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運命の環は巡る  作者: らみ
北方公路
30/59

  閑話 〜 ラウルの受難 〜

Web拍手のお礼小話として掲載されていたものを大幅に加筆したものです。

 


** 「大人の時間」のその後で **


 ふわり、とラウルの意識が浮上した。

 目蓋越しに覗く世界は闇の中、起きるにはまだ早い。もう少し、寝かせてくれ。そう願ったのだが首元からひやりとした冷気が染み入って、肌寒さが気になって仕方がない。上掛けの隙間を埋めようと手を伸ばせば、すぐ隣に人の気配が感じられた。

 ああ、これは一番下の妹か。実家を出る時、彼女はまだ小さかったのに、いつの間にかこんなに大きくなって。独りで寝るのが怖いと言って、よくこうして寝台に潜り込んできたものだが、成長してもまだ人恋しいらしい。


 肌寒いと思ったのも道理、仰向けになっているラウルに対し、隣の温もりはこちらに背を向け横を向いている。この隙間から冷気が入り込んでいるのだ。

 温もりに重なるように、ラウルもごろりと姿勢を変えた。一連の動作は慣れたもの、眼を開けなくても身体が覚えている。

 薄い腹に手を回し、身体を胸元に引き寄せる。冷えてしまった背中を胸の内に納め、己の熱を移してやる。身体はすぐにほかほかと暖まり、ラウルを夢の中へといざなってゆく。

 うとうとしながら、ラウルは思う。

 子供というのは厄介な生き物だ。大人より体温が高いというのに四肢の先はすぐ冷える。手を探れば案の定、その指先も少々冷たくなっていた。

 無意識のうちに、手が動く。

 小さな肩を手繰り寄せ、顎の下に頭を置く。枕の代わりに頭の下には左腕を差し入れる。さらにより一層身体を寄せて、外気との境目に上掛けを詰めてやる。すると、ラウルのふくらはぎにひやりとしたつま先が押し付けられた。柔らかな頬が二の腕に擦り寄せられ、両手できゅっと握りしめられる。


 温もりを求める正直なその反応に、ラウルの頬も緩んでくる。

 目蓋の裏が、ぼんやりと明るくなってきた。夜明けも近い。普段ならそろそろ起床する時間だが、この手足がもう少し暖まるまでこのまま微睡んでしまおうか──そんなことを考えて、睡魔に身を任せようとしたそのとき。


「──っつ!」


 二の腕に鋭い痛みが走った。ラウルは咄嗟に腕を引いて飛び起きる。閉じようとする目蓋を無理矢理開いてよくよくみれば、そこにはきれいな歯形がくっきりと刻まれ、うっすらと血まで滲んでいた。


 一体何が起きたのかと、ラウルは腕と寝台を交互に見やる。妹からこんな仕打ちを受けたことは、これまで一度も無かったことだ。


「…………?」


 乱れた上掛けの下から、黒い頭が覗いていた。飛び起きたときに転がったのか、「それ」はうつぶせになっている。

 弟妹に、こんな色の髪を持つものはいない。

 なんだ、これは。いったいいつの間に忍び込んで──


「──!!」


 がつんと、鈍器で頭を殴られたような衝撃が走った。

 そうだ、「これ」は妹ではない。夕べ出会ったばかりの赤の他人だ。「カイル」と名乗って少年の格好をした、世間知らずの強情な少女。

 ラウルは手で顔を覆って低く唸った。居たたまれない。今すぐこの場から消えてしまいたかった。

 やましいことなどしていない。これだけは断言できる。だが同衾した挙げ句に抱き寄せるなど、少女が腹を立てるのも当然だった。

 寝ぼけていて妹と間違えたのだ、そう言って納得するだろうか。この年で妹と同衾すること自体、少々後ろめたいものがある。深い縦穴があったらそこに入って蓋をしたい。二度と出て来られないように、厳重に。

 ラウルは頭を抱えて蹲った。

 そもそもなぜ床で寝なかったのだ。寝台が広いからと、欲を出したばかりにこんなことになる。酒で思考が麻痺していたとしか思えない。あの酒も、飲み過ぎだ。味わうこともせずにただ呷るなど、普段なら絶対にしないのに。

 ラウルは悶えた。

 一見するとそうは見えないが、かなり取り乱してもいた。

 寝台の上で下着姿のまま、歯を噛み締め拳も握り、頭を抱えて座り込んでいるのが良い証拠だ。おまけに顔は首から耳まで赤くして、湯気まで立ち上っている。

 判決を受ける罪人のように、ラウルは待った。もはや逃げも隠れもしない。甘んじて、少女の非難を受け入れよう。


 しかしいくら待っても判決は下らなかった。それどころか、くうくう穏やかな寝息まで聞こえてくる。

 まさか、とラウルは上掛けをそっとめくって覗いてみた。

 艶やかな黒髪を乱しながら少女は握った片手を口元に当て、うつ伏せのまま眠っている。

 ラウルはほっと安堵した。強ばった身体から力が抜け、大きく息も吐き出される。この分なら、今朝のことは覚えていまい。なにか訊かれても、夢だということにしておこう。


 安心すると、ぐっすり眠る少女に興味がわいた。ラウルはもう一度横になって左肘で身体を支え、少女をそっと覗き込む。右手で上掛けを下にずらすと類い稀な美貌が露になった。

 夕日に照らされた顔は、はっとするほど美しかった。その後で見たあの闇色の、強い瞳。それが隠れるだけで、こんなにもあどけなさが勝ってくる。そして薄暗い室内でも良くわかる、シミひとつない滑らかな白い肌。ふっくらとして紅く色づいた、柔らかそうな唇。

 それが時折弧を描き、うふふ、と幸せそうな息までもれる。

 つられてラウルの口も、笑みを刻む。

 やはり子供の笑顔というものはいいものだ。胸の内がほっこり暖かくなってくる。

 手を伸ばし、頬にかかった髪をそっと払う。絹糸のような手触りが心地よく、ラウルはそのまま何度も梳いた。するり、するりと指の間を髪が滑り、まるで猫を撫でるように心地良い。


 ふと、少女の手が彷徨った。なにかを探すようにシーツの上をするする動き、大きな左手を探り当てるとその指をしっかり握りしめる。そのままふにゃりと笑むと、手のひらを表に返し、柔らかな頬をすりりと寄せた。


「カにゃ……ト……」


 うにゃともむにゃともつかない声で呟くと、少女はこれ以上ないほど幸せそうに微笑んだ。よほど楽しい夢でも見ているのだろう。その幸福感が伝わって、ラウルは眼を細めて少女を見守る。

 少女はラウルの手のひらを頬に当て、うっとりと微笑んだ。それからまた何度か頬を寄せ、小さな口を精一杯大きく開ける。

 目標は、親指の付け根。

 ラウルは眼を剥いた。まさか、先ほども──




 かちり、と歯のかみ合う音がして、小さな口がもごもご動いた。

 うぅん、と不満げな音を発して眉をしかめた少女だったが、すぐに規則正しい息を立て、またぐっすりと寝入っている。

 ラウルは少女の足下で、茫然と座り込んでいた。心臓がばくばくと早鐘を打ち、冷たい汗がこめかみを伝う。

 間一髪、だった。本当に紙一重の差で、助かった。

 少女の寝言と親指の付け根、そして歯形の残る二の腕。これらのことから察するに、どうやらラウルは食われかけたらしい。確かにコレは、昨夜鶏唐揚げ(カナト)をとても美味いといって食べていた。その夢を見ていただろうことは、簡単に想像がつく。


 ラウルはもう一度、腕を見た。

 手羽、なのか。

 部位から言って、そうなのだろう。

 鶏肉代わりに齧られた二の腕が、じんじんと痛みだしてくる。

 その痛みから眼を背け、寝台を降りてラウルは服を身につけた。

 少女はころりと寝返りを打った。今度は仰向けで、両手を頬の両脇に投げ出して眠っている。


「…………」


 ラウルは深く大きな溜息をついた。

 可愛い顔をして、なんと危険なイキモノなのだ。

 幸せそうに眠る少女を上掛けでしっかりと覆い、固い決意を胸に秘める。


(──コイツの隣では、金輪際寝るものか)


 




** 「北方公路」1〜2の間の出来事 **



 高く蒼い空のもと、白い雲が流れてゆく。

 雲の動きに沿って木の葉の影のモザイクが、形を変えてそよいでゆく。

 目の前には巨大な崖。歩けど歩けど、その場所はまだ遠い。視界に入れると永遠に辿り着かないような、そんな気分になってくる。

 けれど間違いなく、一歩踏み出すごとに進んでいる。坂の向こう、点のように見える道の向こうに、オノレ砦があるはずだ。

 この街道の初心者は、大抵この辺りで弱音を吐く。崖が大き過ぎて距離感が掴めないのだ。そのためいくら歩いても、逆に崖が遠ざかるような錯覚に陥ってしまう。


 ラウルは振り返ってカイルの様子をうかがった。

 少女は視線を数歩先に当て、飛び出た根や石に足を取られないよう注意しながら歩いている。

 着実に、一歩一歩を踏みしめる姿にラウルは安堵した。それでいい。下手に上を眺めながら歩いても、怪我の元だしいっそう疲れが増すだけだ。

 足を緩めたラウルに気付き、カイルが顔をあげてにこりと微笑む。

 それだけなのに、少女の腰に千切れるほどに振られる尾が見えた。黒くて短毛のすらりとした長い尾を、振るというよりぐるぐる激しく回転させて喜びを表現している。


 ラウルは頭を振った。

 妄想を幻視するとは、相当疲れが溜まっているようだ。昨日の酒が残っているのかもしれない。今日は早々に休まなければ。

 物思いにふけっているといつの間にかカイルが追いついて、ラウルをじっと見上げていた。

「お手」と言って手を出したら、右手をぽんと乗せそうだ。

 無意識のうちに、勝手に右手が動いてしまう。喉のすぐそばまで出かかった言葉の誘惑を、ラウルはやっとのことで飲み込んだ。

 危なかった。意識をしっかり保たなければ。

 中途半端な位置にある右手をそのまま胸の位置の頭に乗せ、ラウルは「行くか」と声をかけた。


「わん!」


 と元気な返事が聞こえた気がして、ラウルは翠の瞳を丸くした。


「……ラウル?」


 どうかしましたか、とカイルが覗き込んでくる。

 ラウルはこめかみを強く押さえた。

 重症だ。カイルは「はい」と言ったはずなのだ。犬のことは忘れよう。他のことを考えて、思考を切り替えなければ。

 隣を歩くカイルをちらりと見下ろし、ラウルはまた思考の海に沈みこんだ。


(何故攫われたかは、わからない、か──)


 カイルは貴族でないと言う。そして資産家の娘というわけでもないらしい。すると身代金目的の誘拐、と言う線は消えてくる。

 しかしカイル本人に理由があるとしたらどうだろう。

 優雅な物腰。洗練された歩き方。丁寧な言葉遣い。綺麗な公用語。

 これらが必要になると考えて、兄が教え込んだとしたら。

 本人も知らない「なにか」の理由で襲われたとすれば、すべて辻褄が合う気がする。


(…………)


 考えれば切りがなかった。

 真っ先に思いつくのは貴族や王族がらみの醜聞だ。次いで魔術に関するなにか。カイルは昨夜「転送陣」がどうとか言っていたが、そんなものは存在しないはずなのだ。

 けれど、もし。その魔術に関する「なにか」をこの娘が知っていたら。

 身体の中からすべての空気を絞り出すように、ラウルは大きく息を吐きだした。

 本当に、切りがない。カイル本人も知らないことを、他人が憶測だけでものを言っても仕方がなかった。


 ラウルは天を仰いだ。

 太い古木の隙間から、深い青の空が覗く。嗄れた声がして、鳥が一羽横切った。

 この少女を得ようとして、自分ならなにを理由に挙げるだろう。


「……ペット……な訳はないな」

「『ペット』って、なんですか?」


 ぐ、と喉の奥から妙な音がした。

 口に出したつもりはなかった。だがカイルには、しっかり聞こえていたようだ。

 耳慣れない言葉だったのか、闇色の瞳はきらきら輝き、興味津々といった顔でラウルを見上げ、すぐそばから覗き込んでくる。


(なんて耳聡い……)


 ここで誤摩化すことは簡単だ。だが、こういう手合いにはきちんと教えないと、いつまでもいつまでもいつまでも、そしてどこまでも訊いてくるものだ。これまでの経験上、どの弟妹もそうだった。

 こほん、と一度咳払いをすると、ラウルはことさら神妙な顔をして人差し指を立て、目線を会わせるように腰を屈める。


「言葉のままの意味だ。愛玩動物。おまえは見ていて飽きないからな」

「愛玩動物、ですか」

「そうだ」

「そうですか」


 ……納得したか。

 やれやれ、と胸を撫で下ろしたラウルに、鋭く突き刺さるような質問が飛ぶ。


「でも『言葉のまま』ということは『言葉のままじゃない』意味もあるということですよね?」


 全く邪気のないその笑顔を、ラウルは直視できなかった。

 無言で足を速めたラウルに、カイルは抗議の声をあげる。


「ねえ、ラウル! どうして黙ってしまうんです?」


 カイルは小走りになりながらもついてきて、ラウルの袖をつんと引く。


「五月蝿い。黙って歩け」

「あ、誤摩化さないでくださいよ」


 腕を払い、さらに無視して足を速めると、カイルはきゃんきゃん吠えだした。

 高音が頭に響く。これは、小型犬の鳴き声だ。


「ラウル、酷い! 待って、ちょっと待ってください!」


(──さて、どうしたものか)


 ラウルは腰に手を当て、立ち止まって天を仰いだ。どっと疲れが増した気がして、一度強く眼を閉じる。

 カイルは元気に駆けてきて、ラウルの腕に飛びついた。背伸びをすると口元に手を当てて、そっとひとこと囁いた。


「……冗談ですよ?」


 言うだけ言って、少女は笑いながら逃げてゆく。その逃げっぷりは見事というほかない。


(コイツ──!)


 ラウルは震える拳を握りしめた。




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