69話 ブルームーン・トロイカより
息まで凍る、氷雪の都――ブルームーン・トロイカ領。
こたつに入って『幻想国家シビュラ』をプレイしている時は、こんなに過酷な場所だとは思わなかった。
「ほれ、奥方殿。手を」
「……はい」
街頭ランプのかすかな灯り、滑りやすい煉瓦道、誰もいない“もみの木”並木の大通り。
エスコートするように手を引いてくれるのは、この領出身のショタじじ吸血鬼――ではなく。
「商店街に入ったか。どうじゃ? お主にならば、何でも買ってやるぞ」
分厚い革製の財布を取り出したのは、紅のコートが似合う青年吸血鬼・アレスター。
グロウサリア家で執事をしている時は、私と同じ背丈だったのに――今は見上げなければ表情が見えない。
「ゔっ!」
「どうしたんじゃ、奥方どの!?」
しまった、思わず目を合わせてしまった。
今の彼は、色香漂う大人の姿――少年の姿でも危ない魅力が漂っていたというのに、大人化されたら輝きで目が潰れる。
「はははっ! お主、ドラグと契ったのじゃろ? あんまりワシを意識しておると、ヤツが見ていないうちに喰ってしまうぞ」
「ひぇっ……」
もはや、顔が良いとかのレベルではない。この吸血鬼の色気が限界突破して、同じ空間にいるだけで狂いそうになる。
「あれ……? そういえば、どうしてご存知なのですか!?」
先日、私たちがついに本当の夫婦になったこと。
まさか、また部屋の前で一晩中待機されていたのでは――意識が遠のく前に、アレスターが笑い声を上げた。
「そりゃあ、お主らの態度を見ておればのう」
だめだ、このままでは平常心でいられない。
話題を変えなければ――。
「……ところで、アレスターはどうして元の姿に?」
それも、この領に入ってから。
アレスターは「ふむ」と視線を丘の上へ持ち上げた。血のように赤い瞳には、氷漬けの城が映っている。
「……これから、奴に会うからのう」
奴――アレスターの弟にして、ブルームーン・トロイカの領主である吸血鬼。
元の世界のゲームでは、この領の領主はアレスターだった。なぜ弟が領主をしているのか――。
「おや?」
灰色の空から舞い降りてくるのは、真っ白な封筒。
私の手をめがけて、着地した瞬間。
『エメル……!』
震える低音が響いた。
「え……ドラグ様?」
シオン領を出発して以来、7日ぶりに聞く声。
これは声を直接閉じ込めた、魔法の手紙だ。きっと、シスコンエルフあたりに頼んで出してもらったのだろう。
『もう、トロイカにはついたかな? アレスターのことは信頼してるけど……』
ドラグの声が、低く落ち込んでいく。
『君だけを行かせるなんて、僕はまだ納得いってないよ……』
「……ドラグ様」
先週、グロウサリア家に届いた手紙。
隣領ブルームーン・トロイカと、人間の都市トウキョウトが戦争を始めるかもしれない――トロイカの領主からの手紙に書かれていたのは、「援軍要請」。
シオン領は、いざ戦争になった際にトロイカへ味方するように、と。
あの手紙を見た時、ドラグは「正直どちらにも味方したくない」と言った。
だから私は――ある提案をしたのだ。
『とにかく、今は君の返事を待つよ』
『愛してる』――縋るような言葉を残し、手紙は沈黙した。
「……はぁ。私だって会いたいわ」
余計な火種を生まないよう、ドラグには「移動しない方がいい」と助言した。そしてドラグに代わり、もうひとりの領主である私が、アレスターとトロイカを訪れることにしたのだ――不安と期待を胸に、ドラグの手紙を抱きしめた。
「冬の道端は、人の身には過酷じゃろう。さっさと屋敷へ向かうこととしよう」
「……はい。トロイカの領主様のところへ参りましょう」
再びアレスターに手を引かれ、丘の上に立つ氷の城を見据える。
ブラッド・クラウディウス卿。
どんな当主なのか――ゲームの印象だと、アレスターの双子の弟としては弱々しい性格だった。初期のドラグみたいに。
「……500年ぶりじゃな」
か細い声に、「え?」と訊き返したが。アレスターは実家の前で足を止めると、こちらへ向き直った。
500年――まさか、その間一度も実家に帰っていないのだろうか。
「良いか? ワシは、お主の命だけは何があっても守る。だが……」
決して離れるな――真剣な声と視線に、硬く冷えた身体がより引き締まった。
海外旅行気分でここまで来てしまったが、この雰囲気はただ事ではない。
ヨーロッパの湖畔に佇む城が、氷漬けになっているような外見――玄関の扉を開けてくれたのは、扉の左右を守っていた石像。ガーゴイルを模しているようだ。
「……素敵なご実家ですわね」
中は意外と温かくて快適だが、頭上では、シャンデリアにぶら下がったコウモリたちが休憩中。
最初は黒い色の天井かと思ったが――おびただしい数がひしめき合っている。
「離れるなよ、奥方殿」
「……はい」
アレスターの手を強く握って、薄暗い廊下を進んでいると。
「ワシは勘当された身でな。ありていに言えば、“出戻り”じゃ」
「え……?」
アレスターの表情が固くなった。
そして。
赤紫の扉の前へついた瞬間、口が勝手に閉じるほどの重圧が襲いかかってきた。
言われなくても分かってしまう――おそらくここが、トロイカの領主・ブラッドの部屋なのだと。
「……入るぞ、ブラッド」
アレスターの声が、珍しく硬い。
少し震える手が、重々しいドアを開くと。
「……ああ、この血の匂いは」
振り返ったのは、アレスターと瓜二つの青年。髪も衣服もすべてが漆黒に包まれる中、赤い瞳だけが暗い光を放っていた。
「ブラッド・クラウディウス卿……ですね?」
「ええ、いかにも」
肌がひりつくほどの威圧を放っている。その表情は冷たく、人間を食べ物として見ているかのようだ。
「手紙は届いたようですね、グロウサリア夫人」
「え、ええ」
どうして私を見ただけで、ドラグの妻と分かったのだろうか――。
それにしても、あの弟。兄のことは完全に無視している。
ふと隣のアレスターを見上げれば、こちらを安心させるような微笑みが返ってきた。
「旦那様の姿が見えないということは。つまり、そういうことでしょうか……?」
戦争には協力しない。
結論をはっきり告げた。
こういうタイプには、言い訳や引き伸ばしをしない方がいい。
そう、思ったのだが――「そうですか」とブラッドが呟く背景で、ガサガサと音がしはじめた。
何かが迫り来るような響きだ。
天井か、壁か、ドアの向こうか――息を呑み、辺りを見回していると。
「グロウサリア卿には、何としてでも我が領へついてもらわなければ」
卿の声が響いた瞬間。
黒い何かに、一瞬で視界を遮られた――気づけば身体が宙に浮いている。
「ひっ……!」
玄関ホールで見た、小さなコウモリたちだ。束になって、私の身体を持ち上げていた。しかも、そのまま部屋の外へ連れて行こうとしている。
「アレスター……!」
とっさに手を伸ばすも。唯一頼れる執事は、唇を噛んだまま俯いている。
「アレスター、どうして!?」
「すまないエメルレッテ……」
観光気分から、一変。
たくさんの「なぜ」を抱えたまま、私が連行されたのは――いくつもの石段を降りた先。水の滴る音が響く、石造りの地下牢だった。
「そんな……どうして」
ただ、私が入るのは“もてなし牢”だと、コウモリたちは囁いた。
牢内は魔法のおかげか暖かい。石の床には絨毯が敷かれ、快適なベッドやソファ、瑞々しい果物までそろっている。
高級ホテルみたい――でも、格子を見ればカゴの鳥。
「……私、捕まった? いきなりあんな……」
ベッドに背をもたれ、混乱が解けない頭を抱えた。
きっと私は、ドラグに挙兵を強制させるための“人質”に取られたのだ。
「でも、アレスターは……?」
うずくまり、震える肩を抱きしめた。
いつも私が悩む時、寂しい時、そばにいてくれた彼。信頼を置いていたグロウサリア家の執事が、助けてくれなかった――。
「アレスター……どうして」
「エクショイ!!」
今の、くしゃみ――?
一瞬にして涙が引っ込んだ後。
正面にある牢の気配に、今になって気がついた。
目を凝らしてみると。古傷だらけの小さな手が、格子を強く握っている。
子どもにしては、随分と筋張って硬そうな手――ブルームーン・トロイカにいるはずの魔族を思い浮かべれば、すぐに答えは見つかった。
「……ドワーフ?」
「ん? ああ、アンタ大丈夫か? 見たところ、良いとこのお嬢さんみたいだが」
おじいさんのような枯れた声が暖かくて、少し肩の力が抜けた。
「ええ、私のことはお気になさらず……貴方は?」
「オレはタンザ、飾り職人だ」
タンザ――ゲームにはいなかった。
名前のないドワーフだったのだろう。
「初めまして、タンザさん。ところで……」
なぜ、職人の彼がこんなところで囚われているのか。
問いかけると、正面の格子がギシギシと鳴った。
「ここの奥方に作った髪飾りの細工が気に入らねぇってんで、罰として3日は閉じ込められてるよ」
「はぁー?」
あまりの理不尽に、つい素が出てしまう。
彼のいる牢は、こちらとは違い薄暗い。格子窓からは冷たい風が吹き込んでいるようだ。
その風に紛れて、カチャカチャと金属製の何かを組み合わせる音が響いている。
「……それでくしゃみを」
「アンタ、エメルさんって呼んでいいのか? 人間は寒さに弱いっつーし、あったかい牢で良かったな」
自分は過酷な環境に囚われているのに、私に「良かった」と声をかけるなんて――。
同じ魔族でも、あの領主とは全然違う。
「あーもう! ブラッドの設定変更とか聞いてないんですけど!? 性格悪すぎでしょ! ナノのがシスコンでも千倍マシだわっ!!」
積もり積もった不満が爆発した直後。
牢全体が静まりかえった。
「あ……コホン」
こんな時こそ、冷静にならなければ。
タンザによると、ブラッドの妻もやばいということだ。
ちょっとイタズラ好きなキャラクターは『シビュラ』にもいたが、彼らほど理不尽で嫌なキャラはいなかったはず。
ゲームは優しい世界だったんだな――今更だけれど、改めてそう思う。
「叫んでも、どうにもならないな……」
とりあえず、これからどうやって牢を出るか――部屋にあるものを見回した、その時。
隣から、カシャンと音が響いた。
金属が擦れる音の直後。突然、格子扉が開く。
「え……? 貴方、どうやって!」
「しぃーっ。アンタも来るかい?」
目の前に手を差し伸べてくれたのは、クマのような毛とあごひげを生やしたドワーフ。つぶらな瞳は優しい色を灯している。
そして手には、小さな針金のようなものが握られていた。
「もちろん行きます!」
早くここを出なければ、シオンの領民たちが徴兵される未来もあり得る――。
差し出された、小さくも厚い手を握った瞬間。
キキ、と、耳元で何かが鳴いた。
白い毛のコウモリ――。
この世界のコウモリは、吸血鬼の使い魔だ。
「マズい……タンザさん、早く逃げて!」
ドワーフを元の牢へ押し込めるより早く、冷気が耳をかすめた。
『何をしておる、この下級種めが』
背筋を氷が伝うような声――。
遅かった。
無数に集う白いコウモリの塊が、一瞬にして女性へと変身したのだ。
白銀の髪を逆立てた、細身の女性。むき出しになった八重歯から、ひと目で吸血鬼族と分かる。
「え……リーザ?」
「これは耳が早いな。グロウサリア夫人は、もう妾の名を耳にしたのか?」
まさか夫が言ったわけでは――と、なぜか詰め寄ってくる彼女を、私はすでに知っている。
『幻想国家シビュラ』の女性キャラクター人気投票No.1。
アレスターの従姉弟、リーザ・クラウディウスに違いない。
次回:「リーザ……やばっ、本物……だよね?」
女性キャラクター人気投票No.1の登場に興奮する転生後妻だったが。
「閉じ込めるだけでは手ぬるい。手足を縛っておくか」
ゲームで愛した“推し”と、現実のリーザはまるで別人。
理想と現実のギャップに絶望するエメルの前に、さらに“意外な人物”が姿を現す……!




