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運命の環は巡る  作者: らみ
北方公路
14/59

北方公路・1

 


 カユテの村を東に進むと、しばらくはだらだらとした登り坂が続き、やがて街道は森へと入る。

 トゥルネイ山地の西、アルトローラ帝国側を覆う古い森は主に針葉樹から成り、大人3人でやっと抱え込めるほどの大きな古木が数多く生えている。人の手の入っていない森は深く、街道を一歩外れればそこには低木やシダ類、枯れ枝などが積み重なって、不用意に人が入り込むことを拒んでいる。そして昼でもなお薄暗い森はひやりとした冷気を孕み、外とは完全な別世界を築いていた。


 その古い森を太い樹々に導かれるようにして、北方公路は東に向かっている。

 道はだんだんと狭くなり、踏みしめられて乾いた土は徐々に湿り気を帯びてきた。坂の中にときおり段差を交え、うねりながら街道は、眼前の険しい山々に向かって伸びてゆく。


 影のようにそびえ立つ古木の向こうに深い蒼の空と白い雲、そして全てを圧倒するかのように覆い被さる山々が見える。

 足取りも軽く先を歩いていたカイルはふと立ち止まると、背伸びをしながら右手へぐるりと見回して、くるりとラウルを振り返った。


「昨日はあんなに晴れていたのに……今日のトゥルネイ山は、曇って見えませんね」

「頂上が見えることの方が珍しいらしいぞ?」

「そうなんですか? ではわたしたちは、運が良かったということですね」


 足が並ぶとフードの奥から一度ラウルに微笑んで、また前を見て歩き出す。

 慣れない山道にすぐに音を上げるかと思ったが、なかなかどうしてカイルは健脚だった。流石に口数は少なくなったが、荷物を背負って疲れた素振りも見せずに黙々と歩いていた。

 街道の前にも後ろにも人影は見当たらず、すれ違った旅人も数人だった。国境の砦までの距離を示した道標を見て、この分なら日が暮れる前には辿り着けるだろうからと、ラウルは休憩を提案した。

 二人して荷を降ろし、街道わきの倒木に腰を下ろす。ところがカイルは水音がすると森の奥を覗き込んだ。休憩なのだから休めば良いのにと、じっとしていられない様子にラウルは苦笑する。


「……これからのことで、いくつか確認したいことがあるんだが」

「はい。なんでしょう」


 すぐに膝を揃えて姿勢を正し、いたく真剣な眼差しで見上げてくる顔に、ラウルはまた苦笑した。


「そう畏まらなくて良い。……襲われた、と言ったな。理由に心当たりはあるのか?」


 一瞬何のことか、という顔をしたカイルだが、すぐに沈痛な面持ちで顔を伏せた。


「わかりません……あの時は、逃げることだけで精一杯で……他のことを考える余裕はありませんでしたから」

「……辛いことを、すまない」


 握りしめられた白い拳にそっと手を重ねれば、いいえ、とフードから覗く黒髪が横に振られる。

 過程がどうあれ逃げられたということは、襲った者はまだこの娘を諦めていない可能性がある。いや、ここは「可能性」ではなく「諦めていない」とすべきだろう。さらった娘がこうしてここにいると知れば、また襲ってくると考えた方が良い。


「それから、『カイル』というのは誰の名だ?」

「……知り合いの名前です。すみません──わたしは貴方に、本当の名も言えません」


 紅い唇を引き結んで俯くと、カイルはまた拳を握りしめた。


「言いたくない」ではなく「言えない」か──

 ひとつ頷いて、ラウルは隣に座る小さな肩に軽く手を載せた。


「気にするな。その名からお前が連想されなければ良いと、そう思っただけのことだ」

「それは、大丈夫だと思うのですが──ラウル、あの、実は……」


 ちらりと視線を寄越すと少女はまたすぐに手元を見つめて口籠った。こちらの顔色をうかがいながら、上着の裾を弄って口を噤む。一瞬ラウルを見上げて口を開け、声を出せずに口を閉じ、そして俯き上着の裾を揉みしだく。何度かこれを繰り返してやっとのこと口を開いたと思ったが、それでもカイルは言い淀んだ。


「もう、ご存知かもしれませんが……ええと、わたしは実のところ、ですね」

「──女だな」


 え、と弾かれたように上げた顔が、みるみるうちに赤く染まる。


「なんだ、隠していたのか?」

「いえ、そういうわけでは……髪は切ってしまったから、この方が目立たないと……いうだけの、ことで、その」


 まだある、というようにもじもじと指先を絡めていたのを促してやると、少女は何かを決意したように勢いよく顔をあげた。


「あの! 実は今朝、目が覚めたら寝台にいて……」


 寝ている間に何かされたのかと、そういう心配をしているのだろうか。

 ラウルは肩を落として眉間を押さえた。そんな眼で見られるとは、はなはだ心外だ。


「ああ、寝苦しそうだったから、上着は脱がせてベルトを外したが?」


 それがどうした、と殊更に平静を装えば、慌ててカイルは違うと言った。そんなことではないのだと。なら何が問題なのかとそう聞けば、とても大事なことだという。はて、と首をひねるラウルに頬を赤く染めてカイルは尋ねた。


「わたし、貴方を蹴ったりしませんでした、か? 以前、兄が……その。寝相が悪いと、そう……言っていたものですから」

「……蹴りは、なかったな……ああ、確かに」


 寝相……今朝がた微睡んでいたところを叩き起こされた、「あれ」は寝相と言っていいものだろうか。

 ラウルはちらりとカイルを見遣る。両手を胸の前で握りしめ、どきどきと審判を待つその姿はまるで餌を前に「お預け」された子犬のようだ。


「ほ、他になにか、ありました?」


 その様子が可笑しくて、笑いを堪えようとラウルは腹に力を入れた。すると眉の間に皺がより、口元もぐっとへの字に引き結ばれる。はらはらしながら窺っていたカイルの身体が、その拍子にぴょこんと跳ねた。

 もうこれ以上、息を止めているのは限界だった。

 ラウルは腰についた埃を払って立ち上がり、荷物を肩にかけながら大きく息を吐きだした。


「……さて、そろそろ行くか」

「あったんですね? わたし、一体なにをしたのですか!?」


 待ってください、と慌てて荷に手を伸ばす少女を置いて、ラウルは構わず歩き出す。片手で押さえた口元から、塞き止めきれない呼気がぶふっと漏れた。


「ラウル! ちょっと……!」


 壁と寝台の隙間にはまり込んで寝ていたのは、寝相が原因だったのか。大人だと主張するなら、成人男性に対してあまりにも無防備なのも問題だが、それよりも。

 その「兄」とやらが、どんな顔をして妹にあのことを告げたのかと思うと──

 不意に、肩が揺れた。押さえ切れずに腹の底から次々に沸き上がってくるものが、徐々に肩を大きく揺らす。


「ええ? そんなに可笑しかったのですか? 教えてください!」


 焦りを含んだ高い声と低く抑えた笑い声が、古い森の中に響いていった。



 ◇  ◇



(……帝都を出て……2日半でスウォンジー、で、そっから5日でブース……俺、結構頑張ってない?)


 アルトローラ帝国において、たった一つの貴重な肩書きを持つ唯一の騎士──宰相補佐兼宮廷魔術師専属騎士ことザカライア・モーブレー、通称ザックは東に向かってひたすら馬を走らせていた。

 結局あのまま休むことなく年若い上司、ハーシュ・ラスンの執務室を飛び出して、こうして馬上の人となっている。あれから1週間が過ぎたというのに、ハーシュの言葉が頭にずっとこびりついて離れなかった。




「──で、誰よ? お前を出し抜いた奴って」


 そんなことを訊いたのは、この若き天才の鼻を明かしたのはどんな人物だったのだろうという、ちょっとした興味からだった。

 だがそれは、彼の矜持を大層酷く傷つけた出来事だったようだ。

 形の良い眉がひくりと上がり、膝の上に乗せられた拳が震えるほどに握りしめられる。薄い水色の瞳のふちが、仄かに赤く染まり──ハーシュはそれを解放するのを、必死に耐えた。


「すべて私の失態です。……弱った女と思って油断しました。現在、最重要参考人として追っていますが……まだ足取りは掴めていません」

「……は? 女? ……最重要参考人って?」

「例の事件ですよ」


 ハーシュは忌々しい、と吐き捨て流麗な眉の間にしわを寄せた。

 例の事件というと、ついこの間までモーゼル公国で調べていた、女性の失踪に関する件だろうが──


「あのさ、次の任務って……そいつを探すことも含まれてるワケ?」

「──まさか。たった一人で女を探せなどと、そんな無謀な事は言いません。あなたにやって欲しいのは、さっき言った通りです」


 伝説の魔術に関する調査。それだけで良いと口では言うが、感情が納得していないのがだだ漏れだ。言ってみろよ、とザックはそう促した。

 両方の目頭を右手の指で押さえながら、ハーシュはちらりと己の騎士を見た。



「……もし──もしも、です。その女を見つけたら、すぐに拘束してください。私はあの女が赦せるとは思えませんが、『転送陣』に関して協力を得られるのだったら、土下座でもなんでもしてみせます」




「──協力してもらうのに、拘束するってーのもどうなのかね?」


 その呟きは帝都まで届くことなく、辺境の乾いた風の中に消えていった。




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