1 ヒューバートside
タイトルの数字は、時系列の順になっています。
「………っ!?」
胸が切り裂かれたように痛い。周囲には砂が舞っているようで、全身がざらざらする。
ぼんやりした意識で痛む辺りに手をやると、ぬらりと生暖かいもので袖口が赤く染まった。切り裂かれたように痛い、のではなかった。実際に何かでざっくりとやられているのだ。
まずい、このままでは遠からず失血死する。早く治癒魔法を………
「ぐ………何だ、魔法が、弱い………?」
魔法陣からするすると魔力が抜けるような感覚がある。いつものように魔力を視認しようとするが、上手くいかない。何故だ、何が原因だ。わからない、どうすれば………
いかん、こういう時こそ落ち着かなければ。魔力が奪われるのなら、奪われるより多くの魔力を注ぎ込んでやればいい。魔力量だけは無駄に多いのだから。
ひとまず、血は何とか止まったようだな。少し貧血気味だが、それはしばらく休めば何とかなる。
それにしても、今までは痛みに気を取られていたが………ここはどこだ?見渡す限り砂と岩なんだが。それに、この格好は何だ。俺は研究室の実験場で、いつものローブを着て実験をしていたはずだろう。
………そうだ、俺は事故を起こした。それもそこそこ大きなものを。だが、さすがに周囲一帯を更地にするほどではなかったはずだ。というか、俺の魔力のみでそんなことは不可能だ。ここは王都ではない、と考えるべきだろうな。
もし本当に王都を丸ごと消し飛ばしたりしていたら、俺はさながら物語の邪王じゃないか。処刑というよりは討伐されてしまいそうだ………うむ、これ以上考えるのはやめよう。人間をやめたつもりも、この先やめるつもりもない。
あの時魔力がかなり凝縮されたから、空間が歪んでどこかに転移しまったのだろうか。どうせなら詳しく計測してみたかった。実験場の計測器でなにか測れているといいが。
さて、変換前の魔力で傷を負ってしまった時は、魔法の使用を控えた方が良いと言われているが………ここが安全かどうかだけでも調べなくてはなるまい。魔力火傷はなさそうだ、少しくらいはいけるだろう。
探知魔法を、魔力多めで展開………すぐ後ろに何かいる!?
「グルルルルルルル………」
「………何だ、この魔物は!?」
黒い獣、か?感じたことのない質の魔力だ。
おどろおどろしい姿だが、俺だってそう簡単にやられるつもりはない。これでもそれなりに冒険者としての場数は踏んでいる。
それに、俺は魔導士。意識と魔力さえあれば、たとえ身体が動かなくなろうとも戦いようはあるのだ。己の力で切り抜けるまで。
「こういうのは、先手必勝、だっ!」
魔力盾を自分の前に展開しつつ、数十の風の刃を生成。それらを一気に魔物に叩き込む。恨みはないが、俺は近接では戦えないんだ。そちらが襲ってくるつもりなら、まだ間合いがあるうちに細切れになっていただこう。
「ガアアァァァァァァァッ!!」
む………効いて、いないな。
おかしい、威力が全然出ない。三分の一程はそもそも不発だった。
「ガルルルルッ」
「くっ………!?」
パリンッ
駄目だ、この程度の魔術盾だと一撃で破られる。
向こうは襲ってくる気満々、こちらの攻撃はほぼ無効。
うむ、これは、無理だな。逃げよう。
幸い、普段より少し脆いだけで、魔術盾は無効ではないようだ。初めて見たらしい魔術盾にあいつが戸惑っている隙に、さっさと動きを封じてしまおう。
陣に入る限界まで魔力を込めて認識を阻害、周囲の魔力を取り込む術式をつけ、一番魔力効率の良い、かつそれなりに丈夫な魔術盾であいつを囲めば………
キィン
よし、杖無しでの突貫にしてはなかなかじゃないか?これでこいつは周囲を認識できなくなり、魔力も感知できないはずだ。
ただ、先ほど目を覚ましてから魔法の調子がおかしい。この魔法陣が想定通り作動するかはわからない。今は逃げる時間を稼ぐことさえできれば御の字だ。
………む?魔物の動きが、止まった?そんな術式は組み込んでいないが。今度は地面に伏せた。犬のような挙動をするやつだな。
そういえば、砂漠や岩場に住む生物に、周囲に獲物がいない時は全く動かず、体力を温存する習性を持つものがいると聞いたことがある。こいつもそうなのかもしれん。理由はどうあれ、暴れないのはありがたい。
見たことがない魔物を調べてみたいのは山々だが、少し足元がふらついてきた。イアンやステラがいる時ならともかく、こんな所に一人でぶっ倒れていたら流石に干からびる。一先ず遠目に見える、あの小さい家に避難するとしよう。
何の魔力反応もない、と思うのだが、先ほどから魔力の感知も上手くできない。今は目視で安全を確認するべきだろうな。魔法が思うように使えないというのはかなり不安だが、仕方あるまい。
コンコンコン
「失礼、どなたか、いらっしゃるだろうか。」
返事はない。空き家か?
ギィィ………
おっと、軽く押したら扉が開いてしまった。
人の気配はない。窓枠も扉の鍵も壊れていて廃墟のようにも見えるが、そのわりには砂や埃がたまっていない。妙に生活感もあるから、住人はいるはずだ。留守にしているのだろうか。
であれば、勝手に入るわけにはいかんな。庇だけ借りさせてもらおう。
まずは、さっき止血した胸の傷を確認しなくては。羽織っていたやたらと重い上着はほとんど無事だが、中の服は胸元が大きく裂けている。これはもう破いて手当てに使うとしよう。
魔法で少し水を出し、汚れを洗い流す。一番大きく深い胸の傷は、大きな獣の爪跡に似ている。魔力暴発による傷ではなさそうだな。
さて、眩暈も落ち着いてきたことだ。次は立ち上がって脚の傷を………?
何だか、普段より自分の視点が少し低い気がする。今脱いだ服も、俺には少し小さいような。
改めて自分の格好に目を向けると、見たことがない材質の服に、左腕には謎の器具。そして何より、長年伸ばしっぱなしにしていた髪が肩より短い。さわさわと首に毛先が当たる感覚がして落ち着かん。
爆発で髪が吹っ飛んだのか?ま、まさか………禿げた所はなさそうだな。少し焦ったぞ。
「ん?」
髪と頭皮の無事を確認した自分の手にふと目を向けると、十歳頃にできてからずっとあるはずの、右手中指のペンだこがない。更に幼い頃、魔術制御の練習中、左腕にできた魔力火傷の痕がない。その代わりに、見覚えのない切り傷の跡がいくつか。
「………俺は、俺ではなくなっているのか?」
いや、自分で言っていて意味がわからん。だがこの身体は俺のものではない。何か、今の自分の姿を見るものはないか?
住人に怒られることを承知で、家の中に足を踏み入れる。壁に据え付けてあった、ひび割れた鏡から見つめ返してくる顔は。
「俺、では、あるな。髪質や目の色味は少し違うようだが。
………待てよ、この顔はどこかで見たような………そうだ、確かに見た。」
暴発した直後に見た光景。
魔力の奔流の中にいた、異なる姿の二人の自分。
今鏡に写っている方の俺は、腰のナイフに手をかけて俺ともう一人を睨み付けていた。
「暴発事故で幻でも見たのかと思っていたが………あの二人は、実在するというのか。だが、何故俺がこいつになっている。」
顔立ちは俺なのも不思議だ。………まさか、これが異世界の同一人物というやつか?同じ魂を持つという、異世界の住人。
もし本当にそうだとすると、ここはテルミニシアどころかあの世界ですらないのか。確かにこの家にはよくわからないものがたくさんあるが。
むぅ………判断するには情報がなさ過ぎる。あと、人もいなさ過ぎる。これでは情報収集すらできないではないか。
それに、まずは身体を休めなくては。食料を手に入れるあてもない。この家の住人が友好的とも限らんし………今更だが、結構まずい状況では?
「ふぁ、あ………んん、この状況で欠伸が出るとは。我ながら能天気というか、何というか。」
屋内に入って気が抜けたのか、先程からじわじわと頭と瞼が重くなってきている。
体力は限界に近いし血も足りていない。魔力もそこそこ使ったんだ、仕方のないことかもしれん。
とはいえ、ここで眠っている間に住人が戻ってきて、不審な侵入者として寝首をかかれたりしては困る。
一度外に出て………先ほどのような危険生物は近くにいないようだな。であれば、とりあえず軒先でよかろう。
先ほどの魔物に使った結界を逆向きに張って、周囲から中を認識しにくくする。重ねて内側に対物理結界と、対魔術結界を極力小さく。魔力はできる限り温存しておきたい。
よし。これで、しばらくはもつだろう。少しだけ休もう、少し、だけ………