89話 【誘惑】対策:ハロウィン
「では、お願いします」
夫の声で、ふと目が覚めた。
ベッドの縁へ腰かけたドラグが、手のひらに光るクリスタル――中継機と向かい合っている。
「投票日は、1ヶ月後の満月の夜で……はい」
通信が切れたところで、両翼の間をつついてみると。
「おはよう」
「わっ……!」
突然振り返った夫に、まさかのハグで返された。
昨晩は熱かった身体が、今は冷たい――。
「よく眠れた? 無理させてない、かな……?」
「ええ、大丈夫ですわ」
誰に何をお願いしていたのか尋れば、ドラグは「ちょっとね」と手元のクリスタルを見つめた。
どうやらトロイカにいるブラッドに、誘拐の真実を報告していたらしいが――それだけでは、「お願い」なんて言葉は出てこない。
「そう、でしたの……」
私も、昨夜ミレイユと実家へ戻ったことを話せていない。彼が隠していることを、あまり強く追求できなさそうだ。
「ところで、ミレイユのスキル……【誘惑】のことだけど」
人型種族を惑わせる、あれに対抗する手段がなければ、やはり選挙で勝てないかもしれない――ドラグはそう言って、一枚の用紙を取り出した。
「役所で出してもらった、トウキョウトの人口と割合……なんだけど」
「えっ、いつの間に!?」
実はもう昼過ぎで、ドラグは私が寝ている間に色々と調べ回っていたという。
まさか、私の指示なしでも動いていたなんて――いつの間にか頼もしくなった夫に、今は目を瞬かせることしかできない。
「それで、トウキョウト全体の有権者は……」
人族が4000人。
就労・留学などの滞在魔族が500体。
「そんな、圧倒的に人族が多いではないですか!」
彼女の【誘惑】の範囲は凄まじく、昨日のドラグ推し女性たち200人あまりに、軽くスキルをかけていた。
もし、投票会場に来た人族の有権者たち全員を操られたら――「勝率なんて1%もないかもしれない」。
ドラグの言葉に、頭が締めつけられた。
「あのピンクの泡から、有権者を守れれば良いのですが……」
そもそもアレ、違法スキルでは――?
選挙でスキル行使は不正にならないのか。
疑問に対し、ドラグは青緑色の炎を吐いた。
「実は……この都市の選挙って、出来レースらしいんだ」
都知事に当選するのは、毎回サキギリ家の人間だけ。都市を作ったワチが推薦する者であり、実際よく働くため、革命が起こった歴史はないという。
「それは……難敵ですわね」
1人のプレイヤーだけが頂点に立つなんて、まるで『幻想国家シビュラ』と同じではないか。
「しかも、都知事秘書は何年も彼女のまま……だって」
いっそ、ミレイユを味方につけるしかないのだろうか――?
しかし昨晩、彼女は言った――
『私はどちらの味方でもありません』と。
ドラグも、「神官の彼女は説得に応じないだろう」と、頭を横に振る。
「あの泡が弾けた時に出る、ピンクの霧を吸わなければ良い話なんだけど」
「霧を、吸わなければ……」
防塵。いや、ガスマスク――だろうか。
シオンの技術班とトロイカの職人を総動員すれば、用意自体はできそうだが。そんなものを、有権者全員に着用強制させるなんて無理だ。
もっと転生者たちが自ら身につけたくなるような、何か――。
「お祭りみたいな雰囲気、出せれば良いんだけどな……」
“領主決定戦”の時みたいに。
ドラグのさり気ない言葉に、口から「あっ」と言葉がこぼれた。
彼が今言ったのは――「お祭り」の雰囲気に呑まれ、競技に参加せざるを得なくなったロードンのことだ。
イベントに有権者たちを乗せてしまえば――ガスマスクに代わるものを、ごく自然に身につけさせることはできる。
「クリスマス……いえ、あっちの方が……」
ここは擬似東京。
そして、仮装と相性が良いイベントといえば――!
すぐさまベッドから降り、薄手のコートを羽織った。
「エメル、何か思いついたの……?」
「あるのです! 自然に【誘惑】を防ぐ方法が!」
いざ、トウキョウ都庁へ――。
「都知事選挙:ハロウィン乗っ取り計画」を引っ提げ、夫とともに選挙管理委員会の会議室へ乗り込んで行ったのだが。
「えっ……ダメ、ですの?」
選挙をイベント化するなんてもってのほか――人族の選挙管理委員たちに一蹴された。
「1ヶ月後の投票日には、“渋谷区”の中心広場へ有権者を集める予定ですが〜。選挙は選挙ですからねぇ〜?」
ゆるふわ三つ編み女性が、眼鏡をクイっと引き上げた。
「で・す・か・ら! その会場を楽しいハロウィン仕様にすれば、政治に関心の薄い層を集めることだってできると思うのですが!?」
それでも、彼女たちは渋る。
政治行事は遊びではないと。
「第一に〜、突然立候補した貴女を受け入れたのだって、都知事の寛大なお心のもとで……」
管理委員は、中立の立場ではなかったのか。
そう、反論しようとした瞬間――リン、と鈴の音が響いた。
「その“寛大なお心”、もう一度発揮いたしましょうか!」
いつの間にか、会議室のホワイトボード前に立っているのは。
『幻想国家シビュラ』プロデューサーが身につけていた、ちびドラ仮面――ではなく、仮面で顔を隠したスーツの男。
どうしてここにいるのか。
まさか本当に、彼が現職知事だというのか――。
驚きで喉が締まって、聞きたかったことが出てこない。
「もうこれは必要ありませんね」と仮面を外し、彼は碧眼を細めている。
「やっぱり貴方だったのですね……イオ・サキギリ」
「おや! ずいぶんと他人行儀な呼び方ですねぇ」
エメルとイオは近しいものだと、すでにミレイユから聞いているはずなのに――そう言って、イオは寂しげに笑う。
私からすれば、イオの方が他人行儀だ。
「貴方は最初から知っていた。私の正体も、すべて。なのに……!」
どうして何も教えてくれなかったのか――震えを抑えながら、言葉を切ると。
イオの唇が耳元へ近づき、「それは2人きりの時に」と囁いた。
「……っ」
とっさに身を引けば、目の前を黒い翼が遮る。
背後にいたドラグが、私を隠すように翼を広げたのだ。
「ともかく許可いたしましょう、『ハロウィン選挙』とやらを」
ただし、条件がある――イオらしい追加が入った。
「私とのデートに付き合ってくださいませんか?」
「は……」
このちびドラ仮面――もとい正体偽り神官、何を言い出すのかと思いきや。この期に及んで、まだ私たちの仲を引っ掻き回そうというのか。
私を隠すドラグの眼光が鋭くなっているのが、後頭部から伝わってくる。
それでもイオは、眉ひとつ動かさない。
「デート……は冗談として。少し、お墓参りに付き合っていただけませんか?」
お墓参り――?
「それは、なぜ……」
「本来、死者の日とはそういうものでしょう?」
死者の魂が帰る日――「サキギリ家の墓場で聞いてほしいことがある」と、イオは微笑んだ。
「エメル……」
ドラグの声が揺れている。
でも――。
「……分かりました」
この身体の持ち主にまつわることを、私は知らなければならない。
含み笑いをする金髪男――イオに差し出された手を取り、強く握りしめた。
雑居ビルに囲まれた、都会の墓場。
入り口の看板には、『雑司が谷霊園』と書かれている。
「ここには、『幻想国家シビュラ』を愛した転生者たちが、集団で供養されています」
イオはいったい、どこまで知っているのか――彼自身も転生者のはずだ。
屋根つきの水汲み場へ向かったイオは、私に柄杓を1本選ぶように言う。その間に彼は、井戸から汲み上げた水を桶へ注いでいた。
「サキギリ家の先祖が代々眠るところ……あなたの父母も、ここに」
「私は、サキギリ家の人間ではないのでは?」
サキギリ家は、両親を失ったエメルの後ろ盾。
ミレイユに聞いたことを話すと、「正確には違う」と、イオは笑った。
いったい、どういうことなのか――。
先を口にしないまま、彼は軽々と水桶を運んでいく。やがて立ち止まったのは、丸い巨石の前だった。
よくある、長方形の御影石ではない。
何も彫られていない、白くつるんとした石。
「もうお聞きになったそうですね」
白菊と似た花を供えたイオは、ゆっくりとこちらを振り返った。
「“シャーロット”と“エメルレッテ”という双子女性について」
「はい……」
この身体はエメルレッテのもの。
そしてなぜか、シャーロットの魂が、匡花の魂と同居している。
身体が行方不明のシャーロット。
魂が行方不明のエメルレッテ。
そんな双子について。
「彼女らは、ふつうの人間ではありません」
イオの言葉に、目を見開いた。
「ふつうじゃ……ないって?」
風が白菊をさらっていく。
彼は、いつもの笑顔を貼りつけている。
「そして、我らが仕える神王ワチも」
「……っ」
新情報だった双子については、ひとまず置いて。
ワチのことは何となく、「おかしい」と思っていた。
13,4歳の見た目なのには違和感がある。いくら前世の記憶からシビュラを整備したとしても、ここはゲームの世界ではない。近代化させるまで、何百年とかかってもおかしくないはずなのに――。
「まさか、人間ではない……?」
「人間ですよ。ただ、“長く生きている”だけです」
イオは祈りの手を解き、こちらに向き直った。
「そもそも、『サキギリ家』というのは――」
ワチと双子の国創りを手伝った、人間の子孫。そして神官は、彼らに協力した異種族たちの子孫。
イオは流れるように話し終えると、柄杓の水を丸石にかけた。
「貴女も」と促され、同じように墓石へ水をかける。元の世界での、“お墓参り”を思い出しながら。
ワチと双子は、長く生きている。“国創り”を果たすほどに。
どういう仕組みかは分からないが、“普通の人間”じゃない――だから、子どもの姿をしているのだ。
では、イオは――?
「……人間の貴方が、神官になった理由は?」
すると――彼の耳で揺れる鈴が、凛と響いた。
耳元で鳴っていると感じるほど、近くで。
「……っ!」
いつの間にか近づいていた彼から離れようと、後ずさった瞬間。
柄杓が滑り落ちた手を、強く握られた。
コン――と、軽やかな音が響く。
「『匡花』と最初にお会いした時、告げたはず」
“運命の相手”――私を見つめる碧眼には、縋るような熱が灯っていた。
「私は、あなた以外と結ばれる気はないのです」
「……っ」
シオンのギルドで、たしかに彼は“運命”と言った。あの熱烈な初対面プロポーズを、忘れるわけがない。
ただ――。
彼が私に執着する理由が、あの時は思いつかなかった。
「前世の記憶と、関係があるのですか?」
イオは一瞬目を開き、真剣な表情を緩めた。
痛いほどに手首を握っていた手が、名残惜しそうに離れていく。
「今話せるのは、ここまでです。あとは――」
すべてが決した後で。
それは多分、選挙の宣戦布告。
イオは私をじっと見つめた後。やがて、こちらに背を向けた。
「お迎えが来たようですね」
「え……?」
「エメル……!」
出口へ向かうイオと、入れ違いで駆けてきたのは――。
「ドラグ……様?」
呟くと同時に、硬い胸の中へ閉じ込められた。
「大丈夫? なにもされてない……?」
「え、ええ。ちょっと手を握られただけで」
「手……!? あいつ、また……!」
以前よりも病気レベルで、私にまとわりつく夫竜。
その黒い翼をポンポンと叩き、安心させながら――イオの背中が消えるまで、いつまでも彼を眺めていた。
たぶん、彼は元の世界の私を知っている。
でも、誰なの――?
シオンで初めて話した時と同じ。
真っ白な中に透明な染みを落としたような――見えない違和感が、彼にまとわりついている。
「……エメル?」
「帰りましょう、ドラグ様」
彼のことが、頭から離れない。
でも――。
今大事なのは、彼が何者かではない。
『ハロウィン選挙』計画によって、現職の都知事に勝利できるか――それだけだ。
「シビュラを壊すような扉を、決して彼らに開けさせはしません」
身体に絡みついた夫竜の尻尾を抱きしめ、遠くにそびえる灰色の扉を見据えた。
次回:「コスOKと聞いて!」
人魔でにぎわう選挙会場。“ハロウィン選挙”、ついに開幕!
『俺が推す彼女は、シオン領“領主の妻”に過ぎなかった。それが……』
“擬人化ドラグ様”の後援演説に、エメルも観衆も聞き入る中。
「え……それ、チート過ぎません?」
対抗馬の現都知事・イオが召喚した“後援者”とは――?




