72話 牙が求めるもの
まずは正攻法。
ブラッドが無意識に引かれてしまうくらいに、リーザを可愛くしてみせよう。
「リーザ夫人! さっそく『夫婦仲激アツ作戦』、始めてみませんか?」
まずは「イメチェン」から。
追加エピソードまで購入したお気に入りキャラの映えるコーディネートなんて、お手のものだ。
自信を示すように、まっすぐ眼差しを送り続けていると――リーザは薄っすら頬を染め、私の手を握り返した。
「すべて、そなたに任せる」
「……っ、はい!」
吸血鬼令嬢の照れ顔スチル、ゲット――。
尊さで歪みそうな顔を抑え、“もてなし牢”から彼女の部屋へ移動すると。さっそく、先日マウント合戦を行った衣装部屋へと案内された。
「ここにあるものならば、なんでも自由に使ってよい」
「わぁ……改めて、ものすごい数ですわね!」
ゲームの『シビュラ』は、国家運営箱庭ゲームにしては多機能だった。
キャラの衣装替えが細かくできたり、キャラの掘り下げエピソードを販売していたり――まさか、こんなところでその知識が役立つとは思いもしなかったが。
「なっ! そのようなヒラヒラ、妾は普段まったく……」
「必ずお似合いになります! 騙されたと思って、まずはご試着ください」
この世界のリーザは、常にゴシックなドレスに身を包んでいた。
でも、私は知っている。
リーザは、甘々ロリータ系の衣装も似合ってしまうポテンシャルを持っているのだと。
「グロウサリア夫人、これは……」
正直、ブラッドの好みがゴシック系かロリータ系かは分からない。
それでも――長い銀髪のサイドテールはそのまま生かしつつ、瑠璃色の花と純白のレースが波打つヘッドドレスを被せれば、もう「可愛い」の暴風が吹き荒れる。
おそろいのモスリンたっぷりドレスと花柄の白編みタイツを合わせると――。
「はぁ……息が……っ」
「そ、そなた具合でも悪いのか!?」
愛しさが臨界突破して、過呼吸になるところだった。
見事な銀細工の鏡に映る彼女の姿は、『幻想国家シビュラ』の重課金勢の財布を緩ませるほどの破壊力だ。
「かっ、かわ……」
700歳以上も年上に向かって、「可愛い」は失礼かもしれない。それでも、それ以外の言葉が見つからないのだから仕方ない。
素直に「可愛いです」と微笑めば、リーザもつられて頬を緩ませた。
「……この姿、妾ではないようだ」
「ですが、とってもお似合いですわ!」
あとはもう、リーザ自身に任せるしかない。
ふだんと様子の違う妻をスルーするような男ならば、私がどうにかできる域を超えている気がするが――とにかく。
夫とのディナーへ向かうリーザを、激励とともに送り出した。
「はぁ……リーザ可愛かったなぁ。あれで振り向かない殿方はいないでしょ」
“もてなし牢”の薄暗い天井を眺めながら、そう呟いたものの。
今の状況では分からない、と思い直した。
何より今のトロイカは戦争準備中。ただでさえ堅物のブラッドは、神経を尖らせているに違いない。
正直、妻のことよりそっちに意識がいってる気がするけど――。
思考を打ち消すように、ザッザッザッと音が響いている。
「……タンザさん、また何か作っていらっしゃるのですか?」
「ん? ああ、ちっとな」
こんな夜更けに、細工職人の彼は正面の牢で何をしているのか。
暗くてよく見えないが、ずいぶん大掛かりなもののようだ。
「それにしても、あの氷の女王様を懐柔しちまうなんてな。アンタ、本当にただのご令嬢なのか?」
タンザの問いかけに、「ですから」とベッドから起き上がった。
「『これでも領主なんです』って、申し上げているでしょう!」
しかも、ただシオン領を再興しただけの領主ではない。
根暗な夫竜との間に、じわじわと絆を築き上げた実績がある――それがエメルレッテ・グロウサリア。
首を傾げるタンザに、暇つぶしがてら思い出話をしようとしたところで。
『グロウサリア夫人……!』
廊下の奥から慌てて飛んできたのは、リーザの化けた白いコウモリだ。
小さな群れが重なったところで、本体が姿を現した。
「とっておきの速報だ! ディナーの席で夫が、5秒も妾に目を留めてくれたぞ!」
「まぁ……!」
これは――リーザの喜びが、決して大袈裟なわけではない。
触れるどころか、会話も滅多になし。
そんな状況だった夫婦関係に、微小の粒だとしても一石投じることができた――そんな気がする。
「そなたのおかげだ、グロウサリア夫人……!」
笑顔で牙を剥き出す彼女に、「エメルでいいですわ」と笑みを深めれば。彼女もまた、「リーザで良い」と手を取ってくれた。
なんか、女友だちっぽい――。
この世界に来て、ビジネスを通した仲間づくりはたくさんしてきたが。こんな風に距離を縮めた相手は、意外と初めてかもしれない。
「だが、妾はどんどん贅沢になってしまうな」
「え?」と顔を上げると、リーザは静かに呟いた。
実は夫のブラッドは、結婚以来600年もリーザに触れていないと。
「ろ、600……?」
単位が壮大過ぎて、いまいち想像がつかない。
「今夜のことは嬉しかった……だが。妾たち夫婦は、今さらどうにかなるのだろうか」
「リーザ……」
彼女が自室へ帰ったあと。
この氷漬けの城で最初に出会ったブラッドを思い返し、確信した――これは彼女だけの問題ではないと。
夫婦関係を改善するには、夫の方もどうにかしなければ。
ただ、今は彼に接触する方法が思いつかない。
「……あれ?」
タンザのいびきに混じって、足音が響いている。
こんな時間に、いったい誰だろうか――。
「奥方殿、起きておるか?」
ワインとともに石の階段を降りてきたのは、赤い瞳を光らせる吸血鬼。
いつも天井から降りてきて驚かすくせに、今夜のアレスターは何だか大人しい。
「どうしたのですか?」
「いやな、少し話しでもせんか?」
アレスターは指を錠にかけるだけで、“もてなし牢”の扉を開けてしまった。
彼をソファへ案内し、私はベッドに戻ろうとしたのだが――なぜかついてくる。
「ええと……?」
眉をひそめたにもかかわらず、アレスターは微笑みながら隣へ腰かけた。
まぁ、アレスターだしいいか――。
グラスの中で揺れるワインを見下ろしながら、こちらから口を開いた。
現状を脱却するために、『夫婦仲激アツ作戦』を決行することにしたと。
「そうか……政略結婚がうまくいった先輩として、お主がリーザにアドバイスをするというのじゃな」
「ええ! 私にそんな資格があるかはさておき」
今は手段を選んでいられない。
そう呟くと、アレスターは格子窓の外に視線を向けた――黒い点のように見える雪が、しんしんと降り注いでいる。
「たしかにな。“政略結婚”といえど、お主とリーザではまるで状況が違う」
シオンの貴族制度なんて、あってないようなもの。
あれは竜人族がシオン領の支配者であることを外部に示すため、自らつけた飾りのようなものだと、アレスターは言う。
「お主らが目指すシオンと同じく、シオンは本来自由な場所……じゃが」
トロイカ領は違う。
厳しい身分制度のうえで、秩序が成り立っている――だからこそ、とアレスターは視線を膝へ落とした。
「現実から目を背けたくて、ワシは……ブラッドにすべてを背負わせてしまった」
ブラッドと過去に何があったのか。
アレスターは答えず、口元に笑みを取り戻した。
「アレスター……?」
どうしてだろう――私をじっと見つめている。特に首元を。
「ところでお主。トロイカへ参ったばかりの頃、『なぜ知っているのか』と聞いたな?」
ドラグと身体を重ねたことについて――正面からの問いかけに、思わず顔を背けた。
「あ、あれは『私の態度に出ていた』とおっしゃっていたではありませんか!」
ただ、それ以上に感じたことがある――と、アレスターはワインを飲み干した。口の端の赤い雫を、長い指が拭っていく。
その仕草に、思わず目を奪われた。
「覚えておるか? 神官の資材盗難事件で騒いでおった頃、ワシがお主につけたこの印を」
突然、首筋に指が触れた。
そこはアレスターに噛まれたところ。
「ちょっ、近っ……!」
これのおかげで、レヴナント族の神官――レヴィンに襲われた時、アレスターが助けに来てくれたのだ。
印をつけた相手の居場所を、感知する力があるのだったか。
「その印は今も、お主の動揺をありありとワシに伝えてくる」
「あ、あれから2か月も経つのに、まだそんな効果が――」
最後まで言い切らないうちに、視界が反転した。
いったい、なにが起こったのか――よく見知ったはずの吸血鬼が、知らない顔でこちらを見下ろしている。
「正直に申すと……あの時味わった血の味を、ワシは忘れられぬ」
真っ赤な唇の隙間からのぞく灰色の牙に、全身が震えた。
アレスターの様子が、ふだんとまるで違う。
彼に対して、「怒っているのかも」と思うのは初めてだった。
「カブを育てている時も。ワシの申し出に、何ら疑問を抱かず血を捧げるお主を見て……苛立った」
「え……?」
苛立つ――そう言いながらも、彼の視線には渇望するような熱があった。
ドラグが私を、そして私がドラグを想っていることを、彼は誰よりも知っているはずなのに。
「この身体を、ワシは……忘れられない」
髪が触れ合うほどに近づかれると――凍える空の下を思わせるような、澄んだ匂いが漂った。
同時にお酒の匂いも。
「だっ、ダメです! まずはプロフィール帳を交換して、お互いを知ってから――」
こうやって茶化せば、いつもなら笑ってくれるのに。
「……すまぬ」
冷たい息を吐いた顔は、少しも笑っていなかった。
初めて見る表情を、目の当たりにした瞬間。
「……っ?」
心臓でもなければ、私自身でもない「何か」が、震えるのを感じた。
私の中にいる時渡人――彼女の魂が、アレスターに反応している?
「アレスターは……」
確信を得ないまま、その先を続けようとすると。
「あはははは! なーんじゃその顔は!」
突然笑い出したアレスターに、全身がビクッと震えた。
この吸血鬼、まさか酔っているのか――!
「はぁ……なんだ」
軽やかに上から退くアレスターに、こっそり胸を撫で下ろした。
アレスターの雰囲気がガチすぎて、本気で口説かれているかと思った。
「からかうのも大概にしてくださいませ!」
「うむ、すまんな」
私の中で騒いでいた、もう一つの魂。
今は落ち着いているようだ。
気のせいだったのだろうか――。
酔っ払いの接近はともかく、時渡人らしき胸の震えは。
まだ構えている身体の力を抜こうと、呼吸を深くした。
今は、リーザとブラッドのことを考えないと――。
「うむ、お主がここを出る方法を考えなければな」
正面のイスへ腰掛けたアレスターは、顔色ひとつ変えず、追加のワインを注いでいる。
何事もなかったかのように。
「あの……なにか、ブラッドを揺さぶるヒントはないでしょうか?」
「ヒント、か」
するとアレスターは、揺れる液体に視線を落とし、色づいた唇を薄く開いた。
領主家に生まれた長男のアレスターと、弟のブラッド。彼はいつもアレスターの影に引っ込んでいたという。
「奥ゆかしいやつでのう。ワシを立ててばかりおった」
そんな彼は、アレスターとの後継者争いになれば、死ぬかもしれない運命にあった。
だから、アレスターは家を出た――言い終えたあと、彼は自身の牙で唇を噛み締めた。
「だが本当は、故郷に嫌気がさしただけだったのかもしれん」
領主家の一存では変えられない身分制度。
何千年を超える上下意識。
もうどうにもならないと、匙を投げたのが本音――そう言って、アレスターは俯いた。
「弟の命を守るため、というのは口実じゃ。ワシは逃げただけで」
「アレスター……」
兄が突然家を出てから、数えきれない苦労を抱えてきたのか。ブラッドは元の性格を忘れるほどの、冷酷な男になっていたという。
「ただ……あやつの心に、もう誰も映らなくなってしまったわけではない」
リーザについて。
ブラッドは少なからず夫人を気にかけている――アレスターにも、やっぱりそう見えるみたいだ。
「お主の言うとおり、あやつらの夫婦関係が突破口となれば良いのじゃが」
「……必ずここから出てみせます。もちろん、領主夫妻に認められて!」
リーザは私を信頼しつつある。
あとは、ここからブラッドをどう攻略するか――受け取ったグラスで、中のワインを転がしてると。
『エメル……!』
くぐもった呼び声に、思考が打ち切られた。
この優しい低音、間違いない――。
「ドラグ様……?」
いったいどういうことなのか。
頭が回らないうちに、アレスターが自身の胸ポケットへ手を添えた。
『エメル、僕だよ……応えて』
淡い紫の光が滲み出すように。彼のシャツの中から、切実な声が響いている。
何が起きているのか分からない――でも。
私を呼ぶその声は、確かにドラグだった。
次回:夫竜からの急な通信に、焦る妻。
「エメルは面食いだから心配だ……」
「ドラグ様、違うのです!」
その直後、冷酷吸血鬼との間接対決へ。
「貴方は自分の妻が監禁されたら、どう思われますか?」
はたして、エメルの言葉は届くのか――?




