71話 夫婦のお悩み相談牢【昼】
まずは、領主ブラッドの妻リーザを突破口にする――この快適ながらも薄暗い、“もてなし牢”から脱出するために。
「なに、これをリーザの夕食へふりかけろと?」
「はい、メインディッシュのお魚へお願いします。私が指示したと話してください」
「じゃが……」と、アレスターは瓶の中身を見つめている。
あれは私が今回の旅のお供にと選び、トランクの中に忍ばせていた「ふりかけ」だ。
まさか、これを自分以外に振る舞う日が来るとは思わなかったが――。
「……分かった。こうなってしまったのはワシの責任じゃ。お主の思う通りにしよう」
アレスターは、まだ瓶を見ながら不思議そうにしている。
毒とは思っていないだろうが、やはり中身が気になるのだろう。
「おーい、話は終わったのか?」
「あ……タンザさん!?」
上階へ戻っていったアレスターに代わり、格子へ近づいてきたのは――正面の牢で寝ていたはずのドワーフだった。
どうやら、また鍵を作って脱出したらしい。
「逃げはしねぇよ。ただ、そっちの牢にいいもんがあるの見ちまったんでな」
「一局付き合ってくれ」と、タンザが指したのは――快適な“もてなし牢”の隅にある、遊戯盤だった。
「チェスなんて、はじめてやりますわ」
「ははっ! お嬢様はダンスに刺繍のお稽古か?」
最近嗜んだのは『騎竜レース』――なんて、言えるはずがない。
真の領主決定戦の「奥様運びレース」。
ついこの間のことなのに、遠い昔に感じる。
私の夫、ドラグは今、何をしているのだろうか――彼に心配をかける前に、早くここから脱出しなければ。
「それにしてもアンタ、肝座ってるな」
リーザに引けを取らない態度が圧巻だったと、タンザは笑い声を上げた。
実際、リーザはまだ可愛いものだ。
シオンの竜人たち――直情的なロードンには一度殺されたし、我の強いゲルダの方がもっと怖かった。
「これでも隣領の領主なのですよ?」
胸を張れば、タンザはさらに笑う。「面白え冗談だ!」と。
「冗談ではないのですが……」
ドラグと一緒に、夫婦で領主――監査官のイオや領民たちに認められた時のことを、思い返していると。
視界の端に白い翼が見えた。
「……っ、タンザさん!」
牢の外の廊下には、いつの間にか白いコウモリの影がある。
慌てて正面の牢へ戻るタンザを見送った直後――。
テーブルの上の果物が凍り、格子がキンッと鳴った。
「……リーザ夫人」
無数の白いコウモリが、ひとつの巨大な塊になる。
「……肉を出せと指示したそうだな」
ついに姿を現したリーザの瞳には、隠しきれない魔力の波が揺れていた。
吸血鬼にとって、肉は頭痛の種。
知っていて苦しめようとしたのか――リーザは銀髪の先にまで、怒りをたぎらせている。
一瞬で喉が渇くほどの威圧が、肌に刺さる――。
「失望した。そなたにも、指示を実行したアレスターにもな」
「待ってください……!」
『幻想国家シビュラ』の元廃課金ゲーマーである私は知っている。
「たしかに、肉は吸血鬼にとって相性の悪い食材です! ですが……」
追加エピソード購入者だけに公開された、リーザの秘密のプロフィールには――「彼女は間違って食べた肉の味が忘れられなくて、似た味の食材を探している」と書かれていた。
「妾が肉好きだと思い食材に並べるよう指示したと? そこまでして、妾に取り入ろうというのか!」
「それは違います!」
この一手を間違えれば、首を刎ねられる――それほどの緊張が走る中。
「そもそも、あれは肉ではありません」
威圧に押し返される空気を、必死に吐き出した。
「肉ではない……と?」
「ですから今回、頭痛は起こらなかったでしょう?」
彼女の周囲を舞う髪が、静かに降りていった。
牙をしまったリーザは、「たしかに」と首を傾げる。
今だ――!
「リーザ様が魔獣肉だと思われたものは、魔魚です」
「魔魚……? だが、あれは肉の味がしたぞ」
「こちらをご覧くださいませ」
旅のお供として持って来た、オレンジ色のふりかけ。これは私プロデュースのカフェ&ギルドの人気土産、「お守りキノコ」を粉末にしたものだ。
「このキノコの効能は、“様々なバフ効果”を付与するものですが。中には、このように旨味を変える効果があるものもございます」
この粉末は、魚にかければ味が肉っぽくなる。
肉が食べたくても無い時は、これで「肉食べたい欲」をしのいでいた。
「こちらはシオン特産の品です。よろしければ、プレゼントして差し上げますわ」
ふりかけの瓶を、格子の隙間から差し出すと――リーザは俯いてしまった。かすかに肩が震えている。
しまった、逆効果だったか――。
いや、もしかするとゲームとは違って、別に肉が好きではなかった可能性すらある。
震える指を握り、リーザの反応を待っていると。
顔を上げた彼女の瞳が、まっすぐに私をとらえた。
「妾は悔いている! なぜ、このようなものを700年も知らなかったのかと!!」
「え……?」
人生が変わる――そう言って、彼女は再び牙を見せた。
今度は怒りではなく、笑顔で。
彼女が素直に喜ぶ様子に、正面牢のタンザも目を瞬かせている。
「これ、誠にいただいても良いのか?」
「え、ええ。もちろんですわ」
予想以上の効果だ――。
あんなに冷酷だったリーザが微笑んでいるのを見ると、「これはこれで良かったな」と思える。
はじめは牢を出るための突破口になると思っていた――でも、打算だけでは得られない表情が見られたのだから。
「夫も、此度の料理には驚いていたが。たしかに、頭痛は起きていない様子だった」
「このふりかけが会話のきっかけになるかもしれない」――彼女は密かに呟いた。
「会話のきっかけ、ですか?」
訊き返すも、リーザは口を閉じてしまう。
やがて少し迷った後、彼女は「ああ」とため息混じりに吐き出した。
「妾と夫は、滅多に言葉を交わさない」
「それは……」
アレスターから政略結婚とは聞いていたが――夫婦関係は、うまくいっていないのだろうか。
あのブラッドの様子では、「もしかしたら」と思ってはいたが。
ふと、同じ政略結婚の夫を思い起こすと。
「会話をしない」という状況があり得ないほど、いつも私に寄り添っている姿が頭に浮かんだ。
『エメル……君の熱を一度知ったら、もう正気じゃいられないんだ』
「……っ」
「どうした、グロウサリア夫人!」
今思い出すべきではない場面を、ふと思い出してしまった――。
顔を左右に振り、心配そうにこちらを見ているリーザに向き直る。
「もし夫人がよろしければ。私、いくらでも相談に乗りましてよ?」
旦那様のことについて――そう付け加えると、リーザはぽかんと口を開けた。
牢に入った人質の言葉など、聞く気にはならないだろうか。
まだ、もっと懐柔する必要がある――。
まぶたを伏せ、格子から離れようとした、その時。
「それは誠か?」
リーザの華奢な手が、格子を強く揺らした。
なんだろう、この食いつき――。
もしかすると。夫以外にも、ふだんから彼女の話を聞く人はいないのだろうか。
「そうと決まればさっそくだ!」
もの凄い力で腕を引かれたかと思えば、白いコウモリたちが私を取り囲んだ。
「ひっ……!」
アレスターの使い魔で見慣れていたとはいえ、ここまで集まると恐怖でしかない。
「妾の部屋で、茶でも飲もうぞ――」
目を閉じてから、一瞬の出来事だった。
次に目を開けたときには、モノトーン調の部屋まで運ばれていたのだ。
ついさっきまで、“もてなし牢”の中にいたはずなのに――。
リーザは夜空のようなドレスを翻しながら、「ここへ座れ」と私の手を引く。
強引で冷たい手が導く先は、衣裳部屋の前にある、ドレッサー用の丸椅子だった。
「まずは、妾への夫の愛を、とくと目に焼き付けよ!」
「……はい?」
彼女が取り出してきたのは、夫から贈られたという宝石や装飾品の数々。
いったい、何がどうしてこうなったのか――「話を聞く」と言って牢から出してもらえたが、もう1時間も、リーザ夫人にマウントを取られ続けている。
「妾は夫より、これほどの愛を賜っているのだ! そなたはどうだ?」
私は、どれくらいの愛を夫から贈られているのか――リーザは優越感と、少しの不安に染まった顔で私を振り返った。
「贈り物……ですか」
ふと、胸元に手を添えた。
ここには、「領主の妻の証」である、極光石の首飾りがある。
「これひとつですわ」
「なに、たったひとつとな?」
「はい。私たちには絆があるので」
本当は、形あるものなんて必要ない。
そう告げると、彼女は沈黙してしまった。
言いすぎたかな――。
リーザは冷酷なサディストに見えて、中身は意外と脆いタイプだったはず。
沈んだ赤の瞳を見つめるうちに、彼女はぼそりと呟いた。
「そなたらは、愛しあって婚姻を結んだのか?」
「それは……」
違う。
私たちも、最初は政略結婚だった。
そう話すと、リーザは静かに唇を震わせた。
言いたくない、でも確かめたい――そんな思いの伝わる唇が紡いだのは、消え入りそうな声。
「そなたの夫は、そなたに触れることがあるのか?」
「え……」
しかしすぐに、彼女は「やはりなんでもない」と言い直した。
あれは、どういう意味だったのだろうか――。
牢へ戻った後も、リーザの諦めたような、寂しいような表情が忘れられない。
「アンタが五体満足で戻ってきて安心したぜ!」
「ええ、おかげさまで……」
正面でガサガサと何かを作っているタンザの冗談に、今は返す余裕がない。
夫と滅多に話すことがない。
そして、「夫が触れるのか」という言葉。
やっぱり――リーザは、今の夫婦生活に不満を感じているのだろう。
とりあえず、彼女と話す時は牢から出してもらえそうだ。
あとはここからリーザの信頼を得れば。身柄解放への突破口を開けるかもしれない。
「今日は、そなたの話を聞かせてはもらえぬか?」
昨日の今日でも、リーザは「また話がしたい」と、“もてなし牢”を訪ねてきた。
しかも今度のご所望は、「私の話」――ドラグとのなれそめ。
「話せば長いのですが……」
薄暗くも温かい牢のベッドへ招き、目を輝かせるリーザと隣り合う。
そして、これまでのことを頭に思い描いた。
『推しモドキ』との最初の出会い。
初夜全力回避作戦の末の、『契約婚』の提案。
そして、この首飾りをロードンにとられた時のこと。
他にも数えきれない出来事が、たった半年の間に起こっている。
何より領主代理だった私が、夫とふたり、『夫婦で領主』になったこと――あの時は、領民たちに涙腺を直撃されて泣いてしまった。
「……そうか。そなたと夫は、ともに偉業を成し遂げることで絆を結んだのだな」
「“偉業”だなんて、大袈裟ですわ」
まだ熱い胸を押さえ、リーザの方を向くと。
「……妾は……いや」
リーザはなにか、自分のことを話そうとしたようだったが。
口を閉ざしてしまった。
ゲームでは、このふたりがくっつく伏線なんてまったくなかった。
恋愛要素ほぼなしだったから、当然なんだけど――。
やがて隣の彼女は、「こちらは互いの利害を取っただけ」とため息混じりに吐き出した。
「リーザ夫人……」
悩みを抱える彼女には悪いが。
これは、私にとってのチャンスだ――。
「よろしければ、お力添えいたしましょうか?」
リーザは、「利害関係」以上の夫婦になりたいのでは――慎重に言葉を選びつつ、そう訊ねると。赤い瞳が、縋るように私を見つめた。
「最初は私たちも利害関係……つまり、『契約婚』をしていたのです」
私が最初に「仮面夫婦」を提案したことは、ひとまず置いて――。
契約婚から本物の夫婦になった経験を生かして、クラウディウス夫妻の“夫婦関係再建”を請け負う――そう宣言すると、リーザは目を瞬かせた。
「そなた……いや、グロウサリア夫人、それは本気か?」
時間はない。それに、上手くいくかもわからない。
でも、何も持っていない私に残された道はそれしかない――。
「この私、エメルレッテ・グロウサリアが、夫妻の冷え切った関係を“激アツ”へと変えてみせます!」
「げ、激アツ……とな!?」
あの冷酷吸血鬼がそんな風になるなんて、今は想像もつかないが――。
不安げなリーザに微笑み、震える指で彼女の手をすくい上げた。
次回:冷酷夫の気を引くため、リーザの勝負服ドレスアップへ挑むことに。
「なっ! そのようなヒラヒラ、妾はまったく……」
ふだんとのギャップを突く作戦に、リーザ本人は困惑気味の一方で。
「はぁ……息が……っ」
愛しさが臨界突破して、過呼吸になりかけるエメル。
果たして作戦は上手くいくのか――?




