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数日が経ち、部屋の中くらいなら歩き回れる程度に回復してきた。怪我のせいで上手く出来ないことはステラさんがカバーしてくれている。
服のボタン留めるのとか、自力でやるとすごく時間かかるんだよね。まだ指が包帯でぐるぐる巻きだから。
ステラさんの第一印象は騒がしい子だったのだが、あれは起き上がったヒューバートさんを見て感情が溢れだした結果らしい。普段は何でもそつなくこなす、頼れるメイドさんだ。
一応主従関係のはずだが、かなり気安く話しかけてくれる。あんまり敬われても落ち着かないし、俺としてはありがたい。
ちなみに部屋の外には常に護衛っぽい人達が立っているが、正直視線が怖いので一切話していない。
いや、頼りになりそうではあるけどその分威圧感もすごいんだって。看守かっての。
そして、この世界のことも少しずつわかってきた。ここはいわゆる剣と魔法の世界、魔物や冒険者ギルドも実在するらしい。ますますラノベやゲームみたいだ。
ここはテルミニシアという王国で、数十に分かれている領地をそれぞれ貴族が治めているようだ。それぞれの領独自の法律とか政策もあって、小さな国が集まっているような………合衆国的な感じ?ちょっと違う?
今の俺、ヒューバート・ウィリアムズは国軍の魔導研究室に所属する研究者で、相当優秀な魔導士らしい。
魔術理論や論文の記憶を見てみようとすると、膨大な情報が流れ込む、を通り越して雪崩れ込んできたので見るのを諦めた。あまりの情報量に頭を抱え込み、ステラさんに心配されてしまった程である。お騒がせして申し訳ない。
必要があれば見るが、あの情報量を一気に受け取ろうとしたら多分脳の何かが焼き切れる。少しずつなら見られるみたいだから、もう少し慣れてから再挑戦するつもりだ。折角の異世界だし、魔法は使ってみたいよな。
ちなみに言葉は明らかに日本語ではないのに何故かわかるし、話せる。口と耳が勝手に翻訳しているようだ。原理はよくわからないが、これがなければ何もできなかった。
なんとなく英語っぽい感じはするが、残念ながら俺は英語の文法が大の苦手だ。それでもヒューバートさんの記憶を使えば、すらすらとはいかないまでも何とか読み書きはできた。
この世界の文字の大半は、アルファベットの角度をランダムに変えて、線を数本足すか引くかしたような文字。慣れれば普通に読めるようになるかも………いややっぱ無理。
「ヒュー様、魔導研究室長から二つ、伝言をお預かりしております。」
「ありがとう、ステラ。えーと、上司からってことだよね?」
「はい、そうですよぅ。
一つ目の伝言は、他に怪我人はいなかったから安心して、良くなるまでしっかり休むように。前のようにベッドの中で研究を続けて悪化させたりしないこと。です。」
「そんなことしたのか。」
「記憶が薄いんですもんねぇ。ヒュー様のことですから、記憶がはっきりしてたとしても自覚がないかもですけど。」
ひどくない?
「二つ目は、実験の魔術は暴発したが、計測はしっかりできていた。発動した時の詳細を聞いて原因を探りたいので、直接会う時間をとって欲しい。参考までに計測値はそちらに送る。
だそうです。届いた資料はこちらにおいておきますね。」
「わかった。」
しっかり休めと言いつつ資料は送ってくるんですね。
でも、俺は魔術の資料なんか見ても何もわかんないよ?一応頑張ってはみるけどさ。
「………本当に大丈夫ですかぁ?資料を見て渋い顔するなんて、ヒュー様らしくないですよぅ。」
「そ、そうかな。」
ヒューバートさん、仕事人間なのか。
「普段だったらご自分が血塗れでも喜んでデータ解析し始めるし、思いついたことがあれば高熱出てようが嘔吐してようが這ってでも研究室に行こうとなさるじゃないですかぁ。」
血塗れで廊下を這いずり回る、顔色の悪い長髪の男が頭に浮かんだ。ホラーじゃん。
「全身激痛だから、解析はともかく動くのは無理だ。しばらくは大人しくするよ。」
「………普段なら「ここで作業できるように魔導書と筆記用具を用意してくれるなら大人しくする」とか言い出す所ですのに………おいたわしい………」
ステラさんの心配の方向性が若干おかしい気がするんだけど、当の本人は心底気遣わしいって顔してるな。
ヒューバートさん、結構ヤバい人?魔法に関することになると狂気すら感じるよ。
「世話する身としては、大人しくしていただける方が勿論助かりますけど………なんかヒュー様、性格変わりましたよねぇ。いつもの魔導研究馬鹿っぷりが見る影もないですよぅ。」
「さっきからちょいちょいひどくない?」
「いつも手を焼いていましたけど、全く暴走しないのもそれはそれで不安ですねぇ。溜め込んで後々大暴走されるくらいでしたら、普段から適度に暴走しといていただきたいですぅ。」
「適度に暴走って何。」
軽口を叩きながらも、ステラさんがその手を休めることはない。血や寝汗ですぐに汚れてしまうシーツや寝間着をこまめに交換し、ピッチャーの水を新しいものに変え、今は俺の包帯を確認してくれていて。
その手つきと眼差しはとても優しいが、それは「ヒューバートさん」に向けられるべきもの。
「? ヒュー様、どうかなさいました?」
………この人になら、本当のこと言っても大丈夫かな。
「えー………あの、ちょっといい………でしょうか。」
「はい?何で突然敬語なんですかぁ?
あ、やっぱり怒られるようなことなさってたんですね?大人しく白状し」
「ステラさん。………その、ヒューバートさんは確かに魔導研究馬鹿って感じの人みたいですね。俺は全く魔法わからないんですけど。」
「………えっ」
この数日間ヒューバートさんの記憶を見ていて、彼がステラさんのことを心から信頼し、家族同然に思っているのがわかった。そして彼女も、ヒューバートさんのことを同じように大切に思っている。そんな彼女を、ヒューバートさんの姿で騙し続けるのは心苦しい。
それに、彼女は専属メイド。ヒューバートさんのことを本人以上に理解していると言っても過言ではない。事故のせい、で誤魔化し続けるのにも限界があるだろう。早目に事情を話して、できれば協力者になって欲しい。
もしこれで偽物とか言われて面倒事になっても、今なら窓から逃げることくらいはできる。すごく痛いのは本当だが動けはするし、あとは自然治癒力で何とかなりそうな程度には治ってきた。
ちらっと見た魔法の記憶の中には治癒魔法もあったし、探知魔法や隠密魔法もあるようだし、逃げ切るだけなら問題ないはずだ。
「………今、ヒューバート「さん」とおっしゃいましたね。それでは、あなたはやはりヒューバート様ではない別の方ということですか?記憶がないのではなくて。」
ステラさんの口調から緩さが消えた。表情も読めなくなって少し怖い。敵認定されたらどうしよう。
でも、この人のことは信用しようと決めたんだ。話し始めてしまったんだから、もう自分の判断を信じるしかない。
「はい、そうです。やはりってことは、俺が別人だって気付いてました?」
「別人というか………そうですね、常時展開している探知魔法をいつまでも発動させないし、起きたら実験結果を絶対に聞かれると思っていたのに全然聞いてこないし、口調も所作もいつもと違うので、おかしいとは感じていました。」
あー、うん。口調とか所作は無意識のものだからか記憶が薄くて、上手く真似できないんだよな。
「ですが記憶をほとんど失っていらっしゃると思っていましたし、頭を強く打った際に性格が変わってしまうことが稀にあるというお話をお医者様に伺いましたので、そういうものなのかと思うようにしていたんです。」
「今まで黙っていてすみません。ヒューバートさんの性格が変わったわけではなく、完全に別人です。しかも、俺はおそらくこの世界の人間ではありません。」
「では、異世界の方、なんですか?」
「突拍子もない話だと思われるでしょうけど、何が起きたのかを俺にわかる範囲で、ひとまずステラさんにはお話ししようと思ってます。聞いてもらえますか?」
ステラさんは目を伏せて少し考えこんだあと、こちらに向き直った。
「………わかりました。私も、ヒュー様に何があったのか知りたいです。
目を覚まされてから数日一緒にいましたが悪い方ではなさそうですし、ヒュー様よりは常識的な方のようです。ひとまず、あなたのお話を聞いてみようと思います。
その前にまず、お茶を入れてきますね!異世界の方のお話なんてそうそう聞けませんから、ゆっくり聞かせてください!」
そう言って、いつも通りの笑顔を向けてくれた。はー、緊張した。
偽物だから問答無用で拘束、みたいな展開にならなくて良かった。とりあえず話は聞いてもらえるようだ。
っていうか、やっぱりステラさんってヒューバートさんのこと様付けで呼んでるわりに扱いひどいよな?仲が良いからこその遠慮の無さなのか?
それに、ヒューバートさん非常識なの?彼の記憶でこの世界のことを勉強しようとしてたけど、やめた方がいい?
俺は元の世界で事故にあったらしいこと、その後白い空間でヒューバートさんらしき人を含む二人の人物を見たこと、気がついたら自分がヒューバートさんになっていたことをステラさんに話した。
ヒューバートさんの記憶をある程度は引き出せることも伝えておく。
ステラさんはたまに相槌や質問を挟みつつ、俺の話を最後まで聞いてくれた。白い空間でヒューバートさんがじたばたしていた事を話した時は、その反応はいかにもヒュー様っぽいですねぇ、なんて言っていたが。
ヒューバートさんって肩書きや仕事を見る限りは天才肌の魔導士っぽいんだけど、ステラさんの話を聞いてるとただの残念な人なんだよなぁ。
「正直、何が起きているのかは俺にもよくわかりません。今はヒューバートさんとして行動しつつ、元に戻る方法がないかを探したいと考えてます。ヒューバートさんの肩書きなら、かなり貴重な書物も閲覧許可が降りる………んですよね?」
軍の研究室で副室長というのはかなりの権限を持つらしく、様々な所から資料をかき集めている記憶や、大規模な実験をしている記憶をたくさん見た。
一応軍の所属なので、緊急事態の際や軍の人手が足りない時に召集される可能性はあるようだが、実際に召集された記憶はない。あくまでも研究者のようだ。
「ヒュー様は王家の書庫も一部閲覧権限をお持ちですし、学術資料ならほとんど見られるはずですが………記憶喪失ということになっているので、権限が一時的に凍結されているかもしれません。ここでの一般常識や噂話程度でしたら、私がお教えできますよ!
魔法がない世界からいらっしゃったなら、魔法についてもいずれお教えしないといけませんね。私はあまり魔力がありませんけど、基本の魔術なら誰でも使えますから、まずはそこからでしょうか。」
「とても助かります。ヒューバートさんについては、何もお伝えできなくて申し訳ないんですけど………」
よくある転生ものみたいに、俺とヒューバートさんの自我が融合したり混ざったりはしていない。ヒューバートさんとしての記憶が俺にないことからして、転生ではないんじゃないかと考えている。
転生ではなくて憑依や入れ替わりだった場合、ヒューバートさんは意識がないだけで俺と同居状態になっているのか、入れ替わって俺の身体で目を覚ましているのか、はたまた死んでしまったのか。俺には何もわからないのだ。
「いえいえ~、あなたは何も悪くないですよぅ。
話を聞く限りだと魂?人格?が入れ替わってるだけで、その身体はヒュー様のものなんですよね?でしたら仕える者として、ヒュー様が帰ってくるまでお守りしないと!
旦那様方、つまりヒュー様のご家族にはいずれお伝えすることになると思いますが………そうですね、色々懸念事項もございますので、ひとまず今は私達だけの秘密ということで!」
あくまでヒュー様のためですよぅ、とにこにこしているが、出会って数日な上に得体も知れない俺のためと言われるよりはそちらの方が安心できる。
「あ、俺まだ名乗ってませんでしたよね。俺は刀伎結斗。トキが名字、じゃなくて家名?で、ユウトが名前です。」
「ユウト様ですね。私のことは今まで通り、ステラと呼んでください!話し方も、ヒュー様のふりをしていた時みたいに。ヒュー様が私に敬語使ってたら不自然ですよ?」
「そう………だね、わかった。いつ元に戻れるかわからないけど、それまでよろしく、ステラ。」
「はい!ユウト様!」