86話 推しが推しになる日
この世界を危険にさらしかねない、“異世界への扉”の建設。
何があっても、それだけは阻止しなければ――そのために、都知事戦への立候補を決意したはいいが。
「私たちには、根本的な問題があります」
「…………なに?」
朝になってもまだベッドから出られない夫を振り返り、パチンと手を叩いた。
「知名度が皆無なのです!」
そう、ここはシオンではなくトウキョウト。突然私が立候補したところで、「だれこれ?」状態になることは目に見えている。
だから――。
「ドラグ様に、後援者をお願いします」
まだ目をこすっている夫の手をとり、黄金の瞳にかかる前髪をかき上げた。
「後援者……?」
このイケ竜が、今回の選挙には必要不可欠なのだ――“人生の推し”を推す側としては、とても複雑な決断だが。
『転生者は、この世界に思い入れが深い人間』
ディナーの時、ワチはたしかにそう言っていた。
つまり転生者は、『幻想国家シビュラ』のプレイヤーたちということになる。
「僕ってほら……人前で映えるようなタイプじゃないし。支援者なら、アレスターを呼び出した方が適任じゃ」
「いいえ! その“お顔”が必要なのです!」
ぽかんとする夫の顔を見つめ、手の震えを抑えつつ熱弁した。
私が元の世界で推していたドラグ様は、『幻想国家シビュラ』男性キャラ投票1位の人気ぶり。この世界に転生した人族の中には、きっと私と同じように、ドラグ推しの人も数多く存在するはず。
「失礼は承知のうえで申し上げますが、貴方の人気を利用すれば……!」
確実に票を集めることができる。
「で、でも……いくら外見が似てたって、僕の中身はこんなだし」
「は~!? まだそんなことおっしゃいます?」
うっかり手元の本を折りそうになった。
トロイカで通話している時も思ったが――この夫、自分の顔がいかに夢女を狂わせるか自覚していないのだ。
「でも、たしかにそうですわね……」
私も最初はそうだ。この世界のドラグがネクラ竜すぎて、「推しモドキ」だと絶望していた。
夫はありのままが最高だと、今なら分かるが――他のドラグ推したちは、中身を知れば「解釈違い」だと感じるかもしれない。
「分かりました。私、ちょっと鬼になりますわ」
「え……?」
ミレイユの美味しい和朝食を頂いた後。
「疲れたから今日は部屋で休む」と言い残し、再びゲストルームへ戻ることにした。
「さて、ビッシバッシいきますわよ!」
ベッドで正座する夫の前に仁王立ちし、書店で入手した『種族図鑑』を掲げた。
「……なに、その分厚い本」
「これは教本ですわ」
まさか、あるとは思わなかったが――この世界に転生した何者かが作った、『幻想国家シビュラ』のキャラブック。ここにはもちろん、推しのことも載っている。
「……たしかに、彼は竜化した僕そっくりだけど」
山麓の田舎町シオンの領主で、少々強引な勇ましいドラゴン――そのキャッチコピーに、ドラグ自身は首を傾げている。
「むしろ、初代様の方が近いんじゃない……?」
「でも初代ドラグ様は神官ですよ?」
つまり、神王側の“元祖推し”に後援者を頼むことは不可能――ここにいるドラグに、“擬人化したドラグ様”としてアピールしてほしいのだ。
一向にベッドから立ち上がらない夫の手を引き、「まず立ち方から」と、猫背を叩いた。
「もっと胸を張って堂々と! 前にやっていたでしょう!?」
あれは忘れもしない。『資材盗難事件』の捜査の最中だった。
助手のイオに嫉妬したドラグが、推しムーブをして現れたのだ――私の「推し話」仲間のアレスターから、演技指導を受けて。
「あれは……冷静になると恥ずかしいんだけど」
「大丈夫、かっこよかったですから!」
かっこいい――その言葉に、ドラグは突然翼を広げた。
硬い鱗が光る翼の中に、身体が閉じ込められる。
「えっ、な――」
こちらに迫る理由を尋ねる間もなく、背中がベッドについた。
わけもわからないまま、翼を使って押し倒されたのだ。
しかも――。
「ほ、本当にそう思ってる?」
輝く黄金眼の後ろで、尻尾の先が小さく揺れている。
「あーもう、この推しは……!」
竜というより、大きな犬に見えてくる――普段は挙動不審癖が抜けないくせに、こういう時だけ押しが強いのだから敵わない。
横を向いて考える間にも、頬に冷たい温度が触れた。
たぶん、夫がよくやるアレ――不意打ちキス。
「こ、こらっ!」
「……ダメ?」
「ダメです絶対! 今は選挙!」
この後だって、役所が開き次第、立候補の手続きへ向かわなければならないのに。それも、ミレイユには決してバレないよう。
「……そっか」
明らかに沈んだ声とともに、夫が身体を起こした。
「あ……」
自分から引き離しておいて、つい声が漏れてしまったが――ダメだ、私。
夫竜を完璧な“推し”に仕上げるまで、こういうのは無しだ。
「……よし!」
顔を上げ、しおらしい夫の横顔を見つめた。
今からこの夫を、“僕っ子ダウナー系ドラゴン”から“俺様ワイルド系ドラゴン”へ仕上げなければ。
「喋り方も優しすぎます! もっと声に芯を通して、少し吼えるように!」
「は、はい……」
私だって辛い――夫は、夫だから良いというのに。
しかし。
心を鬼にして、指導を続けた結果。
「どうした、我が妻よ。近くに寄り、その愛らしい顔を見せてくれ」
「かっ……」
ドラグの周りに、星のようなキラキラが舞って見える――右目の【能力鑑定】に、映え用加工機能が追加されたのかと疑うほどに。
これぞ完璧な、竜貴族ドラグマン・グロウサリア――!
間近に迫る瞳の輝きが強すぎて、つい目を逸らしてしまった。
「あ、でも。それだと俺様っていうより、なんかキザっぽいような」
「そう? うーん……難しいな」
とにかく、ドラグ様担が喜びそうな“ワイルド系イケメン”は作られた。
最初の私のように、「擬人化は解釈違い!」みたいな人がいないかが心配だが――。
「ところで、エメルは……」
「はい?」
すっかり元の調子に戻ったドラグは、私を抱えたままベッドへ横たわった。
一瞬警戒したが――ただ話をするだけのつもりらしい。
「崇拝するくらい、“オシ”――違う世界の僕を好きみたいだけど」
そもそも、どうして推しを好きになったのか。
疑問とともに、ドラグの尻尾が私の腕へと巻きついた。マッサージするように動いてくれている。
「どうして、ですか……」
話せば、原稿用紙300枚分より長くなる。
とりあえず「ギャップにやられた」と、ドラグにでも分かる一言で表した。
「彼は、どんな種族相手だろうと堂々としていて、容赦ない性格なのですが」
この世界へ生まれてきた者には、その者にしかない役割がある――。
すべての種の可能性を見出すあの言葉に、当時企画リーダーを任されたばかりの私は救われた。
周りが個性派揃い、しかも若手で異例のリーダー抜擢だったこともあって、最初は幼馴染以外誰もついてきてくれなかった。
「そんな時、ドラグ様のお言葉を聞いて……」
仲間ひとりひとりを見るようになった。その人が何に向いていて、何をしたがっているのか――そんなことを考えるようになった。
結局、「勝手に決めつけるな」「怖い」と、チームの後輩からは陰口を叩かれていたが――。
「まぁ……一番はお顔でしたけど!」
すっかり静まった空気を緩ませようと、笑ってドラグを見上げると。
黄金の瞳が、かすかに揺れていた。
「……それが、前の世界の君だったんだ」
私が前世で何をしていたかなんて、彼は聞きたくなかったかもしれない。
ただでさえ、私が元の世界へ帰らないか怯えているというのに。
「ドラグ様、あの……」
こちらから言葉を発する前に、抱きしめる力が強くなった。
もう、この温度や感触から離れることなんてできない――そう思わせられるように、彼の腕の中は心地良い。
まだ少し、照れのせいで身体が硬くなってしまうが。
「……僕にできることをするよ」
「え……?」
完璧な“ドラグマン”を演じて、私を選挙で勝たせてみせる――。
まっすぐなドラグの宣言に、背筋が震えた。
そうだ、彼はこれまでずっと、私を支えてくれたのだ。今度は私が覚悟を決めて、トウキョウトの現職知事と闘わなければ。
「はい。行きましょう、ドラグ様!」
いざ選挙へ――。
ミレイユに秘密で中央役所まで駆け込み、正式に立候補の手続きを終えた。その後も、電光掲示板へのマニフェスト投稿依頼に、選挙カーの手配――やることは凄まじくある。
そして一番大切なのが――。
『トウキョウ都民の皆さま、こんにちは! 私、エメルレッテ・グロウサリアと申しますわ!』
渋谷のスクランブル交差点を模した道路の横で、車の天井スペースに乗り、マイクを握って声を張れば。
「ん、サキギリ家の人じゃない……?」
「おい、まさか新しい候補か!?」
ゾロゾロと往来する人族や魔族たちが、一斉にこちらを振り返った。
今だ――!
『こちら、後援者のドラグマン・グロウサリア卿でございますっ!!』
手筈どおり、ドラグを前へ押し出すと。
選挙カーの周りには、すでに数人が集まりつつあった。
『……ほう、ここがトウキョウトか。何をしているお前たち! もっと近くで俺様の声を聞け』
微妙に「違う」感はあるが――はたして、この顔面の引力やいかに。
祈るように息を呑んだ、その時。
「あれ、黒い竜人? 竜じゃないけど……もしかしてドラグ様!?」
「えー!? この世界のドラグ様ってこと?」
呼吸を乱した女性ファンが、すぐに数人駆け寄ってきた。
オタクの心をオタクは解せる――感動の涙をこらえ、そう確信した瞬間。
「エメル、今だよね」
「え? あ……は、はい!」
より街頭で目立ち、演説を盛り上げるために用意したうちわ――「ドラグ様」の名前入りのそれを、選挙カーへ集う彼女たちへ配っていった。
『どうぞアピールを! 貴女たちひとりひとりを、ドラグ様は見ておられます』
『……ああ。来い、お前たち!』
ドラグがキメ顔で翼を広げれば、断末魔のような悲鳴が周囲の音をかき消した。
よし、いい感じだ――。
教えた通りにファンサするドラグに、ドラグ担女性たちは、胸を押さえて崩れていく。
自分もあちら側にいたら、違和感なく溶け込んでただろうな――。
とりあえず、初日は印象づけでいい。
「異世界への扉」に踏み込むのは、都民が新候補の顔を知ってからだ。
まずはドラグ担の気を引くことで、周囲も「なんだ?」と集まる流れを作る――その調子で各区を回っていると。
「お嬢さまがた! な〜にをしているので〜す!」
ついに来た――。
群衆を押しのけ、選挙カーを揺らす勢いで迫っているのは、マシュマロボディの乳母――ミレイユだ。
いつも綺麗に巻いている金髪を逆立てながら、「どういうつもりか」と慌てている。
目を見開く彼女に対し、挑発するように目を細めた。
「あーらミレイユ。私たち、都知事候補として立候補しましたの」
これからはライバルですわね――推しうちわを扇子がわりに口元へ当て、ご令嬢さながらに高笑いをすれば。
「どうして、こんなことを……?」
ミレイユの雰囲気が変わった。
彼女は人族のはず――なのに、彼女を取り巻く空気が凍るような音を立てている。
淡々とした口調も、無になった時の顔も、以前感じたものと同じ。
そばに居るだけで、身体が震えそうになるような威圧だった。
「お嬢様、旦那様、どうして……」
「だってミレイユ、何も教えてくれないではないですか」
何を言われても、どんな空気を醸し出されても、やめる気はない。
そう宣言すれば。
「残念、です」
「え……?」
機械のような声色でつぶやくと。
ミレイユは静かに踵を返した。
「現職」を連れてくると言い残して。
「やけにあっさり引き下がりましたわね」
「現職って……どういうことだろう?」
熱を取り戻した群衆が、ドラグにファンサを求める中。ドラグと2人、視線を交わしていると――。
『対ヨロ! てことで、ボクも今から混ぜてもらっていいかな?』
熱狂する群衆をかき分け、同じ借り物の選挙カーで突っ込んできたのは。
「なっ……!?」
パーカーにジーンズ、ヘッドホンを首にかけた、中坊ルックの少年。
神王ワチ――レストランで会った時よりも、どこか固い笑顔で微笑んでいる。
『田舎領の領主夫妻と、このトウキョウトの設計者――勝つのはどっちかな?』
次回:『ウン、マイク性能いー感じ! んじゃ、ラップバトルはじめますか〜』
エメルたちの演説途中に割り込んだのは、神王のワチ。
『本投票の前に、民意を測る軽い投票でもやってみようか?』
はたして、トウキョウトの都民たちが選ぶのは――この都市を造った少年か、それともシビュラ人気投票No.1の“ドラグ様”か!?




