寒いギャグ言わねーぞ?」


 ぎぎぎ、と固まった関節を動かしながら、騎士は呆れたように口にした。

 護衛士はムッとしたが、ほんのり頬を染めて俯くほかなかった。


 確かにオカシイ。

 どうしてこんな言葉が口をついたのか、護衛士は我がことながら全く理解できなかった。これまでこんな場面で妙な冗談を口走ったことは30余年生きてきて、一度だってなかったのだ。なにか悪い病を患ったような、そんな気がしてきた。そして感染源は、背中にへばりついているような気もする。

 護衛士は悶えた。深い縦穴があったらそこに入って蓋をしたい。二度と出て来られないように、厳重に。


 一方騎士は騎士で居たたまれなかった。

 栗色の頭をかき回し、そのままふいと後ろを向いて赤くなる。

 なんと哀れなことだろう。もし自分があんな目にあったらと想像すると、それだけで涙が滲み出るようだ。あまりにも気の毒で、とても見ていられなかった。ここは聞かなかったことにしてやろう。

 ちらりと振り返り、騎士は護衛士に向かって頷いた。翠の瞳がはっと見開かれ、きゅ、と眉根が寄せられる。

 真の男の友情が芽生えた──かにみえた。


「ラ、ラウルは……っ! おっさん、じゃ、ありません!」


 べそべそと、護衛士の背中で泣いていた少女が抗議した。

 それだけ言うと今度は護衛士の腹に手を回し、少女はぎゅうとしがみつく。

 護衛士は、再び全身を羞恥の色に染めあげた。

 騎士もまた、顔を背けてうずくまる。


 なんと不憫なおっさんだ。アレの身近にいると、ああなってしまうのだろうか。

 背中側からぐじぐじと陰気くさい気配が漂ってくる。

 今すぐこの小屋から出て行きたい。

 騎士は痛切にそう願ったが、扉の前の三和土には、少女と護衛士が団子になっている。出たくとも、出られない。

 目の前には旨そうな肉の山。腹もじゅうぶんに減っているというのに、とても食べられる状況ではない。

 騎士は膝を抱えて丸くなった。


(俺たち、なんてカワイソウ!)


「たち」の中に、勿論少女は含まれていなかった。




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