73話 政略結婚夫婦は今
揺れる赤眼と見つめ合う中、“もてなし牢”に響いた声は――。
「ドラグ様!?」
胸の奥を優しく揺するような響きを、聞き逃すはずがない。
「……まっこと勘の良い奴じゃ」
彼がジャケットから取り出したのは、赤い光が透ける封筒だ。
「これは……」
「ふむ、添え状には『中継器』と書かれておるな」
アレスターが渡してくれたのは、魔力の結晶である結晶石――。
「あの、ドラグ様……?」
光る石に向かって、そっと語りかけたところ。
『エメル! ああ……よかった、やっと繋がった』
どうやら『中継器』とは、『通信機』のようなものらしい。
クリスタル族の、パープル博士が添えてくれた手紙によると――これさえあれば、リアルタイムで音声会話できるという。
前に私が話していた、“スマホ”を参考にしたようだ。
「先刻、シオンの方から届いてのう。本来はこれを届けに参ったはずだったのじゃが」
『……アレスターと一緒にいるの?』
ドラグの声が、少し硬くなった。
まさか、さっきまでの話を聞かれていたのでは――。
全身から汗が吹き出したところで、『一緒に何を話してたの?』と投げかけられた。
あれ、セーフ――?
「ちょっと、今後の戦略について話しておりまして……!」
ブラッドとの話し合いをどう進めるかを、一緒に考えていた――そう付け加えると。
結晶石越しのため息が響いた。
『もしアレスターが君に何かしそうになったら、ちゃんと報告して……』
「……ドラグ様、なぜそこまで彼を警戒するのですか?」
アレスターにまで嫉妬することなんて、これまでなかったのに。
黙り続けていたドラグは、「元の姿に戻ってるだろ」と、消え入りそうな声で呟いた。
大人に戻ったアレスターの姿を知る彼は、「エメルが面食いだから心配だ」と言う。
「えっ……」
面食いってバレてる――!?
とっさに目の前のアレスターを見上げれば、彼は口元を押さえて笑いを堪えていた。
「ドラグ様、違うのです! 私」
『嘘だよ』
「え……?」
自分を好きになってくれたってことは、多分違う――ドラグの声は、久しぶりに沈んでいた。以前のネクラ竜だった時みたいに。
まさか、この夫竜――自分の顔面の輝きを自覚していないというのか。
「やばい、永遠に“推せる”わ……」
そして面食いは否定できない。
『まぁ、それはひとまず置いて……クラウディウス卿との話し合いはうまく行ってる?』
やっと、ここからが本題。
ドラグの問いに、「それは……」と言葉が詰まった。
私の役割は、戦争が起こった原因を聞き取った上で、シオンは協力しないと表明すること。
でも――監禁されたことは言えない。
余計な心配はかけたくない。
でも。ここは下手に「うまくいっている」と言うより、相談にのってもらった方がいいかもしれない。
「実は……」
ブラッドがピリピリしていて、まともに話を聞いてもらえそうにない。
監禁されていることは隠して、それ以外のことを打ち明けた。
『……そっか、でも夫人とは仲良くなったんだね』
「はい。今日もドラグ様のことをお話ししました」
夫人と距離を縮めることは、ブラッド自身を攻略する一歩になるかもしれない――リーザには悪いが、それは変わらない。
「あっ、そうえば」
かつて契約婚からはじめた、自分たち夫婦の状況――キスされそうになると逃げていた、私について。
あの頃の私をどう思っていたのか、ドラグに訊いてみよう。
「同じ政略結婚夫婦の問題を解決する、ヒントになるかと思いまして」
そう口にした後。「聞きたい」と「聞きたくない」、両方の思いがせめぎ合っていることに気づいた。
でも、今はどんなことでも聞いておきたい――。
『……あの時は』
接触を避けられる以上に、私が何かを隠している気がして不安だった。
アレスターに構わず明かされた、正直な告白。
かすかに揺れる声の響きに、胸の奥が締めつけられた。
『でも、君はちゃんと話してくれた。正直、心から安心してるとは言えないけど……今は君を信じることができる』
「ドラグ様……」
会いたい。
ちょっと暗くて、気弱で、でも誰よりも強い心をもった夫に、早く――歪む視界を擦り、結晶石を握りしめた。
まだ不安を抱えていると明かしながらも、「信じる」と言ってくれることが、何よりも嬉しい。
『……もう朝になっちゃうね。何かあったら、いつでもまた連絡して』
ずっと話してたいくらいだけど、と付け足す夫に、つい頬が緩んだ。
「ふふっ。また明日、必ず連絡しますわ」
だから、「私を信じて待っていてほしい」――そう告げた後、結晶石の光が緩やかに消えた。
ただの赤い結晶石に戻った中継器から、いつまでも目を離せない。
この中に、さっきまでドラグの存在を感じた――夫の熱を探すように、胸の前で石を抱えていると。
「それで、何か分かったのか?」
アレスターは、いつもの調子でベッドから立ち上がった。
リーザを糸口に、ここからでる方法。
そんなことをせずとも、ドラグに話せば一発で解決したと思うが――とこぼすアレスターに、「それはできない」と返した。
「それこそ、今度はシオンとトロイカが戦争になってしまいます!」
「……まぁ、そうよのう」
ブラッドは、そんなことも想定できないほど愚かな男ではない。本気で戦争をするために、なんとしてでも竜人族の力を借りようとしているのだ――アレスターはため息を吐いた。
そんなの、いったいどうすれば――。
ドラグの残した、かすかな痕跡へ縋るように。
手元の中継器へ視線を落とすと。
「……あ」
そうだ。
ブラッドが牢に来てくれないなら、これを使って、間接的に話ができないだろうか。
「アレスター、お願いがあります!」
中継器でシオンへ発注した「追加の中継器」は、2日もすればドラゴン・タクシーの速達で送られてきた。
その間に、ブラッドがシオンへ何かを送るのでは、と憂いていたが――中継器越しのドラグはいつも通りだ。
『その中継器越しに、クラウディウス卿と話し合うの?』
「ええ。あちらは、顔を合わせることすら拒んでいらっしゃいますから」
アレスターに頼んで、中継器のひとつをブラッドのところへ持って行かせている。
『……なんだ、この宝石は』
今、凍えるような声がした――。
「すみませんドラグ様! 一度切りますわね」
『あっ、僕も……』
おそらく話し合いに混ざろうとしていたドラグの中継器を、とっさに切ってしまった。
ブラッドと直接話したら、私の状況がバレるかもしれない。
「ふぅ……」
深く息を吸い、胸の中の淀みを吐きだした。
隙がない吸血鬼と会話するのは、中継器越しでも怖い。
でも――今彼と話せるのは、私だけだ。
「……地下牢からご機嫌ようですわ、クラウディウス卿」
『なっ……』
ブラッドは、遠く離れた相手と通話できる中継器に驚いているようだ。
「こちら、シオン領の技術班が開発いたしましてよ!」
今のうちに、こちらが主導権を握らなければ――。
『……それで、なんのご用です? グロウサリア夫人』
声に揺らぎがなくなった。
中継器越しでも、冷気が滲み出ている気がする。
怖い――でも、こんな機会は今だけだ。
「いくらシオンを戦争に参加させたいとはいえ。領主の妻を監禁して、ただで済むと思っているのですか?」
これは脅しではない。
ブラッドの選択の代償を、真っ直ぐに突きつける言葉だ。
「この中継器があれば、私のことは一瞬で夫に伝わります」
今度は、シオン領とトロイカ領が戦争になりかねない――そう、はっきり告げると。
『むしろ都合がいい』
「はい……?」
ドラグ自身が出向くまで、意地でも私を解放しないという。
『奥方を預かっていると、魔法の手紙をグロウサリア邸へ旅立たせたところです』
「え……!」
結局こちらが黙っていたところで、ブラッドはシオンに喧嘩を売る決意をしていたようだった。
手紙がシオンへ行ってしまったら、怒ったドラグがこちらへ来てしまう――。
「そんな……」
追い討ちをかけるように、ブラッドは笑い声を上げた。『シオンと表立って戦争になれば、トウキョウトを巻き込みやすくなる』と。
この男。
今まで会ったシビュラ住人の中でも、間違いなく、一番やばい。
自領の矜持のことしか考えていないのか。
リーザの夫は、もう取り返しがつかないような「悪」なのだろうか――?
でも――。
「あ、貴方は。自分の妻が監禁されたら、どう思われますか?」
『……』
否定はない。
これまで饒舌だったブラッドが、沈黙している。
「どうなのですか?」
『それは……』
ブラッドが言い淀んでいる。
これは――まだ終わりではなさそうだ。
この夫、リーザが思っているより彼女に関心がある気がする。
『妻のことなど、貴女には何の関係もない』
「いいえ、大アリです!」
私たちは“友人”になった。
声色がブレはじめたブラッドを、さらに揺らすように、声を張る。
「リーザ夫人は、貴方を強く慕っていらっしゃいます。ですが、貴方は彼女の想いを踏みにじるというのですか?」
『……何だと?』
空気がざわつく。
中継器越しでも、喉元に刃を突きつけられるような殺気が伝わってくる。
でも――奇妙な縁でできた友人のために、私が折れるわけにはいかない。
「リーザは今夜、とっておきの衣装を選んでいました。貴方に見てほしくて」
『……それが何だというのだ』
何だ――ブラッドの言い草に、頭の中で何かが弾けた。
冷静に話し合おうと思っていたが、もう我慢できない。
「冷え切った結婚生活600年目でも、リーザは貴方との関係を諦めていないんですよ!? 健気だとは思いませんか?」
はじめは打算だった。
でも、今は違う――。
かつて契約婚をしていた私たちが、信じあえる仲へと成長したように。リーザにも、幸せになって欲しい。
“推し”だからではなく、夫のことを打ち明け合える“友人”として。
『……』
すべて言い切った後も、ブラッドは沈黙したままだった。
怒って牢屋まで来たらどうしよう――そこまでは考えていなかった。
『……余計な世話だ』
「あっ……!」
ガサっと大きな音がした。
でも、まだ通信は繋がっているみたいだ。
『すまんのう、奥方殿』
「アレスター……?」
ブラッドは、中継器をアレスターに投げ返したらしい。
彼はため息混じりに、『ご覧の通りじゃ』と紡いだ。
見ての通り、ブラッドは意地っ張りかつ石頭。
家出した兄を500年経ってもいまだ怒っている上に、自分の妻とは顔をまともに合わせようとしない、と再び現実を突きつけられた。
「……でも」
やっぱりブラッドの反応は、妻へ完全に興味がないようには思えない感じだった。
それに。ファッションを変えたら、5秒は見つめたというのだから。
でも、ここからどうしたものか――。
シオンに手紙が届けば、ドラグが来るまで1週間もない。
シオンを戦争に巻き込みたくない――。
アレスターとの通信が切れた後も、ベッドから動けないでいると。
『ヒュードロドロ……』
左の方から、壁を通り抜けるような声がする。
古典的な脅かし方――どうせ、トロイカに多い死霊系の種族だろう。
今は構っていられない。
『ちょっとアンタ! どうして怖がらないのっ?』
左牢側の壁からすり抜けてきたのは、彩度のない半透明の身体を持つ少女。リボンたっぷりのコートを揺らし、目にレースの包帯を巻いている。
元の世界でこんな出会いをしていたら、たぶん意識を失っていた――でも。
「だってつい最近まで、貴女のお仲間と暮らしていたものでして」
グロウサリア家で2ヶ月間奉仕していたゴスロリメイド――神官であり、資材盗難事件の犯人だったレヴィンのことを思い浮かべた。
『なぁんだ、つまらない!』
「レヴナント族の貴女が、なぜクラウディウス家の地下牢にいらっしゃるのですか?」
『そんなの、アンタにとってはどうでもいいでしょ』
もてなし牢の天井を漂う少女は、名前を聞いても教えてくれない。
でも、私を指して――『アンタのことはよく知ってる』と口にした。
『エメルレッテ・グロウサリア――シオン領領主、竜の奥様』
「……!」
嘘はない、無邪気な声。
それでも。
半透明の微笑みの下には、見えない何かが潜んでいる気がした。
次回:『あたしはただ、“最後まで見届けたいだけ”』
不穏な余韻を残していった幽霊少女。
一方、夫との仲を深めたいリーザが、また“もてなし牢”へ相談にやって来る。
「夜に夫が部屋へ通ってくれたことは……結婚以来、一度もなくてな」
切実な悩みを打ち明けた吸血鬼夫人に対し、エメルが提案する解決策とは……?




