「君を愛することは出来ない」と言われましたが、離縁だけは困ります!
ラブコメと「愛することはない」テンプレート、短編だったら書けるかな、と思い挑戦しました!
「ミア、これは政略結婚だ。俺は君を愛することは出来ない。正直今すぐにでも離縁したいと思っている」
輝かんばかりの金髪を揺らす美丈夫の彼が、結婚初日の夜……つまり初夜に言い放ったのはそんな冷酷無慈悲な言葉だった。
「リ、リカルド様、そんな……」
スケスケのネグリジェを着て顔を青ざめさせる私はあまりにも滑稽だろう。
リカルド様が私を愛していないなど、百も承知。しかし——
「離縁だけはお許しを〜〜!!」
天蓋付きのベッドの上で綺麗な土下座をかます私を見て、リカルド様は「うわっ」と声を漏らし、顔を引き攣らせて言った。
「ま、まあ君の家……ラベンドール子爵家には経済的な支援を受けているから、今すぐの離縁は叶わないが……。とにかく、この屋敷で暮らすウェンディと関わることは許さない」
この屋敷の別邸で暮らす深窓の令嬢、ウェンディ様。私の婚約者であるリカルド様の従姉妹にあたる方だ。体が弱く外に出ることが叶わない為、社交界デビューもしていない。
そして、リカルド様とウェンディ様は『そう言った関係にある』と専らの噂だ。
リカルド様は、ウェンディ様との噂のせいで、美しい見た目なのに女性から人気がない。婚約も何度か破談になっている、いわゆる事故物件だ。伯爵家の男にしては財産が少ないため、お金目当てで結婚を申し込む令嬢もいなかった。
ウェンディに関わることは許さない——その言葉から察するに、やはり噂は本当なのだろう。
そこで金だけはあった子爵家の私が、結婚を申し出たわけだ。ウェンディ様にかかる医療費は莫大だった。それを担保すると言えば、リカルド様のご両親は喜んでお受けなさった。そして光の速さでリカルド様に爵位を継がせて隠居生活を始めた。
さて、何故結婚を申し出たのか。
それは私の運命的で奇跡的な出会いから始まる。
親の付き合いで、当時5歳だった私はとある貴族のパーティーに出席していた。本当はずっとお母様のそばに居なければならなかったが、好奇心旺盛だった当時の私は花が咲き乱れる広い庭園に興味を惹かれて迷子になった。
広い敷地内を歩き回るが見つけられない。どんどん不安になって、涙をポロリと流した時、美しい金の長い髪を靡かせた綺麗な女の子に出会った。
お母様の部屋に飾られた絵画の女の子だ、と思った。実際は違うのだが、その美貌と神々しいオーラは絵画の中の天使そのものだった。
その女の子は涙を流す私を見つけて「一緒にお母様を探そう」と手を繋いでくれた。まるで神の導きかの如くお母様はすぐに見つかり、お礼を言おうとしたが姿を消していた。きっと彼女は天界に戻って行ったのだ。
それから、ずっと忘れられなかった。ある程度の年齢になった私は、金の力に物を言わせてあの時のパーティーに出席していた子供を全て調査した。
そして、最終的に白羽の矢が立ったのが、美しい金髪を持ったリカルド様——の従姉妹、ウェンディ様だ。
殆ど誰もその姿を見たことはないが、「大層美しいらしい」という話が有名だった。
あの時の女の子はウェンディ様に違いない。ずっと夢に見ていたマイ・エンジェル。お身体が弱いのは俗世の穢れた世界に慣れないからだろう。下界に降り立つことが無いウェンディ様と関わり合いを持つのは至難の業だった。
なりふり構っていられなくなった私は、婚約の打診を全て蹴った。ついに両親に頼み込んでリカルド様と結婚を決めたのだ。
だから離縁など絶対にダメだ。せっかくここまで辿り着いた。残す目標はただ一つ、ウェンディ様とお近付きになることだ。
まあ、お茶を共に出来るくらいの仲になってからなら離縁されても良い。そうなれば私は傷物として扱われるが……ああ!そうなった場合、侍女として雇ってもらうのはどうだろう。それならずっと一緒にいられる。
「ミア、何を笑っている?」
つい妄想に浸ってしまい、目の前にいるリカルド様の存在が頭から抜けていた。
リカルド様も、マイ・エンジェルの親戚とあって随分と綺麗な人だ。俗世離れしていてつい見惚れてしまう。
でも、駄目。私も、貴方を愛することは出来ません。だって心はウェンディ様に捧げているのですから……。
「不誠実な私をどうかお許しください……」
「何の話だ?」
「いいえ、こちらの話です」
「……はあ」
リカルド様は呆れたように大きなため息をついた。
そう言えば、今は初夜だ。この状況下で、夫婦のお勤めはこなすのだろうか。
「あ……リカルド様、どうされます?抱きますか?」
運が良ければ、巡り巡って私とウェンディ様の血が混ざった子供を産むことができる……そう思うと特に嫌とは思わなかった。
「な、抱かない!早く寝ろ!」
綺麗な顔を赤く染めて、リカルド様はバタンと扉を閉めて出て行った。
照れ……ではないか、きっと怒りだ。
「あらら……まあ、いいわ。明日、ウェンディ様を訪ねましょう」
貢物もしっかり用意した。美しい宝石が入った箱のリボンを整えてから、私は眠りについた。
ちなみに桃色のリボンは、私のストロベリーブロンドの髪と同じ色だ。きゃッ♡
◇
「あー、すみません。これ以上先はミア様を通さないように、とリカルド様に言われていまして……」
「そ、そんな!」
従者の男が申し訳なさそうに頭をかいた。
癖のある茶髪をした男の名はカイルというらしい。別邸へ繋がる廊下に立っていた彼は、私を絶対に通さなかった。
「ぐぬぬ……」
「いやあ、すみません」
「わ、分かった。今日は諦める。せめてこれを渡してちょうだい」
私はウェンディのために用意した宝石の入った箱を差し出す。しかしカイルは手を開いたまま、受け取らなかった。
「えっと、物を受け取るのも禁止されていますので」
「っはあ!?」
「トラブルになりかねませんから」
「大丈夫!罠など何もないから!ほら、みて!宝石なのよ!」
「いやいや、無理ですって」
私ってそんなに信頼がないだろうか……こんなにも純粋な気持ちで用意したのに。
「分かった、じゃあこれを」
「ひっ!現金!?」
「ほら、いくら欲しいの?」
カイルはごくりと唾を飲んで、私が差し出した札束をじいっと見つめる。しかし、意外にも発された言葉は「う、受け取れません」だった。
買収失敗。軽そうな男なのに、忠誠心があるらしい。
まあ、仕方ない。ここの屋敷に来でまだ一日。いつかは謁見を許される時が来るだろう……。
そうとなれば、まずは屋敷の者からの信頼を勝ちとならなければならない。
私にはお金がある。実家の子爵家も元々かなり裕福だったが、お父様が娘可愛さに譲ってくれた鉱山が一発当たったのだ。
「リカルド様、使用人の管理は私にお任せください」
「……君、別邸に行こうとしたそうだな。使用人の管理だと?何を考えている」
「ただ私は、ウェンディ様に一目会いたいだけなのです」
本心から言ったのだが、リカルド様の目には疑いしか映っていなかった。
会えば酷い仕打ちをすると考えているのだろうか。それか管理した使用人を使って冷遇するだとか……どちらも思っていそうだ。
「使用人に関しては勝手にしてくれ。しかし、理不尽な命令を下すのは許さない」
「それは、もちろんでございます」
「金で買収するのも駄目だ」
「…………あは、」
カイルのやつ、告げ口しやがったか。
私はヘラヘラと笑って誤魔化し、その場を後にした。
正直、買収しようとしていた。貧乏な使用人や訳ありな使用人を炙り出して、お金で釣ろうと思っていた。
それが無理なら、地道に関わっていくしかない。
◇
「カイル、困ったことはない?」
「み、ミア様!俺は何をされてもここを通しませんよ……」
手を広げて私を威嚇するカイルは、警戒心の強い番犬のようだ。
「違う違う……働く上で不自由がないのか聞きたいの。一応、女主人としているわけだから」
「ああ、なるほど、特に不満は……」
貧乏伯爵家だからか、使用人は多くない。それでもちゃんと給金は払われているようで、待遇に不満を唱える者はあまりいなかった。
「あら、カイル。袖がほつれているわ」
「あ……す、すみません。治すのが苦手でして」
「自分でほつれを治しているの?」
「勿論です。長く着るための秘訣です」
なるほど、良い心がけだ。
「ありがとう!」とカイルに声をかけて、それからすぐに行商を呼んだ。
「使用人全員分の服を一式!」
私は使用人全員の服を一新させた。
注意深く服を見ていると、皆大事に着ているようだったが、かなり汚れが目立っていた。
綺麗な服を着れば、モチベーションも上がる。それに、少ない休みを洋服の仕立て直しに取られることもない。
「ミア様……ありがとうございます!」
それからというもの、ふわふわのエプロンドレスを着たメイド達が私を見つける度にお礼を言って頭を下げてくれるようになった。
「ふふ、良いのよ」
結構、眼福。かなり古臭いデザインだったので、私の好みに変えてやった。
そんな洗練された身なりの使用人は、屋敷の格を上げるのに一役買った。
「屋敷に招いた者達から見下されることが少し減った。皆も今まで以上に仕事に精を出してくれている。……ありがとう」
珍しくリカルド様に呼ばれたかと思えば、素直に感謝を伝えられた。
「それはそれは、良かったです!……ではご褒美をお願いしても?」
「俺に出来ることなら」
なんと!遂にこの時がきたのだ……!私は満を辞して言った。
「では、ウェンディ様にお会いしたいです!」
「それは駄目だ」
「なっ……」
「駄目だ」
「お願いします!」
「無理」
さっきまで私のことを見直した目で見ていたくせに、空気は一転。睨み合いになった。
「では、私とお茶をしてください」
「……いいのか?そんなことで」
「あ、いえ、やっぱりそれじゃ満足できません。ウェンディ様に会わせてください」
「分かった。君は俺とのお茶を望むのだな。受けてたとう」
この会話って成立しているのだろうか。
とにかくウェンディ様にお会いするのは、まだ無理だと言うことは分かる。
私はリカルド様とお茶を飲む約束を取り付け、その日を待った。
なぜリカルド様をお誘いしたか。それはウェンディ様のことを聞き出すためだ!
好きな宝石、好きな食べ物、好きな音楽……いつかお会いした時に、何か少しでもウェンディ様を喜ばせたい。
リカルド様と食事を取ったことはない。リカルド様は毎日別邸でウェンディ様と食事を取る。正直羨ましさに狂いそうだが、仕方ない。とにかく今は、リカルド様とのお茶会で普段のウェンディ様の話を聞き出すだけに留めておいてやろう。
◇
白い砂利が敷き詰められた庭園には、やわらかな午後の光が満ちていた。
白いクロスを掛けた円卓に、銀のティーポットと磁器のカップ。小さな皿に並べられたスコーンや果実のタルトが風に乗って甘い香りを運ぶ。
まあまあの景色、まあまあの紅茶、まあまあのお菓子……。
リカルド様がウェンディ様とお茶を飲む時も、これなのだろうか。今日は私が相手だからと手を抜いていて欲しい。ウェンディ様はもっと素晴らしい景色の中で、香り高いお茶と高級菓子を楽しむべきだ。
「伯爵邸でのお茶はいつもこれですか?」
「そうだが、気に入らなかったか?」
「別に気に入らないわけではありませんが……」
紅茶の入ったカップを口に付ける。うん、やっぱり薄い。
「次は私が用意します。ウェンディ様の好みを教えてください」
「なぜウェンディの好みを?」
「勿論、良い物を味わって欲しいからです」
「……毒を盛るつもりだとか」
「まあ、なんて失礼な!」
私がウェンディ様に毒を盛るなど!あり得ない発言に激昂しそうになったが、仕方ないかとすぐに冷静になった。
きっとリカルド様も、ウェンディ様を守るために必死なのだ。それを考えると、私を警戒するのも頷ける。なんなら、良い男じゃない……とも思う。
「では、リカルド様の好みを教えてください」
「お、俺?……俺は……苺が、好きだ」
恥ずかしそうに目を逸らして言うリカルド様を見て、きゅん、と胸が鳴った。綺麗で、可愛い。流石、ウェンディ様の血縁。エンジェルの親戚はまたエンジェルだ。
「ふふ、では次の約束をしてくださいませんか。きっと良い苺のお菓子をご用意しますから」
リカルド様は、「んん……」と返事をして気まずそうにお茶を飲んだ。
◇
私は最高級の苺のお菓子と紅茶を用意した。
そして、お金をかけて庭園を整備した。
「……美味しい」
お菓子を口に運んだリカルド様が、少しだけ表情を綻ばせる。
真白なクロスの上には、惜しげもなく苺が使われた菓子が並んでいる。苺を山のように載せたタルト、たくさんの果肉が詰まったショートケーキ、フルーツを閉じ込めたルビーのようなゼリー。
ポットから注がれる紅茶は深い琥珀色で、湯気とともに豊かな香りを解き放つ。
それは風が運ぶ花の香りと混ざり合って、特別な空間を演出していた。
良いでしょう、良いでしょう。
私がウェンディ様に直接用意できないのであれば、リカルド様に良さを伝えてご自分で用意してもらう他ない。
ああ、別邸から楽しんでくださっているだろうか。私がウェンディ様の部屋(と思われる場所)から一番美しく見えるように用意したこの庭園を。
咲き乱れる花はまるで天国の花畑。フラワーアーチをくぐった先には、白のガゼボと虹を作る噴水……。
「ミア、ありがとう。お茶の時間がこんなに良い物だとは思わなかった」
ウェンディ様のことを考えていたのに、突然声をかけられ、意識を戻す。控えめに微笑むリカルド様から目が離せなくなった。
なるほど、綺麗だ。良い香りと、華やかな庭園と、美しいリカルド様。
「喜んでいただけて、何よりです」
何よりですので、私からお茶会の全てを学んで代わりにウェンディ様を喜ばせてください。
◇
その日、私の元にある贈り物が届いた。
届いたと言うか部屋の前に置かれていた。
それは美しい箱だった。何も警戒せずに開けた。
「ひぇ!な、なにこれ!」
わあっと声を上げて、床に叩き落とす。偶然通りかかったカイルが慌ててこちらに駆け寄った。
「どうされましたか!?」
「こ、これ、これ……」
「そんな!まさか!お、おぇ!」
中に入っていたのは大量の虫。うじゃうじゃと蠢く、幼虫から成虫までの様々な虫だった。
「カイル!どうにかして!」
あまりの気持ち悪さに手を震わせながらカイルの肩を掴むと、その体がぐらりと揺れた。
「カイル?カイル!ねえちょっと!」
ああ、なんと情けない使用人!カイルは恐怖のあまりか、気を失ったようでぐったりと私にもたれかかる。
どうしたものか。気を失ったカイルを運ぶことなどできない。しかし、今すぐにでもここを離れなければ、箱から虫達が溢れ出してきている。
カイルを見捨てるか……いや、そうすればカイルは虫達の餌食に……。
「うう、重い!きゃ、」
とにかくカイルを引っ張るも、あまりの重さに躓いた。
べたん、と地面に倒れ、カイルが上からのしかかる。
足元を見れば、今まさにカイルの足に虫達が引っ付こうとしていた。
「だ、誰かあ!」
情けなく声を上げた時、人影が素早く現れて、「わ、」と声を発した時にはガン!とカイルが壁にぶつけられていた。
「カイル!?」
突然のことに驚き、慌ててぐったりと壁にもたれかかるカイルに駆け寄る。
可哀想に、痛かっただろう……いや気を失っているから痛さは感じないのだろうか。
「ミア!俺が助けに来たのに、カイルを心配するのか!?」
「え!?あ、リカルド様!?」
仁王立ちで私たちに影を落とす男は、リカルド様だった。
リカルド様は怒りに顔を歪めて、カイルの胸ぐらを掴む。
「カイル、お前……ミアに……!」
これは……なにか勘違いをしているようだ。つくづく可哀想なカイルを助ける為に、私は声を張り上げ——ようとしたが、近くまで虫が来ていて「いやぁ!」と叫んだ。
「ミア!?」
「リ、リリ、リカルド様、そこ、そこ!ああ!だめ!そんな!」
指を刺す方向を見たリカルド様は「うわっ、」と声を上げる。本当にびっくりするほど長くて足がいっぱい付いている虫が、リカルド様を襲おうとしていた。
リカルド様はカイルを手から離し、それから私を抱き上げた。
「リカルド様……!?」
「気持ち悪、一旦逃げよう」
「ああ、カイルが!カイルがーーーー!!」
そうしてカイルは、虫達の餌食になった——。
リカルド様は私を抱きかかえたまま走って庭師の男を呼び、虫の処理を命じた。
そして、カイルにまとわり付いていた虫もしっかり払われた。幸か不幸か、その間に目を覚ますことはなかったので真実は知らぬままである。
「あの、そろそろおろしてもらっても?」
「……そうだな」
リカルド様は私を部屋まで運び、ふわりと地面に降ろした。
ふう、とため息をつく。凄い物を贈られた。誰だこんなことをしたのは。
「ミア……その、俺と離縁したいか?」
「え?いえ、離縁はしたくありませんが……」
リカルド様が放った言葉は何の脈略もない。ここで聞くべきはあの虫は何だ?だろう。
なぜ離縁?離縁されると困る。私はまだ何も成し遂げていないのだから。
「……そうか」
リカルド様の様子を伺うと、ひどく安心したような顔をしていた。
「リカルド様……?」
「なんでもない。良かった、ありがとう」
「ええ……」
全く意味がわからないが、リカルド様はとても素直な方だと思う、なぜなら。
「リカルド様は、よく”ありがとう”と仰いますね。今日は意味がわかりませんが、素晴らしい事で、尊敬します」
きっと沢山人に感謝を伝える素直さは、ウェンディ様の受け売りに違いない。素敵なお方といれば、その人もまた素敵になるのだ。ああ、本当に尊敬と敬畏の念が止まらない。
「ミア、俺は絶対に君を守る」
「……ありがとうございます?」
リカルド様のやけに真剣な目に、胸がドクン、と音を立てた。
◇
これはきっと神の試練だ。そうに違いない。
ウェンディ様に近づくに値する女か、その器を試されている。
じゃないと考えられない!
ある日は突然頭上から矢が降った。
しっかり鋭い矢で、刺されば重傷は免れない。
しかしどこからか現れたリカルド様が、それを薙ぎ払った。
またある日は食事に毒が盛られた。
しかしウェンディ様と食事をとっていたはずのリカルド様が突然やってきて皿ごと捨てた。
服がズタズタに切り裂かれていたこともあった。
しかしそれに気付いた瞬間、後ろにメイドが立っていて「リカルド様から預かりました」と新しい服を与えられた。
「あの、リカルド様?ウェンディ様の元へ行くかなくてはならないのでは?」
「なぜウェンディの話をする?」
最近のリカルド様は、仕事以外ずっと私の側にいる。
三回の食事まで一緒にとるようになった。
別に不快ではない。スキンシップはたまにエスコートで手を握られるくらいで、妙な下心は感じなかった。
無愛想ではあるが、高圧的ではない。普通に話が弾むし、結構親切で良い人なのだろうなと思う。
しかし、問題はそこではない。ウェンディ様だ。
まさか喧嘩でもしたのだろうか。ウェンディ様の話題を出せばあからさまに顔を顰めるので、あまり踏み込めなかった。
「私も今日は出かけなければなりませんし、そろそろ……」
「な、誰と……まさか、カイルじゃ」
「メイドの子です。最近仲が良くなったのでお忍びで出掛けてきます」
「……嫌だと言ったら?」
「行きます」
でもー、とか、んー……とか言うリカルド様を放って部屋に戻る。仮に喧嘩をしたならば、私に甘えていないでウェンディ様に土下座して謝ってほしい。
一人で冷静になる時間をつくれば、きっとリカルド様は自分が悪いと気付くだろう(なぜならエンジェルであるウェンディ様が悪いことなど決してないのだから)。
◇
「イディル!おまたせ!」
「ミア様!私も先ほど用意を終えたところです」
人懐っこい表情を浮かべる長い黒髪のイディルは、可憐な笑顔を私に向けた。
可愛い、綺麗な顔だ。
庭園がとても素敵だとわざわざ言いに来てくれて、それから仲が良くなった。
だから今日はお花屋さんへ行く。
可愛いイディルの為に、私の財布が火を吹く日だ。
「このお花なんてどうですか?」
「素敵!買うわ!植えましょう」
「これは?」
「買うわ!植えましょう」
花の株をどんどん購入していく。
イディルが提案してくれるものは、全て良く見えるから不思議だ。
ホクホクとした気持ちで店内を見渡すと、小さな苗に咲く白い花が見えた。
「これ、控えめで可愛い」
私がぼそりと呟くと、店主のお婆さんがやってきた。
「ああ、これ、花というより、苺の苗だよ」
「まあ、苺ですか?」
「そう、この花の部分から実がなるんだ」
苺……リカルド様の好きな苺。これを沢山植えて、苺が食べ放題になれば、リカルド様は喜ぶだろうか。
「ある分頂こうかしら……」
迷ってイディルの方を見れば、ニコリと微笑んでいる。
「ミア様は苺がお好きで?」
「いいえ、リカルド様が喜ぶかなと思って」
「……まあ、ふふ」
結局、イディルの勧めもあって沢山の種を購入することになった。
野菜を育てられる庭師の人員の確保……それに他にも沢山買ったので、屋敷に届く頃には十分に人を増やした方がいいだろう。
「ミア様、烏滸がましいお願いかもしれませんが……一緒に食事をしませんか?」
花屋を出てイディルがそういうので、もちろん了承した。
確かに使用人と食事を共にすることなどあまりないが、何も気にしない。
むしろ嬉しかった。良いもの食べさせてあげなきゃ。
「では、私は馬車を呼んで参りますのでお待ちください」
一緒に行くのに、と言ったがイディルは頑なに「ミア様は休んでいてください!」と言うので、じっと待った。
待った。
ぐう、とお腹が鳴る。
あれ?
おかしいと気付いたのは、三十分ほど経った頃。
イディルが帰ってこない。
近くのベンチに腰掛け更に十五分。帰ってこない。
流石に焦った私は、近くの馬車の停留所まで歩く。
何かトラブルに巻き込まれたのだろうか。やっぱり一緒に行けば良かった。
はあ、はあ、と息を切らしながら歩くも、イディルの姿が見当たらない。
イディルは綺麗な若い女の子だもの……まさか誘拐!?
私は急いで奉行所へ向かおうと、停まっていた馬車に乗り込んだ。
「あ、あの!奉行所まで!できるだけ急いでください!」
「奉行所ね、分かりました」
深々と帽子を被った御者が馬を叩き、馬車は猛スピードで駆け抜ける。
ドクドクと心臓が不穏な音を立てた。
「イディル、どうか無事でいて……」
じっとしていられなくなって、窓の外を見る。
景色がどんどん移り変わっていく。
「あれ、?奉行所って、こんな所に……?」
貴族としてぬくぬく育った私でも、こんな所に奉行所などあるだろうか、と思うほど、その馬車が通る道は木々に囲まれていた。
サアと血の気が引く。
まさかこれって……。私の予想を裏切らず、馬車が止められたのはワケがわからないほど森の中。
あまりにも自然がいっぱいすぎる。
馬車に乗り込んで長い時間が経っているわけじゃないので深い森ではなさそうだが、人っこ一人いない静まり返った森だった。
体がガタガタと震える。これは、不味いことになった。
「さあ着きましたよ」
「ひっ、私は奉行所と頼んだのですが!?」
「あれ?そうでしたっけね……まあ良いや、さ、降りてください」
「い、嫌!元の場所へ返して!お金はいくらでも払いますから!!!」
抵抗も虚しく扉を開けられ乱暴に腕を掴まれ——ることはなく、どちらかというと優しくエスコートするように手を引かれた。
「……はっ、?」
驚いて顔を上げ、御者をまじまじと見ると、見知った顔があった。
「カイル……!?カイルなの!?」
「はい、カイルです」
カイルはヘラヘラと笑って帽子をとる。癖のある茶髪がふわりと現れ、とてつもない安堵感に包まれる。
「な、どうして?それよりイディルが、」
「全て知ってます。怖がらせてしまってすみません……。でもリカルド様の指示なのです」
「リカルド様……?」
カイルかキョロキョロと辺りを見渡す。
すると、ザッと土を踏む足音が聞こえ、美しい金髪の男性、リカルド様が現れた。
「リカルド様!」
カイルを見た時よりも絶大なる安堵感に、私は思わず抱きついた。
だって仕方ない。本当に怖かったんだもの!足はまだ震えているし、心臓の音はうるさい。
「ミ、ミア……、俺は君を叱ろうと……」
リカルド様はそう言って私を押し除けようとしたが、それも一瞬で、少し躊躇った後にぎゅっと抱きしめ返された。
ああ、なんだか良い香り。背の高いリカルド様の表情を見ようと、ちらと目を上に向ければ、真っ赤に染まった顔が見えた。
これは怒り……いや、照れな気がする。
突然こちらも恥ずかしくなって、「すみません」と言って体を離した。
リカルド様はなんだか名残惜しそうな顔をして、私の手を掴む。
「ミア、分かったか?俺が嫌と言えば、ミアは行くな」
「……まさか、それを分からせる為にこんな事を?」
「違う。……いや、それも少しはある、すまない」
「どういう事ですか」
リカルド様が言うにはこうだ。
まず、イディルという使用人はいない事。
その女は私を陥れる為に遊びに誘い、馬車を呼んでくると言って場を離れ、用意していた男数人に私を誘拐させようとしていた事。
最初から見ていたカイルとリカルド様がそれらを捕まえ、せっかくだから警戒心のない私がどれだけ一人で待つのか見てみようとなった事。
ようやく歩き始めたので馬車の停留所に先回りし、私を乗せて、怖がらせる為に森へ連れて行った事……。
「なんて酷いの!とても怖かったんだから……」
冗談でもして良いことと悪いことがあるはずだ。いろんな感情が混ざり合って涙がぽろりと落ちた。
しかし「ごめん、本当に、申し訳ない。泣くなミア、ごめん」と錯乱したように慌てるリカルド様を見て、すぐに涙が引っ込んだ。
「ミアに気をつけて欲しかった。
まず、出掛けるなら素性を明らかにするべきだ。そうすれば、イディルなど居ないとすぐに分かったはずだ。
それに、近頃ミアを狙う様々な事件があったのに、護衛もつけず出掛けるのは不用心だと思わないか?
こんな帽子を深々と被った怪しい男の馬車に乗るのも絶対に駄目だ」
……たしかに。
カイルが視界に映り顔を向けると、また帽子を深く被ってヘラヘラとピースをむけてきた。
何も言えなくなって、口を尖らせて黙り込む。
「とにかく分かったなら、帰るぞ」
「はい……」
大人しく馬車に乗り込めば、疑問点が沢山浮かぶ。
「あの、イディルは誰なんですか?なぜ屋敷にいたのですか?どうして私は狙われているのですか?」
リカルド様の目をじっと見ていうと、「ああ、それは……」と少し眉を顰めて気まずそうに言った。
「ウェンディだ。今までの殺人未遂も全部あいつの仕業」
「……は?」
いや、そんなはずないだろう。ははは。何を言っているのだろうか。
リカルド様は喧嘩してたっぽいし、罪をなすりつけたいのかな?それくらいウェンディ様に怒ってるとか?
「あは……面白いご冗談を」
苦し紛れに声を発してみるが、リカルド様は至って真面目な顔をしていた。
「え……嘘でしょう?」
「本当だ。でも大丈夫。もう捕まったから」
「捕まっ……た?」
脳の容量を超えて放心状態の私に構わず、リカルド様がこちらを向いて、私の手を握った。
「ミア、君は俺のことをどう思ってる?」
「え……良い人、ですかね」
「……離縁したいか?」
「…………」
私は、離縁したいのだろうか。もしリカルド様が言っていることが本当ならばマイ・エンジェルは今牢獄へ向かっているのだろうか。じゃあ、リカルド様に縋ってもウェンディ様とお近付きになることはできないわけだ。
答えきれずに、リカルド様の目を見る。キラキラの蜂蜜のような金の瞳が熱くこちらを見つめていて、心臓がドキ、と跳ねた。
「あ、私……」
「駄目だ」
「え?」
「離縁は無理だ。許さない」
「いや私まだ何もいってな——」
突然、清潔感のある良い香りが鼻を掠めたかと思えば、私の口は塞がれていた。リカルド様の唇によって。
ちゅ、と控えめな音を立てて、柔らかい感触が離れていく。
「え、ええ……?」
沸騰したように顔が熱い。何?なんで今、キスされたの?
混乱してリカルド様を見れば、私以上に顔を赤くしていた。
「君を愛することが出来なかったけど、やっと出来るようになった。……今日の夜、君の寝室へ行くから」
◇
リカルド様は本当に寝室に来たが、私を襲うことはしなかった。
「勢いでああ言ったが、君の気持ちが俺に向いてからが良い」と、恥ずかしそうに言った。
「では、部屋を出ますか?」と聞いたが、「それは嫌だ」と一緒にベッドに潜り込んできた。
平然など保てるわけがない。私の心臓はこれ以上ないほどに大きな音を立てていた。
よく考えれば私たちは結婚していて、夫婦だ。むしろ今の余所余所しい関係こそおかしいのだ。しかしウェンディ様という動機がなくなった今、しっかりとリカルド様と向き合うことになって、かなり、動揺していた。
だって、私のこの胸の高鳴りは、まるで——。
「ミア」
「は、はい!」
「愛してる」
「ええ……?」
甘い、甘い、甘い。
お茶会のケーキよりも、花の香りよりも、甘い。
リカルド様はポツポツとウェンディ様のお話をして、それから何度も私にキスを落として、ゆっくりと目を閉じた。
リカルド様の美しい寝顔を見る。
聞いた話を整理していた。
ウェンディ様は生まれつき髪の色は黒いらしい。
リカルド様が教えてくれた話は、私の想像していたマイ・エンジェルとかけ離れていた。
じゃあ、あの時私を導いた天使は、誰?
——……
ウェンディが病を患っていたのは本当だ。
幼い頃は本当に体が弱く、出掛けられなかった。
それなりに仲が良かったし、退屈そうなウェンディをどうにか楽しませようと、妹のように可愛がっていた。
しかし、今ウェンディを襲う病はどちらかというと精神的なものだ。
世間知らずに育ったウェンディは、酷く傲慢で、よく癇癪を起こし、トラブルが絶えなかった。
ウェンディは、捨てられるようにこの伯爵邸へ預けられ、そこでターゲットとなったのが俺だった。
狂うほどの執着。離れれば死ぬと言い、俺に近付く女性——と言っても少し話をした程度——を排除しようと危害を与え始めた。閉じ込めているのにその策は巧妙だった。
それが度重なる婚約破棄に繋がった。
両親は懲りずに婚約者候補を連れてきたが、俺はもう諦めていた。出来るだけ悪い噂を流した。事情を話して婚約を解消してもらった。
わざわざ罪のない女性を傷つけるリスクを負ってまで結婚などしたくない。もう、どうでもいい。
しかし突然結婚が決まった。
意見する間もない、なんとも強引な結婚だった。
ミアはとても美しい女性だった。
でも、愛することは出来ない。それはすなわちウェンディにミアを狙われることになるからだ。出来るだけ早く離縁しなければならない。
ウェンディにミアの正体を隠しながら過ごすうちに、彼女の怪しい言動が、逆に面白く、いじらしく思った。
楽しい、可愛い……ああ、離縁したくない。
貴族はとにかく自分の家系から犯罪者が出る事を嫌がる。だから今まで別邸の中に閉じ込めていたが、ミアと将来を過ごしたいと思ってからは、なりふり構っていられなかった。
そして全てが終わり、ようやく思う存分愛することが出来た。
ミアと一緒に寝るようになって、一ヶ月が経った。
疲れて寝てしまった可愛いミアに毛布をかければ、むにゃむにゃと口を動かす。
「まいえんじぇる……」
まいえんじぇる……?そう言えば、俺の小さな頃の肖像画を見たときに、そんな言葉を発していた。
女の子のような見た目だから恥ずかしかったのだが、その日からミアはかなり甘えてくれるようになった。
まあいいか。
意味のわからない寝言を言うところもまた、愛おしい。
ミアの髪を撫でて、小さく呟いた。
「俺を見つけてくれて、ありがとう」
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