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運命の環は巡る  作者: らみ
北方公路
19/59

帝国の騎士・3

 


 ぱちり、と囲炉裏で炭が爆ぜた。

 小屋の中には苦しいほどの沈黙が満ちている。

 床にぺたりと座り込み、背中を丸めて胸に手を抱き込んだ少女はあまりにも痛々しくて、見ている方が辛くなる。ザックは身を起こすとそっとそれに手を伸ばした。


「……泣くなよ……な?」


 固く無骨な指で傷つけないよう、ゆっくりと滑らかな頬に指を滑らせる。少女が逃げないことを良いことに、しっとり柔らかい肌に張り付いた黒髪の一房を、耳の後ろに梳いてやった。

 カイルは大人しく身を任せ、大きな手のひらにすり寄るような気配すらみせた。そしてひやりとした頬に温もりが移るころ、影を落としていた睫毛が震え、煌めく瞳が顔を出す。

 色を取り戻して紅くふっくらとした唇が縋るような音色で男を呼んだ。


「騎士さま……」


 切なく訴える闇色の瞳に射抜かれて、不意に男の胸がざわめいた。

 少しぐらいなら、許されるだろうよ──

 なにが許されるのか、なにに許しを乞うているのかわからなかった。しかしザックは呼ばれるがまま、もう片方の腕を少女の背中に回すと小さな身体を壊さぬように、そっと力を込めていった。

 切なく揺れる黒い瞳が近づいてくる。警戒の色など欠片も見当たらない無垢な瞳が可笑しくて、ぎこちなく口元が歪んでいった。

 確かにこれは、「一度見たら忘れられない」イキモノだ。

 ──呼んだのは、コイツのほうだ。

 ザックの口元が、わずかに引き上がった。



 ◇  ◇



(まったくどうなっている! ここの兵どもは!)


 ラウルのはらわたは煮えくり返っていた。

 炭を貰いに行っただけなのに、なぜこんなに時間がかかるのだ。


「足りませんでしたか? すみませんねぇ」


 兵舎の扉を叩き、炭がほとんどど無いことを告げると食堂に案内された。そこまではまあ良い。

 だがそれからが問題だった。

 今すぐ持ってきますからまあまあどうぞと強引に椅子に座らされ、なぜか茶まで出された挙げ句、兵どもに周りを取り囲まれて強引に「オノレ砦謹製陶器」の感想まで求められた。たかが一介の護衛士に奴らはなにを求めているのか、まったく理解できなかった。

 果ては「毛布は足りてますか?」「お子さんはお幾つですか?」「お菓子は何が好きですか?」「馬に触ってみませんか?」などと、自分の子供ではないと言っているのに一向に聞きやしない。無理矢理菓子を持たされて上着のポケットは膨れたが、どう考えても明日そのツケが廻ってくる。

 やっと解放されて追加の炭を貰い、水を汲んで小屋から漏れるほのかな明かりを見たときは、やっと帰ってこれたとじんと胸が熱くなったものだ。


 水の入った桶を足下に置き、扉を開けようと取っ手を引く。やや重い扉は一度引いただけでは開かずに、もう一度強く引くことでやっとラウルを迎え入れた。


「遅くなっ……」

「……ラウルっ!」


 小屋の中に足を踏み入れた途端、どん、と黒い塊が飛び込んできた。それは胸の下辺りにしがみつき、ぐいぐいと身体を押しつけてくる。

 いったい何の遊びだ、と目線を落とすと髪を乱した小さな身体がふるふると震えていた。


「──?」


 咄嗟に抱き込んで頬に手を当て顔を上げさせようとしたが、少女は首を振って嫌がった。だがラウルの手のひらは、そこに濡れた感触を伝えている。

 ──泣いて、いる?

 小脇に抱えていた箱が足下に落ち、中から炭が散らばった。足が桶にぶつかり水が音を立ててこぼれたが、娘の涙の前にそんなことは一切どうでも良くなった。


 なぜ、どうして、なにがあった?

 夕べはこぼれなかった涙が、なぜ堰を切ったようにあふれている?

 艶やかな黒髪が、こんなにも乱れて──


「……貴様……」


 落ち着け、と頭のどこかで声がした。しかし囲炉裏の向こうで中腰になった男を見た瞬間、理性は綺麗さっぱり消え失せた。

 怒りのあまり、目の前が赤くなる。

 しがみつくカイルを庇うように身体の向きを変え、男の一挙一動も見逃すまいと肩越しにしかと見据え、そしてザックと名乗ったあの騎士の、どんな動きにも対応できるように身体中に神経を張り巡らせた。


「待てよ、旦那。落ち着こうぜ」

「……なにをした……?」


 へらへらと笑いながらも騎士はそろりと腰を浮かせた。

 その動きに合わせてカイルを背に押しやり、ラウルは重心をわずかに落とす。

 騎士はあからさまに肩の力を抜いて両手を広げたが、そこに全く隙はない。たとえなにが起きても対応できるとそんな自信があるのだろう。


「おいおい……だから、落ち着けって」

「……っく」

「ええい、おまえも泣くな!」


 ラウルの背後でしゃくり上げる声がした。

 ずっと涙をこらえていたこの娘が、口も利けないほどに泣いている。ラウルの背にしがみついて声を殺して嗚咽を漏らし、小刻みに震えてすらいるではないか。

 この娘が、どれほど「泣く」ことを我慢していたと思っているのだ。

 それを「泣くな」などと、随分と簡単に言ってくれる。


「泣かせたのは、お前だろう……?」

「──え? ……違う、誤解だって!」

「誤解なものか。俺のいない間に、こいつになにを」

「ふっ……く」

「待てよおっさん! 話を聞け!」

「……これのどこに、話すだけの余地がある?」


 ラウルの口元に、うっすらと笑みらしきものが浮かんでいった。

 その様子に騎士は頬を引きつらせ、じり、と一歩後退する。騎士が下がったぶんだけラウルはじりりと間を詰め、二人の間の空気がじわりと密度を増してゆく。


「あーあー、あー! だから落ち着け! 暴力反対!」

「ラウ、……ルっ」

「これを見ろ!」


 涙声に気が逸れた一瞬の隙をつき、騎士は囲炉裏に素早く手を伸ばすと串のようなものを手に取って突き出した。 

 串に刺さった肉を見事なまでに再現した、どこまでも光を吸い込む真っ黒な、それは──炭。

 どう見ても、炭だった。

 うっと声を詰まらせ、カイルはまた背中からラウルにしがみついた。とん、と頭が背に当たる感触がして、絞り出すような声が響いてくる。


「お、にくがっ……!」

「……にく……?」


 にく、とは「肉」のことか。その肉がいったいどうした。

 訊こうにも腹に回された手は解けず、それどころかますます力が込められる。握りしめられた白い拳を両手で覆って摩ってやると、ひっく、と息をついたカイルがしゃくり上げながらもやっとのことで言葉を絞り出した。


「メレク、おばさん、のっ……鶏唐揚げ(カナト)がっ!」


 ここから先は言葉にならず、少女は大きな背中に顔を埋めて泣きじゃくり、背中を取られたラウルは動くこともままならずに立ち尽くし、ひとりザックが大きく安堵の息を吐いたのだった。




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