邂逅・2
長くなった己の影を引き連れて、ラウルは村の南、トゥルネイ山に向かって大股で歩いていた。
(ありえない! 衝動的に剣を買うなど、全くもってありえない! しかもあの剣を、金の代わりに使うなど!)
黒剣を購ったため、手持ちの金がほぼ尽きた。この春からずっと働き詰めだったのでそろそろ休暇を取ろうと思っていたが、それもこれでお預けだ。それどころかこの先かなり身を入れて働かなければならなくなった。
ラウルの仕事は護衛である。襲われないような態勢を整えることが第一ではあるが、いざというときには真っ先に飛び出して、依頼人や商品を守らなければならない。その時思うように身体が動かなければ、依頼人はおろか自分の身すら守れないのだ。そのため護衛士は、常日頃からの鍛錬と武器の習熟に力を入れていた。
ラウルの武器は剣だった。だというのに肝心の剣を新調した挙げ句、それまで愛用していた物を質草にしてしまったのだ。これではこの新しい剣に身体が馴染むまで、そうそう仕事も入れられない。
己の愚かさには本当に腹が立つ。
けれど、とラウルは腰の剣に手を触れた。
腹が立つことは事実だが、この剣を手に入れたことを後悔はしていない。今はそれよりも、嬉しさの方が勝っていた。
少々軽い気がするが、黒剣はほどよい重みで腰に治まっている。
皮を張っただけで柄にも鞘にも装飾のないこの剣は、無骨という言葉そのものだ。だが中身がすべてとばかりに余分な物がすべて省かれたこの剣を、非常に好ましいとも感じていた。
これを身体の一部として自由に扱うことができたなら、どんなに素晴らしいことだろう。
想像するだけで頬が勝手に緩んでしまう。
それでも一刻も早くこの剣に慣れなければならないのは確かなことだったので、ラウルは足取りも軽く村はずれの森に向かっていた。
◇ ◇
ひやりと冷たい風が頬をくすぐり駆け抜ける。
標高の高いこの場所は、日が陰ると途端に気温が下がってくる。森の中なら言うまでもなく、外套なしでは肌寒さを覚えていたところだ。
カユテの村からトゥルネイ山へと続く森へ少し入った場所には物置のような小屋がある。そこは猟で山へ入る村人達のための休憩所のようなもので、前は開けた広場になっていた。そして広場の周辺は樹々に囲まれているため人目に触れずに鍛錬するにはもってこいの場所だった。
ただ人気がない故に、この小屋にはまれに「ならず者」が居着くこともある。油断はできないが、もっとも今は守るべき相手もない。無法者がいたらいたで好きなだけ暴れてやろう。
そうでなくともすぐに暗くなる。今日は「慣らし」程度に留めておこう。そして鍛錬の後は身体を冷やさないようにしなければ。
そんなことを考えながら、ラウルは森の中の細い小道を進んでいた。
ふと、前方からかすかな声が聞こえてきた。
日も暮れようとするこの時間、こんな森の中に村人が居るはずもない。これは明らかに「外」の人間だ。
ただの旅人なら構わない。だが村人に危害を加えるような者であったなら、それは阻まなければならなかった。そしてラウルひとりの手に負えないような人数なら村へ危険を知らせなければならないだろう。
「護衛士」の顔になってラウルはそっと、気配を殺して近づいた。
樹々の後ろから窺うと、そこには4つの人影があった。3人の男が少し小さな人影を小屋の方へ誘導しながらしきりに話しかけている。
男達は鍔のない、小さめの筒状の帽子をかぶっていた。一様に筋肉質で背はさほど高くなく、幅広の剣を佩いている。裾の長い上着の下から見える下履きは足首の部分で窄まっており、日に焼けた肌に黒い髪、と典型的なアクサライ人だった。
見たところ山賊の類いではないようだが、ただの商人でもないだろう。
そして小柄な方はフードで頭が隠れて顔立ちはわからないが、ほっそりとしていた。剣を佩いているようだが外套に隠れて詳細はわからない。その膝下までの外套から覗くのは、くたびれた皮の長靴。身なりからはアクサライ人ではないだろう。
3人と1人、揉めている様子はないが、知り合いでもないようだ。小柄な方は戸惑っているようであるし、そもそも一般人ならこんな時分にここには来ない。
いったい何をしているのだ、と樹々の影に紛れてラウルは声が届く位置まで近づいた。アクサライ訛りのある公用語と、男性にしてはやや高めだが綺麗な公用語が聞き取れる。
「この先に、ちょっとした小屋があんのさ」
「あんちゃんも宿にあぶれたんだろ?一緒に泊まってけ」
「……良いのですか?」
「遠慮すんなって。食事は俺が持って来てやっからよ、それまで休んでりゃいい」
「そういう訳には……」
「カユテは初めてなんだろ? 日が暮れてからじゃあ、迷っちまう」
「ここらは俺たちにゃ庭みたいなもんだからよ」
「そうですか? ……ご厚意、感謝いたします」
少年のその言葉にラウルは頭を抱えたくなった。
声には怯えも戸惑いもなかった。あったのは、純粋な感謝の意だけだ。
言葉遣いからも少年が上流階級に属する者であることが伺える。ヘタをしたら貴族かもしれない。それが一人でふらふらと出歩いた挙げ句、人買いもどきに攫われようとしている。このまま放っておけば、行く末は火を見るよりも明らかだ。
それにしても、この少年も少年だ。男の一人に背中を押され、もう一人に肩を抱えられ、先導する男の下卑たその眼差しの意味に気がついていないのだろうか。
(護衛は一体なにをしている!)
一定の身分を持つ者のそばには常に護衛がついているが、その気配すらないことにラウルは無性に腹が立った。こんな世間知らずを放置するなど、現役護衛士としては文句の一つも言ってやらねば気が済まない。
だがとりあえず、今はこの少年の方が先だ。
「おい」
ラウルは外套を左背に跳ね上げ、佩いた剣を見せつけるようにしてゆっくりと近づいた。
「その手を放して貰おうか」
突然現れた強烈な威圧感を放つ長身かつ強面の男を見て、男達は滑稽なほど狼狽えた。
「な、なんだてめえ!」
「どっから来やがった!」
「手を離せと言っている」
あまりにもありきたりなその台詞に、ラウルは思わず失笑した。
そして軽く睨んでやると男達はひっと声をあげて少年から一歩下がる。それでもリーダー格と思われる男は腰が引けながらも愛想笑いを浮かべていた。
「あんた、同類かい? だったら俺たちと……」
「俺は護衛士だ」
最後まで言わせずに、ラウルは更に一歩を踏み出した。
左手で剣の鞘を持ってみせれば効果は覿面だ。男達は雑魚らしく、捨て台詞を吐いて逃げてゆく。
「……けっ! 護衛だったら目を離すんじゃねぇ。この三流が!」
何度も後ろを振り返りつつ、男達は街道の方へ小走りに駆けて行った。
他にもアクサライ語でなにやら悪態をついていたが所詮は負け犬の遠吠え、痛くも痒くもない。
そんな男達を冷ややかに見送って、ラウルは少年に向き合った。
「坊主……来い」
声をかけるが少年はゴロツキどもの去った後を見つめたまま、固まったように動かなかった。どうやらやっと危険を認識したようだ。
「村まで送る。──どうした、腰でも抜けたか」
その声にゆるゆると頭を振った少年はフードの奥からラウルを見つめ、どこまでも巫山戯た言葉を口にした。
「あの人達は、今晩どこで休むのでしょう。こんな山中で、不逞の輩に襲われたりはしないのでしょうか?」