70話 こんなところに神官が?
「リーザ……やばっ、本物……だよね?」
流れるような白銀のサイドテールに、血の色に染まった鋭い瞳――完璧なる二次元カラー。
それが現実となって存在している彼女はまさに、『幻想国家シビュラ』の女性キャラクター人気投票No.1。
「粗相を働いた職人を、そろそろ出してやろうと参ってみれば……不敬にも脱走を試みていようとは!」
怒り顔が麗しすぎて、彼女の言葉が頭に入ってこない。
最初に、竜の姿の最推しを見た時もそうだった。
決して現実では対面できない存在が、同じ次元に存在して空気を吸っているという事実に、まず胸が震える。
その後遅れてやって来る、「意志を持って動いている」姿への感動に、涙がこらえきれない。
シオンで過ごして、もうだいぶ慣れたと思っていたのに――。
「田舎領のグロウサリア夫人も、ここで大人しくしく……ん?」
やばい、涙を見られた――。
彼女の加虐的な性格に火をつけるかと思ったが。
なんだか、小刻みに震えている。
「ちょっ、妾の言い方、そんなにきつかった!?」
「かっ……」
可愛いがすぎる――!
夫のブラッドは5割増しで嫌なヤツになっていたのに。妻のリーザ、10割り増しで可愛くなっている――。
「はぁ……着せ替えたい」
「今、なんと……?」
ゲームの中では、不敬にも着せ替え人形にしていたキャラだ。ゴシックもロリータも似合うどストライクの吸血令嬢。好物まで把握するほど、女性キャラの中ではお気に入りだった。
「まさか、あのブラッドのお嫁さんになってるなんて!」
「そなた、我が夫を知っているのか!? 呼び捨てにするとは……」
「先ほど会ったばかりでは」と、鋭い目を向けられた。
あっ、これ嫉妬している。
まずい――。
「エメルさん危ねぇ……!」
すっかり存在を忘れていた、ドワーフ族のタンザ。
牢から出ていた彼が、私のことを庇って前へ出てくれたが――タンザが視界に入った途端、リーザの目の色が変わった。
「ふんっ……客人はともかく、貴様には罰を与えねばな」
空気が凍っていく――。
「えっ……?」
リーザが、レースに包まれた細腕を持ち上げると。
鉄格子が響くように鳴った。
いったい何が起こるのか――息を呑む間もなく、ドワーフ族のタンザが、正面の牢内へ吹き飛んでいく。
「なっ……」
瞬きの間の出来事。
衝撃で、鍵を模した針金が宙を舞っていた。
「そんな……タンザさん!」
「閉じ込めるだけでは手ぬるい。手足を縛っておくか」
リーザの手からあふれ出した、黒と赤のリボン。それらが生き物のように、タンザの短い手足に巻きついた。
「ぐっ……!」
ひどい。
ゲームのイメージで、勝手に親しみを持っていたが――彼女は自領の魔族に容赦がないみたいだ。
勝手に盛り上がっていた“推し熱”が、急速に冷めていった。
「そこでしばらく転がっておれ」
「リーザ夫人……!」
呼びかけも虚しく、彼女は再び白いコウモリに化け、地下牢を出ていった。
まだ頭が追いつかない。
でも、今は彼の無事を確かめないと――。
「タンザさん、大丈夫ですか!?」
「ああ、このくらい何ともねぇよ。“上級種”様にゃ、もっと酷い目に遭わされたこともある」
リーザはタンザを「下級種」と言っていたが、この世界のブルームーン・トロイカは、魔族の種類で身分制度を作っているのだろうか。
「待っていてくださいませ! 今、鍵を……」
タンザがいる牢は、冷たい風が吹く石の檻だ。動けない身体では凍死してしまうかもしれない――。
早く牢から出さなければ、と鍵を探すも。
飛んでいった針金は見当たらない。
「お探しのものはこちらでしょうか?」
「あっ! そうそう、これ……って」
複雑に曲がった針金を差し出すのは、人間の手。
唖然とする間にも、チリンと涼しい音が鳴った。
「あっ、貴方は……!」
薄暗い牢を照らす明るい金髪。
人懐こそうな碧眼。
神王に仕える神官にして、シオン領監査官の彼――。
「イオさん……?」
「エメルレッテ様! ずっと、お会いしたかったです」
まさか、こんなところで再会するなんて――。
『シオン領の統治権は、今後もグロウサリア家に一任します』
監査官としての彼の宣言から、まだあまり経たないというのに。
スーツの上から厚手のコートを羽織ったイオは、涙混じりの笑顔で私の手を掴んだ。
「シオンでは竜の旦那様がずっとお傍にいらっしゃいましたからね。ですが今は私たちだけで――」
「それよりも! まずはその鍵を貸してください」
隙あらば口説こうとする神官より、今は拘束されたドワーフだ。
タンザの作った即席の鍵で、すぐに彼の牢へ踏み込んだ。
手が冷たい――早く、彼の手足に絡んだリボンを解かなくては。
「オレのことは放っておいてくれ! バレたら、アンタまで危険な目に遭うかもしれねぇ」
「構いません!」
魔法で締められたリボンがきつい。
人間の手では、解けそうもない――。
痛む指をふっていると、隣から火の粉が飛んできた。
「え……?」
イオの手の中で燃えているのは、神官のもつ神器――炎の矢だ。
「少し、下がっていてくださいね」
イオの握った炎の鏃が、黒と赤のリボンを簡単に焼き切っている。
あれ、イオ自身は熱くないのだろうか――彼は私と同じ人族のはずなのに。
タンザは「助かった」とイオに頭を下げつつも、また元の牢に戻ってしまった。
「どうして……」
「よく考えりゃ、脱走したってバレたら、オレだけじゃなく一族にも迷惑かけちまうからな」
だから、正式に出してもらえるまでは逃げ出せない。
そう言って、タンザは簡易ベッドへ横たわってしまった。
このブルームーン・トロイカにおいて、魔族の階級制度はそこまで厳しいものなのか――。
「では、“私がなぜここにいるか”に絡めて、トロイカの歴史もお話いたしましょう!」
「また人の考えを読んだのですか?」
一言も口にしていないのに、表情だけで悟られた気がする。
「ええ! これでも私たち、元名探偵と助手ですからねぇ」
「資材盗難事件」で組んだ時に知ってはいたが、相変わらずイオの推理力は抜群だ。
「名探偵」が強調されたことには、悪意を感じるが。
「ではまず、あなた様がこちらにいらっしゃる理由から」
私がここへ来た目的は、「シオンは戦争に参加しない」と表明するため。そしてできれば、戦争自体を止めること――。
まだ何も言っていないのに。イオは、私の頭の中を覗いているかのように言い当てた。
「旦那様ではなく貴女がお越しになったのは……『余計な火種を生まないため』、でしょうか」
驚く間もなく、イオは「でも」と続ける。
そのせいで逆にブラッドの怒りを買い、ドラグを招くための人質にされてしまった――彼は微笑みながら、そこまで言い終えた。
「……まったく、その通りですわ」
本当にイオはすごい。むしろ怖いくらいだ。
「実は私も同じでしてねぇ」
彼も、領主ブラッドによって捕らえられていた――イオは笑いながら告白した。
しかも、彼が出てこられたのはタンザの鍵が飛んできたおかげだという。
「なるほど、それで……って!」
それでは、最初から右隣の牢にいたというのか。
「ただリーザ夫人が面倒そう……いえ、お怒りだったため、沈黙しておりました」
「はぁ……まぁ、仕方ないですわね」
私のように“推しフィルター”がなければ、お怒りモードの吸血鬼は厄介で恐ろしいものだろう。
「トロイカは、吸血鬼をはじめとした上中級魔族が、下級魔族や魔族以外を弾圧してきた歴史があるのです」
「魔族以外も……ですの?」
イオは私の手を握ったまま、深く頷いた。
すっかり忘れていたが、この人はいつ手を離すのだろうか――たしか、最初に握手を交わした時もそうだった。
「しかも現在、領主ブラッド様はお怒りの最中……『トウキョウトの人族が、領内の魔族を誘拐している』とお思いなのです」
「えっ……!」
まさか、それでトウキョウトとの戦争準備をしているのか――。
ようやく話が見えてきた。
「今、クラウディウス家が下級魔族を徴兵してやがるんだ」
寝ていたはずのタンザが、むくりと起き上がった。
ヒゲの先が凍りかけている――。
「そのせいで、トロイカの空気は冷え切ってやがるよ」
「はい。そのせいで私も捕まってしまいました」
イオは戦争の火種を調べていたら、「人間」だという理由だけで拘束されたという。
ブラッドが異常なまでに苛立っているのは、その誘拐事件のせいだというのか――。
「ですが、お陰様でこうして出られました!」
愉快そうな笑い声を響かせたイオは、ようやく人の手を離したが――この神官、どこへ行こうというのか。
「おや、助けてほしいですか?」
「そりゃそうですわ!」
イオは炎の弓を肩に下げ、地上へと繋がる廊下へ出ようとしている。
「今はまだ、貴女にはここに居ていただいた方が都合良いのですが」
「えっ、ちょっと待って……!」
「では、失礼いたします」
深々と頭を下げたまま、イオは格子から離れていった。
本当に行ってしまったのだ。私を置いて。
「あの神官、私に散々言い寄ってたくせに!」
「知り合いだったんだな、あのニンゲンと」
タンザの言葉に、ただ頷いた。
“知り合い”の一言で片付けられないほど、イオとは色々あったが――今はここをどう出るかだ。
「はぁ……どうしましょう」
ひとりで上階へ行けば、すぐ捕まるに決まっている。
凍えるような部屋にいるタンザに申し訳ないと思いつつも、フカフカのベッドへ横たわった。
とにかくイオのおかげで、戦争が起こりかけている原因は分かった。問題は、どうやってブラッドを説得するかだが――ここを出ないことには始まらない。
「……エメルレッテ」
なんの前触れもなしに響いた、申し訳なさそうな呼びかけ――。
大人の姿になった彼の声は聞き慣れていないが、声の調子ですぐに分かった。
「……アレスター?」
天井に座り込んだ彼。いつものように脅かしてこなかったところを見ると、私に対して後ろめたいことがあるようだ。
「食事を持ってきたのじゃが、食う元気はあるか?」
トレーを器用に持ったアレスターが、石床へ降り立った瞬間。
「ねぇ、どうして……?」
言葉と同時に、手が動いていた。
どうして、私が捕まるところを黙って見ていたのか――。
自分よりも大きなアレスターの腕を掴み、揺れる赤眼を見つめた。
「……ああ、そうじゃな。まず、そのことから……」
すまなかった――。
彼はいつもの笑みを封印して、重苦しい息を吐き出した。
そして、私が絶大な信頼を置いていたはずの彼の口から出てきたのは――。
この城には、「同じ血統の者が当主に逆らえない魔法」がかけられているということだった。
「まさかお主を、こんな目に遭わせるとは思わなんだ」
「アレスター……」
騒いでいた胸が、ようやく静まった。
良かった――。
何よりもまず、裏切られたのではなくてホッとした。
「逆らえないのでは、仕方ないです」
うなだれる大人アレスターを慰めるように、言葉をかけると。
「じゃが、これは許されることではない……今のワシにできるのは、お主がこれ以上不自由な目に遭わぬようにすることだけじゃ!」
私が許しても、彼が自身を許さないようだった。
とにかく。私を解放するという説得は、まだ長引きそうだという。
「うーん……どうしたら解放してもらえるのでしょう」
アレスターが机に並べてくれた、湯気立つスープとパン、厚切りの肉を見つめた。
肉――。
グロウサリア家の食卓に並ぶことは、滅多にない食材だ。ドラグも私も、魚を好んで食べているから。
それ以上に、シオンは肉より魚を食べる習慣がある。竜人族も、エルフもノームも。
でも、魔族が多いトロイカは肉食だったはず。
リーザの大好物も、肉だったよね――。
ただ、彼女はある理由から、肉を控えているという設定だった。
「ところでアレスター。リーザ夫人は頭痛持ちですか?」
ふと問いかけると、アレスターは目を丸くした。
突然なんじゃ、と。
「従姉弟とはいえ、ワシはあんまり関わりないからのう」
リーザはアレスターやブラッドよりも年上。
一族の政略結婚で、ブラッドと縁を結んだという。
「政略結婚……」
エメルレッテと同じだ。
「それでヤツの頭痛とお主、なんの関係があるというのじゃ?」
リーザのことならよく知っている。
アレスターと同じくらい好きなキャラクターの1人だったから。
「アレスター。今から私の言うことをよく聞いて、リーザ夫人への食事を変えてくれませんか?」
もしかしたら彼女が、ここから脱出するための突破口になるかもしれない――。
次回:「……肉を出せと指示したそうだな」
吸血鬼にとって肉は頭痛の種。
怒りをにじませるリーザを、エメルはどう攻略するのか?
そして牢を出るため、エメルは吸血鬼夫婦の問題に踏み込んでいく――。
「最初は私たちも利害関係……つまり、『契約婚』をしていたのです!」




