74話 夫婦のお悩み相談牢【夜】
『アンタのことはよく知ってる』――氷の笑みを浮かべる幽霊少女は、くるりと宙返りをした。
「……どうして、今になって現れたのですか?」
私の名前や肩書きを知っているのは、ずっと隣の牢で聞いていたからに違いない。
それなら、とっくの前に顔を出しても良かったのに。
『会うつもりはなかったんだけど』
近くに来たから会いたくなった――そうつぶやき、少女は一瞬で距離を詰めてきた。
「……私をご存知なのですか?」
少なくとも、『匡花』は彼女を知らない。
さり気なく距離をとるように、ベッドの上で身体をひねると。
『うん、懐かしいんだよね』
彼女の細い指が、私の胸へと伸ばされた――半透明の指が、心臓を撫でるように動いている。
「……っ」
何も感じないはずなのに、胸の辺りが冷たい気がした。
私の中の、時渡人が反応している――?
アレスターが近づいた時もそうだった。
普段なにも感じないのに――この領に来てから、妙に時渡人が騒いでいる。
『知ってる? あたしたちは最初人間だった。強い未練が、幽霊を生むんだってさ』
そう言って、クラシック・ロリータの幽霊は微笑んだ。
「未練……」
『でも大丈夫だよ。あたしはただ、“最後まで見届けたいだけ”』
「え……?」
見届けたい――?
尋ねる前に、少女は私の身体を通り抜ける。
『もうそろそろ朝』と呟きながら、壁の中へ消えてしまった。
元通り、左牢に向かって。
「あっ……」
胸の奥にひっかかる言葉を残したまま。
気になるけど、でも――。
幽霊の気まぐれに振り回されるより、今はここから解放されるための手段を考えなければ。
リーザを糸口に、戦争を起こそうとしているブラッドを説得できるような手を。
「でも、アレスター弟すっっっごく怖いんだよね……どうしよ」
中継器越しに話しただけでも、どっと疲れた。
命の危機を感じるような威圧の相手には、シオンでも出会ってきたが。あそこまで殺意を隠さない種族に出会ったのは初めてだ。
イケメンとて許せない。
「……ん?」
今、コソコソとした声が聞こえた気がした。
さっきの幽霊ではない。
確かに、正面の方から――。
「タンザさん……?」
おかしい。
さっきまで、いびきをかいて寝ていたはずなのに。
ベッドサイドのランプを灯し、それを薄暗い廊下の方へ出してみると。
「あっ!」
「ややっ!?」
明かりに照らされた牢内には、タンザを中心に、大勢のドワーフが集結していた。
「えっ、みなさんお揃いで何を……!?」
それぞれ、目を丸くして私を見ているが――。
いったいどこから入ってきたのか。
廊下から10人ものドワーフがやってくれば、いくら彼らの背が低くても気づかないはずはない。
「ああ、エメルさん。実はな……」
タンザは自分と同じ大きさのツルハシを担ぎ、こちらに見せてきた。
領主家地下からの脱走ルートを作るため、日々そのツルハシで掘り進めていたという。
そして、やっと繋がったのだ――。
「まったくよう! 親分がこんな目に遭わされるなんて許せねぇぜ!!」
エプロンを腰に締めたドワーフたちは、リーザの理不尽を嘆いている。
たしかに。最初の頃のリーザは、タンザに対してやりすぎだと思ったが――。
「ここだけの話、下級種は上級種に反逆しようって連中も増えてきてんだ」
誰かの言葉に、胸の奥が鈍く疼いた。
まさか、領主家への謀反を起こす気じゃ――。
しかも下級種の仲間が消える事件が頻発し、上級種に戦争へ駆り出されていると思っているらしい。
「あれ? でも……」
以前聞いたイオの説明では、トロイカ内の魔族を攫っているのはトウキョウトだと思われているはず。だからこそ、ブラッドは戦士を集めて戦争を起こそうとしている――と、いうことだったような。
食い違いに首を傾げていると。
耳元で、小さな羽ばたきが響いた。
「……皆さん、隠れて!」
声に弾かれたドワーフたちは、タンザを残して穴の中へ戻っていった。
途端に、白いコウモリが数を増し、線の細い女性の形を成す。
「リーザ……」
「エメルレッテよ!」
満面の笑みとともに現れた吸血鬼夫人は、私をベッドへ押し倒す勢いで迫ってきた。
「ブラッドが、先刻妾の寝室へ来てくれたのだ!」
「え……旦那様が?」
どういう風の吹き回しだろうか。
ブラッドは何か話すわけでもなく、ただ様子を見に来たという。
もしかすると。私の話したことが少しは効いたのかもしれない――。
『冷え切った結婚生活600年目でも、リーザは貴方との関係を諦めていないんですよ!?』
あの時は、「余計なお世話」と一蹴されたが。
「やっぱり無関心じゃなかったんだ……」
あの冷酷吸血鬼、実はゴシックより甘ロリが好きなのでは――。
ニヤつく口元をおさえ、リーザに向き直ると。
彼女の笑顔が少しずつ解けていった。
「そなたに、もっと相談したいことがある」
「ええ! なんでもおっしゃってくださいませ」
ファッションを変えるなんて、まだ序の口。次のブラッド攻略法を考えるのが、だんだん楽しくなってきた――が。
リーザは何やら言いにくそうにしている。
ため息が絶えない彼女をベッドへ座らせ、自分もその横に並ぶと。「実はな」、と静かな声が響いた。
「妾たち吸血鬼族は、積極的に子をもとうとしない」
この世界の吸血鬼は、人の20倍生きるとドラグから聞いたことがある。
たしかに。種を残す意識は、人よりも緩やかなのかもしれない。
「夜に夫が部屋へ通ってくれたことは……結婚以来、一度もなくてな」
あくまで妻は飾り。それでも私たち夫婦の話を聞いていると、「スキンシップは大切な夫婦のコミュニケーションのような気がする」と、リーザは声を落とした。
そういえば、竜人も長生きな種族だ。しかしドラグは、人間である私との時間を惜しむように、常にひっついている。
恥ずかしくて逃げる時もあった。
でも、あれは幸せなことだったのかも――。
「どうすれば、夫が夜に通ってくれるのだろうか」
「それは……」
すぐに答えを出せる問題ではない。
何より、元の世界では恋愛経験ゼロだった私の頭では、すぐに解決策が浮かばない――。
朝でも暗い格子窓を見つめ、降りしきる雪を眺めていると。
ガタッ――何かが崩れる寸前のような、物音が響いた。
「なんだ、今の音は!」
辺りを見回すリーザに、「私のお腹の音ですわ!」と返したものの――あの音はきっと、正面牢のドワーフたちだ。
いったい何をやっているのか――こういうところが抜けているリーザでなければ、誤魔化しきれなかったところだ。
「ところで、そなたは何かしていることはあるのか?」
夫が部屋へ来てくれるように。
照れたように呟き、リーザは色づいた頬を手で覆った。
「かっ、可愛……?」
この純情さで、どうやって600年も無事に生きてきたのか――。
それにしても。
私は、自分から何かをしたことがないと気づいてしまった。
いつも勝手に寝室へ連れて行かれるから、「どうしたら来てくれるか」なんて、考えたこともなかった――。
今思えば。クリスタル族の件以来、夫はずっと、私を求めてくれていた。
元の世界と今の世界、どちらを取るべきか悩む私はそれを拒み続けていたが――ドラグからしたら、「どうすれば妻が自分の方を向くのか」、ずっと真剣に考えてくれていたのだ。
「私、ドラグに甘えてたんだ……」
もしかしたら。ブラッドも、リーザに対して素直に好意を伝えられない理由があるのかも――。
「リーザ、ちょっといいですか? 話したい人がおりまして」
見た目は、なんの変哲もない紫色の結晶石。
その表面を強く押すと、結晶の輝きが増していった。
「なんだこれは!」
「遠くの人と会話ができる『中継器』……とりあえず、ご覧になっていてください」
朝に弱い夫も、流石に起きているだろう。
シオンとトロイカには時差もない。
「おはようございます」と、声をかけてみるが――。
『……なんだ』
「えっ、この声!」
応じたのは、いつも不機嫌そうなツンデレ・エルフのナノ。
なぜ早朝から夫の部屋にいるのか――。
「まさか……」
『お前がどんな想像をしているのか考えたくもないが。私は姉さんの付き添いだ』
その証拠に、ミス・グラニーの高い声も聞こえてきた。エルフだけではない。他にも、囁くようなノーム族の声、中継器越しでも耳を塞ぎたくなるようなオーク族の雄叫びが響いている。
『お前が不在のせいで、黒竜が使い物にならなくなっている』
「えっ、私……?」
ドラグは口を開けば「会いたい……」しか言わず、なだめる吸血鬼もいなければ親戚竜たちも放置している――ナノの早口な抗議の後。
『な、ナノ! 失礼ですよっ』
『あらあら、それ、エメルとつながっているの?』
ミス・グラニーにシンシアの声――なんだか、1週間離れているだけでも懐かしく感じる。
他の領民たちも、『エメルと話をさせて』と賑わっている。
「みなさん……」
会いたい――それは私も同じ。
“もてなし牢”の居心地も、リーザとのお喋りも悪くはないが、何よりシオンのみんなに会いたい。
騒がしくも楽しい声が絶えない結晶石を、じっと見つめていると。
「……そうか。そなたは領民からも愛されているのだな」
隣のリーザは、静かに呟いた。
同じ領主夫人でも、自分は誰からも声をかけられたことがないと。
「皆、妾たちを恐れている」
「リーザ……」
ただ虐げていたのではない――リーザのため息からは、そんな空気が感じられた。
「そりゃ、あんたらの態度がいちばんの原因だろうよ」
ひやりとするような言葉は、正面牢からだった。
「……っ」
しかも、ドワーフたちはやってしまった。
牢には本来一体しか囚われていなかったはずなのに、領主家への不満が口々に漏れている。
タンザだけではなく、他のドワーフたちの存在がリーザにバレてしまった――。
「貴様ら、なぜここにいる……」
全身真っ白な彼女の周囲で、空気が凍りつく音がした。
銀の髪が浮き、暗い光を帯びている。
「り、リーザ! 落ち着いて……」
でも――。
タンザを睨む力は弱く、リーザの髪はふわりと降りていった。
「……目障りだ。さっさと消えろ」
これはまた、どういうことか――彼女は凍てつく空気を解放すると、ベッドに座り込んでしまった。
最初にタンザを拘束した時からは、想像もできない行動だ。
やがて、騒がしいドワーフたちの足音が止むと。
「これで良い。この孤独が、頂点に立つものの宿命ゆえ」
領民を虐げることでしか、関わる方法を知らない――リーザは寂しげに、長いまつ毛を伏せた。
「でも、リーザは……」
たぶん、少しずつ変わってきている。
ブラッドが態度を変え始めたことで、彼女自身も。
夫に愛される兆しが見えたおかげで、きっと心がほぐされつつあるんだ――。
私はこの機会を逃してはいけない。
「……リーザ、お聞きしたいことがあります」
ブルームーン・トロイカの抱える問題について。
この厳しい階級制度の根っこを知りたい――ついに、彼女たち魔族の内側へ踏み込むことにした。
「きっとそれが、夫婦関係を良くすることにもつながるはずです」
「……なんと?」
縋るような赤眼を、真っ直ぐに見つめ返した。
これはもう、「私が“もてなし牢”から脱出できるかどうか」の問題だけではない。
トロイカを支配する領主夫妻の「夫婦愛」が、トロイカの未来を変えるかもしれないのだ――。
次回:「この城の『鐘』が鳴れば、皆が争いをやめていた」
かつてトロイカを治めた“平和の鐘”。
それを知ったエメルが思いついた、「平和イベント」とは──。
「私がご提案するのは……その名も、『クリスマス』です!」
はたしてエメルは、領主ブラッドに『異世界版クリスマス』を承認させられるのか──?




