78話 クリスマス・トロイカ
先日までドラグと繋がっていた結晶石を見つめても、不安が消えるわけではない。
今は怒り狂った夫がトロイカに到着した時の、段取りを考えなければ――。
「イベント中に来るかは分からないけど……」
それでも、備えておくに越したことはない。
もうクリスマスの前日になってしまったが、吸血鬼夫婦に情報共有しておくべきだ。
もはや鍵すらかかっていない“もてなし牢”を出て、上階のリーザの部屋を目指すことにした。
この際、ブラッドに「実はクリスマスは壮行会じゃなくて絆アップイベントでした~!」ということがバレたとしても構わない。
とにかく、ドラグが来る前に「緊急ラブラブ共闘作戦」について打ち合わせを――。
「あれ……?」
リーザの寝室前まで来たところで。
部屋の中から、低い声がボソボソと聞こえてきた――どうやらブラッドが訪問中らしい。
あれから、すっかり仲良くなったみたいだ。
「……今はやめておこう」
そっと後退り、地下牢へ戻ろうとしたところで。
背後に、ヒヤリとする気配を感じた。
「お楽しみ中らしいな」
「き――」
悲鳴をあげるまで秒読みというところで、大きく冷たい手に口を塞がれた。
見上げれば、大人の姿のアレスターが赤い瞳を伏せていた。
ここに来てだいぶ慣れたと思ったが、まだ全然慣れない――イケメン度合いが臨界点突破してもまだ天井に届かない。
「……戻るぞ」
「ん?」
私を抱えたまま、彼は黒いコウモリたちを足場にして、滑るように地下牢へ移動した。
わざわざ送ってくれるなんて、話でもあるのか――考える間にも、ベッドに優しく落とされたが。アレスターはこちらに背を向け、格子をすり抜けて行った。
「アレスター……」
「案ずるな。じいはもう寝る」
この自称じい、いつかの夜に人のことを口説き落とそうとしていた気が――。
『この身体を、ワシは……忘れられない』
アレスターは酔っていたのか、それとも、本当に私に対して気持ちがあるのか――彼の甘く苛立った囁きを思い出すと、身体の芯が震える。
「なんじゃ。そんな反応をされては困るのう」
私の首筋にあるはずの、見えない印をアレスターは見つめている。
これは、私の動揺を彼に伝えるのだったか――ドラグが私を心配して、アレスターに付けさせた印だ。
「アレスターは……」
私をどんなふうに思っているのか――聞きたいけれど、聞きたくない質問がこぼれたところで。
微笑んだままの彼は、再び足を進ませた。
「明日の祭り、ワシも楽しみにしておるぞ」
「あ……」
おやすみエメルレッテ――それだけ残して、行ってしまった。
「エメルレッテ……か」
彼は時々、「奥方殿」ではなく、私をそう呼ぶことがある。
『エメルレッテ』はどこの誰なのか――。
グロウサリア家の屋敷で目覚めて、最初の頃にふと出た疑問。
なぜか今、思い出した。
私が目覚めて最初に「エメルレッテ」であることを教えてくれたのは、アレスターだったからだろうか――。
「……寝なきゃ」
今はそれどころではない。明日に備えて、睡眠をとっておくべきだ。
ただ。
アレスターの低い呼び声が、目をつむった後も頭から離れなかった。
年中灰色の、トロイカの朝。
雪がチラついて見える牢屋の窓辺から聞こえてきたのは、覚えのある音楽だった。
「あれ……?」
日本では定番、12月になればどこのコンビニでも流れるクリスマス音楽だ。
「どうして……」
音量が大きくなる方へ向かっていくと――クラウディウス家の広い庭先では、小さな音楽隊がリハーサルを行っていた。
「わぁ、素敵……!」
バイオリンにフルート、ピアノなど、光を放つ楽器たちが踊るように自動演奏している。
楽器たちを取り囲むのは、物を精霊化できるドルイド族。輪になって手を繋ぎ、魔力を通わせていた。
「でも、どうしてこの曲を……?」
私のかすかな疑問を聞きつけたドルイドの指揮者が、『トウキョウトで流行っている曲らしい』と念話で教えてくれた。
でた、トウキョウトの流行り――。
ゴーレム族のシカクが前に、「サウナに似たものが流行っている」と教えてくれた。
妙に元の世界と関連性のあるトウキョウト。
一体、どんなところなのだろうか。
人族だけが定住する都市、神官イオの出身地――。
「……朝からなんの騒ぎだ」
不機嫌な声色に、思考を遮られた。
さすがはブラッド――朝早くでも、いつもと変わらない黒づくめのコートとスーツ姿で出てきた。
「おはようございます、ブラッド様」
「……なんの騒ぎですか、これは」
音楽隊がリハーサル中と説明すれば、ブラッドは「戦の壮行会は音楽もいるのですか?」と首を傾げている。
そうだ、この人だけまだ、“クリスマス”を戦前の宴だと思っているのだった――。
「こうなったら……」
仕方ない。とりあえずややこしくなる前に、当日準備を始めてしまおう。
「ところで、リーザはどうなさったのです?」
もしや。昨晩部屋にブラッドがいたところを見ると、いい感じに本当の夫婦になったのでは――余計な憶測をしたところ。
「一晩中喋って疲れている」と、ブラッドはため息を吐いた。
懐かしい。
ドラグと私も、最初の頃はそんな関係がしばらく続いたな――部屋に戻るというブラッドを見送りながら、思わず頬が緩む。
「でも、ちゃんと話せるようになったんだ」
そこで、ドラグを利用した『緊急らぶらぶ共闘作戦』を実行すれば――。
「あっ、打ち合わせ忘れた!」
ブラッドを追いかけようとしたところで。
「よぉ、エメルさん」
「タンザ?」
張り切って現れた彼は、会場の最終確認をしてほしいという。
打ち合わせ、どうしよう――でも。
夜まで、まだ時間はある。
「分かりましたわ……」
「すごいことになっている」と興奮気味な彼に続いて、ステージの方へ向かうと。
「これは……!」
氷漬けの城のてっぺんから降りるロープには、広間の中心にそびえるモミの木――クリスマスツリーが吊るされている。そのあちこちで、金と銀の星型オーナメントが揺れていた。
「某ランドのツリーより大きい……!」
ツリーを囲むように並ぶ円卓では、すでに吸血鬼たちが乾杯している。
そのテーブルへ特大ケーキを出すのは、赤いレースで着飾った精霊。
「どうだ? アンタの思い描いてた“クリスマス”ってやつになってるか?」
「……っ、はい。いいえ、それ以上ですわ」
死霊系種族の骸骨たちを踊りに誘う、音楽隊の演奏に聞き入ってしまう。
炭鉱精霊たちの周りを、樽ビールで囲むドワーフたちの歓声に、胸が熱くなる――。
上・中級種は圧倒されていた。
今回のイベント準備を請け負い、生き生きとする下級種たちに。
もう、鐘がなる前から始まっている――。
「最高ですわ、タンザ!」
「おうよ! 主催のエメルさんも、とりあえず一杯飲めばいいぜ」
ほのかにラムが香る、樽ビールを差し出された。
温かい――会場の熱気に胸が躍る。
「あっ、お待ちくださいませ! 魔性豆のケーキを切り分けるのは、さすがに領主夫妻が参ってからです!」
危ない――自慢のケーキを早く切り分けたいピクシーたちに、“お楽しみ”をフライングされるところだった。
さっそくブラッドとリーザをそれぞれの寝室から引っ張り出すと。
「……なんだ、これは」
一瞬で無音になった会場から、息を呑む音が聞こえてくる――。
やっぱり、壮行会と嘘をついていたのがマズかったか。ブラッドに、クリスマスが何かを種明かししていない。
「これは、ですね……」
弁解の言葉を、必死に考えていると。
「ブラッド」
唇を震わせたブラッドの肩を叩いたのは、彼の隣に並ぶリーザだった。
「これが壮行会だ」
「はい……?」
妻の顔と会場を交互に見るブラッドの手を引いて、リーザは吸血鬼たちの集う円卓に腰かける。
「リーザ……」
私が困ってるから、助けてくれたんだ――。
「ほれ、疾く豆のケーキを切り分けよ」
リーザの言葉に、ナイフを持って浮遊したまま固まっていたピクシーたちが動き出した。
リーザには教えてある。あのケーキの遊び方を。
「エメルも。こちらへ参れ」
「はい! では、タンザさんも」
彼らの感覚では、上流種と下流種が一緒のテーブルにつくのはあり得ない。
それでも、領主の妻が許可したことで、文句を言うものは誰もいない。
私も遠慮なく進めよう――!
「さぁ皆さま、ご自由にお席へどうぞ!」
魔性豆の入った巨大ケーキは、いわばパーティーイベント用。切り分けて、豆が当たった人がビーンズ・キングもしくはクイーンとなるのだ。
そして幸運なひとりは、身分に関係なく、今日一日みんなに敬われる存在になる――説明し終えると。
「ビーンズ・キングって、まさかオレらも王様になれるのか?」
ドワーフの声に、「頂点は譲らん!」と吸血鬼たち。それでも同じ卓について同じものを食べているせいか、冗談のような掛け合いに聞こえる。
良かった――みんな、空気に呑まれている。
「さぁ! 豆が当たった幸運な方はどなたでしょう?」
「妾ではないな」
「……私でもない」
領主夫婦ではないことがわかり、一瞬、テーブルが静まり返った。
でも――。
「運に身分は関係ありません! さぁ、幸運なお方は正直に名乗り出てくださいませ!」
それでも、誰も手をあげない。
おかしいな――やっぱり遠慮しているみたいだ。
「どなたか――」
「オレだ」
隣の小さなドワーフが控えめにつぶやいた。
「タンザ……」
まさか、トロイカで初めて出会った彼が選ばれるなんて。
数々の視線がタンザに集まり、沈黙が流れる中。
ビーンズ・キングを盛大にコールしようと、息を吸った瞬間――。
「おい聞いたか!?」
「ああ、間違いなくな!」
わっと声を上げたのは、ドワーフ族だった。
「そうだ、エメルさんの言うとおりだぜ!」
「運に身分は関係ねぇ! 王様はタンザの野郎だ!!」
タンザに作ってもらった光る王冠を、ピクシーたちが運んできてくれた。それをタンザ本人の頭に乗せると――。
「まさかこの仕事が、オレのためになるなんてなぁ……」
照れ臭さと不安のためか、手が震えている。
そんな彼に微笑みつつ、盛り上がるテーブルを見回した。
「さぁ王様、もっとケーキを召し上がれ!」
タンザに追加の皿を渡したところ。
「あれ、シオン領の領主夫人らしいぞ」
クラウディウス家の縁戚らしき吸血鬼の囁きが、ここまで届いた。
「え! 竜種の番ってことか……!?」
ひそひそ慌てている様子だが、いったいどうしたのだろう――。
「そなたが、手ずから料理をふるまったからだ」
「あ……」
リーザの囁きで、ようやく理解した。
外からの来客だとしても、領主家の人間がドワーフに料理を渡すことが、上流種に属する彼らには衝撃だったらしい。
するとリーザも、タンザに酒を注ぎはじめた。
「……!」
今度は吸血鬼たちだけではない。
酒を注がれたタンザも、樽ジョッキとリーザの顔を見比べている。
「此度のはたらき、見事であった」
リーザの行動に、唖然とするドワーフたち。
隣の夫、ブラッドも目を見張っている。
みんなが沈黙する中――リーザは顔を背けつつ、黒く光る唇を開いた。
「これしきのことで、今までの仕打ちを取り消せるとは思ってもいないが……」
最初に牢で出会った時は、タンザを縛りつけていたリーザ。
彼女は本当に変わった。
そして彼女の勇気を持った歩み寄りが、周りの魔族たちにも変化をもたらしている。
「いいさ。オレたちゃ頑丈なのが取り柄でね。その代わり、嫌なことはすぐ忘れちまうんだ」
タンザの言葉に、リーザの目が開いた。
冷たい瞳の中に、温かい光が灯る。
「……そうか」
隣のブラッドといえば。
唇を軽く噛み締め、妻の方を見つめていた。
たぶん、ブラッドは戸惑っている――。
自分たちが祖先から継承した、トロイカの在り方が変わってきていることに。
でも、リーザを見る目に迷いはあっても、出会った当初の威圧はまったくない。
リーザが変わったように、きっとブラッドも変わる――そう、確信した瞬間。
照れたような、清々しいような表情のタンザは、注いでもらった酒を掲げた。
これは――なんだか懐かしい。
次々と樽ジョッキを持ち上げる魔族たちに、私も倣うと。
「乾杯!!」
ビーンズ・キングの合図とともに、樽を打ち鳴らす音が響いた。
「乾杯ですわ!」
みんなで笑い合うこの空間が、心から楽しい――元の世界の会社飲みなんて、どんな風だったか忘れるくらいに。ここには遠慮も裏の思惑も、静かな圧も何もない。
そして、種族の身分差も。
ただ――何か妙な感じがする。
背筋が冷える、この感じは一体なんなのか。
「どうしてスプーンが震えてやがるんだ?」
「バカ! テーブルが揺れてんだよ!」
誰かののんきな声をかき消すように、不穏な風が吹きはじめた。
「……この感じ」
粉雪が止み、全身に震えが起こる。
雪雲を裂くように轟く、覚えのある咆哮は――。
「まさか……」
鉛色の空を見上げれば、遠くに黒い竜の影が――ものすごい勢いでこちらを目指し、近づいてくる。
「ドラグ様……!」
次回:激しく揺れる巨大ツリーの根元に降り立ったのは、青緑の激しい焔をこぼす黒竜――私の愛しい夫だった。
「さぁリーザ、ブラッド様! 今こそ作戦決行の時です!」
「……作戦、とな?」
激昂モードのドラグを鎮めるため、吸血鬼夫婦と領民を奮い立たせるエメル。
「夫の怒りを鎮められるのは、『頼れるトロイカの仲間たち』だけですわ!」
はたして、エメルの『緊急ラブラブ共闘作戦』は成功するのか――?




