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二人の間に何かあったんだろうか。少なくともお互いのことを嫌ってはいないようだが、それにしてはヒューのハロルドさんに対する態度が不自然だ。
「………聞かない方がいい?」
ヒューのテンションが明らかに下がり、髪を指先でくるくると弄り始めた。乙女か。
言いにくいことなら無理に聞こうとは思わないけど………
「いや、いずれは耳に入るだろうからな。俺から説明しておこう。
もし変に曲解している者からうちの話を聞かされたら、ユウトまで誤解しそうだ。」
「え、何、そんな複雑な家庭環境なの?」
「いいや?うちも伯爵家だから、一応跡目争いが存在するというだけだぞ。」
そうか、貴族だもんな。子どもが二人いると、どちらが家を継ぐかって問題が出てくるのか。
「俺達家族は兄上が適任だという意見で一致しているが、うちに仕える者や領民の中では、強力な魔術を使える俺を当主に推す声も多くてな。俺は生まれつき魔力量がずば抜けているんだ。魔法だけなら世界でも最強クラスだと自負している。」
「マジか。」
魔導士として優秀らしいというのは知ってたけど、さすがに世界最強レベルだとは思ってなかった。
「だが俺に人を率いる才はないし、政も向かん。兄上ならば民を想い民に慕われる、良き領主になるはずだ。
それに俺は魔導研究に携わっていたかったから、家を継ぐ気はないという意思表示のために実家とは距離をおいていた。ちょうど魔導研究室から誘いが来ていたのに乗じて、王都の別宅に逃げていたんだ。成人したら軍の寮に移るつもりだった。」
うん、本人も言っている通り、領主よりは魔導研究の方が絶対に向いていると思う。ステラに魔導研究馬鹿とか非常識とか散々言われてたし。
………ファウストは先ほどから俺のスニーカーの靴紐を不思議そうに観察している。俺とヒューがしている話にはあまり興味がない、というか、よくわからないらしい。
「ファウスト、見たいなら脱ごうか?」
「わ、ありがとうございます。この紐、一回全部外してみていいですか?」
「いいよ。」
スニーカーを渡すと、国宝を触っているかのごとく慎重に靴紐をほどき始めた。アウトレットの安売り品だよ、それ。
「………えーとそれで、ヒューが実家と距離取ってるのはわかった。でも、あそこまでハロルドさんを避ける理由にはならないと思うんだけど。転移魔術でどこかに飛ばしたとか聞いたよ?」
「そんなこともあったな………それはただの嫌がらせだ、兄上があまりにも鬱陶しくてな。ちゃんと転移先は安全な場所にしたし、せいぜい十数回くらいしかやってないぞ。」
「結構やってるじゃん………」
転移魔術で飛ばすのは嫌がらせの範疇らしい。
「あと………兄上があまり頻繁に俺の所に来ていると、ハロルドは弟の知恵を借りて仕事をしているのだ、それなら弟に直接仕事をさせた方が良い、とかいう無茶な理論で俺を引っ張り出そうとする面倒な奴らが増えるんだ。
俺なら多少自分達の都合に合わせて操れるとでも思われているのだろう。自分で言うのは情けないが、俺は兄上より少し言いくるめられやすいからな。魔術の話を絡められると特に。」
あぁ、それは確かに。
ハロルドさんは俺の話をしっかり聞いてくれたけど、笑顔で相づちを打ちながらも俺のことは終始観察していた。今目の前にいるヒューからはそういう警戒心を全く感じない。こちらの方が騙しやすそうではある。
自覚あるならもっと警戒しろよ、と思わなくもないが、ブーメランになるから言わないでおくことにする。俺も騙されやすいし脳筋だって自覚あるけど直せないからね。
「勿論、俺が当主になったとしたら気をつけるつもりだが、そもそも俺は領地経営なんてやりたくないし、無駄に争いも起こしたくない。
俺が研究室に引っ込んで兄上に会わなければ跡目問題は勝手に終息するだろうし、兄上が領主になれば領は安泰、俺は魔導研究に没頭できる、良いことずくめだろう?
………父上もさっさと正式に決めてくださればいいのに。」
ヒューなりに、ハロルドさんや領地の事を思っての行動だったらしい。研究に没頭したい、というのが本音だとは思うが。
「ヒューを良いように使おうとしてる人達がいるって、家族にも伝えればいいんじゃないの?そんなことするような、えーと、領の職員?とかいない方が良いよね?」
「彼らは「次男の方が当主にふさわしい」という意見を言っているだけで、悪事を働くと決まっている訳ではないし、その証拠もない。今のところ、普段の口振りや態度からその可能性が高いと思われるだけだ。
可能性だけで解雇するわけにもいかないだろう。彼らにも生活があるのだし、仕事はきちんとしてくれているのだから。
………それに、兄上には話したが聞いてもらえなかった。」
え、意外。正体不明の俺の話を聞いてくれるようなハロルドさんが弟の話聞いてくれないって、ちょっと想像できないんだけど。
ヒューは深いため息を一つついた。
「はじめは、お前がそんな心配をしなくても大丈夫だ、家は私が継ぐし、領はちゃんと私が守ってみせるから、と言ってくれた。そこまでは良かったんだが、会いに来るのはやめてくれなくてな。寧ろあれから頻度は増えた。」
人工音声のように抑揚のなくなった声で話しながら、ヒューの目がどんどん虚ろになっていく。
まぁ、会いに来られたらヒューは困るんだもんな。
「何回言っても来るのをやめてくれないし、そのせいで俺を当主にと推す人間も俺を引っ張り出そうと会いに来るようになった。仕方ないから実力行使で会わないようにして連絡も絶ち、会ってもできるだけ話さないようにしていたんだ。
はじめのうちは手紙を送っていたんだが、その手紙の内容から何かしら理由をかこつけて強引に会いに来ようとするものだからそれもやめた。最近はステラに近況報告だけ頼んでいる。
今のお前には兄上の力が必要だろうから、気にせず話をすればいいぞ。………兄上もきっと喜ぶ。」
ステラとハロルドさんに聞いた話でも、二人は会う会わないで激しい攻防戦をしていたみたいだった。
ハロルドさん、なかなか強引な所があるもんな。それにヒューも力業で対抗していた、と。
ヒューがハロルドさんを避けていた理由は一応わかった。不仲、というわけではなさそうで安心したよ。
ハロルドさんを追い返した記憶を俺が見られなかったのは気に留めていなかったからではなく、魔術書を読んでいる時は本当に周りの事が一切目に入らなくなるかららしい。周知の事実であるそれを利用してハロルドさんと話さないようにしていたそうだ。
これは、ヒューが元の身体に戻ってから自分でハロルドさんと話しあった方がいいかな。今は確かにハロルドさんの協力が必要だし。
ヒューとハロルドさんが早く気軽に話せるようになったらいいな。ハロルドさんが正式に当主になってしまえば、昔のように仲の良い兄弟に戻れるかな。
あの人は民衆にも慕われているし、統率能力も高いから魔物の被害が出た時でも領は安心だ。兄上に任せて俺は王都にいた方が………あれ、今俺、兄上って?
ぱぁん!!
………?
ファウストに頬をひっぱたかれた。
「ごめんなさいっ、でも意識をしっかり持ってください!自分の名前、わかりますか!?」
意識は大丈夫だと思うけど。俺は、えっと、あれ………?
「ユウト?しっかりしろ!お前はトキ・ユウトだろう!!」
ユウト。そうだ、俺は結斗。刀伎結斗だ。
なんで突然こんな事がわからなくなったんだろう。
「自分の存在をしっかり感じてください、魔力を使う時みたいに!ましになるはずです!」
いや、ごめん俺魔力使ったことないと思うんだけど?何?なにごと?
「………そうか!ユウトは魔法がないとされる世界の出身なんだ、自分の魔力感知をしたことがない!」
「! ユウト、急いで帰るイメージをしてください!指先から輪郭がぼやけてきてます、俺達が混ざりそうになった時と同じです!早く!!」
え………うわ、ほんとだ。おれのゆびがぼんやりしてる。
これは、やばいな。もうそんなにじかんたってたのか。おれがおれだとわかるうちに、もどらないと。
………もどれ、もどれ………
ぴちゅん、ぴちゅん。ちちちちちち。
雀っぽいけどどこか違う、微妙に聞き馴染みのない小鳥のさえずりが聞こえてくる。朝のようだ。
ぱちり。
「………知ってる天井だ。」
数日寝ていればさすがに見慣れる。ここはヒューの部屋だ。
無事戻ってこられたようだな。起き上がると少しくらっとする。
夢にしてはリアル過ぎるし、あの白い空間での出来事は実際にあったと考えていいんじゃないだろうか。理屈はよくわからないがヒューとファウストに会えて、知らない情報も色々聞けた。あ、ファウストの世界についてはあまり聞けなかったな。
一日いられるって言ってたはずだけど、俺達そんなに喋ってたか?まだ一時間も経ってなかったと思うんだけど。
魔力がどうのって言ってたし、魔力の感知やら何やらに慣れてないとあそこに長くはいられないってことなのかな。
最後のあれは怖かった。自分の身体と世界の境が曖昧になり、拡散するような、宙に溶けるような不思議な感覚。
あの時俺が考えていた事から察するに、俺にヒューの自我が混ざりかけていたようだ。ハロルドさんの事を自分の兄だと思い始めていた。
コンコン
「ヒュー様、失礼します。お目覚めですか?」
「………ステラ、おはよう。」
「おはようございます!昨日は夕食の前に眠ってしまわれましたから、お腹空いてますよね!今料理長が朝食をご用意してますので、あと少しだけお待ちくださいねぇ。」
言われてみると確かにそうだな。夕方から朝までぐっすりだったみたいだ。
「わかった、ありがとう。
ちょっと話があるんだけど、扉閉めてくれる?」
「はーい。………どうなさったんですかぁ?何かありました?」
「また突拍子もない話するよ?」
「そんなの今更ですよぅ。」
「それもそうだね。………夢の中で、ヒューともう一人に会って話してきたんだ。俺と同じような状況になって、異世界で生きてるみたいだよ。俺の知らない情報も色々教えてもらったし、ただの夢ってことはないと思う。ヒューって呼ぶように言われた。」
「ヒュー様が………すぐ愛称で呼ばせる辺り、本人っぽいです!そう、ですか………良かったです。ほんとに、良かったぁ………!」
ステラの目に、ちらりと涙が見えた。俺の前では明るく振る舞って不安げな素振りは見せなかったけど、そりゃそうだよな。心配だったよな。
もう少し詳しく話してあげたい所だが、ヒューが今いる世界については話を聞けないまま帰ってきてしまった。今度会ったら絶対聞かないと。
「俺とヒューともう一人、ファウストは同時に大怪我を負って、その時に三人で魂が入れ替わったみたいだって。
そうだステラ、異世界の同一人物ってわかる?入れ替わった俺達三人がどうもそれらしいんだけど。顔一緒なんだよ。」
「そうなんですか?異世界の同一人物なら、有名なお話ですから存じ上げていますよ。噂話程度に考えていましたけど、本当だったんですねぇ。」
ヒューと俺の顔が同じってこと、ステラとハロルドさんには言いそびれてたんだよな。それ以外に話したいこととか聞きたいことがあり過ぎて忘れてた。
「………異世界の同一人物が同時に大怪我するなんて、すごい確率じゃないですかぁ?しかも二人ならともかく、三人なんですよね?」
「俺達、天文学的確率を引き当てちゃったみたいだね。」
宝くじの一等より確率低いよな。雷に一日で三回打たれるくらいの確率かもしれない。実際にそんなことになったらさすがに死ぬと思うけど。
三人揃って死にかけるとは運が悪いのか、全員生きてるなら運が良いのか。
「ではユウト様ではなく、ファウスト様?がヒュー様の身体にいらっしゃっていた可能性もあるんですかねぇ。
ヒュー様が尊敬する偉人にファウストという方がいらっしゃるので、ご自分の同一人物がそんな名前だとヒュー様大喜びしてそうですよぅ。」
「あぁ、それヒューがつけた名前だよ。元々は名前がなかったんだって。」
「お名前がなかったんですか!………そんなお名前をつけるなんて、ますますヒュー様で間違いなさそうですね。
とにかく、ご無事なようで良かったです!ハロルド様にもお伝えしてきますね!」
「うん、よろしく。」
心なしかステラの足取りが軽い。早く元に戻る方法見つけて、ヒューに会わせてあげたいな。