94話 最初の“選ばれし者”
神王ワチ――もとい和地紘也の“優秀な秘書”というのは、私の乳母ミレイユだった。
「エメルお嬢様に一任された、シビュラ一大イベント『扉落成式』の企画立案をサポートせよ……とのご命令です」
やはり悪魔の姿のミレイユは、感情を削ぎ落としたかのような口調と表情だ。
「そもそも私、『扉ぶっ壊そうマニフェスト』を掲げる側なのですが?」
協力すると思うのか――?
あくまで毅然と、ドラグほど身長のあるミレイユを見上げたところ。彼女は少しだけ寂しそうに、瞼を伏せた。
「ワチという人間を、そう敵視しないでください」
「え……?」
この世界を犠牲にすると分かっていても、彼はなぜ扉を開こうとするのか――それを私に知ってほしいと、ミレイユは言う。
「家族に会いたいからでしょ」
「……いいえ。それだけではありません」
彼の過去を“聞く”のではなく、“見る”方が早いと言いながら、ミレイユは踵を返した。
「ついてきてください」
初代ドラグの、塔のような住まいを出たあと。白い廊下の先にあったのは、個人規模のシアタールーム。
ただ、スクリーンがない。
「ここは神王様が開発された、『4D体感型シアター』です」
「『4D体感型』……!?」
もはや、元の世界の文明レベルを越しているのでは――。
なぜワチが、そんな高度なものを作れるのか分からないが。尋ねる間もなく、映画館でよく見るイスに座らせられた。
「では、参りましょう。1000年前のシビュラへ」
「1000年前……?」
途方もない過去の時間軸。
そこに、ワチの真意が隠されているというのか――。
頭に、元の世界で見た“VRゴーグル”のようなものを装着すると。途端に薄暗い部屋が、石造りの部屋に造り変わった。
「ここは……?」
松明の赤々とした炎が、壁に描かれた象形文字のようなものを照らし出している。
「あれ? 炎が熱く感じる!」
でも、これは誰の身体なのか。
「貴女が追体験している視点は、1000年前のエメルレッテ――エテお嬢様です」
傍らには、いつの間にか悪魔バージョンのミレイユがいる。
「1000年前のエメルレッテ……?」
「お嬢様は昔、“エテ”と呼ばれて――」
彼女の声を遮るように、石に囲まれた遺跡のような空間へ、高いうめき声が響いた。
「あれは……?」
古代ギリシャ人のような白衣1枚と花の冠を頭に掲げ、一心不乱に祈りを捧げている。
知らない顔の女性だ。
「そちらが、エテ様の姉、シト様でございます」
「え……双子なのに別人では!?」
今のエメルレッテとは違う、銀髪と麻色の肌――しかしよく見ると、私の手も麻色だった。
「そのうち明らかとなります。それより、ご注目ください」
双子は、“異世界”へ祈りを捧げている途中だとミレイユは言う。
「異世界……?」
「それについては、今ご説明を」
ミレイユが遺跡の壁に手をかざせば、ホログラムが浮かび上がった。
そこに映し出されたのは――現在の、種の楽園が築かれる前のシビュラ。異種族たちが武器をもち、争っている。
まるで、ゲームのシビュラのように。
「映像の中で映像って見られるのですね」
「……“学習”に集中してください」
ミレイユのため息に押され、もう一度ホログラムへ目を向けた。
争いが絶えずに荒廃する、シビュラの地。
それを正すため、シビュラの原住民である双子の巫女――シトとエテが、見覚えのある遺跡へ入っていった。
青く光る結晶石が特徴的な、この場所って――。
「シオンにある“太古の遺跡”ですか?」
20年前、ドラグが呪いを受けたところだ。
「ええ。ここは異世界と通信するための場だったのです」
彼女たちはここで、救世主を喚び出そうとしているのだという。
「じゃあ本当にこの双子は、1000年以上生きてるってこと!?」
「ええ。彼女たちは“祈り女”。サキギリ家の母体です」
シビュラの争いを止める救世主を呼ぶため、祈る双子。彼女たちは現代の生まれではない。
『雑司が谷霊園』で聞いた、イオの言葉がこだました。
『彼女たちは“長く生きている”……』
まさか、1000年を生きる巫女とは思いもしなかった。
「お嬢様方は、神に祝福された存在。『魂の扱い』に関して特殊な力を得たのです」
一緒に祈りを捧げるふりをしろ、とミレイユから指示され、隣の姉をチラッと見たが。彼女があの“顔のない花嫁”だと、まだ信じきれない。
魂に関する特殊な力とは、私をこのシビュラへ連れてきた力のことだろうか。
『妹よ、まだ足りません! この世界を救うには、“この世界を愛してくれる存在”を呼び出さなければ!』
「は、はい……!」
意外とスパルタな姉に従い、立っては伏せるを繰り返していると――。
目の前の石の棺から、青い光が漏れ出た。
『あと少しです……!』
仮想現実のはずなのに、疲れを感じる。それでもシトに倣って祈るうちに――荘厳な鐘の音が鳴り渡った。
棺が、何者かの訪れを告げるように。
「あっ、棺が!」
滑らかに蓋が開いた、直後。
ひとりの青年が、気怠げに棺から起き上がった。見たことのない顔――でも、直感してしまう。
こうして呼び出された彼が、きっと。
「ワチ、いえ、和地紘也という異世界人です」
ミレイユの黒い指先は、彼をまっすぐ指していた。
私と同郷の“廃ゲーマー”を。
「あれ……じゃあ、ワチくんも転移者だったの?」
『ええ。あなたと同じ。巫女のお二人が、直々に魂を運んだ存在なのです』
私と同じ――
ワチの存在が、ずっと身近に感じられた。
『んで? ここがどこなのか、おじさんにも分かるよう説明してくんない?』
記憶を持ったまま転移した紘也は、最初こそ混乱していたが。
「シビュラの地を救う神」として奉られ、その期待に応えるうちに、順応していった――ランク1位ゲーマーの実力を発揮するほどに。
『この世界、マジヤバなんですけどっ!』
ゲームではない現実。それでも、ゲームとよく似た世界。そんな中、異種族たちと都市開発をする紘也は、とても楽しそうに見えた。
彼は“異世界ならでは”のエネルギーを利用して、元の世界ではできない発展を成し遂げたのだ。
『救世主様、私たちはどこまでもお供いたします!』
まっすぐな姉シト。
そして、私が視点を体験している妹エテ。
彼女たちをパートナーに、紘也はシビュラの整備と近代化を進めていくが――。
紘也を含め、彼女たちは歳をとっている。
「どういうこと……?」
このままだと、1000年を待つことなく寿命で亡くなるのではないか。
「ああ、そちらについてもお見せしなければ」
早送りします、と、ミレイユがリモコンを取り出せば。目の前の出来事が、飛ぶように過ぎていった。
やがて――。
『ワチ様、そろそろ……』
『あ、うん。もうそんな頃なんだ』
すっかり老婆となったシトが、老いた紘也の胸に手を当てている。
シトの手にあるのは、青い炎に包まれた何か。それを大切そうに抱き、シトは――何かを掴んだ手を、棺の中に眠る、見知らぬ少年の胸へ押し付けた。
直後、少年の指先がぴくりと動く。
「……まさか」
背筋にゾッと、寒気が走る。
シトの力で、魂を移し替えた――?
双子も同様にして生きながらえ、ワチを支え続けたのだろう。
「……こんなことをして、彼らはずっと生きてきたの?」
「亡くなった直後の者の身体にしか転移していません。どうか、気に病まないよう」
ミレイユの言葉に、さらに背筋が凍る心地がした。
するとこの身体も、本来エメルのものではない“誰か”ということ。だから、最初の双子とはまるで別人だったのだ――。
「……匡花、大丈夫ですか?」
相変わらず淡々とした、悪魔を見上げた。
何とか頬を引き上げ、「平気」とつぶやく。
見届けないと――ワチがどうやってこの世界に来て、どうして扉を作ろうと考えたのか。
彼と同じ“転移者”である私にしかわからないことが、あるかもしれない。
『すごい……永遠に浸っていたいよ、この世界!』
現実ではうまくいかないことばかり。憧れだった“ゲームみたいな世界”で力を発揮することができて、充実している――紘也は、シトとエテにそう打ち明けている。
「……なんだか」
「共感を得ているのですか?」
図星だった。
転移する直前、私自身が放った言葉と重なる、紘也の言葉。
『もしシビュラの世界だったら』――思う通りにいかない元の世界で、私もそんなことを口にしたのだ。
『でしたら、ずっと私たちのお側にいらしてください……! 私は、その……ワチ様が』
少年の姿になった紘也の手を、シトが震える手で握ったあと。
『……うん。俺もキミのこと、嫌いじゃないよ』
微笑んだ紘也は、彼女の前に何かを差し出した。
「あ、あれって……」
覚えのある、黒いダリアの花束。
ウェディングドレス姿の時渡人が、いつも持って現れる花だ。
『……私の好きなお花、ありがとうございますっ!』
花束を抱え、泣きそうに笑うシト――瞬間、いつかのドラグの表情を思い出した。
『僕は怖い。君がある日、突然いなくならないか』
初めて夫と結ばれた、あの夜の言葉がこだまする。
「もしかして、時渡人は紘也のことを……」
「……ですが。ワチ様は日に日に、この世界に飽きていかれたのです」
紘也は近代化を進めるトウキョウトの街並みを見下ろしながら、遠い目をしている。
そこで、またすっかり別人になったシトが、『どうかなさいました?』と訊ねると。
『うん。あっちでは今頃、みんなで夕飯食べてるのかなーってさ』
『え……?』
そうか――この世界でやりたいことを、彼はやり尽くしてしまった。
それで、元の世界に残してきた家族が恋しくなったのだ。
シトも気づいているのだろう。
笑顔の中に、動揺がにじんでいる。
「もしかして……この2人、そろそろ決別する?」
翼ひとつ動かさないミレイユに、そう訊ねると。
彼女は無言でリモコンを取り出した。
飛んだ先は、またあの遺跡。
現代的な装備の調査グループが、壁画を解析している。
『異世界の扉って……それ、ホント!?』
転移の陣について、媒介となる扉の建設方法が書かれていた――防護服の調査員は、そう説明している。
そして、紘也は――すぐさま例の“扉”の建造に取り掛かった。
『扉を開くには、キミたちの力が必要なんだ』
『……分かりました』
シトは意外にも頷いた。そんな扉が作れるはずはないと、思っていたのかもしれない。
が――ミレイユが早送りした数百年後。
彼らの住まいだった神殿の前には、小さな灰色の扉が完成していた。
今、神域にそびえたつものの10分の位1もない大きさだ。
『ほら、約束でしょ? 扉がボクの世界につながるように、スキルを使ってよ!』
約束をした手前、シトは抗えなかったのだろうか。
嬉々として扉の接続を待つ紘也を、寂しげな目で見つめながらも――シトは、あの青い光を手に携えた。
『……手伝いを、エテ』
「は、はい」
シトが扉に手をかざせば――青白い光が、扉の隙間を埋めるように流れていった。
そして。
あの、荘厳な鐘の音が響き渡った瞬間。
「あれは……!」
扉の隙間から見えたのは、原風景。
元の世界だ。
「本当に繋がったのですか……!?」
ミレイユを見上げれば、彼女は無言で扉の方を指した。
『ワチ様、いけません!』
迷わず入ろうとする紘也を、シトが全力で引き留めている。こんなに小さな扉で、腕だけが転移したらどうするのかと。
でも、紘也の目は諦めていない。
『すぐそこに、懐かしい音が聞こえたんだ! 横断歩道、信号、車の音……それに彼女の声も……!』
「……紘也さん」
必死な彼に、胸が締めつけられる。
もし目の前に元の世界が現れたら、自分もあんな風になるのだろうか。
「お父さん、お母さん……数人」
息が苦しくなってきた。
下腹部が痛い。
『生命維持装置は外さない! 絶対に諦めないんだから』
あちらの世界と意識が混濁した時に聞こえてきた、母の声が頭に響いた。
私はずっと、忘れたフリをしていただけだったんだ――。
「匡花……」
視界が青く歪んだところで。
急に、見覚えのあるシアタールームの壁が現れた。
「今度は、“大丈夫”ではなさそうですね」
「あ……」
ミレイユが、私のゴーグルを外したのだ。
「休憩しましょう」と囁き、退室した彼女は――ハチミツ入り紅茶を持ってきてくれた。
彼女と一緒に夜空を飛んだ、いつかのように。
「ワチの迷いと苦悩を知って、『異世界の扉:落成式』へ協力する気になりましたか?」
「それは……」
紅茶を覗き込んだまま、唇を軽く噛んだ。
私と同じように突然呼ばれたワチは、ただ帰りたいだけだった。ゲームに似たこの世界ではなく、自分の世界へ。
「彼の想いは十分、伝わってきました……」
彼にとってこの世界は、現実の延長ではない――都合の良い夢みたいなものなのだろう。
「でも、まだ分からないことがあります」
双子がワチを転移させた最初の目的は、このシビュラを混沌から救うこと。
だったら、私はどうして呼ばれたの――?
「ワチ様をご覧になって、貴女自身を振り返っているのですね」
「え……」
思わず顔を上げてしまった。
悪魔は“無”のまま、私を見下ろしている。
「その問いの答えは、あの後の場面をご覧いただければ分かります」
理解できるかどうかは別の話だが――と、ミレイユは再び、ゴーグルとリモコンを取り出した。
「もし体調がよろしければ、ですが」
「……平気です!」
最近めまいが多いが、ミレイユの紅茶のおかげで良くなった。
それより、今は知らなければならない。
私がなぜ、この世界へ呼ばれたのか。
ワチと双子が、あれからどうなったのか――その上で、私が今するべきことを見定めなければ。
『では、はじめましょう。“1000年前のロマンス”の再演を――』
次回:『ワチ様に対抗できるのは――「シビュラそのものを愛する人間」だけです』
ついに明かされる、“匡花が選ばれた理由”。
「えっ、待って……そういうこと?」
しかし匡花を揺さぶるのは、自身の秘密だけではない。
見過ごしていた、“夫竜へのある予感”だった。




