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誕生とマナ

「オギャアアアアアッ!」


目が覚めると、俺は赤子になっていた。


(うるさい。自分の声なのに耳障りだ……)


本能が肺を動かし、けたたましい泣き声を上げ続けるが、俺の思考は妙に冷静だった。

重い瞼を必死に開けようとする。周囲からは、喜びに満ちた男女の声が聞こえてくる。


( この状況と体の不自由さは間違いなく『生まれたて』だ。)


周囲の歓喜の空気と、俺の内心は全く噛み合っていなかった。


泣き喚きながら状況を分析しようと試みた瞬間、俺は奇妙な事実に気がついた。


言葉の概念を知っている。論理的な推論ができる。

自分が今「生まれたばかりの赤ん坊」という状況に置かれていることを、極めて客観的に理解できている。

だが自分には、「これまでの記憶」が一切ない。

どこで生まれ、どう生きて、どうやって死んだのか(あるいは死んでいないのか)

前世の記憶と呼べるようなストーリーがすっぽりと抜け落ちているのだ。



いわゆる転生者というやつなのだろうか。それにしては、バックボーンがなさすぎる。

自分が何なのかわからない異常事態だというのにパニックにならないのは、恐怖や焦りという感情すらもどこかに置き忘れてきたからだろうか?


まあ、考えてもわからないことは保留だ。


ひとしきり泣いて肺を膨らませた後、ゆっくりと重い瞼を開いた。





最初に目に飛び込んできたのは、見知らぬ木組みの天井——ではなく、空間を埋め尽くす圧倒的な『光の流れ』だった。


「……っ!」


声にならない息を呑む。

きらきらと輝く、無数の「銀の糸」。

極細の絹糸のような光の筋が、部屋中の空間を漂い、緩やかに流れている。

それは自らが発光し、脈打ち、まるで生き物のようにうごめいていた。

よく見ると、壁や床、木の家具、そして空間そのものから湧き出し、また別の場所へと吸い込まれていく。

まるで、世界全体が光る糸で織り上げられた、巨大で緻密なタペストリーのようだった。



(なんだ、これ……綺麗だ……)



生まれたばかりの赤ん坊の視覚は、まだ色も形もぼんやりとしか認識できないと聞いたことがある。

しかし、なぜかこの「光の糸」だけは、脳髄に直接映像が送り込まれているかのように、異常なほど鮮明に見えたのだ。





一か月が過ぎた。

どうやら俺は言語がわかるようだ。まるで前世の記憶があるみたいに。

だが、話そうと思ってもまともに話せないし、身体は重く、自分の意思では首すらまともに動かせない。

圧倒的な無力。そして、圧倒的な「暇」である。


赤ん坊の仕事は泣いて飲んで寝ることだ。しかし、思考力を備えた精神にとって、寝かされて天井を見つめるだけの時間は、退屈を通り越して苦行に近い。

だから俺は、起きている間中、視界を満たすこの「光の糸」を観察することにした。


観察を続けていると、この糸がただ無軌道に動いているわけではないことがわかってきた。

ある朝、窓が開け放たれ、外から心地よい風が吹き込んだ時だ。

潮の香りを運んでくるその風の動きに合わせて、空間を漂っていた銀の糸が、一斉に流れを変えたのだ。淡い青みを帯びた糸が、風の軌跡をなぞるように部屋を通り抜けていく。


(なるほど。自然現象と連動しているのか)


またある日の夜、部屋にランプが灯された。

火がパッと点いた瞬間、周囲の光の糸がチリチリと赤く変色し、炎の芯に向かって吸い寄せられるように収束していくのが見えた。熱を帯び、光を増し、その性質を変化させている。


(面白い……!)


ただの風景を見ているのではない。

風が吹けば光が踊る。火が点けば光が寄り集まる。

俺は、この尽きることのない世界の秘密の観察に、すっかり夢中になっていた。





そんな俺の小さな世界に、頻繁に現れる二つの巨大な光の塊があった。


「おお、今日もご機嫌だな、エドガー!」


視界を覆い尽くすほどの、大きく武骨な手。

俺の頬を不器用に撫でるその手からは、太陽のように暖かく、力強く燃え盛る赤い光の奔流が発せられていた。


俺の父親、ガルド・グロウリーだ。

彼の声は大きく、笑うと部屋中の空気がビリビリと震える。それに呼応するように、彼の周囲を覆う赤い光も猛々しく、しかし楽しげに爆ぜるのだ。

その光の密度と荒々しさから、彼がただの農民や商人ではないことが直感できた。


「あなた、声が大きすぎます。エドガーがびっくりしてしまうじゃないですか」


豪快な父をたしなめながら、俺をそっと抱き上げる柔らかい腕。

母親、セリア・グロウリーだ。


彼女から発せられる光は、父のそれとは対極にあった。

月明かりのように静謐で、精緻に編み込まれた緑と銀の糸。

それが、彼女の透き通るような白い肌や、少しだけ尖った耳の周りを、美しい幾何学模様を描きながら漂っている。

母に抱きしめられると、緑の光が優しく俺の体を包み込み、ささくれ立った神経を鎮めてくれる。不思議と心が安らぎ、心地よい眠気を誘うのだ。


父の力強い赤と、母の優しい緑。

二つの温かい光に包まれている時間は、身動きの取れない俺にとって、何よりも幸福で、安心できる時間だった。



「よしよし、いい子だ。エドガー、大きくなったら父さんと一緒にド派手な炎魔法をぶっ放そうな!」



「もう、野蛮な魔法ばかり教えないでください。この子には、私と一緒に魔法の深淵を研究してもらうんですからね」


(『魔法の研究』……!)


俺は内心で大きくガッツポーズをした(物理的には、よだれを垂らしながら手足をバタバタさせていただけだが)。


やはり、この世界には魔法が存在する!

俺が常日頃から観察しているこの「光の糸」は、確実にその魔法の原動力となるものだろう。

ワクワクしないわけがない。



「あー、うー」





永樹暦766年。海風が心地よい、ランディア王国フィノア領。

視界を埋め尽くすきらきらと輝く「光の糸」と、愛情深い両親。

俺、エドガー・グロウリーの人生は、退屈とは無縁の、知的好奇心に満ちた最高のスタートを切ったのだった。



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