84話 ランク上位者ディナー
神王ワチによる、トウキョウタワーへの呼び出し。
それも、都市全域に響き渡る大音量で。
『「ひとりで来てね!」、だそうで〜す!』
おねーさんとのデートだから――付け加える声に、ドラグがベッドから飛び上がった。
「デートって……彼、わかってるよね? 君が誰の妻なのか……」
「冗談ですから、たぶん!」
竜化しかけた夫をなだめ、音の消えたスピーカーを見上げた。
私がドラグと一緒にここへ来たこと。そして私が元の世界に帰るつもりかは分からないと、ミレイユが報告していた相手――きっと、ワチだったのだろう。
「エメル、本当にいくの……?」
何かの罠だったら――私の袖を掴んで離さない夫に、「心配しないで」と微笑んだ。
トウキョウトの状況、扉の正体、転生のこと――ワチに訊きたいことはたくさんある。
私ひとりを呼び出す理由は分からないが。
「必ず戻りますから」
「……でも」
袖を掴む夫の手を握り、安心させるように微笑んだ。
ワチとはいつか、向き合わなければなかったのだ――これは絶好の機会に違いない。
昼間訪れたばかりの、トウキョウタワーの展望エリア。そのさらに上階に、サキギリ家御用達のレストランがあるとは思いもしなかった。
「久しぶり、おねーさん!」
「ワチくん……いえ、“神王様”」
以前『エメル村』で見た時は、元の世界の中学生を彷彿とさせる風貌だった彼。それが今は、神官たちと同じ、黒のオフィシャルスーツで決めている。
『扉ができる頃、迎えにいくから』――あの言葉を聞いて以来、会うのは初めてだ。
「その星空みたいなドレス、ミレイユのチョイス? 激マブじゃん」
「……ありがとうございます」
やはり、神王である彼も、サキギリ家と繋がりがあるということか――イオが神官の時点で、そうだとは思ったが。
ミレイユが私のことを報告していた相手は、彼に間違いなさそうだ。
「んじゃ、こっちねー」
ワチは私の手を腕に添えさせると、貸切のレストランの中を颯爽と歩いていった。
ここはまるで、元の世界のスカイラウンジそのままだ。
「どう? この席、景色いーでしょ」
「……でも、どうして私を?」
すると、ワチは人懐こそうな笑顔を浮かべ、「お礼がしたかった」と言う。
シオンの魔性資材を、約束通り送ってくれたから――と。
「でも、あれはお金を頂いていましたし」
その内のいくらかは“手数料”として、領の財政資金に回したことは秘密だが。
「資源は時に、お金よりも価値があるもんでしょ? それを分けてくれたんだからねぇ」
こちらから窓辺へ視線を移し、ワチは口を閉じた。
眩しいほどに輝く夜景を眺める、ワチの大人びた横顔――視線の先には、灰色の扉の影がそびえていた。
資材の調達は、やはりあの扉を建設するためだったの――?
早くなる胸を押さえ、ネオンの明かりを反射する横顔に問いかけると。
ワチは笑って、ウェイターを呼び出す鈴を鳴らした。
「まぁ焦らないでよ。前菜もまだなんだから」
やがて運ばれてきたのは、食前の白ワインに前菜のカクテル・シーフード。
ワチはエビのような甲殻類を摘みながら、上品な所作でグラスを傾けている。
「それ、お酒では……」
「ボクのはシャンメリーだから気にしないでよ! それより」
扉のことはもう知ったみたいだね、とワチは声を低くした。
「あの扉が何なのか、ミレイユからもう聞いてる?」
「いいえ、それが……」
ミレイユは扉のことを誤魔化そうとした。
それだけ、正直に話すと。
「そっかぁ。まぁ、彼女ならそうするかぁ」
ワチは意味深に瞼を伏せ、空になった前菜の皿を見下ろした。
「次、ボクおすすめのスープとパンがくるよ」
「……はい」
勧められるままパンをかじっても、上手く飲み込めない。
ミレイユがどうして扉のことを隠すのか――彼女の温かさの裏に隠された、無機質な表情が忘れられなかった。
湯気立つスープを前に、視線を落としていると。
私の湿気を払うかのように、「あの扉はね」とワチは声を明るくした。
「異世界への扉なんだ」
「え……?」
今、とんでもない言葉が飛び出したような――パンにバターを塗りながら、ワチは何でもないことのように言った。
“異世界”と。
「“転生者”が、故郷へ帰るためのね」
「それは……」
ワチ自身が転生者。
そして、元の世界に帰ることを望んでいる――と、いうことだろうか。
「ああ、メインのお皿が来たよ」
湯気を立てる魚のポワレを前に、口を閉じざるを得なかった。
このままでは、彼が投下する“衝撃の事実爆弾”に身動きが取れなくなってしまう――震える指で、なんとかナイフとフォークを掴み、魚の身を口にした。
「おいしーでしょ? 火の精霊がシェフの中にいるからね」
そうだ――ここは魔法と異種族の存在するシビュラ。だとしても、世界同士を繋ぐ扉の建設など可能なのだろうか。
「扉、できるのですか……? 本当に」
「もっちろん! この世界の『シビュラ』を整備して、トウキョウトを創ったのはボクなんだよ」
自信満々に胸を張るワチに、「え?」と形作った口が動かなくなった。
元の世界の科学、そしてシビュラの魔法――それらを融合させた都市。そんなもの、どうやったら人間に創ることができるのか。
ワチは、ただの転生者ではないの――?
「あははっ! これが『幻想国家シビュラ』のイベント・ランク1位常連の実力ってやつ?」
ランキング1位――?
「えっと……待ってください。まさかそんなことって」
「『23時〜2時オン対ヨロ! シビュラの異種族“箱推し”勢』……って、言えば信じる?」
目の前の少年を見ても、まったく信じられないが――その文言は、間違いない。
「本当に……あの『WACHI』さん、なんですか?」
忘れもしない。「寝ていないのでは?」と、疑うほどぶっちぎりで国家予算を貯め、鬼畜なイベントミッションも全コンプしていたプレイヤー。
「そう、それボク! 万年2位にしちゃって悪いねー、『KYOKA』さん?」
「……っ」
久々の響きに、全身が震えた。
やはり。ワチはエメルレッテの中身を知っている。
まさか、同じゲームのプレイヤーだとは思いもしなかったが――彼は余裕の笑みとともに肉を頬張るだけで、私の反応なんて、どうでも良いみたいだ。
でも、おかしい。
この世界の人間が、みんな転生者だとしても。私は自分の正体を、自ら誰かに話したことはないのに。
「……なぜ、元の世界の私をご存知なのですか?」
するとワチは、ようやくナイフとフォークを止めた。
「ん? なんでだろうねぇ」
ワチは私にあまり考える時間を与えないかのように、「とにかく」と声を張る。
「この世界はさぁ、『シビュラ』に思い入れの強い人間を引き寄せてるってこと」
「思い入れの強い人間……?」
ワチの言葉に、顔のない花嫁――時渡人が思い浮かんだ。
彼女はたしか、最初に言っていた。
『事故に遭った不憫な其方のため、其方が愛したゲームに似た世界へ命を繋いだのです』
でも、今ならあれが嘘だと分かる。
彼女は、私をこのシビュラに呼び寄せた、本当の理由をまだ教えてくれないが――。
「ボクもKYOKAさんと同じさ。廃課金するほど、シビュラを愛していた。それに……」
元の世界の家族のことも――そう言って、ワチは寂しげに笑った。
彼は妻子持ちの、ごく普通のサラリーマンだったという。
「ね、キミにも大切な人がいたなら分かるでしょ? 元の世界に帰りたいって気持ち」
「それは……」
元の世界の家族に会うこと。
それが、ワチの目的――そして、扉の建設理由。
転生者の中には、ワチと同じように、元の世界へ帰りたいと思う人も多いだろう。
「ほら、お楽しみのデザートがきたよ」
甘いものが一番好きと言って、フルーツとジェラートのプレートに目を輝かせるワチ。彼の笑顔から、つい目を背けた。
「……そうすると、シオンの資材の使い道は」
「うん。扉の建設には、異空間同士を的確な座標で繋ぐ魔力が不可欠で……って、言っても分からないか!」
とにかく、扉の建設には魔力を帯びた資材が必要だった。だから、神官たちにシオンの特産品である“魔性ツリー”や“結晶石”を集めさせていたという。
「やっとなんだ。やっと……“元の世界への扉”が完成する」
移動都市へ資材を集め、トウキョウトの政策として神域へ建設中の“扉”。
それが完成したら、元の世界に戻れるのか。
もしかしたら、行き来できるのでは――?
かすかな希望を言葉にしなくても、ワチは私の顔を見るだけで笑っていた。どこか陰りのある雰囲気で。
「期待してもらって悪いけどね。扉を異世界へ繋ぐには、まだ大事なものが欠けているんだ」
ある者の特異なスキルが必要――ワチは空の皿から視線を上げ、私を見つめたまま言った。
「そのスキルを持っている子の行方を、エメルさんは知っているはずなんだ」
「え……私が?」
キミと瓜二つの顔をした女性を知らないか――ワチの言葉に、周りのかすかな音が消えた。
知っているも何も。
領主決定戦でドラグが暴走した時、呪いの泥の中で見た。
でも、ワチが探している人かは分からない。
それに――ドラグの呪いのことや、自身の中に存在する時渡人のことを、ワチに話していいものか。
ミレイユといい、ワチといい、様子がおかしい気がする。
最初からすべて知っていたのに、ここに来るまで、私には何も教えようとしなかったこと含め――彼らのことを、まだ信用できない。
扉の建設に関することを、この移動都市の中だけで、こっそり進めているような気がするのだ。
「……私、知りません」
向こうが隠し事をしているうちは、私も隠し通した方がいい。
ドラグの呪いのこと。それに、時渡人のことも。
「記憶が戻ってから半年は待ってあげたけど……そだね、一度持ち帰って、よく思い出してみてほしいな」
互いの皿がすべて空になったところで。
どこか含みのある笑顔に送られる中、「ごちそうさま」と頭を下げた。
「あっ、待って!」
最後に、と軽い調子を消した声に振り返ると。
「本当に、よく考えてほしいんだ」
ワチのブラウンの瞳には、鋭い光が射していた。
「この“シビュラに似た世界”で一生を終えるのか。“キミを生み育てた世界”へ戻るのか」
選択を迫る言葉。
どちらかを迫るということは――世界間を行き来することはできないのか。
ただ一言、「はい……」と答え、ワチに背を向けた。おぼつかない足取りを悟られないよう、ヒールに集中して。
「はぁ……」
ひとり、長いエレベーターに乗る間。
胸に手を当て、「いる?」と声をかけてみたが――胸の中の時渡人は、やはり答えない。
ワチと同じ選択を、私に迫ったくせに――ワチの前で、彼女は完全に息を潜めていた。
「……答えてよ」
時渡人は何者なのか。
沈黙が答えを先延ばしにするたび、胸の中の澱が溜まっていく気がした。
このまま部屋に帰って、ドラグに本当のことを話せるだろうか。
もし“帰る”ことが救いなら、“ここに留まる”ことは罰なのだろうか――。
次回:元の世界か、今の世界か――。
選択を迫られるエメルを、夫竜は久々の夜景飛行に連れ出す。
『信じるよ、君のこと』
妻の揺れる心を悟りながらも、安心させようとするドラグだが……。
夜景飛行の最中で見つけたのは、思わぬ“扉の代償”だった。




