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運命の環は巡る  作者: らみ
北方公路
22/59

夢の道・2

 


 騎士はぐいと茶を含み、二拍置いてごくりと中身を飲み込んだ。ふはっと息を吐きだして、手の甲で口を拭う。それから口を引き結び、膝に手を当てずいと身を乗り出した。

 そこにはいるのはもはや照れて頬を染めた若者ではなかった。「帝国の騎士」としての自負と責任を負った、一人前の男である。


「護衛士殿」


 改まって呼びかけられて、ラウルはわずかに胸を反らせた。すると目尻に皺を寄せ、人なつこい笑みを浮かべるとザックは実は、と切り出した。


「実は私も目的地はサリフリなんだが、少々急いでいる。どの道を行くのが早いのか、助言を貰えないだろうか」

「ザックさんも、サリフリへ?」


 先ほどのことなどすっかり忘れたように笑顔を見せたカイルに、騎士は頬を緩めて頷いた。

 いちいち素直に反応するのが面白い。やはり小動物はイイものだ。


「そうなんよ。俺の上司って奴がまた人使いが荒くてな、たった3月でサリフリまで行って、やることやって帰ってこいってさ」

「それは……大変ですね」

「おうよ、この仕事がちゃーんとできたかどうかで来年度の給料が決まっちまうからな、力入れてやらなきゃならん」


 あっという間によそ行きの仮面を外した騎士に、ラウルは苦笑を禁じ得ない。どうやらこの騎士は猫をかぶるのが苦手らしい。じゃれ合うような二人を見守るように眺めていたのだが、ふと気づいたことがあった。


「今からなら、再来年度ではないのか?」

「……へ?」

「再来年……?」


 カイルはともかく、当事者の騎士の方が理解していないように見えるのはどういうことだろう。首をひねりながらもラウルは理由を説明した。


「新年度といったらもう10日もないだろう? だったら給料しかり、予算はとっくに決まっているはずだ。知り合いの騎士は夏前に評定があると言っていたが」

「……うそだろ? 俺……そんなの知らねえ……」

「ザックさん?」


 眼を見開いて顔色をなくし、騎士はわなわなと震えだした。そして震える両手をじっと見つめていたかと思うと、カイルを押しのけどたどたと這ってラウルの膝に縋りつく。


「なあ、評定ってなんだ? 給料ってどうやって決まるんだ?」

「人伝に聞いただけだ。宮仕えはしたことがないから、詳しくは知らん」

「なんでも良い! 教えてくれ。頼む!」


 熊のような騎士に迫られラウルは大きく仰け反った。濡れた土色のつぶらな瞳が潤んでいるが、まったく可愛いとは思えない。

 ──三十路も間近な大の大人が、なにを今更。

 鼻息が頬にかかるほどに詰め寄られラウルはふいと顔を背けるが、騎士は膝に手を載せたままぶつぶつと呟きだした。


「給料未払いになったら、どうしよう……俺……」

「ザックさん……」


 分厚い肩をぐいと押して、ラウルは少し距離を取った。抵抗もせずに呆然と座り込む騎士は、気の毒といえないこともない。帝国のような大国で俸給が支払われないことはまずないだろうが、万が一、ということもある。


「借金でもあるのか?」

「いや、借金はねぇが……給料が入らなかったら、可愛いお姉ちゃんとイイコトでき」


 ぐき


 ラウルはザックの左頬を、右手で押して向きを変えた。できることなら口を塞ぎたかったのだがどういうわけか右手がそれを拒んだのだ。そのため騎士の首は妙な音を立て、囲炉裏の方に曲がっていった。


「──ってぇ! なにすんだ、おっさん!」

「それはこちらの台詞だ」

「なんだよ、お茶目なジョークじゃねぇか」


 ──遅かったか。

 ラウルはそっと顔を逸らして眼を閉じた。見たくない、そう思って眼に手を当てたのに、右手の方から華やいだ気配が感じられる。


「……ザックさん、わたしもイイコトしたいです」


 ──ああ、やはり。

 期待に胸を膨らませ、きらきらきらと瞳を輝かせたカイルの顔が眼に浮かぶ。指のわずかな隙間からそっと覗いてみると案の定、薄暗い小屋の中が、そこだけ光り輝いているようだ。


「楽しいコトなのでしょう?」


 じりじりとにじり寄るカイルは、まるで毛糸玉を前にした猫のようだ。そして騎士は、いや、とかその、とか言いながらじわじわと後退している。

 この部分だけ切り取って見れば、美少女に襲われる野獣といったところか。台詞だけならかなりキワドイのに、艶めいた雰囲気がまったくないのはどうしたことだろう。

 世にも珍妙なこの光景を、ラウルは腕を組んで傍観することに決めこんだが、ザックの方はそれどころではなかった。


「……おっさん。悪かった」

「…………」

「なあ、ホント、心から反省してる。だからコレ、どーにかしてくれ」

「これも良い機会だ。存分に遊んでもらったらいい」

「はい。ザックさん、楽しませて下さいね?」

「ちょっ……なにがどうなって……」


 帝都でないとできない遊びなのだ、と苦しい言い訳をひねり出すまで、ザックはなす術もなく「遊んで」と迫りくる少女から逃げ回ったのだった。



 ◇  ◇



「それで、地図はあるか?」

「……ああ、ちょっと待ってくれ」


 疲れ切った様子のザックが、床にのろのろと地図を広げる。ラウルも自分の地図を広げて隣に並べ、向かい合わせになる位置に腰を下ろした。カイルも一緒になって地図を囲み、2つの地図を興味深そうに眺めている。

 ザックの持つ地図は大陸東方を中心として詳細な地形が描かれたもので、紙には張りがあってまだ新しい。街道に沿って所々に書き込みも見られるが、印刷された文字を隠すほどではなかった。

 対してラウルの持つ地図は上質の子牛皮製で、ザックのものより大きく大陸全土を描いたものであった。元は上質でも使い込まれた皮には染みも目立ち、年代物だということが素人目にも良くわかる。加えて至る所に様々な色のインクで書き込みがなされ、地図は文字と図形で埋まっていた。地図一面がまるで暗号のようにもみえ、これを読み解くことは持ち主以外には不可能だろう。ラウルが護衛士になって20年近く経つ。この地図にはそれだけの歴史が詰まっているのだった。


「……凄ぇな」

「まあ……随分長いこと使っているからな」


「組合」に所属する自由契約の護衛士は、出会えば街の酒場などで必ず情報交換をする。食事を共にして酒を酌み交わしながら、地図を見せ合いそれぞれの持つ情報を共有していくのだ。そのため各地の情勢や気候の変化には、誰よりも詳しいと云われていた。もちろん中にはガセもあるが、そういった情報を流した者はそれ以降誰からも相手にされなくなる。情報が己の命を左右することを誰よりも良く知っているのもまた、護衛士なのだ。


 ラウルはカイルに一度目を向けると、地図の中央部を指し示した。騎士にとっては今更だろうが、この少女への説明も兼ねて復習してもらおう。


「オノレ隧道を抜けてから、まずトゥルグの村に向かうだろう? 北方公路はそこからソマを通りルッカレに繋がっている」


 トゥルネイ山の北側を起点として帝国側に緩く弧を描きながら、南東のルッカレの街へ向かってラウルの指が動いてゆく。


「ここで中央公路と合流するわけだが……君は馬を持っていたな?」

「ああ、足の強い良い馬だ」

「ならば」


 ラウルはザックの地図に描かれた、太い街道を指でなぞった。


「やはりルッカレから中央公路を行った方が早いだろう。道も整備されているから馬も歩きやすいだろうし、なにより安全だ」

「ふむ……裏道はない、ということだな?」


 そうだ、と頷くラウルに遠慮がちな声が掛けられた。


「あの、いいですか?」


 ザックが顎を握っているのを真似しているのだろう。顎の下に拳を当て、カイルは神妙な顔で地図を指差した。


「トゥルグからこう、まっすぐサリフリに向かったら、一番早いのではないでしょうか」


 確かに北方公路から中央公路へ抜けようとすると、アクサライ王国の中央部を大きく迂回する形になる。一直線に向かった方が早いと考えるのは当然のことだった。

 ラウルは大きく頷き、トゥルグの東を指差した。


「そうだな、確かにその通りだ。だが地図には描かれていないがこの辺りの山岳地帯は地質が脆い。道がないわけではないが、よく崩れて通れなくなる」


 そして、と指はトゥルグとサリフリの丁度中間辺りで円を描いた。


「この辺りでは部族間で諍いがあるらしく、どうもキナ臭い」

「そうでしたか……」

「それにここのところ、井戸が涸れたという話を良く聞く。アクサライ人は遊牧の民だから、これも争いの原因になるのだろう」

「確かにな。街道沿いの連中と違って、遊牧の民って奴ぁ他国の人間を嫌うからな。通り抜けるだけだっつっても、聞いちゃくれねえかもしれん」

「そういうことだ。結局、街道を行くのが一番早い」


 栗色の頭をかき回してぼやいたザックの意見を、ラウルは頷くことで肯定した。どこか嬉しそうに眼を細めて頷くさまは、まさしく弟子を導く「師」の顔だ。よくできたな、と暖かい手のひらで頭を撫でられるような、そんな感触を思い出してザックはどこか面映くなり、鼻の下を指でこすった。


「井戸は北方公路沿いには、こことここ。ソマ近くのこの場所は涸れたらしい。ルッカレに出るまでは乾いた土地が続くからな、水の残量には気を使え」

「ふむ……いや、助かった。こういう情報は、やはり護衛士でないとわからんものだな」


 護衛士でなければ得られない情報を、ラウルはこうして惜しげもなく晒してくれる。その上ザックが間違った位置に印をつけようとすると、また丁寧に訂正してくれるのだ。さらにはここで情報料をと言わないところがいかにもこの男らしい。


(チビが懐くのも、ちぃとはわかるって──あれ?)


 やけに静かになったと思ったら、カイルは船を漕いでいた。ゆらり、ゆらりと頭が傾いだかと思うとラウルの方にこてん、と倒れ込む。肩にもたれかかってきた少女を、護衛士は静かに受け止め髪を梳いて慈しんだ。


「あれ? 寝ちまった?」

「今日はずいぶん歩いたし……気も張っていたんだろう」

「へえ、可愛い顔しちゃってまあ……」


 闇に縁取られた白皙の顔。すっきりと伸びた鼻梁の下に、ふっくらとした赤い唇。梳かれてさらりと流れた黒髪が頬にかかる。その影が幾分顔の輪郭をすっきりさせ、短い髪も相まって少女を中性的に見せていた。

 幸せそうに眠るその顔を眺めていたら、唐突にある人物の名が脳裏をよぎった。

 ザックは愕然とした。水底から浮かび上がるように、はっきりと形を為したその名はどう考えてもありえないものだった。他人の空似だ、そう思うのだが記憶の中のその面差しは、目の前の少女と重なって離れない。



「なあ、コイツ、帝都に親戚がいるとか……聞いてねぇ?」

「……親戚?」


 疑問が咄嗟に口をついてしまった。栗色の頭をかき回し、ザックは言い淀む。


「いや、なんつーか、俺の知り合いにな、どこか似てるような気がしてさ……」

「……知らないな」


 毛布を手繰り寄せ、くたりとした身体を丁寧に包む。荷で作った枕を頭の下にあてがうと、娘はもそもそ動いて居心地の良い場所を探し出した。こちらに背を向け横を向いて丸まると、身体はそれきり動かなくなる。ラウルは毛布と外套でさらに小さな身体を包み込み、自分も寝支度を始めた。


 そうだ、親戚。なぜそのことに思い至らなかったのだろう。家族はいない、ひとりだと言っていたから、親類のことなど考えもしなかった。縁者がいるのなら、何故そちらを頼ろうとしないのか。あるいは頼れない事情があるのか──いずれにせよ、確認するのはこの騎士と別れてからになるだろう。


「それに……触れるな」

「ケチケチすんなよ、おとーさん」


 寝入ったカイルの頬をつついて遊んでいるザックに忠告だけして、ラウルは毛布を引き上げ眠りについた。




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