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運命の環は巡る  作者: らみ
北方公路
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白の宮の紅い瞳・2

 


 そこに己を出し抜いた相手がいるかのように、ハーシュは虚空を睨みつけた。薄い唇が歪み、紅い瞳が輝きを増してゆく。

 悪寒がザックの背中を走り抜ける。

 表情の乏しいこの男がこれほどまでに憎しみを(あらわ)にすることを、ザックはこれまで見たことがなかった。自分に向けられた感情ではないとわかっていても、全身の毛がぞわりと逆立ち、歯の根が合わず音を立てる。

 ふと、吐く息が白くなっていることに気がついた。見ればテーブルにも霜が降りている。


(──震えがきたのはこれ(・・)のせいかよ!)


 ザックは立ち上がり、腹立ちまぎれに目の前の頭を平手で叩いた。


「てめぇっ……! 妙なモン垂れ流すな!」 


 ぺち、という音と共に灰白の頭はがくりと前に傾いて、それきりぴくりとも動かなくなった。

 十分手加減して叩いたつもりだが、打ち所が悪かっただろうか。


「おーい、ハーシュ……?」


 恐る恐る声をかけると頭が振られ、灰白の髪がさらりと流れた。

 ハーシュはずるずると長椅子の背にもたれると、天井に顔を向けて片手で眼を覆う。


「……少々、取り乱しました」


 震えを含み、吐き出すように呟かれた言葉の中には、押さえようもない苛立ちが含まれていた。

 これまで「天才」の名をほしいままにし、万事そつなくこなしていたこの年若い男は、魔術で先を越されたことがそうとう悔しかったのだろう。


「お前は研究だけしている訳じゃねーんだ。宰相補佐の仕事だって暇じゃないんだし、それで遅れを取っちまうことだってあるだろ? これはしょうがねぇ」

「……そんなことではありませんよ」


 ぼそりと漏らすと手のひらを眼に当てたまま、ハーシュは何事かぶつぶつと呟いた。

 冷えきっていた室内が、みるみるうちに温もりを取り戻す。相変わらず見事な腕前だ。「杖」無しにここまでできるのは、こいつぐらいだろう。

 凍えるような寒さからやっと解放されて、ザックは安堵の息を吐いた。だが寒さに慣れた身体には、元の気温は少々息苦しく感じられるのも事実である。


「あのさ、もう少し涼しくしてくんない?」

「……」


 せめて可愛らしく見えるようにと首を傾けて「お願い」すると、ハーシュはちらりと紅い瞳を覗かせて、何も言わずに呪文を唱えてくれた。




「冷えた部屋ん中であっつい茶を啜るって、最高だよなー」


 今度は上等な紅茶に焼き菓子を出してもらって、ザックは存分に小腹を満たしていた。

 茶器には勿論、保温の「魔術陣」が刻まれているから、茶が冷めることはない。

 しばらくの間、長椅子に沈んで眉間を揉んでいたハーシュもようやく落ち着いたようで、紅茶で口を湿らせると姿勢を正した。一旦目を閉じてから開いた瞳には理性が宿り、色も薄い水色に戻っている。


「ともかく、『転送陣』──これが完成すれば、善くも悪くも世界が変わります。この意味が、わかりますか?」

「ああ、わざわざ荷車押す必要はなくなるし、ムカつく奴がいたら目の前に飛んでって、こう」


 ザックは首の前で、指を横に滑らせた。


「──ってことだろ?」

「そう、その通りです」


 よくできました、というように眼を細め、ハーシュは大きく頷いた。


「我がアルトローラ帝国は、今でこそ『魔術士の聖地』として栄えていますが、その昔──千年近く前でしょうか──その頃は、アクサライこそがその『聖地』でした。『大魔術師エルリア』……この名を知っていますか?」

「いーや」


 聞いたこともない、とザックが頭を横に振るとハーシュはまた、満足げに大きく頷いた。


「神々から賜った、見えざる力──『魔力』を人として初めて使ったとされる人物ですが……彼はもはや伝説として伝わるのみですから、魔術士でもない貴方が知らないのは当然ですね。では、『イドリース』『エミーネ』『ディルク』これは?」

「それは知ってる。魔術の基礎を築いた、偉大なる三大魔術師だ」

「そう、彼らはいずれもエルリアの弟子としてアクサライで学び、魔術を大陸中に広めました。そして最後に──『カイル』」

「……それは知らんな」

「エルリアの最後の弟子です。彼は、エルリアの術を継いだと伝えられていますが──この二人については資料が本当に少なくて、ここまで調べるのにも随分苦労しましたよ」


 聴衆が素人一人、というささやかな講義と研究発表にも、ハーシュはじゅうぶん満足したようだ。先ほどの激昂ぶりが嘘のように穏やかに、会話を楽しんでいる。

 ところでそれがどうした、と尋ねそうになって、ザックは慌てて口を閉じた。こういうとき、迂闊に質問するとハーシュは機嫌を損ねるのだ。そして「貴方の頭の中に詰まっているのは筋肉ですか? 退化しないように、もう少し使ってあげなければ」などと理屈をこねて、面倒な仕事を押し付けてくる。

 たった今、これから新たな任務の内容を聴こうとする時に余計な仕事まで追加されては堪らない、とザックは必死になって考えた。


「伝説の魔術師と……今回の任務……って、おい、まさか……」


 察しが良くて助かります、と微笑んだ宰相補佐兼宮廷魔術師は、あっさりと解答を口にした。


「エルリアは魔術を『陣』という形で使っていたそうですよ? あなたには、これを調査してもらいます」

「待て待て待て! お前、さっき『伝説』とか言ってなかったか? そんなもん、素人がどうやって調べんだよ!」

「アクサライの宮廷魔術師を訪ねなさい。彼は長年古代魔術に関して研究していますから、きっと力になってくれるでしょう。紹介状はこれです」


 懐から取り出した書状を差し出して、ハーシュは厳命した。


「期限は三ヶ月。それまでに成果を。なにも無い、では済みませんからね。手に負えないことがあったら、その都度指示を仰ぎなさい」

「ちょーっと待てよ、おい。宮廷魔術師ってことは、王都か? サリフリか? 行くだけで1月近くかかるだろうが!」

「そうですね。でも、やりなさい」

「ふっざけんな!」


 薄い水色の瞳がわずかに色を増した。宰相補佐兼宮廷魔術師は、深刻な顔をして声を潜めた。


「……時間がありません。あの『転送陣』を使える人間がいる以上、我々がそれを知らないでは済まされない。悪用されてからでは、遅すぎる」



 ◇  ◇



「……遅かったじゃねぇか」


 武器屋の前では、店主が腕を組んで仁王立ちになっていた。

 いったい何時からこうしていたものか、ぎろりと二人を一瞥すると、ふんと鼻を鳴らして店の中に入って行く。

 扉を支え、カイルを先に入れて後をついてゆけば、店主はちらりと振り返った。


「随分と懐いたようだが……巧い具合に口説けたのか、ええ?」

「ご主人、わたしはラウルを口説いたりしていませんよ? お願いして、ついてきて頂いているのです」


 大真面目に答えたカイルに、店主は眼を丸くして振り向いた。そして一拍後に、ぶほっ、と吹き出し腹を抱えて笑い出した。


「……そうか、そうか! 坊主はすっかり尻に敷かれとるというわけだな!」

「尻に敷くって……むぐ」

「……頼むから、少し黙っててくれ」


 どんな言葉が飛び出るか予想のつかない口を塞いで、ラウルは大きく息を吐いた。どうもカイルと知り合ってから溜息が多くなった気がする。

 豪快に笑いながら、店主は奥から袋に入った荷物を持ってくると、カイルに無造作に手渡した。


「小僧、取りあえず必要になりそうなものを詰めておいた。街道を行くならこれで十分だろう」


 ありがとうございます、と受け取って、カイルは渡された袋をじっと見つめていたが、何を思ったか、またとんでもないことを口にした。


「背負うのではなく、ラウルのように肩から掛ける方が良いのですけど……」

「「だめだ!」」


 二人の声が重なり、同時にラウルの頬が引きつった。


(こん畜生……! この親父、知ってたな)


「どうして?」


 瞳を瞬かせ、きょとんと首を傾げるカイルは全くわかっていないようだ。

 まがりなりにも男装しているくせに、ささやかにでも存在している胸の膨らみを強調するような真似を、どうしてしなければならないのか。

 それを指摘したところで、この子が一体どんな行動をとるのか、恐ろしくてとても訊けたものではない。とりあえずは無難なところで、とラウルは模範的な回答をしてみた。


「転んだ時に手が塞がっていたら、危ないだろう?」

「……あの」


 カイルの声が低くなった。受け取った荷物と食糧の入った袋を大事そうに胸に抱えながらも、ラウルを上目遣いに睨んでくる。


「ラウル──貴方、わたしがいくつだと思っているんですか?」

「いくつって……まだ子供だろう?」

「わたしは、とっくに成人してます! ……確かに、世情に疎いところもあると思いますが……」


 最後の方は消え入るような声だったが、それでも大人だと主張したいらしい。だが頬を薔薇色に染め、口をへの字に曲げているようでは、可愛らしくはあっても大人びているとは言い難い。

 ラウルは胸の辺りにある小さな頭に手を載せ、宥めるように何度か撫でた。


「冗談も程々にな。第一、こんな小さくてはまだまだ大人とは言えんだろう?」

「ラウルが大きすぎるんですよ!」

「……そうか?」

「そうです!」


 だん!


 文字通り、鍋が踊った音にびくりとして目をやると、店主が作業台に手を打ち付けて、悶えていた。


(──またか)


 笑いを過ぎて呼吸困難に陥った店主は、作業台を叩くことで衝動をやり過ごそうとしているらしい。


「あの、ご主人……? 大丈夫ですか?」


 そしてまた、カイルが馬鹿丁寧に構うものだからますます店主は痙攣し、笑いの発作は当分治まりそうにない。

 ここまで笑われるようなことはしていないはずだが、ここ(カユテ)の人間は一体なにがそんなに可笑しいのか、ラウルにはさっぱりわからなかった。

 それにしてもこの親父ときたら、どうしてくれよう──苦々しく思っていたところに、ひゅーひゅーと物騒な呼吸音がしてきて、ラウルは慌てて店主の背中を強く叩いた。


「……げほっ……」

「おい、息はできるか? 少し落ち着け」


 手布で口を押さえ、涙で顔をぐしゃぐしゃにして、顔を赤黒く染めた店主が無言で頷いた。


(どいつもこいつも──どうしてここまで出来るんだ? いつか笑い死ぬぞ)


「ひゃっ……み、ず……」


 水を飲んでくるから待ってろ、と手を振る親父がよろよろと奥に消えたところを見計らって、ラウルはカイルを呼ぶと、耳元に口を寄せた。さんざん人を出汁にしてくれたのだ、多少反撃しても構うまい。

 囁かれた内容にカイルの目が見開かれ、やがて忍び笑いが漏れてきた。


「……やってみます」




 戻ってきた店主に渋い顔をされながらも手紙を書き、カイルはそのざらりとした灰色の紙を手渡した。


「お願いします。ご主人……これをどうか、あの方へ」

「ああ、安心しな。(じじぃ)にゃ、ちゃあんと渡しとくからよ」

「じゃあな、親父。また縁があったら──カイル」


 頷いたカイルは、荷物をラウルに預けると、店の外に出てきた店主の首にぱっと抱きついた。


「サリフリに着いたら、メレクおばさんに手紙を書きます。勿論、おじさんにも」


 だから、待っていてくださいね──そう耳元に囁かれ、店主の眼と口が限界まで開かれた。

 ふわりと微笑んでカイルが身を離せば、湯気が立ち上るかのように顔を真っ赤に染め上げて、店主はよろめき尻餅をついた。

 その様子にやった、と二人は手を打ち合わせ、店主に向かって手を振った。


「ありがとうございます、お元気で!」




「……やられた!」


 呆然と座り込んでいた武器屋の店主は、二人が見えなくなる頃にようやく身を起こし、額をぱちりと叩いて笑いだした。




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