92話 “元祖推し”か“人生の推し”か
『この都市の“民主主義”は死にました~!』
フルフェイス仮装だらけの渋谷区ホールに降り立ったのは、この世界の神王――もとい、同じ転生者の廃ゲームプレイヤーWACHI。
「そんな、どうして……」
会場に集まった異種族たちは、自分たちの世界を守ろうと必死に声を上げている。
なのに――。
ワチはボサボサの黒髪を掻き上げると、民衆を見下すように一瞥した。中坊らしくない、光を失った目で。
「エメルレッテさん……キミはやっぱり激マブだ! シビュラの固有種は、みんなこの世界の救い主を支持するだろうね」
でも――温度をなくした声が、騒がしい会場に浮き上がる。
「扉は開かれる。誰かなんと言おうとね」
仕える悪魔の肩に乗ると、ワチは両腕を大きく広げた。まるで、この場を指揮するように。
「選挙結果なんて関係ないよ。『扉の落成式』は、何があっても行う」
その宣言は、選挙を潰すものだ――。
「横暴ではありませんか!」
「……エメル、下がって」
隣にいたドラグが、耳元で「嫌な予感がする」と囁いた瞬間。
ドラグの翼が、私を隠すよりも早く――ためらいのない悪魔ミレイユの瞳が、紫色に光った。
「……っ!」
【誘惑】スキルの、ピンクの泡ではない。
泡が弾けるよりずっと早く、矢のような光線に撃ち抜かれた。
「エメル……!?」
頭がぼうっとする。
意思に反して動く身体が、背後を振り返ると。そこには、あくびをする初代ドラグマンの姿があった。
艶々に輝く竜の鱗は、触れるだけで皮膚が切れそうだ。それでも、手が勝手に動いてしまう。
「エメル……?」
理性では、“元祖推し”に触れるなんて、大罪だとわかっているのに。
夫の隣をすり抜け、ついに触れてしまった――。
「この極上の手触り……やっぱ“初代”しか勝たんわ」
「え……?」
目を見開くドラグと、視線を合わせた瞬間。
自分の奇行に、ようやく我に帰った。
さっき喋ったのは、私――?
「……エメル、どう、したの?」
ピンクのモヤがかかって、頭がうまく働かない。
ドラグが歪んだ顔で、こちらを見下ろしているのに――ついに幻覚まで見えはじめた。元祖推しの身体から、小粒なピンクのハートが弾け飛んでいる。
「なに、この映えエフェクトみたいなやつ……!?」
でも――なんだろう、この感じ。
頭がぼんやりして、初代様が輝いて見えるけれど。それ以上に、夫と離れたくない気持ちの方が強い。
“初代推し”の、もうひとりの自分と戦っているような感覚だ。
「ドラグ様……私、頭がふわふわして……」
「これは【魅了】……? エメル、しっかり!」
「この世の終わり」といった顔で、ドラグが私の肩を掴んだが――震える大きな手に自分の手を添え、「大丈夫」と囁いた。
なぜか分からないが。身体は時々言うことを聞かないのに、頭は理性がはたらくギリギリのところを保っている。
これは好機――。
もはや暴君と化したワチを止めるために、今の状況を利用させてもらわない手はない。
「ドラグ、私を……信じて」
眉根を寄せる夫を見つめ、意思を伝えると。
かすかに光を取り戻した黄金眼が、少しずつ丸くなっていった。
肩から、そっと手が離れていく。
「分かった」――と、囁いて。
「……嘘だったのか?」
少し離れたところにいるワチにも、しっかり届くように。ドラグは低い声で言い放った。
「“人生の推し”は僕だって、言ってたのに!」
結局、元祖推しが“最推し”だったんだ――そう言って背を向けるドラグに、胸が締めつけられた。
「君を見損なったよ」
「……っ」
ふだんの彼なら、何があっても口にしないであろう言葉――。
演技だと分かっていても、息が乱れる。
「……っ、じゃあ、さようなら」
そのまま竜化して去ろうとするドラグから、顔を逸らした。
今は、夫の完璧すぎる演技に傷ついている場合ではない。ワチたちが、「ドラグが私の態度にショックを受けた」と騙されているかを確認しなければ。
「待て、夫君!」
高く響く声を上げたのは、魔族たちの先頭に立っていた吸血鬼妻――リーザだ。
「正気か!? エメルは、そなたの妻は、あの悪魔の力で操られているだけで――」
「クラウディウス夫人」
ドラグが、私の方を見るように、リーザへ目配せした。
それに応えて、こっそりリーザへウインクすると。
「……この場は引き下がるとしよう」
「あっれぇ?」
突然素直になったリーザに対し、首を傾げたのは――【魅了】スキルで混乱する、こちらの陣営を観察していたワチ。
「いいのー? キミたちの大事な救世主、これからボクの神殿に持ち帰っちゃうけど」
「え……」
私をお持ち帰りする――!?
まさか、そうくるとは思ってもいなかった。
初代ドラグにベタ惚れ状態の私を神域へ連れ去って、何をさせようというのか。
『なっ……!』
しまった。
竜化して帰るフリをしているドラグが、こちらを振り返ってしまった。
「……っ!」
このままで良い――見開いた黄金瞳に、視線だけで伝えると。数秒の間止まっていたドラグが、ゆっくりと翼を広げた。
「ドラグマン、グロウサリア夫人をお連れして」
『……良いのか?』
ワチの命令に対して、初代様の鋭い瞳がこちらに向いた。
『子孫の嫁御をさらうのは、いささか心が痛むが……』
ここは、魅力にかかっているフリをして――。
「ぜひ、ご一緒させてください!」
できる限りの笑顔とともに、初代様のご尊顔を見上げると。
『ならば、行くか』
「わっ……!」
黒い鼻先に背中を突き上げられ、身体がふわりと宙に浮いた。
そのまま背に乗せられたかと思えば、夫より一回り大きな竜が飛び上がる。
軋むステージ上では、みんながこちらを見上げていた。
いつもの笑みを消した、イオ。
ワチを肩に乗せた、ミレイユ。
トロイカの魔族を率いる、リーザ。
そして、こちらを見上げる夫竜。
私のことは大丈夫だから――そんな言葉を胸に唱え、恐れ多くも初代様のツノをしっかりと握った。
ワチはなぜ、私(状態異常:魅了)を神域へ連れいてこうとしているのか。
扉の完成まで拘束するつもりか。
それとも、例の“探し人”のことを聞き出すつもりか――連れ去られるのは予想外だったが、これはワチの内側に潜り込めるチャンス。
彼の懐に入れば、「異世界への扉、開きます」を阻止できるかもしれない。
やがて見えてきた、天を突くような灰色の扉。
青空を遮るそれを睨みつけ、扉の下に佇む白亜の神殿に視線を落とした。
地中海の街並みを思わせる真っ白な建物が、積み重なるようにして城の形をなしている。その周囲には、エメラルドグリーンの湖が広がっていた。
「あれが、このシビュラの神域……」
『嫁御は初めて目にするか?』
「はい……って、あれ?」
この初代様、相当耳が遠かったはずなのに。上空の風で音が遮られる中、普通に会話ができている。
「まさか、都合の悪いことは聞こえないフリを……」
『ほれ、着いたぞ』
「きっ――」
旋回する竜が、翼を立てて滑空する。
声にならない悲鳴とともに、ぎゅっと瞼を閉じた。
こうして初代ドラグマンの背中に乗り、シビュラの神王たちが住む神殿へ足を踏み入れたのだが――。
問題は、さらわれてきた私の居場所だった。
『ここが俺の部屋だ。何もないが、ゆるりと過ごすがよい』
「えっ……」
案内されたのは、ミルク色の巨大なホール。純粋な竜種である第一神官が、快適に過ごせるよう設計された私室――天井が吹き抜けている、塔のような場所だ。
白い粘土質の床に赤い絨毯が敷かれ、私用のものと思しき家具が運び込まれている。
「お、お待ちください! なんですかこれ」
顔を布で覆った謎の白装束――神域で働く人たちを捕まえて訊ねると。
「神王様のご命令です」と答えるだけだった。
「ワチくんの命令って……でも!」
このままだと私は、大罪を犯すことになる。
『幻想国家シビュラ』人気投票ランキングNo. 1、もとい“元祖推し”と同居なんて――。
「どういうことだ……? グロウサリア夫人は、ミレイユ様の魅了にかかっていると聞いていたが」
「……!」
まずい、白装束たちがコソコソ話している。
とっさに、「推しの部屋サイコー!」と部屋を駆け回れば――「気のせいか?」と彼らは下がっていった。
「あっ、危ないところだった……」
まったく、敵地では“推し”がどうのといっている場合ではない。
とにかく、疲れた――。
さっそく、白装束たちが運んでくれたベッドに横たわり、ドラゴン騎乗で冷えた身体を温めようとしていると。
『寝るのか?』
初代様の声が降ってくると同時に、背中に温かいものが触れた。
「ひぇっ……」
少し湿った鼻先、そして少しだけ柔らかい首元が、私の身体へ寄り添うように押しつけられている。
『人間は脆い。熱を分けてやろう』
「えっ、ど、なぜ……?」
『今、お前は俺に惚れているのだろう? 何も不都合なことはあるまい』
なんだ、この「理想夫竜ムーブ」は――。
これでは休むどころではない。
身体を硬くしていると、『どうだ?』と艶を帯びた低音が響いた。
『いっそこのまま、俺の伴侶としてここで暮らすのは』
「は……」
冗談ではないと言うかのように、初代様は私の背中へ鼻先を擦り付けた。
もう1000年ほど、番いをもつことなく生きてきたという。
『転生者のお前にとって、俺は“理想の具現”なのだろう?』
「それは……」
本当のこと、だけれど――。
でも。
同じ竜の熱を感じていても、今ここでこうしてることを、少し虚しく思う。
彼は純粋な竜で、私が『幻想国家シビュラ』で愛した“推し”そのものなのに。
『やはり、俺では不満か?』
同じ“ドラグマン”でも、所詮お前の夫とは違う――初代様の言葉に、胸がとっと跳ねた。
推しの優しさを背中に受けても、この熱を「違う」と思ってしまうのは、きっとそういうこと。
『この世界で、お前に寄り添っていたのは俺ではないからな』
「それは……」
竜のひんやりした温度を感じていると、ふと思い出すのはいつかの夜――この世界に来たばかりで、不安だった時のこと。
エメルとドラグが政略結婚だと知った私が、契約婚を提案した後。ドラグはそんな私に、ホットミルクを差し出してくれた。
『君が部屋に来た時、涙の跡が見えて』
あの言葉を聞いて、彼が人として信頼できると確信したのだ。
あの一杯が、私にとっての救いだった――。
「……ごめんなさい」
たとえ嘘でも、「初代様がいい」とは言えない。
「やっぱり夫がいい」――蛇のような瞳を振り返り、そう素直に告げた途端。
『ああ、最初から気づいていた』
私がミレイユの魅了にかかっていなかったこと。
ワチも多分気づいているだろうと、初代様は鼻を鳴らした。
「えっ……? では、なぜワチくんは私を」
『扉を開かせるつもりなのだろう。お前の中で共にある、その魂をもって』
鎌のような鋭い爪が、そっと胸元へ触れた瞬間。
私の中にいる“彼女”までもが、心拍を上げた気がした。
「どうして、そのことを……?」
『シオンの地で、我が子孫を蝕む“呪い”を見てからだ。お前の中にあるそれと、あの呪いは同一のものだと気づいたからな』
時渡人と、ドラグを蝕む呪い――【異形の翼】が、同一?
たしかに、ドラグの身体から吹き出した黒い泥の中で、エメルと同じ顔の女性を見たが――まさか。
「“彼女”が、ドラグに呪いをかけたと……?」
時渡人は、このエメルの双子の姉に当たる女性だと、ミレイユが教えてくれた。
そして彼女たち姉妹の目的は、「ワチの計画を止めること」――。
「でも……何のために、ドラグに呪いを?」
『俺から語れる真実は何もない』
ただ、初代様の言葉が本当ならば――20年前のドラグが、シオンにある『太古の遺跡』で出遭った呪い。あの棺の中身は、時渡人だったということになる。
そこに、彼女の身体が眠っていた――?
「……どういうことなの」
『嫁御よ。今、お前が考えるべきことは――』
初代様の声が、低く静かに頭を満たした、その時。
巨大な扉が、音を立てて左右に開いた。
「KYOKAさーん! ゲームしよー!」
初代様の部屋に飛び込んできたのは――私を神域へ連れ去った張本人。
「……え、ワチくん?」
慌ててベッドから身体を起こすと。
彼は白装束たちに、元の世界を思い出す物品、こたつ机やPC2台を運び込ませている。
「やっぱ、こたつで向き合ってローカル対戦が極上のひとときだよねぇ」
選挙を台無しにした暴君とは思えない、親しみのもてる口調。
唐突にやってきた彼の手にあるのは、黒竜が描かれたパッケージ――『幻想国家シビュラ』のPC版。その再現品と思しきものだった。
次回:「廃ゲーマーコラボ」
『幻想国家シビュラ』を携え、突然あらわれたワチ。
彼と協力プレイをする中。
「それでさー。KYOKAさんって、前は何やってた人なの?」
同郷のふたりは、“懐かしさ”と“譲れない想い”を交錯させる。
ワチが「異世界への扉」を開こうとする、本当の目的とは……?




