79話 黒いサンタクロース?
巨大ツリーの根元に降り立ったのは、青緑の激しい焔をこぼす黒竜――私の愛しい夫だった。
「ドラグ様!」
『グルルルル……』
ダメだ。激昂モードに入っているせいか、会場中に響く悲鳴のせいか、声が届かない。
広間の石畳を板のように割りながら、巨体がこちらに近づいてくる。
「そんなっ! ドラグ様、私です!」
逃げ惑う魔族たちに揉まれながらも、必死に夫を呼び続けていると。
「エメル、あれがそなたの夫か?」
自由自在に曲がる銀髪に、押し流されそうになっていた身体をすくわれた。
「リーザ……!」
そなたがまだ監禁されているとお考えなのか――リーザの言葉に、「おそらく」と頷いた。
彼女の銀髪がさらに魔力を帯び、青白く光っている。
きっと応戦する気だ。
一方、彼女の隣の夫――この事態を巻き起こしたブラッドといえば。不可解なものを目の当たりにしたように、目を見開いていた。
「グロウサリア卿は、なぜお怒りなのでしょうか」
「ブラッド様、今なんと……?」
そんなの、ブラッドがドラグに対して『貴殿の妻は預かった』などと手紙に書くからだ――!
手紙のことを指摘すると、ブラッドは「だが……」と眉をひそめた。
「卿には、『奥方へ会いに来るように』と伝えただけのはず」
「はい?」
私を監禁して、夫を呼び出すことが目的の手紙だったはずだ。
シオンを強制的に戦争へ巻き込むため――違うとは言わせない。
「くっ、くくくく!」
なんだろう、この吸血鬼――。
一触即発の空気の中、突然笑い出した。
「ちょっと! 笑い事じゃありませんわ!」
「これは失礼。どこで話が食い違ったのかと思いましてね」
食い違った――?
いったい、彼は何を言っているのか――胸の中のモヤモヤを投げかけようとした、その時。
『グルルルル……』
血の底から響くような唸り声が響いた。
ドラグは炎の息を吹き出しているだけで、動き出そうとはしていない。
じっと、金銀のオーナメントが彩る会場を見回しているだけだ。
今のうちに、落ち着かせないと――。
ドラグに監禁されていたことを黙っていた私も悪いが、このままでは、せっかく設営した会場が台無しになってしまうかもしれない。
「さぁリーザ、ブラッド様! 今こそ作戦決行の時ですわ!」
「……作戦、とな?」
『緊急ラブラブ共闘作戦』――そう言いかけて、重要なことを思いだした。
「あっ……!」
打ち合わせするの、忘れてた――!
「夫婦が一緒に外敵を倒して仲を深める」ラブラブ作戦に、怒りモードのドラグを利用しようと思ったのに。
こうなったら――いっそ、ぶっつけ本番だ。
「大変! 夫の怒りを鎮められるのは、『頼れるトロイカの仲間たち』だけですわ!」
ドラグには悪いが。彼にはこのまま、領主夫妻だけでなく、トロイカ領民に“絆”というプレゼントを贈る“サンタクロース”になってもらおう。
「よし、奥方殿は安全な場所から指示をせい」
「アレスター!?」
ビーンズ・ケーキイベントの時はいなかったのに、いつの間に会場に現れたのだろうか。
大人の姿の彼に抱えられ、一気に鉛色の空まで飛び上がった。
「わっ、ちょっ、いつもより高すぎ!」
「あまり低いと、ドラグの炎に当たる可能性があるからのう」
「え……」
背後のアレスターを、不安げに振り返ったところ。「疾くせよ」と、彼は赤眼の光を強めた。
そうだ。主催として、この事態をおさめなければ。
まだ見えない壁がある領主家と領民たちの間に、私が立たないと――!
深く息を吸い、大混乱のパーティー会場を見下ろした。
「皆さん! 聞いてくださいませ!」
竜種の登場に叫び回っていたピクシーたちが、チラッとこちらを見上げた。
金切り声が止んだことで、ドワーフやリッチたちも一斉に空へ注目する。
よし、今だ――。
「これは“サプライズ・イベント”でございます!」
できる限りの声を絞り出した、瞬間。
「え……?」と、あちこちから声が上がった。
『あの竜、シオンから攻めて来たんじゃないの?』
次々と上がる疑問を掻き消すように、「違います!」と声を張る。
「今こそトロイカ領民の“力”を示すときです! 皆さんで協力して、どうか夫の怒りを鎮めてくださいませ!」
あくまでレクリエーション、命を狙わないようにと付け加えた。
竜を前にした魔族たちは、もはや身分関係なく囁き合っている。
やがて――。
『おい、あんなに恐ろしいヤツが目玉イベントだって!?』
誰かの、震え混じりの声が響いた。
不安の声が、少しずつ広がっていく――。
でも。きんきらの王冠を掲げたドワーフだけは、迷いのない瞳でこちらを見上げていた。
「いーや勝てるかもしれねぇ! オレたちにゃ、“トロイカ最強種”様がついてるんだぜ?」
「タンザさん……!」
クリスマスイベントの準備を、全力で手伝ってくれた彼。そしてビーンズ・キングに選ばれ、リーザに酒を注いでもらった彼は、信頼の目をリーザに向けた。
「預けていいのか? オレたちの命を」
タンザの力強い声に、リーザは一瞬目を丸くしたが――すぐに、血のような色の唇から牙がのぞいた。
「たわけが……誰にものを言っている!」
ヒールを鳴らし、竜の前に立ちはだかる彼女。その後ろ姿に、領民たちの目は釘付けだ。
「領民はみな、妾より前に出るな!」
自領の民は領主家が守る――彼女の強かな宣言。
その直後。
広間へ旋風が巻き起こり、白と黒のコウモリの群れが混ざり合うように飛び交いはじめた。
ドラグとそれ以外の間に、硬い翼が壁を作っている。
あれは――以前ブラッドの部屋の前で、私を守ってくれた防御壁だ。
彼女の「守る」という意思の表れ――領民たちどころか、私まで身体が震えた。
ゲームのシビュラでは、そのビジュアルから女性キャラ人気No.1だったリーザ。
このシビュラでは、領民を虐げることで秩序を守っていたつもりの彼女が、今は――。
「すんげぇ! リーザ様、あんなことできんのかよ!?」
「よし、オレたちも魔力を送るぞ!」
魔族たちが自然と、リーザに協力するよう動いている。
2週間前まで、言葉を交わすことすら難しかった彼らが――!
「妾が守り、ブラッドが攻める。これでトロイカの何者も傷つけさせぬ!」
領民たちの歓声を受け、さらに彼女は胸を張った。
ようやく顔を上げたブラッドも、そんな彼女を眩しそうに見ている。
「ああ、妻の言うの通りだ」
ドラグを見据えるブラッドの赤眼と牙は、激しい魔力の波に揺れていた。
「すごい……」
ブラッドの闘志に、全身の肌が粟立った。
トロイカ領組の熱気は最高潮――あとは。
「……ドラグ様」
なぜか着陸以来、まったく動かない上に喋らない夫を見据えた。
なんだか、最初からずっと目が合っている気がするが――竜化を解かないということは、私に気づいていないのだろう。
まずはドラグに私の無事を伝え、その後でトロイカ領民の『絆アップイベント』に付き合ってもらわなければ。
「アレスター、次はドラグ様です!」
「なに!? まーたお主、我を無くした竜に近づくつもりか?」
前回の怒りモード――領主決定戦の時は、ドラグが呪いのスキル【異形の翼EX】に呑まれていた。嫌がるアレスターにほぼ無理やり降ろしてもらったが、今は違う。
ドラグは正気だ。私の姿さえ見れば、竜化を解くに決まっている。
「ほら、早くしませんと!」
このままでは、領民たちを睨みつけるドラグに会場を壊されてしまう。
渋々、使い魔を降ろしたアレスターが、静かな炎を纏うドラグへ近づこうとするが――。
「……妙だ」
「え?」
アレスターの動きが止まった。
ドラグは広間に降り立って以来、一度も人語を喋っていない。それに何より、動こうとしない――アレスターの指摘に、「やっぱり」と、喉から声が漏れた。
前回暴走した時のような、黒い泥は漏れ出ていない。
でも、やはり様子がおかしい――黒い波状の何かが、鱗の全身を覆うようにゆらゆらと揺れている。
「アレスター……ですが、きっと大丈夫」
「その“大丈夫”の根拠を申してみよ! ワシはいかんぞ」
その後も「行って」、「行かない」を繰り返すうちに、領民たちがドラグではなくこちらを見上げるようになった。
リーザとブラッドですら、「気が抜けるから騒ぐな」という顔で、こちらを睨むように見上げている。
「妻の私が行かなくて、どうするというのですか!?」
前回暴走しかけた時は、私がドラグの放つ泥の内側に入り込むことで止められた。
あの時、泥の中で見たものは今も忘れられないが――。
『エメル……?』
今――。
懐かしい声がした。
領民たちの方からではなく、竜の方から。
「……ドラグ、様」
『エメル……なの?』
弱々しくも、たしかな熱を帯びた呼び声に振り返ると。
強い光を宿した黄金眼が、今度こそ、私の姿をはっきりと捉えた。
『本当に、君なんだね』
「わっ……!」
竜の顔が、滞空するこちらへ迫った瞬間。
「なんじゃ! お主、正気ではないか」
呆れたように言うアレスターが、私の身体をパッと離した。
「えっ、ちょっと……!?」
「アレスター」と叫ぼうとした声が、空気に押し戻される。
高い、怖い――でも。
私の下には、黒い翼が広がっている。
「ドラグ様――」
地上で待ち受ける竜に向かって、思い切り両手を伸ばすと。
私を受け止めてくれたのは、竜ではなく人の手だった。
いつの間に竜化を解いたのか――迷いのない腕が、力強く抱きしめてくれる。
「会いたかった……」
「……ドラグ様」
安心できるこの温度と、私もずっと触れあいたかった。
中継器越しで聞く声だけでは、全然足りない。
「私も、お会いしたかった……です」
本当は、リーザたち夫婦に自分たちを重ねるたび、ドラグの顔が思い浮かんだ。
そんなこと、ドラグ本人には言えないが。
今だけはすべて忘れて、世界一安全な腕の中を堪能しよう――。
「エメル……ああ、エメルだ……」
「え? ちょっと!」
自分のつま先が石畳から離れたかと思えば、熱を帯びた瞳がゼロ距離まで迫ってきた。
たった2週間会わなかっただけでも、少し照れくさい――見慣れつつあったダウナー系ドラゴンの顔が、記憶の中の100倍麗しい。
「どうして目を見てくれないの?」
「それは……あっ」
冷えた唇が、頬をついばむ。
この飢えた竜――よその領民たちの前で何をするつもりなのか。
「ちょっと待って、こらっ、ステイ!」
肩を思い切り叩けば、ようやく止まってくれた。
やっと離れたドラグは、「なんで?」と真顔で首をかしげている――まだ尻尾を絡みつかせながら。
「それは……って、それより! 怒っていらっしゃったのでは!?」
夫がイオに嫉妬していた時の、禍々しい威圧は忘れられないが――それに比べれば、今はだいぶ落ち着いている。
ただひとつ、私への心配と愛情をひしひしと感じるだけだった。
「怒るって……どうして?」
「だって、『私を監禁している』といった趣旨の手紙を受け取られたはずでは?」
ブラッドはその手紙でドラグを呼び寄せ、トウキョウトとの戦争準備に加担させようとしていたのでは――。
すべて言い終えると、ドラグはさらに目を見開いた。
「……なんの話?」
「は……」
とぼけている様子はない。
でも、確実に手紙はドラグの手に渡ったはず。
5日前、中継器越しに聞いているのだから。
「どういうこと……ですの?」
振り返った先のブラッドは、私の目から逃げるように視線を逸らした。
隣のリーザも、「そなた、何か知っていたのか?」とブラッドの袖を掴んで問い詰めている。
領主夫妻が揉めだしたことで、周りの領民たちもざわつきはじめた。
「どういうことだ? “サプライズ・イベント”じゃなかったのかよ!?」
「せっかく領主様の本気が見られると思ったのによぉ」
当然のことながら、領民たちは今回の背景を知らない。
私がなぜトロイカに長期滞在していて、夫が今、こうして直接迎えに来たわけも。
ただ――私もまだ知らないことを知っている人が、あそこにいるようだ。
「ブラッド様……いえ、トロイカ領領主様」
ドラグの尻尾に巻かれたまま、顔を背けているブラッドに一歩近づいた。
「今回の件について、納得のいく説明を求めますわ」
次回:7章「無音の凍土:ブルームーン・トロイカ」終幕
「『私を監禁している』という旨の手紙を、夫へ送られたのでは?」
食い違う、ブラッドとエメルの認識。
トロイカ領領主の思惑が、ついに明らかとなる一方――
「あっ……鐘の音!」
平和を象徴する鐘の音を聞きながら、エメルは久しぶりの夫婦時間を過ごす。
しかしその笑みの奥で、夫竜はエメルに対する“ある不安”を抱いていた……。




