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運命の環は巡る  作者: らみ
北方公路
18/59

帝国の騎士・2

 


 カイルの担いできた荷袋からは、油紙に包まれた料理が次々に出てきた。

 大量の鳥唐揚げ(カナト)に羊肉、温野菜。ハムに腸詰め、パンにチーズ、オレンジ、干し無花果。

 料理は全て、そのまますぐに食べられるようにと木製の串に刺さっており、カユテ村の宿「銀の鎖亭」の暖かい気遣いが感じられた。

 これらの料理を見たカイルは感動のあまりしばし言葉を失い、騎士も一人で運んだのだと聞くとなかなかやるじゃねぇの、と感心したようだった。


「こりゃあまた、随分と美味そうだな……」


 早く食おうぜ、と急かす騎士の前から、ラウルは料理を遠ざけた。


「あんたは騎士だろう? 宿舎の方で食事が出るんじゃないのか」

「あ、突然押し掛けてきたから、用意してねぇって言われた。当然そうなると踏んでたからな、ちゃんと準備してきたし」


 勿論、これは嘘である。

 兵の宿舎に行けば、少なくとも隊長と同程度の食事は出されるはずだ。

 だがここを離れるつもりなど、ザックには欠片もなかった。この護衛士も油断がならないが、それ以上にカイルと名乗るこの子供の得体が知れなかった。天才魔術師たるハーシュを出し抜いたことといい、先ほどの切り返しといい、馬鹿なのかそうでないのか、全くつかみどころがないのだ。そしてそれ以上に「例の女」であるという、確たる証拠が欲しかった。

 このまま国境を越えてアクサライに抜けてしまえば帝国の威光も意味をなさなくなってしまう。だからその前、今夜のうちに片を付けたい。


「騎士っつってもな、これでなかなか大変なのよー」


 ほら見ろよ、とザックは自分の包みを開けてみせた。

 パンとチーズとハムが少々に、オレンジが1個。軽食と言ってもいいような、いかにも侘しい品数だ。

 座布団の上に両足を折り曲げて座り、膝の上に手を乗せじっとそれを覗いていたカイルだったがそれはそれは美しい笑みを浮かべて顔を上げ、首をわずかに傾けた。


「それでは騎士さま、一緒に食事をいかがですか?」

「お? いいねぇ」


 騎士の方はひどく嬉しそうな顔をしたが、これまで見たこともない、その作り物じみた笑みがラウルにはひっかかった。


(なにか──企んでいるな)


 きっと碌でもないことに違いない、そんな予感がしたのだが、やはりそれは間違っていなかった。


「もちろん、食事代は頂きますよ?」

「……金、取んの?」

「ここまで運んだ手間賃も弾んでくださいね?」

「……あのさ、袖振り合うも他生の縁って、知ってる?」

「今、わたしには、振る袖がないのです!」


 右手を握りしめたカイルにずいっと笑顔のまま迫られて、流石の騎士もたじろいだ。頬をひくつかせ、胡座をかいたままずるずると尻を引き摺りながら這ってきて、ラウルの方に顔をわずかに傾けぼそりと囁く。


「……随分しっかりしてんのな、あんたの弟子って」

「……いや、なんというか……申し訳ない」


 ラウルはそっと視線を逸らした。そして今更ながらに思い知る。


(──子供の前で、金の話をしてはいけない)



 ◇  ◇



 高ぇよ、と文句を言いながらも、騎士は帝国銅貨3枚を支払った。

 どこで覚えてきたのか「そのぶん、サービスしますね」とカイルはほくほく嬉しそうだ。

 一体どんな「サービス」をするつもりだ、とラウルは口をへの字に曲げた。

 早く食事にしたいだけなのか、それとも「サービス」の一環なのか、カイルは率先してラウルの指示に従っている。料理を大皿に盛って小分けの皿を配り、果物も綺麗に盛りつけた。相変わらず備品の皿は悪趣味だったが、それでもこれだけ揃うと統一感まで出てきて面白い。


「炭が少し、足りませんね」


 土間で炭入れを覗いていたカイルが、困ったように振り返った。

 串を炙るための炭を持ってくるよう言ったのだが、箱の中には小さめの炭が1本しか入っていなかったのだ。

 囲炉裏に串焼き用の網をかけながら、ラウルはちらりと騎士を見た。だが男は「俺、客だもーん」と言ってにやにや笑うばかりで、動く気配は微塵も見せない。


「わたし、貰ってきます。ええと、明かりがついている建物に行って聞いてみれば良いですよね?」


 砦の中とはいえ、すでに外は真っ暗だ。子供を一人で外に出す時間ではない。カイルをこの騎士と二人にするのは心配だったが無茶をできないのは、お互い様だ。

 すぐに戻ってくれば良い、ラウルはそう判断し、靴を履こうと板間のふちに腰掛けたカイルの隣に腰を下ろした。


「いや、俺が行く。ついでに水も汲んでくるから……とりあえず先に始めててくれ。肉は強火の遠火で、脂が浮いたら裏返す。いいな?」


 それと、と騎士から見えないようにカイルの耳元に口を寄せ、ラウルはそっと囁いた。


「……忘れてないな? 余計なことは喋るなよ?」

「はい。大丈夫です」


 カイルは深い翠の瞳をじっと見つめると、ひとつ小さく頷いた。



 ◇  ◇



 囲炉裏の前で膝に手を添えて座り、少女は小さな炎で炙られている串を真剣な眼差しで見つめていた。

 雪花石膏(アラバスター)のように透き通って滑らかな頬は、熱に煽られほんのりと、いかにも健康的な色に染まっている。濡れたように艶やかな黒髪と長い睫毛に縁取られた闇色の瞳は炎を弾き煌めいて、まるで天の星を封じたかのようだ。


(黙って座ってれば、絶世の美少女、と言ってもいいかもなぁ)


 ひたむきに肉の串を見つめるその様は、まるで──


(まるで……なんだ?)


 騎士は一度、頭を振った。その一瞬、誰かの顔が脳裏をよぎった気がしたが思い出せない。

 いや、とザックはもう一度頭を振った。そんなことよりも。

 厄介な護衛士が出て行った絶好の機会だ。巧い具合にこの少女から、確たる証拠を引き出さなければならない。

 胡座を崩してごろりと横になり、左手で頭を支える。右手で背中を掻きながら、ザックは少女の様子をうかがった。


「なあ……カイルって言ったっけ?」

「はい」

「これから、どこに行くんだ?」

「サリフリです。……護衛士の、登録をしますから」

「なんだぁ? 坊主、護衛士になりたいのか」

「はい」


 串をじっと見つめたまま、カイルは律儀に返事をする。

 あまりにも素直なその様子に、思わず口から笑みが漏れた。


(余計なことは喋るなって、言われてんのにな)


 かなり潜められた声だったが、護衛士の声は聞こえていた。

 ふん、と鼻を鳴らしてザックは小屋の扉に目をやった。

 娯楽の乏しい辺境のこと、ここらの人間は毛色の変わったものを構わずにはいられないらしい。どれだけあの護衛士が睨んでも、兵どもはひるむことなどないだろう。当初はなんと迷惑な奴らだと煩わしく感じたものだが、今はこれほど心強いものもない。

 ──まだ十分に時間はある。ゆっくりと確実に、追いつめてゆけば良い。


「へぇ、護衛士、ねぇ……女なのに?」

「……はい」

「ふーん?」


 少女はちら、と視線を向けたが、またすぐ串を見守る作業に入った。女と見破られても、焦りもしないし驚く様子もない。想定済だというように、ただじっと静かに肉に脂が浮くのを待っている。




 自分が被害者だから、追われているとは思ってもみないのか、とザックは嗤った。

 この少女が「例の女」なのだとしたら、馬鹿としか言いようがない。

 世界で只一人、唯一無二の術を持ちながら、こんな辺境で地を這い泥にまみれ、護衛士などになると言う。


(……ありえねぇ。『愚か者』って言葉がぴったりだ)


 ハーシュから「逃げた」のは10日以上も前になる。その間にさっさと帝国から出てしまえばこうして捜索の手も及ばずに、その術でもって遥か高みにまで上り詰めることができたはずなのに。

 真実「あの事件」の被害者だというのなら、まずは警備隊に保護を求めるはずだ。それをしないということは、「できない」理由があるのだろう。

 ──例えばそう、帝国に仇なすような、そんな理由が。

 ザックの口元が弧を描き、濡れた土色の瞳が怪しい輝きを帯び始めた。


「なんでサリフリなわけ? 随分と遠いじゃねぇの」

「……ラウルが、向こうの組合に所属しているそうですから……それで」

「じゃあ……魔術で行こうとは思わんの?」

「──魔術、ですか?」

「そ。それで一気にサリフリまで」


 魔術、と聞いて振り向いた少女が、くすりと笑った。

 ふ、と身体から力を抜くと向きを変え、足を横に流して座り直す。

 だらしなく横になった騎士に向かって柔らかな笑みを浮かべ、子供に道理を言い聞かせるようにカイルはゆっくりと語りかける。


「そんな魔術、ありませんよ?」

「……へーぇ?」

「そうですね、空を飛ぶことはできるでしょうけれど……遠く離れた場所に一足飛び、というのは無理だと思います」

「……なんで?」

「物には質量があるでしょう?」

「シツリョウ?」


 聞いたこともない言葉だ。

 先ほどのように混乱させる言葉でもって煙に撒くつもりかと訝しみ、肘をついて身体を起こしたザックに対し、カイルは身振り手振りを交えて必死になって説明し始めた。


「なんと言ったら良いでしょうか……ええと、例えばこんな、大きな丸太があったとします。それを持って運ぶのは、重くてとても大変です。ですが、水の中に入れると軽くなったように感じますよね?」

「まあ……そうだわな」

「重さが変わったような気がしますが、丸太は丸太のままなので、質量に変わりはありません。……と、厳密には違いますが、つまり、そういうことなのです」

「あー……さっぱりわからんなー」

「うぅ……そうですか……」


 カイルは溜息をつくと面白いほどに項垂れ肩を落とし、そして拗ねた。

 膝を抱えてころん、と後ろに転がりザックの方を向いてぱたりと横になる。頬にかかる髪も払わずに、口をとがらせ半身を起こした騎士を見上げると、言い訳のように呟いた。


「こういうお話は、わたしよりも兄の方が上手かったのです」

「なんだおまえ、兄ちゃんがいるんだ?」

「はい! わたしの兄は──」


 不用意に吐いたこの言葉を、ザックは死ぬほど後悔した。

 途端に元気になったカイルはがば、と身を起こし、それから延々と、喜々として兄自慢を始めたのだ。

 最初は相槌を打っていたザックもやがて、留まる所を知らない話に嫌気がさしてきた。


「兄はなんでも知っていて、それはもう──」

「待て待て、ちょーっと、待て。な? おまえ、魔術士?」

「わたし、魔術が使えません」

「じゃー、なんでそんな詳しいの」

「兄が話してくれました」

「……兄ちゃん、か」

「はい」


 それでね、とまた始まりかけた兄自慢をザックは力一杯遮った。不満げに少女は口を噤んだが、次の言葉にぱちりと瞳を瞬かせた。


「俺の知り合いでさ、そういう話が好きな奴がいてな。イエーツに居るんだけどよ? なあ……会ってみねぇ?」

「…………」


 闇色の瞳が揺れている。話したい、けれど、とその心情が手に取るようにわかってザックは可笑しくなる。

 自ら帝都に行くといえば、あの護衛士も文句は言えないだろう。そうなれば良いと願ったが、少女は誘惑を振り切ったようだ。ふるふると頭を振り、胸の前で両手を合わせ、決意を秘めた眼でまっすぐにザックを見つめてきた。


「すみません、わたしはまずサリフリに行かなければ……でも用事が済んだら、是非その方にはお会いしたいですね」

「……その用事って、なに?」

「ひ・み・つ、です」


 唇に人差し指を当て、うふ、と少女は微笑んだ。

 その様子は大層愛らしいものだったが──おい、と追求しかけて、ザックは言葉を飲み込んだ。


(こうもあっさりボロを出されると、それはそれで……困る)


 自分は魔術士ではないと言い、そのくせやたらと魔術に造詣が深い。宮廷魔術師とも対等に議論できるような、そんな感じさえする。さらに護衛士になるためサリフリに向かうと言っておきながら、本当の目的は「ひ・み・つ」──


(だからあの護衛士は『喋るな』って言ったんじゃねぇの)


 栗色の頭を右手でかき回し、ザックは仰向けに転がった。

 この少女が「例の女」なのか、わからなくなってきた。

 このまま拘束することは簡単だ。

 拘束して、兵に命じて帝都まで移送すれば良い。それだけの権限が自分にはある。

 だが、ザックは決断できなかった。

 少女の言葉が、その表情が、ひどく胸をざわめかせる。


「イエーツには、一度行きたいと思っています。兄の……兄のお墓が、そこにあるから……」


 両手を胸に当て、祈るように少女は俯いた。

 それから顔を上げると遠くを見ようとするかのように、わずかに眼をすがめて言葉を紡ぐ。

 彼方にある言葉を手繰り寄せ、啓示を受けた神子のように、ゆっくりと静かに流れる言葉はまるで天上の音楽のように静謐で、神々しい。


「昔、兄が言っていました。──時を遡ることができないように、空間という壁もまた、越えられないものなのだ。人は、時間と空間の(くびき)から、逃れることはできないのだから──」


 少女はまた、瞳を伏せた。固く握りしめられた上着の胸元には皺が寄り、白い手はかすかに震えてさえいる。

 なにかを悔いるように、酷く辛そうに、強く目蓋が閉じられた。白くなるまで引き結ばれた唇がやがて解れると、囁くような言葉がこぼれでる。


「時間を戻す、そんな魔術があったら良いのに。そうしたら……」


 その先は消え入るように空気に溶けて、ザックの耳には届かなかった。




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