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運命の環は巡る  作者: らみ
北方公路
21/59

夢の道・1

 


「ザック……お兄さん? お肉をどうぞ」

「おまえさあ、いちいち疑問形にするなよなー」


 差し出された皿から羊肉の串を一本取って、騎士は少女をねめつけた。カイルはカイルで憮然としながら鶏唐揚げ(カナト)の串を手に取ると、うろんな目つきでザックを見遣る。


「……騎士さまには弟妹(きょうだい)がいないのに」

「だから、『お兄さん』と『兄』は別物だと」

「あー、わかった、わかった! チビ、おまえはこれから俺のことは『ザックさん』と呼べ。いいな?」


「兄」という言葉に一体どれほどのこだわりがあるのだろうか、カイルは気安く「お兄さん」と口にすることを嫌がった。この少女の兄馬鹿ぶりはザックも身をもって知っていたので「おじさん」呼ばわりされなければそれで良いと、名前を呼ばせることにしたようだ。

 チビと言われて眉をひそめたカイルだったが、「お兄さん」とは認められない者をそう呼ぶ必要がなくなって、こちらも不満は解消されたようだ。「そうします」と言ってにこりと微笑むと、優雅な仕草で肉を食べ始めた。

 あまりにも大人げない二人のやり取りに少々閉口しながらも、ラウルはほどよく暖まった串を火から下ろす。


「これで最後だ」


 結局その日の夕食は、囲炉裏の左端に座ったラウルが串を焼き、真中のカイルがそれを左右に配る、という形で進んでいった。カユテの村から運んできた山盛りの肉はすべて無事に炙り終わり、残っているのはたった今皿に載せた3本の串だけだ。それをカイルが1本ずつ、各々の皿に丁寧に分けてゆく。


「待てよ、なんか少なくねぇ?」

「いや、これで全部だ」


 ラウルの宣言に最後と言われた肉をまじまじと見つめ、ザックは不思議でならないといった顔をした。


「だけどよ、あれだけの肉が全部なくなるはずが……」

「見ての通り、どこにもないが」

「そりゃー、そうなんだけどな?」


 首を伸ばして油紙の中に一片の肉もないことを確認すると、無精髭の生えた顎を撫でながら、ザックはしきりに首をひねった。

 確かにあれほどの量であれば、通常なら2食分以上あると考えるだろう。──そう、通常ならば。


「ご馳走さまでした。それではお茶を、入れますね」


 いったいどこの習慣であるのか、カイルは両手のひらを合わせて食後の挨拶をした。それから空いた皿を簡単に片付けると食事に関しては唯一マトモにできる、「茶を入れる」作業に入る。


「腹は膨れたか?」

「はい。健康のためには腹八分目って言いますし、ちょうど良い量でした」


 満足げに眼を細めたカイルと空っぽになった大皿、それぞれの前に置かれた小皿の上の串の数を順に見て、ザックはまさか、と呟いた。


「……まさか、とは思うんだがな?」

「そうだな、気持ちのよい食べっぷりだったな」

「はい。とっても、美味しかったです」

「だってよ、チビは、ちまちま啄んでる感じで……」

「現実を見てくれ」


 ザックの疑問ももっともだった。

 昨夜はそんな余裕はなかったが、改めてカイルの食べ方を観察してみるとそれはもう凄いの一言の尽きた。食べる仕草は「優雅」と表現できるほどに洗練されているのだが、ふと気が付くと料理が消えているのだ。だが決してカイルは料理を丸呑みにしているわけではなかった。むしろ味わって、ゆっくり食べているように見えるところが恐ろしい。これならいっそ「魔術だ」と云われたほうがよほど納得できるだろう。


「俺たちが1本食い切る頃には3本目を口にしていたな」

「マジかよ……ありえねぇ」


 騎士も護衛士も食べる速度が遅いわけではない。職業柄、早いと言ってもいいほどだ。可憐な少女が大人の男二人よりも早く食べるとは、にわかには信じがたい。しかもいったいあの細い身体のどこにあれだけの量が詰まったというのか。そのうえまだ食べられると言っていた。何がどうなっている、と先ほど引き寄せた身体の大きさを思い出しながら、ザックは両手で輪を作り、茶を淹れているカイルの胴回りと比べてみた。


「……わからん。なあ、チビ。ちょっと上着を捲って……」


 ぎろりと護衛士に冷ややかな眼で睨まれて、ザックは慌てて身を引いた。


「じょ、冗談だって。本気にするなよ、おとーさん」

「ラウルは、お父さんでもありません」

「チビもなー、いちいち真に受けるなよな?」


 ぷん、と頬を膨らませたカイルはそれでも茶を配り終えると、騎士と護衛士に向かって貰った飴を差し出した。


「デザートです」



 ◇  ◇



 ころころころ、と口の中で飴の転がる音がする。

 囲炉裏を中心にして右側の二人が顔をほころばせ、左端の一人はやや渋い表情で口を噤んで黙っていた。


「おいひいれすね!」

「だろ? これはな、イエーツでも評判の飴なんだぜ。本物の果汁を贅沢に使ってるんだとよ」

「そうなんれふか……」

「帝都の東側のな、オールコック通りに店があるんだが……」


 口の中で飴をころころ転がしながら、きらきら瞳を輝かせて話を聞いている少女をザックはもう一度誘ってみた。


「もう少しで収穫だからな。葡萄を使った生菓子なんかもたくさん出てくる。……どうだ、イエーツに行ってみねぇ?」

「はい! ……用事が済んだら、必ず行きます」


 もご、と頬の方に飴を移してカイルはしっかりと返事をした。その眼にもはや迷いはなく、決意は変わらないようだ。

 やっぱダメか、と小さくごちて騎士は肩をひょいとすくませた。それから茶を一口含んで満足そうに頬を緩めると、ずいと身体ごと護衛士の方に向き直る。


「なあ……あんたら、サリフリまで行くんだって?」

「……ああ、そうだが」


 いったいどこまで喋ってしまったのか。ラウルは静かに眼を閉じると心持ち顔を伏せた。この騎士は、娘を帝都へ連れて行きたいようだ。カイルは断ったがこのまま引いてくれるだろうか。相手は帝国の騎士だ。そしてここはまだ帝国領内で、騎士の懐の内と言っていい。まさか帝国がこの娘を襲い追っているとは考え難いが、用心に越したことはない。

 ふと、ラウルは心配そうに見つめてくるカイルの視線に気がついた。そう、この娘は理由も何もわからず突然襲われたと言っていた。身ひとつで逃げてきて、不安にならないはずがない。だがこうして己が護衛としてついた以上、何者からも守ってみせる。だからもう、胸を痛める必要はないのだ。

 そんな想いを込めて、ラウルはカイルを安心させるよう微笑み返した。


(連れて行くというなら、正当な理由を示すべきだ。それができないなら何があっても渡せない)


 栗色の頭をぐるりと掻いて、騎士は胡座をかき直した。最前までの緩んだ顔は姿を消し、口元を引き締めて護衛士の眼をしっかりと見つめ、膝に手をつき頭を下げる。


「いや、すまなかった。俺は疑うことが仕事でな。チビが悪いわけじゃねぇんだが……任務の途中なんだ。だからわずかにでも手がかりになりそうなことがあれば、なんだって疑ってかかる。それで不快な思いをさせたなら、申し訳なかった」

「……それで、疑いとやらは晴れたのか?」


 それは、とザックは言い淀む。落とした視線を足下から徐々に上げてゆくと、護衛士と正面からぶつかった。強く揺るがない静かな深い翠の瞳には、嘘や誤摩化しは許さないとの意思が込められている。気を抜けば腹の奥まで暴かれそうだ。

 一度唇を噛んで視線を落とし、口を開きかけたところで少女が「あのね」と口を挟んだ。


「ザックさんは、女なのに護衛士になりたいと言ったわたしのことを、心配してくれたのです。それで帝都に行こうって、誘ってくれました」


 だから、と護衛士に顔を向け、カイルは静かに微笑んだ。


「ラウルが心配するようなことは、なにもありません……本当に。わたしもイエーツには行きたいと思っていますから」




 なんで、と零れそうになった言葉を、ザックは辛うじて飲み込んだ。

 護衛士も、それとわかるほどに驚愕に眼を見開いている。

 騎士はカイルを疑っていると言ったのだ。そしてその疑いはまだ晴れてはいないらしい。なのになぜ、理由も訊かず無条件に己を疑う相手をかばおうとするのか。

 騎士と護衛士二人の視線を受けて少し小首をかしげながらも今度は騎士をじっと見つめると、少女は決意を口にした。


「けれど、今は駄目です。わたしにはどうしても為さなければならないことがあるのです。……だから、少し待ってください。それが終わったら、必ず帝都に行きますから」


 すべてをまっすぐに貫くような、それは強い瞳だった。

 こんな眼を自分は良く知っている──ザックの脳裏に、ある晴れた日の出来事が蘇った。

 剣の柄頭に刻んだ紋章、これを三人で(あつら)えて、分け合ったときのことだ。あのときザックの眼に映る友人たちは、揃って同じ瞳をしていた。なにごとにも揺るがず、惑わされず、生命をかけてこの決意を守りぬくと誓い合ったときと同じ、まっすぐな強い眼。この少女もなにか譲れないものを持っているのだろう。ならば今はその言葉を信じてみてももいい。

 ザックはにやりと口の端を引き上げると、手を伸ばして黒い頭をかき回した。


「あのな、チビ。おまえをどうこうするってワケじゃあねえ。任務の内容は機密だから言えねぇが、決しておまえに不利になるようなこたぁしない。俺は……俺たちはな、おまえみたいな子供に大人の不始末を押し付けるような、そんなことはしねぇんだ。もしそんな奴がいたら、俺がぶっ飛ばしてやる」


 首を竦めて見上げる少女の黒い瞳と驚愕に見開かれた護衛士の翠の瞳に気がついて、今度は恥じらうように騎士は栗色の髪をかき混ぜた。


「くそ、柄でもないコト言っちまった」


 頬を染め、ふいと顔を反らした騎士は、口の中に残っていた飴をがりり、と噛んで飲み込んだ。




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