91話 出来レースと青い月
巨大な夕焼けを切るように、翼を広げるのは――第一神官、初代ドラグマン。
「……どうして“初代様”が?」
隣の夫の声が、“元のドラグ”へと戻っている。
私も、ステージ中央に降り立った巨大竜から目が離せない。
「よくお越しくださいました、神官長!」
イオが恭しくひざまずくと、初代様はその上に頭をもたげた。
『なにか云ったか? それより小僧よ、俺は腹が減った』
相変わらず、耳が遠いおじいちゃん竜だ。
会場にひしめく“仮装有権者”たちは、夕日の焼きついた黒鱗を前に唖然としているが――やがて、ポツポツと声を出しはじめた。
「スッゲー……マジもんの竜だわ」
「たまにワチくんが乗ってるのは見てたけどねぇ」
もはや初代ドラグは、人々にとって気軽に推せるような存在ではない。信仰対象に近い威厳を持っていた。
しかし久しぶりに会った“ガチ推し”を前にすると――呼吸を忘れそうになる。
「えっ、やば、推しが、近すぎでは?」
相変わらず、老後の推しの姿を前にすると涙が出そうになる。
選挙演説中ということも忘れ、私の腕よりも太いツノに見惚れていると。
「エメル。“人生の推し”は僕……でしょ?」
「カッ――」
久しぶりに見る、夫の嫉妬顔スチル――1000億満点。
翼を広げ、私の視界を遮る夫を見上げ、つい変な声が出てしまった。
「エメルレッテ様、イチャついていらっしゃるところ、申し訳ありませんが」
今度は、現職知事の後援者演説――いつもの笑みを崩さないイオからは、さり気ない自信がにじみ出ていた。
その自信を、完膚なきまでにボッコボコにするため、「ハロウィン選挙」を提案したのだ――たとえ初代様が何を言ったところで、民意が「異世界への扉、開きます」へ傾くわけがない。
ミレイユのスキル【誘惑】にさえかかっていなければ、シビュラプレイヤーたちはこの世界を犠牲にしようなどと思わないはずなのだから。
「それでは神官長、よろしくお願いいたします」
イオの合図によって静まった仮装民衆が、初代様の声を待つ中。彼は前脚を立てたままステージへ座り込み、『聞け』と穏やかに言った。
『世界同士を繋ぐ扉。それを開くとなれば、このシビュラの自然は枯れ、生き物が死に絶えるだろう……それは免れん』
「え……?」
イオの後援者であるはずの彼が訴えるのは、扉の危険性だった。
以前、扉を建設する作業員ドワーフが教えてくれた通り。特定の世界へ繋げる扉を開くのに必要なのは、この土地に満ちる魔力。
「……やっぱり、そんなのダメだよ」
「うん……いくら帰りたいからって、なぁ」
理性的な意見が、あちこちで囁かれている。
この会場に集まる人族は、ほぼすべて転生者。しかも、ゲームのシビュラを愛したゲーマーたち。
そんな彼らが、正気の状態で「扉開きます」に賛同するはずはないのだが。
『ただし』
扉が開かれても、土地を満たす魔力のすべてが枯れ果てるわけではない――。
初代様の言葉に、会場のざわめきが濃くなった。
『この世界が死ぬことはない。たしかに今を生きるものの半分は奪われるかもしれないが。残されたものから、再び芽は出る……そうして、命は廻るのだ』
そよ風のように優しくも、力強い芯をもつ声が、頭にすっと溶けていく。
この地で一番古く、そして力を持つであろう竜の言葉――私だけでなく、会場の隅々まで染み渡ったようだった。
『己が欲を貫き通す代償について、よく考えることだな』
今のが後援演説だったのかは不明だが。
初代様の言葉は、間違いなく人族たちの意識を変えていた。
「なぁ、もしこの世界が完全には壊れないってんなら……」
帰りたい。
そんな声が、ポツポツと上がるようになった。
「イオ様の『異世界への扉、開きます』に乗っからないと……アタシたち、前の家族に会えないんでしょ?」
ワチと同じく、元の世界に戻りたいと思う人々は一定数いる。
ただ――「帰ってしまえば関係ない」と言う人もいれば、「帰りたいがために世界を滅ぼすなんて……」と言う人もいるのだ。
「そんな……この世界が危険に晒されるというのに、それでも帰りたいと言うのですか!?」
『皆さま、ご静粛に』
とっさに出た生身の声は、イオのマイク越しの声にかき消された。
揺れる民意を前にした、イオ・サキギリ――こちらへ向き直り、勝ったような笑みを浮かべている。
「たしかに選挙をイベント化したことで、来場者は爆発的に増えました。その分人々の考えは多様化し、サキギリ家に賛成する以外の者も現れはじめた……ですが」
「こちらにはコレがありますからね」――イオが指を鳴らせば、ミレイユが一歩前に進み出た。
ついに来た。
なぜかワチは不在だが、イオがミレイユにスキルを使わせようとしている。
「……神王、それに命を受けたものの、仰せのままに」
淡々と吐き出したミレイユの瞳が、オレンジ色の輝きを増していく。そして――彼女のピンク色の肌から、次々と泡が浮かびはじめた。
あれこそが、前哨戦でまんまとやられたスキル【誘惑】。あの泡が割れた時の霧を吸い込めば、みんな己の欲へ忠実になってしまう。
「ミレイユ……」
本当に、悪魔の力としか言いようがない。
ただ――今回は違う。
フルフェイスマスクをつけている人たちは、会場を包み込む泡を前に、「これも演出?」と盛り上がっている。
「……っ?」
あのミレイユが、珍しく片眉を動かした。「どうして効かないのか」と言いたげに。
正気でも、サキギリ陣営に賛成する人たちは少なからずいる。
手放しで喜ぶわけにはいかないが――とりあえず、マスクの効果は抜群だ。
「え、なぜ……」
「おーっほっほっほ!」
いつもの笑みを崩したイオに、ここぞとばかりの“ご令嬢高笑い”をお見舞いした。
「何のために“仮装OK”にしたのか、さすがの貴方でも分からなかったようですね!」
「仮装……まさか、あのマスクは」
かつて盗難事件の時にタッグを組んだ“名助手”も、今回の作戦には気がつかなかったようだ。
「これに、耐スキル効果が付与されているとでも……?」
ドラグになり切れる「ドラゴンマスク」を見つめ、イオは歯を噛みしめた。
しかし――さすがはイオ。5秒も経たずに、元の笑みを取り戻している。
「よく知らない立候補者が現れたところで、サキギリ家の信頼には勝てませんよ」
「いいえ! 『シビュラを大切に』という想いは、元プレイヤーの誰もが抱いているはず!」
もはや、候補者演説などあったものではない。
異世界への扉を開くか、開かないか――それを会場の有権者たちに問いかける、イオと私の論舌合戦へ突入した。
「愛しい家族が待つ世界へ!」
「自分のためなら、この世界を切り捨てるというのですか!?」
会場に集まった“コスプレ有権者”たちの反応は、おそらく五分五分。
やがて選挙管理委員が合同演説に終止符を打ち、『では、投票に移ります』とアナウンスした。
これから、会場の有権者たちは移動を始める。
神王ワチの『異世界への扉、開きます』を推すサキギリ家へ賛成する者は、ステージ右の箱へ。私の『扉壊そうマニフェスト』へ賛同する者は、ステージ左の箱へ。それぞれ、投票用クリスタルを投入するのだ。
移動する“コスプレ有権者”たちの群れを見守りながら、密かに手を組んだ。
「お願い……」
祈るべきシビュラの“神王”は、この世界を犠牲にしようとしている。
たとえそれが、初代様の言う通り、半分で済んだとしても――消える命に代わるものなどないのだ。
ここは、ゲームの世界ではない。
シビュラに生きる、すべての異種族たちの味方ができる人間は、今ここにいる私だけ――はたして、仲間を増やすことができるのか。
浅い呼吸を繰り返すうちに、大きな手が手へと触れた。
表面はひんやりとしているのに、温かい。大好きな、夫の手。
「……大丈夫、絶対に」
慰めではない。
夫の確信をもった黄金眼に、思わず祈りの手を緩めた、その時。
『時間です、移動をやめてください』
ついに、投票結果が出る――。
『2525対893で――』
現職知事、イオの勝利。
業務的なアナウンスに、頭が真っ白になった。
「え……?」
圧倒的な差。
彼ら転生者の意思は、明確だった。
ただ、おそらく――“シビュラの原種”である初代ドラグが、転生者たちの「帰りたい」という想いを後押ししたのだ。
『扉が開いても、シビュラが滅びることはない』――その言葉が。
「そんな……」
怒りか、悔しさか。
ごちゃまぜの感情が込み上げる中。
「帰りましょう、貴女も」
こちらへ手を差し伸べるのは、目の前にやってきたイオ。
見上げる先の碧眼は、やはり、縋るような熱を宿していた。
「帰りを待つ人が、必ずいるはずです」
「貴方は、いったい……」
彼が何者なのか、まだ予想はつかない。
それでも、間違いなく元の世界の私に近しい人――そんな人が側にいると理解した瞬間、懐かしさがあふれてきた。
仕事帰りによく寄ったコンビニ、こたつに入ってプレイした『幻想国家シビュラ』――疲れ果てていたけれど、あの時の私は不幸ではなかった。
「エメル……」
夫の声に、ふと我に帰った。
痛いほどに握られた手が、震えている。これはきっとドラグの震えだ。
「匡花……」
「ドラグ……様」
今度こそ、誤魔化しはきかない。
私自身が、私の居場所について、どんな選択をするべきか。
それは――。
乾いた唇を開きかけた瞬間。
地鳴りのようなものが響きはじめた。
「えっ、なに……地震!?」
「でもここって“移動都市”の上だぜ?」
コスプレ有権者たちが騒ぎ立てる中、ビルの谷間から押し寄せるのは――。
「リッチ……いや、ドワーフ、ピクシー……!」
夫が種族名を挙げることが間に合わないくらいに、大量の魔族の群れが会場へなだれ込んでいる。
「何事ですの……!?」
「エメルよ、久しいな」
魔族を率いているのは――銀のサイドテールを揺らし、白コウモリたちに運ばれる吸血鬼。
「リーザ……!?」
トロイカで縁を結んだ、友人の領主夫人。
魔族誘拐事件の真相はドラグが伝えたはずなのに。
まさか、ブルームーン・トロイカが出兵した――?
「なに、今度は妾たちが助けに参った次第だ」
「助けに……?」
いったい何のことか。
仮装に混じる、本物の異種族たちを見渡していると――彼らは、胸の前にカードを掲げていた。
「あれは、いったい……」
「『就労ビザ』だよ」
答えたのは、牙を見せて笑う夫だった。
まるで最初から、こうなることが分かっていたかのように。
「ビザって……どういうことですの?」
ドラグが言うことには――積極的に、外部からの労働力を誘致していたトウキョウト、その施策を逆手に取ったという。
「規則の範囲内なら……たとえ魔族が“定住の人族”を上回ったとしても、就労滞在を拒めないよね?」
珍しく挑発的なドラグの笑みに、イオが一瞬真顔になった。
「……ええ、シオン領領主様のおっしゃる通りです」
そして、たとえ短期であろうとも、労働者に選挙権が与えられるのがトウキョウトのルールだ。
「ドラグ様、もしかして……!」
「うん。言ったでしょ、絶対に大丈夫だよって」
本当に、この夫竜は――ピンチの時に必ず助けてくれるなんて、ずるい。
「見直した……?」
少し照れたように言う夫につられ、「え、ええ」と口ごもってしまった。
見直すも何も、最初から夫のことは「有能夫」だと思っていたが――まさか先日の通話で、トロイカの魔族たちに応援要請をしていてくれたなんて。
この状態で集計し直せば、いったい結果はどうなるのか。
『えーと……これは、でも……』
選挙管理委員のアナウンスに、戸惑いが混じっている。
リーザ率いる無数の魔族がステージ左へ移っていき、開票結果は――。
『2525対2832で……』
新参・エメルレッテの勝利。
震えるアナウンスを聞き終えた直後。
身体が宙に浮いた。
「エメル……! やったよ、勝ったんだ!」
「……っ」
ドラグに高く持ち上げられ、ようやく意識が戻ってきた。元々賛同してくれていた人族たちをはじめ、魔族たちも歓声を上げている。
そうだ――シビュラの未来を決める投票に、当事者たちがいないなんて。最初から、この選挙はおかしかったのだ。
「ご覧になったでしょう、イオ。これが“民意”です!」
ため息とともに笑みを崩したイオが、「匡花……」とつぶやいた、その時。
「ははっ! 勝利宣言に来てみれば」
「これは予想外」とのたまうのは、ジャージにヘッドホンの少年――神王ワチ。
「いつの間に……!?」
ほとんど気づかないうちに、彼はステージ中央へ立っていた。
それでも、彼は何もできないはず。この選挙の勝者は私たちなのだから。
「“民意”はシビュラを守ることにあります。ですから、どうか――」
扉の建設を、今すぐ中止するよう求めれば。
トロイカから駆けつけた魔族たちも、「自分たちの世界を守りたい」と、悲痛の叫びをあげた。
「ふぅん……?」
この状況、ワチは扉の建設を断念するしかないはず――そう、確信したのだが。
顔を上げたワチは、寂しげに微笑んでいた。
なにかを割り切ったような表情に、背筋が震えた、その時。
『たった今から、この都市の“民主主義”は死にました~!』
マイク越しに放ったワチの宣言は、耳を疑うものだった。
次回:最終章「ふたつの世界~幻想国家『シビュラ』~」
“推しモドキ”の妻になった匡花がシビュラで得たものは、“人生の推し”。
その絆は確かなものに思われたが。
「では、私がこの世界に呼ばれた理由は……」
エメルを取り巻く思惑。
そして、夫竜に関する“取り返しのつかない真実”が、
夫婦の絆を揺るがす最終章――
2025年12月9日(火)、開幕。




