95話 1000年前のラブロマンス
『幻想国家シビュラ』のランク1位ゲーマー、転移者によって争いが止んだ、数百年前のシビュラ。
4D体験型シアターで目にした最後の世界は、今のシビュラに限りなく近い形だった。
それなのに。
どうして双子は、今になって私を呼んだの――?
「一時的にでも扉の接続に成功した後。はたして、彼らがどうなったのか」
知る覚悟はあるか――悪魔の差し出した薄紅色の手を前に、身体が震えた。
いよいよ、明らかになるのだ。
私がこの世界に呼ばれた理由が。
「貴女にとって、少し酷な事実かもしれませんが」
「……それでも、知りたいです」
何を聞かされてとしても、私はこの世界に来たことを後悔しない。
最後にどんな選択をするかは、別として。
“推しモドキ”ではない、“人生の推し”に出会わせてくれた幸せ――何があっても手放しはしない。
「お願いします、ミレイユ」
鋭い爪を避け、ひんやりとした悪魔の手を掴むと。
「……では、参りましょう。100年前の神域へ」
再びゴーグルを装着した先は、今いる場所と同じ。純白の塔が並ぶ神殿だった。渡り廊下の外には、丸い月が浮かんでいる。
「ここは神域……?」
「イベントが起こっているのは、こちらです」
ミレイユに案内されたのは、1階の長い廊下の先にある部屋。
大きな机に、複数のPCディスプレイが並んでいる。ゲーミングチェアにライト、音響設備まで整っていて、動画配信者の部屋みたいだ。
『扉のプロトタイプがダメだったのは、小さすぎたんだ……』
書類だらけの床へ寝転がりながら、青年姿の紘也が呟いている。また、前回見た時とは別の人間の身体へと移ったのだろう。
『扉を開いていられる時間が短いなら、もっと大きな扉を建造しないと……』
紙にペンを走らせる紘也を覗く、女性の姿がある。やはり姿は見慣れないが、あれはシトなのだろう。
声をかける間もなく、扉の影に隠れる彼女はこちらをチラリと見た。
『エテもワチ様が気になるのですね』
「あ、ええと……はい」
過去の映像とはいえ、なんとなく話を合わせると。
『私たちが、ワチ様の“帰らない理由”になりましょう』
縋るような目を見た、瞬間――確信した。
きっと時渡人は、ワチに親愛以上の情を抱いていると。
でも、紘也は今のシトをどう思っているのだろう――?
数百年前は、「秘密を共有している相談相手」のような感じだったが。
『私、少々お話ししてきます』
「え……!」
覚悟を決めた横顔のシトは、紘也の部屋に入っていった。
『扉の開発はどうか』――寝転んだままの彼の隣に正座し、進捗を尋ねている。
『嫁さんと子どもを、突然置き去りにしちゃったんだ……ちゃんと帰らないと』
自分だけ、いつまでも遊んでいるのは許されない――その言葉が、シトの澄んだ瞳に熱を灯した。
『ワチ様』
『わっ……!』
目の前で起こった一瞬のことに、思わず「えっ?」と声が漏れた。
頬を真っ赤に染めたシトが、紘也に覆い被さったのだ。
『お慕いしております』
『……え?』
シトの大胆かつ情熱的な告白から、思わず目を逸らそうとすれば。隣のミレイユが、私の頭を固定してきた。
「ちゃんと、お嬢様の話に耳を傾けて」
ここからが大事なところだから、と。
「でも……!」
突然のラブシーンは、元恋愛喪女には刺激が強すぎる――そう抗議しようにも、目の前のふたりの話は勝手に進んでいく。
『あーっと。それはボクが、この世界の神だから、だよね?』
『いえ、ここは現実です。そして私は……この世界に、たしかに存在する人間です』
『……っ!』
ここはすべてが思い通りにいく、ゲームのような世界ではない。そして、ワチを愛するシトの心は本物――。
必死に訴えるシトを前に、紘也はシトを引き離そうとしていた手を止め、拳を握った。
たぶん、彼は揺れている。
彼女の熱に応えて良いのか、拒むべきか。
『あ、あはは。ボク、936歳でモテ期きた?』
この空気を誤魔化すように、紘也は笑うが。
シトは――彼の首に腕を巻きつけ、強く抱きしめた。
本当に、ずっと好きだったんだ――。
『貴方が救世主だからではありません。寂しさと情熱を背負った貴方自身を……私は、見ております』
力が入りすぎて、震える声。それに対して紘也は目を見開いた。
たぶん、彼女の本気を肌に感じたのだ。
「…………」
私も、ワチと同じだった。
この世界で最も信頼できる人から差し出される手を、握って良いのか悩んでいた。
でも――私と同じように、彼は“この世界の愛する人”へ心を傾けていく。
無慈悲な悪魔によって、見て良いのか分からないシーンを見せ続けられること、数分。
「肝心なところまでスキップしましょうか」
「……ぜひ、そうしてくださいませ」
ようやくミレイユが、リモコンを取り出すと。
朝日の心地良さすら感じるベランダで、寄り添うふたりが現れた。
「結局、彼はシトお嬢様を受け入れたのです」
「……そのようですわね」
でも、彼はまだ迷っている――あの横顔を見ると、そう思う。
それにシトの方も、紘也の揺れを何となく悟っているみたいだ。
ふたりの間には、探り合うような空気を感じる。
「それで……双子が私をこの世界へ呼んだ理由は?」
見上げた先のミレイユが指したのは、寄り添い合うふたりの上。
晴天を切るように飛ぶ、見慣れた黒竜――ではない。初代ドラグマンのはずだ。
100年前の彼は、まだ身体の大きさが夫と同じくらいだった。
『俺を呼んだのは貴様か、人間!』
余裕たっぷりなおじいちゃん竜となった今では、想像もできないほどの威圧的な咆哮。まさに“推し”のドラグ様と同じ。
そんな推しに対して、紘也は堂々と胸を張る。
『あの扉の代償について、教えてほしいんだ』
そこからドラグが語ったのは、すでにハロウィン選挙の演説で聞いたことだった。
異世界の扉を開く代償に、「シビュラの魔力を半分ほど消費する」と。
太古の遺跡に彫られていた、壁画の扉。それが最初に開いた時を、実際に見た竜の証言だった。
『ワチ様……やはり、あの扉は』
すぐにでも建設を中止した方がよい――シトが、そう進言する。
腕を取り、手に手を絡め、「自分がいつまでも傍にいて、寂しくさせないから」と。
しかし、ドラグの話を聞いた紘也の横顔は――恐怖ではなく、期待に染まっている。
『……半分だけ、だったら』
当初想定していた犠牲の半分。
ならば、家族に会いたい――ワチはシトの手を離した。
「そんな……」
また、声が抑えられなかった。
たとえ半分だとしても、この世界で得た絆を失う可能性があるとしたら――私は恐ろしくて仕方ない。
だからこそ、あの扉を壊そうとしているのに。
紘也は何を犠牲にしてでも、元の世界へ帰りたかったのだ。
『いよいよ、ここからです』
なぜ双子が、私をこの世界へ呼んだのか――。
ミレイユは、膝をついて涙を堪えるシトの背中を指さした。
『ワチ様……どうして』
シトは、“紘也が帰らない理由”にはなれなかった――双子は、神域から去っていった。
本来住んでいたシオンの地へ戻った双子。彼女たちが真っ先に向かったのは、はじまりの遺跡だった。
『いいですか、エテ。何があっても、ワチ様に扉を開かせてはなりません』
澄んでいたはずの瞳には、澱みがある。
どこかで見た泥と似ている――そんな気さえする漆黒に、シトの目は染まっていた。
『ワチ様に対抗できるような、「シビュラ自体を愛する人間」を転移させるのです』
「え……?」
もしかして、それが――。
答えを知る前に、シトは己の胸に手を当て、青白い光の玉を取り出した。
「シトお嬢様自身の魂。一部を棺へ移して、異世界を覗くのです」
ああして目星をつけてから、紘也のことも連れてきた――隣の悪魔は淡々と言った。
「……ミレイユ、貴女は」
「まずあちらを」
見逃しますよ、と黒い爪が指す先には――棺の中に、水鏡が青く光っている。
揺れる水面が映し出したのは、人の行き交う繁華街。酔ってふらつくスーツのOL。それを、同じくスーツの男が支えている。
あれはもう、見間違えようがない。
『はいはい、あんまり車道側行かないでよ』
『うん~、だいじょぶだって』
あまりにも懐かしい光景に、指先が震えた。
「あれ、私……?」
会社の打ち上げで醜態をさらした私が、ヤケ酒を煽ったあと。幼なじみの数人に手を引かれて、繁華街を出るところだ。
それを、双子が見ていた――このシビュラから。
『少々頼りなさそうですが、あの方で大丈夫でしょうか?』
「ははっ……」
シトの指摘に、エテの中に入っている私は苦笑いで返すしかない。
『分かっているでしょうが。特定の人間を転移させるには、相当な時間が必要になります』
それに、“匡花”を転移させる肉体の選定も慎重に行わなければ――そう言って、彼女は水鏡を消した。
「えっ、待って……そういうこと?」
乾いた笑いとともに、目の前が歪んだ。
いまは頭が追いつかない。
「……そろそろ限界ですね」
ミレイユの声を最後に、石の遺跡がシアタールームへと変わった。薄暗い照明の下、頭はまだぐちゃぐちゃのままだ。
「匡花、大丈夫ですか?」
支えになろうとしてくれた手を断り、イスに腰かけ直した。
「私は……紘也さんを止めるために、連れてこられたんだ」
完全に巻き込まれただけ。
私が、『幻想国家シビュラ』の廃課金ゲーマー(ランク2位)だったばっかりに。
「そんな……」
別に、運命的な何かを期待していたわけでもない。
いっそ、この世界で“かけがえのない存在”に出会わせてくれたことに、感謝すらしている。
「でも……」
胸騒ぎが止まらないのは、あのことが引っかかっているから。
夫に、時渡人――シトが呪いをかけた理由が、思い当たらない。
彼女たちは紘也の計画を止めるために、私を呼び出した。
そして、呪いを受けたドラグと引き合わせた――。
「あれ……?」
いま目の前にいる彼女が、エメルとドラグの縁談を取り仕切ったはず。
頭の中が、バクバクと脈打つ中。
「ミレイユは……」
何か知っているのか――言いかけた、その時。
薄暗いシアタールームに、ぱっと柔らかい明かりが灯った。
「おーいちょっと。人間と悪魔が、幽霊好みの部屋で何やってんの?」
その声は――久々に見る、半透明の少女。
「……レヴィン?」
グロウサリア家で奉仕活動していた時のメイド服を気に入ったのか、まだゴスロリメイドのままだった。
彼女は紘也に、暇なら「落成式」の企画準備を手伝うよう言われて来たという。
「アンタ、顔死んでるけど大丈夫?」
「え……? は、はい」
煽るわけでもない、純粋な心配の眼差しに、少し拍子抜けした。
レヴィンは“神王ワチ”のことを慕っていたはずだが――。
「扉の建設に反対してるのに、オープンイベント手伝わされようとしてるんだって?」
「無理することはない」と、レヴィンは私の肩に触れた。
彼女はかつて、扉の建設に必要な資材を盗み出そうとした神官なのに――まるで、私に味方するような言い回しだ。
「何でもかんでも背負いすぎだって。資材盗難事件の時も、オークに故郷を作った時も」
「別にアンタが何かしてやる義理はなかったはず」――レヴィンは私の身体を通り抜けながら、スクリーンのない壁を指す。
「今回のこともだよ」
彼女は、たった今シアターで私が体験した内容を知っているのだろう。
だから、匡花は完全に巻き込まれ事故――この世界に来て初めて、私の本当の名前を呼んだ彼女はそう言った。
「たしかに、そうですが……」
身体を貫通したままのレヴィンに退いてもらい、改めて背もたれに寄りかかると。自然に溜め息がこぼれた。
色々なことが、いっぺんに降りかかってきた気分だ。
紘也の「帰りたい」という願い。
双子の「帰したくない」という想い。
そして、私がこの世界に来た理由――。
すべては、“異世界への扉”を巡るものだった。
まだ不確かなことはあるが――過去の記憶を追体験して、ひとつ分かったことがある。
きっと紘也を説得できるのは、最初から私ではない。
「だったら……」
それができる、唯一の“彼女”を紘也と引き合わせなければ。
「ミレイユ、私やります」
『異世界への扉:落成式』のイベント企画は、ふたりを再会させる好機かもしれない。
「え? でも、アンタ――」
「いいのです」
心配してくれるレヴィンに、そっと微笑んだ。
「今シビュラにいる、誰にとっても忘れられないお祭り。それを一緒に作り上げましょう」
そして、最後には守るのだ――みんなの愛する、この世界を。
次回:「シビュラの誰にとっても忘れられないお祭り。作り上げてご覧にいれます!」
エメルは神王側に流されたフリをしつつ、ワチとシトを再会させようと計画するが。
『どういう状況かは分からないけど……とりあえず、抱きしめたい』
「ヴッッッ――」
思わぬ形で再会した夫竜に、もだえるエメル。
夫婦の決意が、シビュラの運命を少しずつ変えていく――。




