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運命の環は巡る  作者: らみ
北方公路
11/59

出立・2

 


「おばさん……『おばさん』って呼び方、素敵ですね」

「……そうか?」

「はい。『おばうえ』でも『おばさま』でもなく『おばさん』というのはなんだかこう、暖かい感じがします」


 宿を出てからのカイルは、ひどく上機嫌だった。

 対するラウルはこの上もないほどに不機嫌だ。

 俺のことを守ってくれないかな──なぜこんなことを口走ってしまったのか。

 先ほどの失態は記憶から早々に消し去ってしまいたい。


(だというのに……)


 宿を出る時を思い出し、ラウルは深く深く息をついた。




 夜に食べるんだよ、と手渡された大量の料理に礼を言うカイルに女将はひとつだけ、と注文をつけた。


「これからは『メレクおばさん』って呼んでおくれよ」

「……メレクおばさん、ですか?」

「そうさ。『奥方』なんて他人行儀な呼び方は、止めておくれ」

「わたしがそう呼んでも……良いのですか?」

「勿論だよ!」


 瞳を瞬かせるカイルを胸に抱きしめて、女将はうっとりと頬擦りした。


「ここは何もないところだけれど、いつでも帰ってきていいんだからね」

「はい……ありがとうございます。行ってきます、メレクおばさん」

「はいよ、気をつけて行くんだよ」


 頬を染め、はにかんだようなその笑顔に宿屋一家はあっという間に骨抜きにされた。

 カイルは厨房から出てきた主人、息子と使用人の娘、それぞれに挨拶を交わし──そこまでは良かったのだ。

 それから彼らは奇妙に顔を歪ませると、なんとも言えない微妙な眼差しでラウルに向き合った。


「ら、ウル……あんたも、っく。気をつけてな」


 宿の主人が頬をひくつかせながら右手を差し出してきた。

 その後ろでは両手で口を押さえ、涙さえ浮かべた息子たちが前屈みになって震えている。


「くそ……っ!」


 どうやら一部始終を見られていたらしい。羞恥で顔が燃えるようだ。

 ラウルは銀貨を一枚、叩き付けるように置いて礼を言うと文字通り宿を逃げ出したのだった。



 ◇  ◇



 強い日差しの中を、さらさらと風がそよぐ。

 カユテの村を東西に貫く「北方公路」を二人は東に向かって歩いていた。

 太陽が山の向こうから顔を出し中天を迎えるまでの間、この街道を歩く旅人はまずいない。そもそもこの「北方公路」が寂れているということもあるが、アクサライ王国に行くものは早朝に旅立っているし、また国境から来るものはまだ辿り着かない。帝国側から来る旅人達も同様で、今は丁度、旅人達の空白の時間帯だった。


 乾いた土の上を歩きながらカイルはよほどその言葉が気に入ったのか、おばさん、おばさん、と繰り返し呟いている。料理の入った袋を胸に抱え、ちょこちょこと歩く姿はやはり小さな動物のようでどこか微笑ましく感じられる。

 その姿を眺めながら、経過はどうあれこれで良かったのだとラウルはほっと胸を撫で下ろした。これからもこの子の傍に居てやれる。雛を手放さずに済んだことが嬉しくて、ラウルの心も浮き立つようだ。

 あとはそう、この子の保護者に知らせてやれば良い。



「カイル……手紙を書かないか?」

「──手紙?」

「親父さん……武器屋でなら、預かってくれる。家族には無事を知らせた方が良い」


 カイルが立ち止まった。外套のフードに隠れて表情は見えないが、きょとんと首を傾げているようだ。


「──いませんよ?」

「なにが?」

「ですから、家族が、です」


 ラウルの足も止まった。


「おまえ、だったら家は」

「帰れないって、昨日言ったじゃないですか」

「いや、そうではなくて……誰かお前を知っている人──それこそ後見人にでも」

「……ラウル──こちらへ」


 袖を引くカイルに連れられて、街道を逸れた。村の中とはいえ辺境だけあって、一歩脇道に逸れればそこには畑が広がっている。畑を取り囲むように植えられた樹の下は風通しも良く、陽射しを吸って熱くなった外套があっというまに冷えてゆく。

 土留めの丸太に座ったカイルに促され、ラウルも隣に腰掛けた。


「ちゃんとお話ししてませんでしたね。わたしは……わたしには、家族がいません。家族と呼べる人は、兄だけです。──そしてその兄も、ずっと昔に亡くなりました」

「それは……」


 口をつこうとした謝罪の言葉をカイルは柔らかい微笑みで制した。


「ラウル。わたしは兄に愛されて、そしてじゅうぶんに長い間、一緒に過ごしました。兄に会えないのは寂しいですけれど……もう悲しくはありません」


 フードの陰から覗くその瞳は潤んでいるように見えたが、涙は零れなかった。そういえば、とラウルは思い出す。

 昨日から何度かこの子は涙ぐんだが、それが零れ落ちる事はついになかった。唇を噛んでこらえ、泣き出すのを必死に耐えていたように見える。

 泣いて哀れみを誘うような真似はしたくない──そう、言われた気がした。


「そうか……」

「それにね、何か誤解があるようですけれど、わたしは貴族ではありませんよ?」


 思いもよらない告白に、ラウルの眉がぴくりと上がった。

 カイルも困ったように見上げてくる。


「だが、市井のものでもないだろう? ……その、物腰が」

「これは、兄が教えてくれました。言葉遣いから細かい所作まで全てです。……わたしは、普通ではありませんか?」

「いや……」


 ラウルは目を逸らした。

 確かに「普通」とは言いがたいが、カイルの「兄」の気持ちも分かる。妹とは可愛いものだ。それが無条件に懐いてくるなら、なおのこと。ラウルは思ったようにはいかなかったが、カイルの兄も理想の妹に育て上げようとしたのだろう。もっとも「それ」が成功したかどうかは不明だが……


「良い『お兄さん』だったんだな。兄上が……好きか?」

「はい! 兄はわたしの誇りです」


 カイルは満面の笑みを浮かべ、胸を張って自慢した。




 前を歩くカイルが、時折振り返ってはふふ、と笑う。


「わたしと兄は本当に良く似ていて、双子のようにそっくりだったんですよ?」


 兄のことを話すカイルは、本当に幸せそうだ。

 大好きな兄の話をできて嬉しいと言った。ずっと一人だったから、と。

 連れは? と聞けばカイルは疲れたように肩を落とし、遠くを見つめるような眼差しで呟いた。


「彼らは良く尽くしてくれますけれど……少し、度が過ぎることがありまして。向こうもわたしを探していると思うのですが──ラウル、少しの間一人になりたい時って、ありますよね?」


 あまりにも憔悴したようにそう言うので、それ以上は聞けなかった。




 カイルの世界は、亡くなった兄を中心に廻っている。そのせいか「兄」という存在が傷つくことをも、ひどく恐れているようだ。

 巻き込みたくない──そう言って申し出を拒絶したのは、ラウルが「兄」だったせいもあるのだろう。


 ふと、ラウルの脳裏を何かが(よぎ)った。

 世俗を断ち、ごく限られた人間のみで育てられる子供……

 ひたすらに純粋で、疑うことを知らず、ただひとつの目的のために生かされる。

 ──そんな話がなかっただろうか。

 ずっと昔に聞いたような気がするが、思い出せない。

 ラウルは眉をひそめた。

 陽炎にも似たそれを捕まえようと思考の手を伸ばしたが、意識を向けた途端、それは滲むように消え失せた。




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