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運命の環は巡る  作者: らみ
北方公路
16/59

国境の砦・オノレ

 


 藍の空に、薄い藤色に染まった雲がたなびいている。

 森の中から光の欠片が消えたころ、ラウルとカイルは北方公路の国境を守る、オノレ砦に辿り着いた。


 山中に突如として開けた場所に太い古木を従え石造りの大きな門が建ち、そのすぐ向こうに迫り来るのは見渡す限りの絶崖。そして首が痛くなるほど仰向いても頂上が見えないこの山の向こうが、アクサライ王国だ。

 巨木の森を抜けると突然視界一杯に広がるまるで山がのしかかり襲ってくるようなこの光景に、大抵の者は眼を丸くする。

 前を歩いていた少女も例に漏れず、息を呑んで立ち尽くした。


「ここが、国境……──これからこの山を、越えるんですね」


 圧倒され、呆然と呟く声に、くすりと笑みがこぼれ落ちる。


「そんな面倒なことはしない」


 え、と振り向いたカイルに、ラウルは前方の砦を親指でちょいと指差した。


「門の向こうに、隧道(トンネル)がある」

「隧道……?」

「そうだ。だからアクサライまでは、ほんの一刻ほどで抜けられる」


 ラウルと砦を交互に見つめ、それから遠大な崖をぐるりと見渡して、カイルは大きく肩を落とした。


「なんだか、騙された気がします」

「初めて来たヤツは、皆そう言うな」


 今夜は砦の中で休ませてもらうぞと、ラウルは笑って促した。

 が──


「……高くないですか?」


 砦の兵士に向かって、少女は通行料が高いと文句をつけた。


「すまないね、坊や。砦の中で休むには、銅貨1枚、余計にかかるんだ」

「それにしても、ちょっと、これは……」

「高くない」


 身分証を返してもらって、ラウルは帝国銅貨5枚を支払った。


「申し訳ない。コイツは少々世間知らずで」

「最初はみんな、そう言いますよ。……お弟子さんですか?」


 ラウルよりいくつか年上なのだろうその兵士は目尻に皺を寄せ、まるで小動物を愛でるようにカイルに微笑みかけている。いささか複雑な気持ちになりながら、ラウルは警戒して毛を逆立てた仔猫のようになった頭に手を乗せた。


「ええ、つい最近弟子にしたばかりで。まだ何も知らないものですから」

「そうですか。……坊や、『特級』の護衛士なんてそうそういないんだぞ? ちゃんと師匠の言うことは聞いておけよ」

「……はい」


 構い倒したいと顔に大書きした兵士に頭を下げ、二人は砦の門を潜って中に入った。


 それぞれに貸与された毛布を持って、宿泊者用の小屋に向かう。

 警らの途中なのか、行き交う兵士たちはカイルを見ると、皆一様にはじけるような笑顔になった。確かに大きな荷物を背負い、2枚の毛布を両手で抱えてよたよたと背の高い男の後をついてくるさまは微笑ましいことだろう。夜は冷えるし今日はあんた達しか泊まる人はいないようだから、と言って受付の兵士が1枚多く貸してくれたのだが、どうやらこれが目的だったようだ。辺境の山奥で子供を見かけることなど皆無だろうし、娯楽も乏しいのだろうが本人が気付いたらなんと言うやら。


(……これでも正規軍、のはずだが……)


 カイルが追いついてくるのを待って、ラウルは大仰に天を仰いだ。




 オノレ砦の門の中は、半円形の広場になっている。

 今は厚い木の扉で閉じられていて見えないが、広場を挟んで門の正面に位置する崖に隧道があった。

 広場を囲うようにして兵士たちの宿舎、食堂、馬房、倉庫などが並び、崖側の一角に宿泊者用の建物が2つ建てられている。そこは煉瓦造りの小振りの平屋で土間と板間しかないが、板間には囲炉裏が切ってあった。土間で靴を脱いで、一段高くなった板の間で食事をしたり休んだりするようになっている。

 宿のように個室があるわけでも食事が饗されるわけでもないが、それでもここは山中で夜を明かそうとする旅人達にとって、獣に怯えずに身体を休めることができる唯一の場所だった。


 小屋の窓を開けて空気を入れ替え、備え付けの食器と薬缶を洗い、火を熾して湯を沸かす。

 とりあえず荷を解いて一息つこうと板の間に上がり、薄い座布団の上に腰を下ろしたのだがカイルはまだ納得していなかった。


「……やっぱり、高いですよ」

「高くない。こんな山の中で正規軍の護衛付きで眠れる寝床を銅貨1枚で買えるなら、安いもんだ。それに水も使えるし、火もある」

「でも、わたし一人に帝国銅貨3枚って……」

「それは仕方ないな。通行料が半額になるのは交易商や護衛士、他には医師や魔術士ぐらいだ。それにしたって組合に登録して身分証を持っていないと」


 それでも不満を隠そうともせず、カイルはじとり、とラウルをねめつけ、ふう、と溜息をついた。腰に巻いた蓋付きの布の物入れから小さな革袋を取り出すと、中からテネルス銅貨4枚を取り出して、そっと差し出してくる。


「……これ、わたしの分の通行料です。ありがとうございました」


 革袋をまた丁寧に仕舞って両手で膝を抱え、そこに顎を載せるとカイルはぼそりと呟いた。


「途中、どこかで働かないといけませんね」

「……サリフリに急ぐんじゃないのか?」

「急ぎたいのは山々ですけれど……先立つ物がないと、どうしようもありません。おじさんは、これだけあればサリフリまで行けるだろうと仰っていたのですが、ちょっと、足りないと思うのです」


(足りない……?)


 ラウルは腰の黒剣を購うのに、武器屋の親父に帝国金貨で7枚と提示された。

 手持ちの金が足りずに以前使っていた剣を質草にしてしまったが、それでも帝国金貨で5枚弱は支払った。

 そしてその黒剣は、カイルが武器屋に売った物だ。あの親父がいくらがめついとはいえ、少なくとも金貨2、3枚はカイルに渡しているはずだ。だから、金が足りないはずなどない、と思っていたのだが──嫌な予感がする。


「おい、その剣を売って──親父からいくら貰った?」

「テネルス銅貨を13枚頂きました」


 ぴき、と頬とこめかみが引きつった。

 金貨でもなく、銀貨でもなく、銅貨。しかもテネルスの。帝国銅貨にしてたったの10枚ちょっと。帝国銀貨なら、半枚ほど。

 わざわざこんな計算をしなくとも、わかっている。

 ──カイルはタダ同然で、この黒剣を、売ったのだ。


「それだけ、か?」

「はい。わたしは本当に何も持っていなかったので、この服や荷物全部込みで、残りがこれだけ……」

「そんな襤褸(ぼろ)、全部合わせて銀貨1枚もあれば十分だ!」


 わかっていたはずだったのに、忘れていた。コイツは途方もない世間知らずだ。村を出る前に確認すべきだったのだ。それをむざむざと──


「くそっ! あのじじい……っ!」


 怒りのあまり、ラウルは拳を床に打ち付けた。



 ◇  ◇



「……あの、どうぞ」


 いまだ腹の虫の治まらないまま腕を組んで黙っていると、おずおずと湯気の立つ茶が差し出された。いかにも趣味の悪い茶器だったが砦の備品では文句も付けられない。

 香りだけは良いその茶を手に取り一口含んで、ラウルは眼を見開いた。


「旨い……」

「本当に? ありがとうございます」


 ほっとしたように、カイルがにこりと笑顔を見せた。自分でも一口飲んで、美味しい、と満足そうだ。


「どうしたんだ? この茶葉は」

「おじさんから頂いた荷物に、入ってました」

武器屋(じじい)がそんな上等な茶葉を扱うとは思えんが……」

「ええと、お茶は……これですね」


 差し出された茶葉は湿気ないようにと缶に入った、ラウルも良く知っているごくありふれた物だった。

 それが淹れ方一つでこんなに味が変わるとは、茶というものは侮れない。

 感心しながらまた一口飲んでみると、カイルが小さくなって項垂れていた。


「すみませんでした」

「……なにが?」

「お金が……足りなかったようで。内訳を、ちゃんと訊いておけば良かったのですよね」

「いや、これは俺の落ち度だ。気にするな」

「ですが、やはり足りないでしょう?」


 結局、武器屋の親父が「駄賃」として置いて行った革袋の中身も全て銅貨だった。

 カユテの村を出る時に宿屋に銀貨1枚を置いてきたので、現在の手持ちはラウルのテネルス銀貨が4枚、銅貨が18枚、帝国銅貨が7枚に、カイルのテネルス銅貨が9枚だけだ。

 サリフリまでは節約すれば行けないこともないだろうが、着いた途端に文無しになる可能性が高い。


「わたし、ちゃんとお返ししますから……」


 すっかりしょげかえったカイルを見て、腹立たしい気持ちもどうにか治まってきた。


「心配するな。どうせ使い道もなかった金だ。まあ、ルッカレ辺りで──?」


 不意に、外が騒がしくなった。

 馬のいななきと、兵士たちの怒鳴り声。

 何事かとしばらく耳を澄ませてみたが、それきり静かになってしまった。


「なにかあったのでしょうか……?」

「わからんが、念のため──」


 外套を、と言いかけたところで、どかどかと近づいてくる足音が聞こえてきた。


「カイル!」

「はいっ」


 カイルが身をよじって外套を手に取ったと同時に、無情にも扉が開く。


「邪魔するぜぇー」


 入ってくるなりそう言って、ばたりと板間に倒れ込んだのは熊のような男だった。




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