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77話 らぶらぶイベント

 いつ、“人生の推し(ドラグ)”がブルームーン・トロイカの領空に現れるか――粉雪の舞う灰色の空を見上げながらも、紙を滑るペンを止めるわけにはいかなかった。


「次は、ステージの“現場監督”へ進捗を……」


 クリスマスイベントの準備は順調。

 領主夫妻の住まう氷の城の庭先には、立派な木製ステージが組み上がりつつあり、手作りのオーナメントもいくつか集まっている。

 でも――。


「まだ依頼受けてから一晩しか経ってねぇからな」

「うぅ……その通りですわね」


 会場設営係のドワーフたちを監督するタンザに訊ねたところ。すべての会場準備が終わるまで、やはり最低3日はかかるという。


 イベントの日は早められない。

 それに、早めたところでイベントの中身を詰めなければ意味がない。


「お邪魔しましたわ……」


 企画、詰めないと――。

 ペンと紙を抱え、肩を落としながら城の玄関ホールへ戻ろうとしたところ。

 どこからともなく、白いコウモリが飛んできた。

 頭上を飛び回る彼は、『談話室を使うが良い』と耳元で囁いたのだ。


「リーザ……!」


 この小さいコウモリは、彼女の使い魔。彼女はきっと今頃、暖かい部屋に飲み物でも用意して待ってくれているだろう。


 最初は、彼女を利用しようとしてたけど――。


 政略結婚した領主の夫をもつ者同士、今では小さな絆が芽生えつつある。


 書架に囲まれた談話室で待つリーザは、暖炉に火を焚いてくれていた。


「ご苦労だったな。ほら、こちらで話でもしようぞ」

「はい……紅茶まで、ありがとうございます」


 イベントまで時間があるわけでもないため、書く手を止めることはできない。「それでも構わない」というリーザは、頬を緩めつつ口を開いた。


「最近、夫が妾に声をかけることが増えてな」

「まぁ! おめでとうございます」


 それは喜ばしいことだ。

 600年という想像もつかない期間、夫婦関係が冷めきっていたことを考えれば、とても大きな進歩に違いない。


 それでもリーザは、手元のカップに寂しげな視線を落とした。

「妾はやはり贅沢になってしまった」――と、吐息混じりの本音が漏れる。


「以前は、妾に話しかけてくれるだけでも幸福だった。それが……夫と触れ合いたいと思うなど」


 それは全然、贅沢なことなんかじゃない――。


 今度こそペンを置き、リーザの手を取った。


「旦那さまとのことで、貴女が“贅沢だ”などと思うことがないよう、努めさせていただきます!」

「エメル……そうか」


 手に力を込めると、彼女は控えめに口角を上げた。

 こんなに暖かい部屋にいても、彼女の手は凍えるように冷たい。


 竜人であるドラグの温度を、少しだけ思い出してしまう。

 夫も、肌がひんやりしていた。


 今ごろ彼は、シオンからトロイカへ向かっている最中。はたして、彼が来る前にイベントを終えることはできるのか――。

 もし、領民たちの前で鐘を鳴らすことができたなら――トロイカに住む魔族たちだけではない。この地を治めるブラッドの意識も、変わるのではないかと期待している。


 とりあえず、ドラグへの心配は置いて。

 2人が領主家の「役割」で関係を繋ぐのではなく、普通の夫婦として距離をもっと詰められることを考えなければ。


「やっぱり、“鐘鳴らしイベント”か……」


 2人の問題には、やはり2人で取り組まなければ。

 完全攻略とまではいかないものの、ブラッドの威圧には少し慣れてきた。それにリーザにかかわることであれば、あの吸血鬼の纏う冷気は和らぐと気づいた。

 ここは怖がらないで、進まなければ――。


「リーザ、お願いがあります」




 ブラッドを談話室へ召喚するのは、ダメ元だったというのに。


「まさか、本当に来てくださるなんて」


 いつも通り不機嫌そうな、全身黒に身を包んだ正統派吸血鬼。


「……なんだ。呼び出しておいて、来ない方が良かったのですか?」

「いえ、まさか!」


 ソファに肘も背もつかず、まっすぐにこちらを見つめるブラッド。その隣で、不安げに様子を見守るリーザ。彼らの前に企画書を差し出し、さっそく「本題」へ入ることにした。


 イベントにかこつけて、夫婦の共同作業式典を取り入れる――「より士気が湧くイベント」と銘打てば、ブラッドは静かに頷いた。

 ただ、いつまでも企画概要を見つめている。


「あの、本当に大丈夫――」

「必要なことだと言うのならば、やりましょう」


 冷酷な反面、一度やると言えば真面目に約束を守ろうとする彼。本当に、顔以外はあまりアレスターに似ていない。

 別にアレスターが不真面目なわけではないが――とりあえず。城の最上部にある鐘楼の鐘を鳴らす際は、夫婦2人が望ましいと説明した。


「な、なに! 夫と妾が手を繋ぐだと?」


 リーザは白い頬を赤く染め、手を忙しなく動かしている――これは予想通りの反応。夫が何もしないせいで、彼女が驚くほど純粋(ピュア)吸血鬼なのは分かっていたが。

 隣のブラッドから絶対に飛んで来ると思っていた、「なぜ」が、いつまで経ってもない。


「あのー……旦那様? 起きていらっしゃいます?」


 顔の前で手を振り、煽っても固まっている。


「手、ですよ。ほら、こうやって……」


 リーザの手を取り、試しに繋がせようとしてみたところ。ブラッドは彼女の手を払ってしまった。


「……っ!」


 まずい――拒絶されたと思ったのか、リーザまで固まってしまった。

 当のブラッドは、自分がやったくせに目を見開いている。まるで、自分の意思ではなかったというかのように。


 どうして、ここまで――。


 触れることを拒否するのは、ブラッドが潔癖だから――?


 この息をすることすら苦しい空間の中、どうやって次の言葉を紡ぐべきか。

 割れそうに痛む心臓の鼓動を聞きながら、ひねり出そうとしていると。


「……っ、妾は失礼する」

「あっ、リーザ……!」


 これは本当にまずい――。

 リーザを追いかけようと、立ち上がったその時。


「待ってください!」


 初めて聞く、必死な声――一瞬誰のものか分からなかったが。


「待って……話を、しますから」


 ブラッドの手が、リーザの手首をしっかりと捕まえていた。


「あ……」


 触れられたことが幻ではないのか確かめるように、リーザはブラッドの真剣な表情と手元を見比べている。


 やがて、そっと手を離したブラッドは――全身の力を抜くように、ソファへ腰を落とした。

 リーザは跡が残る手首をなぞりながら、まだ夢心地のような顔で、ブラッドの隣に戻った。


 あのブラッドが、リーザに歩み寄ろうとしている――。

 これは私がいたら邪魔になるのでは、と思ったが。「いてほしい」と、あのブラッドからお願いされては退室できない。


「私は己に与えられた役割――“トロイカの厳格な当主であること”を、いかなる時も徹底してまいりました……」


 薪の爆ぜる音に混じって、静かな告白が、砂時計の砂のようにこぼれていく。

 リーザと結婚したのは、「当主には妻が必要だったから」。そして彼女も、「当主の妻であり続ける」という役割を、この600年貫いてきた。


 ただし同じ領主家だとしても、私とドラグとの関係とはまるで違う――上位種たちの長として君臨し続ける夫と、ただ飾られているだけの妻。


「ここ200年で、ようやく同胞は静かになりました。私を認めた……いや、彼らは兄と同じように、外の世界へ出てしまったのか」


 この吸血鬼が背負う当主の責は、ドラグと同じだった。でも彼は、私が現れるまで現実逃避していたドラグとは違う。

 己の力だけで周りを認めさせ、600年領主の座に居続けた。

 ただ。

 彼のことは、誰も救ってくれる人がいなかったんだ――。


「……兄のことは嫌いです。いくら私を生かすためとはいえ、私をこの(おり)の中へ置いて、出ていってしまった」


「当主に逆らえない魔法」なんて、多分嘘。アレスターが彼に対して逆らえないのは、当主の役目を与えたことを、負い目に感じているから。


「……でも。ブラッド様にとって、リーザは救いになりつつあるのでは?」

「え……?」


 意外そうな声を上げたのは、リーザだった。

 ただブラッドは、否定もせず暖炉の方を見つめている。


「……分からなかった。今更、どう接したら良いのか」


 周りに認められるため、厳格に振る舞い、領内の運営や他領との問題調停に奔走する日々。とても長い時が過ぎたあと、ようやく妻に向き合える時が来たと思っても――もう遅かった。

「領主の隣にいるため」だけに何百年を過ごした妻へ、申し訳ない気持ちでいっぱいだった――ブラッドの言葉に、リーザは唇を震わせていた。


「ブラッド……」


 リーザの手が、ブラッドの手に重なる。

 2人とも手が震えている。

 それでも。


「妾は……“隣にいるだけ”だったとしても、後悔はない。こうして今、夫に触れられたのだから」

「……リーザさん」


 彼女の綺麗な笑顔が、少しだけ崩れた。

「名前を呼ばれたのも何百年ぶりだ」と、涙を堪えている。


「リーザ……」


 良かった――本当に。


 今度こそお邪魔にならないよう、こっそり退室しようとすると。


「待てエメル! 2人きりにするな!」

「グロウサリア夫人、いてもらわなければ困ります」

「はぁ……」


 なんだ、この面倒だけど可愛い夫婦は――。

 おかげで、これからはリーザだけでなく、夫婦(カップル)で推すことになりそうだ。


「そこまでおっしゃるなら……」


 完全に邪魔者な気がするが――それでも。

 幸せそうに寄り添うリーザと、落ち着かないけど手は離さないブラッドを正面から、それもリアルで見られるなんて――元の世界だったら何億積めば閲覧可能になる光景だろうか。


「これは……イベントも楽しみですね!」


 そうだ。

 今のブラッドになら、あのことを聞きやすいかも――。


「そういえば、よく私の企画を許してくださいましたね」


 するとブラッドは視線を泳がせ、観念したように瞼を閉じた。


「実は……」


 私がシオンでしたこと――竜人族を和解させたこと、シオンの再興を成し遂げたことを、アレスターから聞いたという。

 だからこそ、信頼して任せたと。


「……そうでしたのね」


『兄のことは嫌いです』


 ブラッドはつい先ほど、そう言ったが。

 落ち着いて話をするほどには、2人の関係も少しずつ修復しているのだろう。


「きっと大丈夫です。ご夫婦が歩み寄れたように、兄弟の絆も……」


 クリスマスの鐘の音がトロイカの地に響き渡れば、すべての争いが止む――今はそう願うしかない。


 これならイベントの日まで、安心して眠れそうだ――と、“もてなし牢”に戻ったのも束の間。


「会場準備おっけー、ご馳走準備おっけー」


 クリスマスまでに、やることは山ほどある。


「主催者夫婦のリハーサルおっけー、あとは……」


 ベッドサイドに転がった結晶石をチラ見した。

 ドラグとの通信を繋げようとしても、中継器は応答なし。


 やっぱりシオンを飛び立って、トロイカに向かってるんだ――。


 このままだと、イベントの途中に怒ったドラグが乱入して、大惨事になる可能性もある。


 どうしよう――。


 企画書をテーブルに投げ、ベッドに横たわった、その時。


『ヒュードロドロ……黒い影が近づいてるみたいだねぇ』


 この透き通った声――。

 牢の壁から頭を出したのは、いつかの幽霊少女だった。

 リボンのコートと顔の包帯を翻しながら、クスクス笑っている。


「……名前も教えてくれないのに、今度は何のご用ですか?」

『困ってるみたいだから、ヒントをあげようと思って』


 結局、前回は話の途中で朝になってしまった。

 突然現れた彼女は、なにかを「最後まで見届けたいだけ」と告げて消えたが――。


『それで、アンタの旦那さまのことだけどさぁ』

「あ……はい」


 来るものは仕方ないから、うまく使っちゃえば――ふわふわ浮く少女は、笑いながら宙返りをした。

 どうやら先日のドラグとの会話も、全部聞かれていたらしい。


「うまくって……?」

『アンタは領主夫婦をくっつけようとしてるんでしょ? だったら、“らぶらぶイベント”に利用すればいいじゃんって話』


 それだけ話し終えると、少女は『じゃね〜』と壁の中へ消えていく。


「あっ、ちょっと!」


 領主夫婦の“らぶらぶイベント”に利用――怒ったドラグを?


「でも、どうやって……」


 ふと、頭の中に城前の庭の状況が浮かんだ。


 光る魔族たちが踊るステージと、ご馳走が並ぶ白いテーブル。きらめくオーナメントにキャンドル。


 ピザやケーキを注文して、家族みんなでシャンメリーで乾杯する日本のクリスマスとは違う。

 イベント設営で実際に作り上げたことのある、本場の聖夜イベント――そこへもし、竜化したドラグが飛び込んできたら。


「あ……」


 そういうことか――。


 幽霊少女の言いたかったことが、ようやく分かった。


 夫婦の絆をさらに深めつつ、ドラグを止める方法――この方法ならば、もしかしたら一石二鳥になるかもしれない。


「“緊急ラブラブ共闘作戦”……いけるかも!」

次回:お怒りモード(予想)で来領するはずのドラグを利用し、夫婦の絆をさらに深めようと画策するエメル。

心配をよそに、クリスマス・トロイカの準備は進み――。


「どうだ? アンタの思い描いてた“クリスマス”ってやつになってるか?」

「……っ、はい。いいえ、それ以上ですわ!」


トロイカの魔族たちが力を合わせた『クリスマス・トロイカ』、いよいよ次回開幕!

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