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急転直下



「ごめんね、涼。苦労ばっかり掛けてしまって。」


 母さんは、難病指定外の病気に掛かってからずっと寝たきりだ。1番苦しくて悲しいのは母さんの筈なのに、見舞いに行く度に謝っている。



「いいよ、別に。母さんが元気になった姿を見るのが、俺の夢だから!」


 もちろん、これは本心だ。一緒に勉強をしてくれた、失敗した料理を美味しいって言って食べてくれた、成長痛で苦しんでいる俺にずっとマッサージをしてくれた。

 その優しさは、ずっと覚えているんだから。


 俺と父さんが必死に働いているのは、母さんの為だ。


「でも涼は、野球をやってみたいって言ってたでしょう?もう、良いのよ、私は。助かる見込みが無い事は分かってるから、最期に涼が楽しく野球をやっている姿が見たいなぁ……」

「――助からないなんて言うなよ!!!母さんは生きられるんだ。だって実際、10%は生きられるんだから!!」


 反射的に病人に対して怒鳴ってしまった。悪い事だ。

 ……でも、母さんが死んでしまうって言うなんて、母さんでも許せない。

 母さんの今の状態で、湯水の様にお金を使えないとなると、生存確率が1%を切るのは分かってる。

 それでも、母さんなら絶対に生きてくれって信じてる。



「ごめんね、涼……母さん、遂に余命宣告を受けたの。残りは1年くらいですって。」

「ぇっ。」

「治療費の為に、借金までさせてごめん、ごめんね……」


 普段は快活な美人である母さんが顔を崩して泣く姿を見て、本当の事なんだと理解してしまった。


 そうか。

 母さんはもう、1年しか生きられないんだ。



「だからこれ以上の高額医療は要らないし、もし出来たら最後は自宅で看取って欲しいの。」

「……」


 いやだ、母さんには生きて笑っていて欲しい。

 でも、もしかしたらこれが、母さんの最後の願いになるかもしれない。

 叶えてあげない方が、親不孝者なのかも……


「涼は昔から優しくて……母さんが病気になる前から、貧乏な私達のせいで野球を始められなかったのよね。」

「違う。」


 母さんと父さんに苦労を掛けてまで、野球がしたかった訳じゃない。何となくやりたかった気がしただけなんだ。



「涼に野球の才能がある事は分かっていたのに、私達は私達の都合ばっかり。」

「違う。」


 俺は野球の才能なんかより、家族3人で幸せになりたかったんだ。



「父さんはね、昔甲子園にピッチャーとして出た事があるのよ。カッッコよかったなぁ!またあの試合を、もう1回見れたらなぁ。そうじゃなくても、野球をしてる涼が――」

「――俺さ、甲子園決勝でエースとして試合に勝つよ。」

「えっ??それはちょっと難し過ぎるかも。」







 23時、キィキィと音を立てながらドアを開けて、俺達が住んでいるボロアパートに父さんが帰ってきた。

 流していた音楽番組をニュースに変えて、俺は直ぐに玄関に向かった。ここ何日か帰って来なかった父さんに、早く会いたかったから。


 父さんの顔は見るからに青ざめていて、今にも倒れそうだ。きっと、母さんの余命宣告の話を聞いたに違いない。

 多分、俺も父さんと似たような雰囲気だと思う。



「……おかえり、父さん。今日は煮物。」

「あ、ああ……」


 小さな丸いテーブルを取り囲み、不自然に空いた隙間を気にする事無く、俺達は俺の作った夜食を食べ始めた。

 せっかく俺達じゃ中々買えない鶏肉を使った煮物なのに、全く味がしなかった。



「……母さんの事、聞いたか。」

「うん。よ、余命宣告されてしまったんだよね。」


 俺は人生で1番大粒の涙を流しつつ、医者の判断に納得がいってしまっていた。

 母さんは食欲が殆ど無くて、点滴を打っていても病的に痩せてて、毛も全て抜け落ちて、起きている時間より寝ている時間の方が多かったんだ。

 考えたくないけど、見るからにマズイ状況って言う事を、本当の俺は分かっていたのかもしれない。



「ああ。そう、だな。それでだ、俺が高校時代に通っていた駒大藤巻高校のセレクションを――」

「受ける、絶対合格する!」


 これがきっと、母さんにしてやれる最後の親孝行だ。

 野球ほぼ未経験の俺が、受かる可能性なんて1%も無いのかもしれない。


 でも――絶対に受からなきゃ行けないんだ。

 母さんの最期の願いは、命に代えても叶えて見せる。








 明日は待ちに待ったセレクションの日。

 母さんの余命宣告がされてしまった後、俺はバッサリ新聞配達を辞めてピッチングの練習をし始めた。


 元高校球児の父さんから聞いたとはいえ、今まで野球をやってきた人達からすれば付け焼き刃も良い所だ。

 でも父さんは「130km程度が出てるから、合格の可能性が高い」って言ってる。

 でもそれ以外はダメダメだけど……いや、絶対に受かる。それしか俺に出来る事は無いんだ!



「あ、父さんおはよう。」

「今日も早いな、涼。」

「新聞配達の代わりにピッチングの練習をしてるから。」


 今日のご飯は、茹でた大豆と米と味噌汁。

 栄養価はそこまで問題ないけど、ちょっと味気ないな。

 でも、たかが食事を楽しむ事の為に、母さんの治療費を削る訳には行かないから仕方ない。


 リモコンでテレビを付けた。朝早すぎるからか、今日のニュースは若い子の身長についてらしい。割とどうでも良いなぁ。



「18才〜28才の女性の平均身長は158.1cmで、昨年よりも0.1cm高くなっています。

 男性の平均身長は144.6cmと、昨年よりも0.1cm低くなっています。」

『えっ??』


 すると当然、意味の分からないニュースが流れた。

 これが最近流行りのフェイクニュースって奴なのか?

 それとも、やっぱり俺と父さんが聞き間違えたのかな。



「父さん、これって何だと思う?」

「すまない、全く分からない。それよりも、そろそろ母さんのお見舞いに行かないとな。」

「あ、そうだよね!」


 母さんへのお見舞いは、車で2時間半、電車で4時間半が掛かるから、早く出ないと面会時間が少なくなっちゃう。

 変なニュースなんて忘れて、速く母さんの見舞いに行かないと!!






 病院に着くと、いつもとなんか雰囲気が違った。

 なんというか、妙に俺たちが熱っぽい視線で見られている気がするんだ。病院でモテ期になったのか?


 ……本当に意味が分からねぇ。病人を心配して来てるんじゃ無いのかよ、何がしたいんだ。

 いや、流石に気の所為だよな。



「ええ、いつも通り智美さんの面会ですよね。それにしても、こんなに尽くしてくれる殿方と息子さんがいるなんて、智美さんは幸せ者ですねぇ……」

「俺と父さんが幸せ者なんです。母さんはいっつも優しくて、自慢の人ですよ。」


 このババア、余命宣告が出てる母さんの前で言うことが「羨ましい」って可笑しいだろ!

 バカにしてんのかって思うけど、このババアは本気の顔で言ってやがる。


 ま、もうコイツは良いや。

 早く母さんと話して、退院の日とかを決めないとだし。







「ねぇ涼、父さん――世界が変わったかもしれない事に、気付いてる?」

『世界が変わった??』


 突然母さんが、意味の分からない事を言いだした。

 もしかして、死が迫ってきている恐怖で心を壊してしまったんじゃ……!そんな、まだまだ母さんと話したい事が沢山あるのに!!



「ニュース付けるから、見て。」

「札幌市に住む女性がわいせつな行為をしたとして起訴されました。犯人の軽川京泊(31才)は『人生で1回で良いから触ってみたかった』と容疑を認めています。」

『ええぇ?!』


 朝のニュースみたいに、また意味不明な事がローカルニュースで言われていた。

 あれ、幻聴じゃ無かったんだ。というか、そしたらここは一体どこなんだ……??



「スマホで軽く調べたんだけどね。男女比は現在1:17になっていて、色々と法律が変わっているみたいなの。

 基本的に、男女の立ち位置が逆になった上で過保護になった感じみたいね。」

「はぁ……」

「何で……??」


 突然の意味不明な事態に、俺と父さんは思考が完全に停止していた。いやいや、マジで意味分かんないし。ダーウィンの法則が成り立たねぇじゃん。



「だから取り敢えず――2人共、男性用のブラ付けて。」

『ゲッ!』

「私の事は後で良い!!はしたない行動の検索と、明日のセレクションの事だけ先ずはやって!!!」

『ハイッ!!』

「明日は頑張ってね、ここで応援してるから。でも、受からなくても野球は出来るからね――ハイ、解散!!」

「ハイッ!!」


 病弱な母さんの大声にビックリした俺たちは、気付けば病院から出て行っていた。


 母さんとあんまり話せなかったのは悲しいけど、確かに今はやる事がめっちゃくちゃ多い。

 母さんの最期の夢を叶える為、セレクション合格の為に向けて頑張らないと!







 当日土曜日の朝、近くにある駒大藤巻高校に来た俺は、野球部の女の子の先輩たちに絡まれていた。

 伝統の白のユニフォームは、落としきれない土の汚れが付いている。これがカッコいいんだよなぁ!全力でやった名誉の汚れっていうか、真っ白にドロが映えるんだよ!


 あ、あのオレンジ髪の先輩、笑顔が可愛いな。

 昔の母さんみたいに、本当に楽しそうな顔をしてる。



「君、もしかしてマネージャー志望?もし来てくれたら、私達の士気が爆上がりだよ〜!」

「わぁ!スッゴイ筋肉だね!運動とかしてたの?」

「え、めっちゃカッコいい。」

「いえ、俺はピッチャー志望です。」

『えっ???』


 俺がそう言った瞬間、周りの空気が凍った。

 そうだよな、ここは女性の方が強い世界っぽいし、男性が野球をやるのは珍しいんだろう。


 でも、男性専用スポーツはあっても女性専用スポーツは無いみたいだから、甲子園にだってルール上は出られる。

 実力で合格を勝ち取って、母さんが死ぬ1年以内に優勝旗を掴み取るしか無いんだ。


 今は中学3年生の夏だから、優勝するには1年生の夏しか無い。

 厳しい事なんて分かってる。それでも俺は、母さんと父さんの為にやってみせたい。



「え゙、それは流石に……確かに身長は凄く高いけど……」

「辞めときなよ、練習キツいし。そもそもセレクションの動きに耐えられるとは思えない!」

「どうしよ?!ヤバいって、監督に直訴しに行く?!!」


 マズイ、先輩達に善意で入学を拒否されちゃいそうだ。

 何か何とか出来る方法、キレる、逃げる、泣き落とし……それだぁ!男が泣くなんて恥ずかしいけどやるしか無い!!



「俺……っ!母さんが難病指定外の病気に掛かっちゃって、父さんは病気を治す為に働き詰めて、俺も新聞配達とか頑張って……でも余命宣告をされてしまって、生きる意味が、もう……

 でも、母さんも父さんも、俺が甲子園で優勝するのが見たいって行ったんです!母さんの最期の頼みなんです!

 お願いします、俺に1回だけチャンスをください、お願いします!」

『…………うわ〜ん!』


 本気で力説したら、目の前にいた先輩達が泣き出した。

 聞きたくもないであろう事を話してしまった罪悪感も、まさか女性を複数人泣かせてしまった罪悪感もある。



「すみません。そろそろ俺、セレクションに行かなきゃ行けないんで……」


 だけど俺は、セレクションに参加させて貰えそうな雰囲気になった事に安堵してしまっていた。

 やっぱ嫌な奴だなぁ、俺って。







「これから、駒大藤巻高校野球部のセレクションを始める!先ずはピッチャー、北瀬涼からだ!!」

『ハイッ!!』


 さっき話した事は一瞬で皆に広まったみたいで、明らかに同情されている様な空気感だった。


 仕方ない、この世界だと男性が珍しいんだ。

 マジで同情するなら金をくれって状況だけど、実際にそんな事を言う訳には行かないからな。


 別に、同情して欲しくて言ったんじゃないんだけど。

 ……ちげぇな、テストを受ける為に同情を誘ってたし。



「野球は男女平等!悪いが贔屓はしないぞ。マネージャーとしてなら歓迎するがな。変化球は無いが、ひゃくさ――速球が自慢らしいな。もし105km以上を出せたら合格だ!正確に球速を出せるスピードガンで測るから、反論は受け付けない!」

「ハイッッ!!」


 えっ?たったの105kmで良いのか??

 そんなの俺、小学生の頃だって投げられたと思うけど。


 あっ、そっかあ。野球が女性のスポーツになってるから、平均球速が低くなってるんだ。これ、入学確定だよな!


 もしかしたら、捕手の人が溢しちゃうかも。注意しとこうかなぁ?……いや、異性に弱いって指摘される方がマズイかも。

 辞めとこ、普通に捕れるかもしれないし。



――バシッッ!!


『?!?!』


 俺の投げた球が、空間を切り裂いたかの様に感じた。

 そう思ってしまう程に、周りの雰囲気が全くの別物になったのだ。

 生暖かい目で見守っていますと言った空気だった人達が、慌てて監督の指示に従おうと姿勢を正してる。


「ひゃ……132kmです。」

『なにいいぃ??!』

「うっそでしょ?!日本最速じゃない!!」

「規格外。」

「ここはメジャーじゃ無いよね……??」


 ざわめいている周囲を見渡した後、失礼だと分かってはいるが、俺は監督にこう言い放った。



「――これで合格ですよね。」


 男性1人を管理するのは面倒だろうけど、約束は守って貰いますよ。父さんと母さんの為に。



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