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運命の環は巡る  作者: らみ
北方公路
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邂逅・1

 


 見上げる山の向こうには一片の雲もなく、空は高く蒼く澄んでいる。

 天に向かって手を伸ばしたような、奇妙な凹凸のある山頂があらわになることは極めて稀で、目にするのは男にとっても初めてのことだった。


(これを見ると幸運が訪れると言うが──さて)


 夏でも溶けない雪を冠したその白い山頂をしっかりと眼に焼き付けて、男はまた古びた荷車を押し始めた。




 大地に根を張るように広がった丘陵地帯のただ中に、一本の道が通っている。道幅は馬車がすれ違えるほどあるが、土を固く踏みしめただけで舗装はされていなかった。そして周りを見渡せばそこは一面緑で覆われて、ところどころで牛や羊が草を食んでいる。

 なんとものどかな風景だ。絵に描いたような辺境の、田舎道。だがこれでもこの道は、国の主要な街道のひとつとして知られていた。

 もっともこの街道を知るほとんどの人間は麓町のブースが終着地だと思っている。そのためこの道が隣国まで続いていると知っているのは地元の人間か、余程の物好きか、もしくは職業柄地理に詳しい者に限られていた。


 その忘れられた街道が貫く中でもひときわ大きな丘を、一台の荷車が登っていた。


「すまんなぁ、ラウルよぉ。高名な護衛士さんに、こんなことさせちまってさぁ」

「かまわんっ……毎度のことだ」


 前方でロバを引く中年の男が振り返って声をかけた。

 荷車を押しながらそれに答えたのは、背が高く細身の、だが鍛え上げられた肉体を持つ男だった。

 大陸最北の国ニール出身で、30代半ばにして護衛士としての最高峰「特級」の称号を得ている逸材である。そしてその名に恥じぬ風格まで備えているというのにこのラウルという護衛士は、こんな田舎で破格の値段で雇われて、そのうえ荷車まで押している。こんなことは護衛士の仕事ではないし、断られても文句など言えやしない。だがこの男は「またか」という顔はしたが、それだけだった。


(顔に似合わず人が良いよな、ラウルはさ)


 くすりと笑って前を向くと亭主はまた歩き出す。

 この護衛士はひとことで言うなら強面だ。腕は立つし心根は優しく面倒見も良いというのに、その顔が災いしてか弟子はおろか恋人の一人もいないときた。おまけにその風体が災いし、街中ではよく絡まれたりもすると言う。だから今回も休暇を兼ねて、あえて人の少ない辺境にやってきたのだろう。

 一度知り合えばこれほど良い男もいないのに、まったく世の女というものは本当に見る目がない。


(仕方ない、今晩はとっておきの酒でも出すとするかね)


 宿の亭主はそんなことを考えながら、再び足を止めたロバの首筋をぽんと叩いて引っ張った。



 冷たい空気を胸一杯に吸い込んで、ラウルは火照った身体から籠った熱気を追い出した。汗ばんだ肌に心地良い、乾いた風がさらりと首筋を撫でてゆく。

「大陸の臍」とも呼ばれるトゥルネイ山が眼前に迫ったこの場所は、ついこの間までの突き刺すような陽射しがまるで嘘のように柔らかくなっていた。冷気を含んだ風の気配がそこここに残り、秋の訪れは間近だと告げている。

 目の前の坂をちらと見て、ラウルは大きく息を吐きだした。

 平坦に見えて緩やかな傾斜のついたこの丘は、最後にややきつい坂になる。ここが最後の難所だが、朝から荷車を引き通しだったロバにはこたえるようだ。坂の手前でぴたりと歩みを止めて、どうやっても動こうとしなかった。もう少しだから仕方ないと荷車を押してやるのだが、毎回これだ。


(コイツ、わかってやってるんじゃないか?)


 荷はおろか剣も外套すら荷車の上に乗せ、襟を緩め袖を捲り、ラウルは護衛というよりもはや人夫といった風情である。

 そうして休み休み坂を登り、足を速めた太陽が追われるように西に傾いたころ、ようやくカユテの村が見えてきた。


 カユテは辺境に相応しい村だった。店といえば宿屋と武器屋、街道沿いに村の両端に位置するこれらの店の間には、民家が数軒と畑だけ。しかもそのどれもがお世辞にも立派とは言い難い。

 けれど帝都イエーツからアクサライの王都サリフリまで、中央公路を行くよりも徒歩なら5日程早いということで、早さに重きを置く者はこの北方公路をそこそこ使う。しかし辺境の、知る人ぞ知る街道沿いとくれば治安があまりよろしくないことも事実である。そのため無頼漢が流れ着くこともあるが、村人達は適当に距離を取りながらも彼らを柔軟に受け入れていた。


 そんな荒くれ者どもを受け入れてくれるカユテの村を、ラウルはむしろ好ましいとさえ感じていた。

 なにしろ不逞の輩を相手にしても一歩も引かないどころかやり返すのだ。こんな村は他にはないし、それにここまで来たのだから武器屋にも寄っておきたい。

 宿の裏手で荷を降ろしながらそんなことを考えていると、今回の雇い主たる亭主がロバを置いて戻ってきた。


「いつもすまんね。助かるよ」

「これもついでだ」


 最後の荷を下ろした後にラウルは小遣い程度の金を受け取った。軽く礼を言って裏口に向かい、腰を屈めて中に入ると物音を聞きつけた女将が表から顔を出した。


「あれ? あんたかい。うちの人は?」

「じき来るはずだが……空いてるか?」

「運が良かったね。今日はどういう訳か混んでてさ。あんたの部屋で最後だ」


 待ってな、と引っ込んだ女将だが、すぐに鍵を手に戻ってきた。


「うちじゃ一番の部屋だよ。お代はサービスだ」


 にやりと笑って渡された鍵は見慣れたものだ。護衛というより荷運びだったが、これで一泊できるうえに朝夕の食事が食べ放題なら悪くない。部屋は古びているが、この宿の料理は絶品なのだ。

 ラウルは礼を言って2階にある客室に向かった。そこは大きな寝台が一つに簡素な椅子とテーブルがあるだけの部屋だが、常々女将が「どの部屋もカユテで一番さ!」と豪語するだけはあり手入れが行き届いていて気持ちが良い。

 しかしそこで一服するわけでもなく、寝台で軽く荷を解いて外套を羽織るとラウルはまたすぐに外に出た。


(だいぶ日が傾いてきたが、まだ大丈夫だろう)


 赤く染まりつつある空を一度見上げ、人の良い強面護衛士は武器屋に向かって歩き出した。



 ◇  ◇



 街道沿い、畑の間に点在する煉瓦作りの家からは小さな煙が立ち上り、香ばしい匂いも漂ってくる。加えてかすかに聞こえる犬の鳴き声と子供の笑い声、間を置いてからの母親らしき女性の怒鳴り声に男は眼を細めて微笑んだ。

 もう夕食の準備が始まっているようだ。武器屋の親父が空腹に負け、店を閉めていないといいのだが。

 そんなことを考えながら、ラウルは村の東に向かって少々足を速めていった。


 カユテ村には、1軒だけ武器屋がある。

 武器屋といっても、ちょっとした薬から鍋、防具、はては鋤や鍬まで扱う、ようは「なんでも屋」もしくは「雑貨屋」なのだが、店主はかたくなに武器屋だと言い張っていた。だがそう主張するだけあって実際、ここには所謂「掘り出し物」が出る。そういった逸品は金を積んでも店主が納得しなければ売ってくれないが、運良く手に入れられれば一生手放せなくなるという。以前知り合いの騎士から見せてもらったその剣は確かに素晴らしいとしか言いようがない出来で、なるほど是非手に入れたいと願ったものだ。


 この村を訪れるようになって随分経つが、いまだラウルはそのような逸品に巡り会えてはいなかった。それらの剣はトゥルネイ山の奥深くに住む鍛冶師が作っているということだが、気が向いた時にしかその腕を奮わないためそもそもの数が少ないのだ。そのうえ仮に店に出ても、ほどなくして売れてしまう。

 逸品と出会えるかどうかは、運次第。だが店主によれば、それも実力のうちらしい。


「剣は己を扱うに相応しい者を選んでいるだけだ」


 店主はそう言ってはばからないが、そもそも出会いがなければ話にならない。ということで、ラウルはカユテに来た時は必ず武器屋に顔を出すことにしていたのだ。




 力を込めて取っ手を引くと、厚手の重い木の扉がぎぎいと音を立てて来客を宣言した。

 その扉の枠を頭を下げて避けながら、薄暗い店内に踏み入り奥に向かう。

 自称「武器屋」の狭い店内には壁にびっしりと商品が積み上げられていた。うかつに触れて崩さないよう、ラウルは身体を斜めにして進む。店の奥の梁を腰を屈めてやり過ごすと、その先の作業場に壮年の男が見えた。酒樽に太い手足をつけて、赤銅色の羊毛を丸めて載せたような格好で座っているのがこの店の店主だ。

 店主は作業台の前に座り、ひどく難しい顔で手元の紙を食い入るように見つめていた。


「親父、出物はあるか?」


 ラウルが声をかけるまで、店主は客が入ってきたことに気がついていなかった。肩を揺らして見上げる瞳は驚愕に見開かれ、同じように開かれた口からは気の抜けた声が漏れてくる。


「なんだ、坊主……また来たのか」

「『銀の鎖亭』の親父に、ブースで捕まってね」

「ふむ……すると、暇だと言うことだな?」

「まあ、そうとも言えるな」


 前回この武器屋の扉をくぐってからまだ二月も経っていない。これまでは数ヶ月に一度顔を見せるか見せないか、といったところだったので間を置かずに訪れたことに店主は随分と面食らったようだった。

 ラウルも次の依頼がなかったためにこんな辺境まで流れてきてしまったが、ここでは護衛の仕事などないに等しい。依頼を受けるなら一度ブースに戻るか、あるいはアクサライに抜けるか選ばなければならないだろう。

 ここしばらくアルトローラでの仕事ばかりだったから、雨期を避けてアクサライに行こうかと考えている──などと、前回とそう変わらない品揃えの武器を眺めながら話していたが、ラウルはふと、台の上にある細長い布の包みに気がついた。


「それは?」


 その何気ない言葉に店主の腕がぴくりと跳ねた。ぐう、と唸り、視線が泳ぐ。しばし迷うような素振りを見せた店主だったが、渋々といった様子で包みをラウルに差し出した。

 かつてない店主のその様子に濃い翠の瞳が細められる。


(隠そうとした……?)


 訝しみながらもラウルはそれを受け取り無造作に布を開けた。


 中身は一振りの剣だった。

 柄にも鞘にも装飾は無く、無骨で実用一点張りのやや細身の片手剣だ。変わったところといえば鍔が通常よりも小さいことだろうか。

 ラウルが愛用しているのはその長身に見合った大きさの重く長い片手剣で、求めていたのもそういった物だった。本来ならこの剣は扱うには小さすぎる。

 だが鞘から抜いて、ラウルは唸った。

 それは、素人でも即座に逸品と判断できるほどの品だった。

 刃は黒と見紛う鋼灰色に鈍く光り、この薄暗い店内でも一点の曇りもなく輝いている。


(──ああ、だめだ)


 魅せられた。

 まさに恋に落ちると言って良い感覚だった。

 刀身には熱に浮かされ翠の瞳を潤ませた、一人の男が写っている。


(これは、お前の剣だ)


 呆とする脳裏に響き渡る不思議な声に、心が震えて止まらない。

 ──そうだ。これこそ求めていたものだ。


(ずっとお前を待っていた。……受け取れ)


 頭の中にわんわんと響き渡るその声に、ラウルの胸は歓喜で満ちた。やがてそれは溢れて広がり、身体に深く染み入り力となってみなぎってくる。

 ──やっと、見つけた。

 剣を鞘に戻して静かに目を閉じ、じっと溢れる想いを噛み締める。


「……親父、これを貰うぞ」

「坊主の得物とは、ちぃと違うんじゃねぇのか?」


 呆としていたかと思うと急に我に返った護衛士に、心底嫌そうな顔で店主はそう吐き捨てた。

 店主の言うことはもっともだった。だがこのままこの剣と別れるにはもはや遅過ぎた。心はすでに黒剣に捕われ絡めとられ、離れることなど不可能だ。


「ああ。それでも、だ」

「だが、それは……ああ、ダメだ。やはり売れん!」


 店主は音を立てて立ち上がり、ラウルの手から剣を奪って抱きしめた。

 いったい何が不満なのか、店主は黒剣を手放すことを激しく拒んでいる。おおかた自分の収集品に加えようとでもいうのだろうが、それでは剣が泣くだろう。

 飾るための剣など、作られた意味がないではないか。

 ラウルは一歩踏み出し店主に向かって手を差し出した。常日頃から「怖い」と避けられている身だ。意識して威圧すれば相当の迫力になることを知っていた。


「……帝国金貨で7枚だ」


 ごくりと喉を鳴らし、豊かな髭の上からでも知れるほどに頬を引きつらせて店主は声を絞り出した。

 囁くような小さな声だがしっかりと聞こえていた。しかし相場の倍近い額にふと我に返り、ラウルは咄嗟に応と発することができなかった。

 そしてその僅かな迷いを見逃すほど、この店主は愚鈍ではなかった。


「嫌なら止めとけ! ……無理するこたぁねえ」


 吹っかけられている。それは理解していたが引けなかった。

 ここで手に入れられなかったなら、この剣と二度と遇うことはないだろう。その予感は確信に変わり、想像すると締め付けられるように胸が痛む。

 耐えられない。そう思った瞬間、身体が自然に動いていた。

 無意識に腰のベルトを外して内側の隠しから金貨を取り出した。帝国金貨を2枚、テネルス金貨を3枚、身につけたすべての金貨をラウルは台の上に差し出した。


 通常、帝国金貨1枚はテネルス金貨1.2枚に換算される。帝国金貨の方が質が良く、金の含有量が高いためだ。しかし流通量と使い勝手はテネルス金貨の方が良いので両方を使い分ける者も多かった。金貨はそれぞれ銀貨20枚と同等とされているが、生憎ラウルの手持ちに銀貨は数枚しかない。

 残りのテネルス金貨3枚分をどうするか。考えラウルは耳に手をやったが、それは店主に止められた。


「魔石はいらん。儂じゃ使えんからな。……第一、そりゃいざという時のためのもんだろ」


 耳にとめられた小さな耳環には、赤い魔石が嵌められている。これは非常時に最後の手段として使うもので、簡単な言葉とともに閃光を伴った小規模な爆発を起こすのだ。魔術士でもない一般人が扱えるようにしたものだから、一度しか使えないにもかかわらず非常に高価な品だった。

 これならテネルス金貨3枚分に間違いなく足りたのだが。


「……手持ちが足りん」


 そう言うと、店主は底意地の悪そうな顔でにやりと笑う。


「その剣で、どうだ」

「……っ!」


 生命を預け長年愛用してきたこの剣を、いま手放せというのか。

 いとも簡単に言う店主に、言い様のない怒気が膨れ上がる。ぎり、と左手で剣の柄を握り締めて睨みつければ、店主は慌てたように手を振った。


「待て待て、なにもそいつを売っぱらおうってえワケじゃあねえ。預かっとくと言っとるんだ。残りの金を持ってきた時に返してやるさ」


 ラウルは肩を怒らせ歯を食いしばった。

 この剣は、実家を出る時に持ってきた唯一の品だ。それこそ駆け出しの頃からの相棒で、何度生命を助けられたかわからない。今更手放せるはずもない、そう思っていたはずなのに──それでも目の前の黒剣を望む自分がいる。


「…………」


 迷いは数瞬だった。抗えないその衝動に負け、剣帯から愛用の剣を抜いて台の上に置き、黒剣を奪い取る。


「貰っていく」


 そのまま踵を返すとラウルは荒々しく店を出た。




 しばし茫然としていた店主だったが、店の扉が閉まる音を聞くとぽつりと力なく呟いた。


「武器が人を選ぶ、か。信じちゃあいなかったが……まあ、お前も良い機会だ。ちぃと休んどくといい」


 無骨な手で、店主はラウルの残していった剣を慈しむよう優しく撫でた。そして大きく息を吐きだすと、やれやれ、と頭を振って立ち上がり、店を閉めるための準備を始めたのだった。




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