68話 ドラゴニック・ハート
眠い。怠い。頭が重い――それでも「領主の妻」は、呼び出しに応えなければならない。たとえ朝一だろうと。
「来たか奥方殿!」
「……おはようございます、アレスター」
突然「神域へ帰る」と言い出した神官たちを見送るため、霧が立ち込める庭先へ出たところ。昨晩の宴で酔い潰れたオークたちが、芝の上に転がっていた。
「いくら『新領主就任記念』のパーティーだったとはいえ、どうしようもない連中じゃのう! ところで、主人はどうした?」
「……まだお休みなのでは」
「ん? そうか」
首を傾げつつも、アレスターは私の手を引いてくれる。
いびきをかくオークたちを除けながら、霧の中を進んでいくと――やがて浅黒い肌の巨大なオーク、ジュードと目が合った。
「おはようございますご主人様ぁぁぁ!! と、言うのも今日限りだな」
相変わらずの爆音ボイス。耳を塞いでも頭に響く。
でも、間違っても「うるさい」などとは言えない。彼はもう“筋肉メイド”ではなく、神王に仕える神官様へ戻ったのだから。
「……エメル、大丈夫?」
「え……?」
霧の中から現れたのは、寝室で寝ていたはずのドラグ。
起こさないよう、こっそり抜け出してきたのだが――背中を支えてくれようとした手を、思わず避けてしまった。
この黒竜、昨晩の記憶がないのだろうか――あのツノが視界に入るだけで、こちらは身体が沸騰しそうだというのに。
ふだん通りの夫竜から視線を逸らし、助けを求めるようにアレスターを見ると。我が家の執事は、ゴスロリメイド――もとい、神官レヴィンに「握手せんか?」と手を差し出していた。
「屋敷を漂うお主がいなくなると思うと、寂しくなるのう」
「ふん、調子いいこと言いやがって! ボクとオッサンを散々こきつかったくせに」
和傘を広げ、宙を漂うレヴィン。
彼女がふわふわと向かったのは、背後で待つ初代ドラグマンの背中だ。
「いくよ、オッサン」
「うむ。ふた月もの間、大変世話になったな! グロウサリア夫妻、それに吸血鬼執事も」
ジュードも竜の背へ飛び乗ったところで、初代ドラグは翼を立てた。
ついに、彼らがシオンを去ってしまう。
レヴィンの資材盗難事件からはじまり、エメル村の創設に領主決定戦の乱闘と色々あったが――いなくなってしまうと思うと、少し寂しい。
「あれ? そういえばイオ――監査官様は」
「……エメル、どうして彼を気にするの?」
こちらを心配そうに覗き込むドラグから、また思い切り顔を逸らしてしまった。
こんな子どもみたいな反応、よくないと分かっている。でも――やっぱり、顔が見られない。
ツノがいいとか顔がいいとか、“人生の推し”だからとか、そんなレベルの話ではなく――本当にこの竜、昨夜のことを覚えていないのだろうか。
「ああ、間に合いましたね」
すっかり耳に馴染んだ、仰々しい声に顔を上げると。目の前に、スーツ姿のちびドラ仮面が降り立った。
イオはまだ仮面をつけている。もう、それの意味なんてないだろうに――。
「なんと! また徹夜なさったのですか?」
「……まぁ、そんなところですわ」
ガサついた声で答えると、イオは「おや」と首を傾げた。
妙な間が息苦しい。
イオが何かを想像する前に、「昨日はありがとうございました!」と、即席スマイルを貼りつけた。
「ですが、なぜあのようなことを?」
領査定の日を伸ばしてもらったのに、なぜ急に神官総出のサプライズ勝負を挑んできたのか――。
するとイオは、警戒する夫竜に構わず私の前へ進み出た。
「ノクサリア家の黄金竜のことが、気になっておりまして」
そういえば。
『純粋な力以外の勝負で、ロードンは本当に納得するのか』――領主決定戦のことを話した時、イオはそう言っていた。
「では、もしかして」
「ええ。スマートに“敵役”を務めさせていただきました!」
本当に、彼は名助手だ――盗難事件の時と同じ。今回も、私を助けてくれたのだろう。
「なんとお礼を申し上げれば良いのか」
裏切ったのでは、などと一瞬でも思ったことが申し訳ない。
イオに向き直り、深く頭を下げたところ。「では」、と明るい声が降ってきた。
「お礼は『旦那様との離縁』で結構ですよ」
「なっ……!」
「そんな予定はない」と返す前に、横から黒い腕が伸びてきた。
私を引き寄せたドラグは、無言のまま、以前よりも鋭くイオを睨みつけている。
「おや、旦那様もいらっしゃったのですね!」
イオは笑っているが、絶対にワザとだ。
いくら霧が濃くても、気づいていないはずがない。
「あまり夫を煽らないでいただけません?」
ドラグの翼と尻尾が少しずつ大きさを増し、私の全身を覆い隠すほどになった。イオの目に晒されないよう、包まれている。
これはこれで、やりすぎな気もするが――。
「竜は嫉妬深いとうかがっていましたが、これは骨が折れそうですね」
ふと、仮面越しに視線を感じた。
もしかしたら、これまでの意味深な発言について何か言ってくるかと思ったのだが――彼は「これにて失礼」と言い残し、初代ドラグマンの背中へ飛び乗った。
彼は人間のはずだ。それでも並外れた身体能力をもち、炎の弓――「神器」を扱える。
それに――。
『貴女が他人と結ばれてしまったら、私は誰と一緒になればよいのでしょう?』
あの言葉は本気だったのだろうか。
そもそも、彼の私への気持ちの根源はどこから来ているのか――考える間にも、頬に冷たい「何か」が垂れた。
「えっ……これ」
黒いドロドロ――。
危険スキル、【異形の翼】が暴走している時にドラグから溢れ出す泥だ。
「あっ……あの人間を見てたら、身体が……」
「ドラグ様!?」
まさか、このまま暴走してしまうのでは――不安に胸が潰れそうになった、瞬間。
巨大な黒い鼻先が、横からすっと伸びてきた。
私の“元祖”推し、初代ドラグマン様のご尊顔。
きらめく炎の黒い息が、ドラグの顔に吹きかかると――彼の全身から流れ出していた泥が、解けるように霧散した。
『情けないぞ、子孫よ。心の揺らぎが力の制御に直結していると云ったはずだ』
初代ドラグからたしなめられ、夫竜は俯いてしまった。
「心の揺らぎ……ですか?」
『ああ。嫁御が、第五のやつにとられるとでも思ったのだろう』
つまり、それは――。
頭が沈んでいるドラグのツノを、思わず撫でた。
夫が嫉妬深いのは、以前から分かっていたことだ。しかしそれがスキルにまで影響を及ぼしているなんて――今は初代ドラグが居たから良いが、これからは本当に気をつけてもらわなければ。
「ところでさ。領主が暴走してる時、竜のじいさんはどこにいたわけ?」
初代ドラグの背中にいるレヴィンの問いかけに、彼は答えなかった。耳が遠いのをいいことに、聞こえないふりをしているようだ。
「第一神官は、またクリスタル族の鉱山で寝ていたそうだ!」
ジュードが叫ぶと、初代ドラグはさっさと翼を広げた。
シオン領総出のイベント中、姿が見えないと思ったら――あの、天然クーラー洞窟にいたというわけか。
「じゃあね、キョーカ」
「……あっ、ええ! またお会いしましょう、レヴィン」
資材盗難事件、筋肉メイドの朝訪問、ガチ推し来領――神官たちとの思い出を振り返るうちにも、巨大な黒竜は空の彼方へ飛んでいく。
「行ってしまわれましたね」
「うむ。我々も、屋敷へ戻るとするかの」
アレスターが踵を返しても、まだ空から目が離せなかった。
元の世界の「匡花」を知る、彼ら神域のものたち――必ずまた、会いに行かなければならない。
なぜ彼らは私の中身を知っているのか。
元の世界を知る、神王ワチは何者なのか――。
「エメル」
相変わらず控えめな夫の声に、空を仰いだまま返事をすると。
「これからデート、しない……? ふたりで」
「…………え」
目が覚めたら即結婚。
このシビュラでは、そんな状況からのスタートだった。だから夫とのデートは今回が初めてだったのだが――やっぱり顔が見られない。
「……エメル、君さ」
「はい?」
青々と茂る森の大樹を見上げながら、隣の声に応えると。
ドラグは「何でもない」と呟いた。
「ドラグ様……」
「あっ……本当になくなってるよ」
黒い指先が指す方を向くと。「真の領主決定戦」の会場となった緑のスタジアムは、もう解けてしまっていた。魔法で作られた、1日限りのものだとシカクは言っていたが。
「エルフとゴーレムが協力して、作ってくださったのでしたね」
最初は、「自然保護派」と「開発派」で揉めていたエルフとゴーレムたち。恋人同士のシカクとミス・グラニーをはじめ、和やかに共存し始めている。
「ここはもう、私たちの助けは必要なさそうですわね」
シオンの澄んだ青空を見上げると、遠くにそびえる灰色の山が目に入った。
あれはクリスタル族の鉱山――会場の音響設備を用意してくれたクリスタル族だって、もう私の助けは必要ない。
彼らは始祖の身体から結晶石を削りだして、それを町で売っていたが――今ではみんなが、パープル博士の新エネルギー研究を手伝っている。
「……次は、エメル村の方に行ってみようか」
森の外れに作られた、農業体験型リゾート施設。ぼったくりドラゴン・タクシー会社が廃業したことで、エメル村には順調に客足が戻っていた。
ドラグが暴走の時に壊したホテルも、元通り。オークたちは生き生きと畑を耕したり、大小様々な種族の接客をしたりしている。
「エメル……昼飯、まだなら食ってぐか? 旦那さんも一緒に」
「ええ、ぜひ!」
カナメロに甘えて、畑の見えるテントの下、2人でランチをいただくことにした。
畑でとれたキング野菜のごちそうスープに、じゃがいもパンケーキ、エルフ族が卸しているフルーツのパフェ――。
「……美味しいね」
「ええ。ドラグ様はやはり、フルーツがお好きなのですね」
パフェをゆっくり堪能している夫を横目に、協力して働いているエルフとオークたちを眺めた。
ここも、もう大丈夫そうだ。
あれ――何だかデートというより、視察になっている気がする。
でも、ドラグが嬉しそうなら良いか――。
「ねぇ……」
「は、はい?」
景色に夢中なフリをしながら、返事をすると。
「……もしかして、怒ってる?」
「え……?」
やっと向き直った先のドラグは、表情を歪めていた。
「あ……」
ようやく気づいた。
夫を一切見ようとしない私の態度が、彼を傷つけていたのだと。
「ドラグ様、その……」
だめだ、これでは前の時と一緒だ。
せっかく夫婦としての絆が生まれたのに――これではまた、失ってしまう。
もう、覚悟するしかない――。
ナイフとフォークを置き、深く息を吸った。
「実は……」
夫の顔を見るだけで、私は昨晩のことを思い出してしまうのに。ドラグは普通すぎて辛い――。
「もしかして、ぜんぶ夢だったのかなって……」
すると、ドラグは炎混じりのため息を吐きだした。「夢じゃないよ」と微笑みながら。
「ゔっ……!」
前は滅多に笑うことなんかなかったのに――“人生の推し”の激レアスチルの価値が著しく下がってきている。
こんなの、心臓がいくつあっても足りない――。
悶えるうちにも、夫竜は立ち上がり、私の前に膝をついた。そっと持ち上げられた手を、ドラグの左胸に引き寄せられる。
「普通なわけ、ないだろ……」
「わっ……」
竜人のドラグの鼓動は、人間に比べていつもゆっくりだったはず。
それが今は――胸の中で、巨大な塊が跳ねまわっているかのように激しい。
それにつられて、自分の鼓動も早くなっていく。
「君の熱を一度知ったら、もう正気じゃいられないんだ……今もまた触れたくて、おかしくなりそうで。それを必死に抑えているんだよ」
昨晩を思い出させるような鋭い眼光に、時が止まった。ここがどこかも忘れて。
この人、あのドラグだよね――?
以前から、こういう時だけ押しが強いとわかっていたが。最近、さらに強くなっている気がする。
今度ばかりは耐えられない――視線を逸らすと、身体が浮く感覚がした。
「えっ、ちょっとどこへ!?」
「……もう夕方だから、家に帰ろう」
お姫様抱っこのまま丘を上がって、お屋敷の玄関をくぐってもまだ降ろしてもらえない。ツノを掴んで、自分の寝室へ誘導しようとしたが――こっちはドラグの部屋だ。
「言っておきますが、今日はしません! 絶対に」
「……何のこと?」
絶対分かっている。部屋に入ったら、そのまま喰ってやるという顔をしているのだから――。
結局抗えないまま部屋に入り、綺麗に整えられたベッドへ降ろされた。
「……外出して疲れたでしょ。少し休もう」
「あ……はい」
あれ、勘違いか――?
そう思ったが、ドラグは腰を抱いたまま離れない。休む間にも、匂いを堪能されている。
これは――勘違いではなさそうだ。たぶん、私が許すのを待っている。
デスクワークならまだしも、運動で二徹はキツい。
いっそ部屋から逃げるべきか――?
ドラグを心配させずに、安全に、寝室を脱出する方法を考えていると。
「一大事じゃあ!」
「き……」
声にならない叫びとともに、ドラグの顔を押しのけた瞬間。
天井から黒い塊がぶら下がった。
「あ、アレスター……!?」
まったく、このショタじじ吸血鬼――助かったが、ちょっと空気を読んで欲しかった。
「いやな、常ならば空気読むよワシも? じゃが……」
戦争勃発直前とあっては、割って入るほかない――執事の言葉に、ドラグと顔を見合わせた。
アレスターが取り出したのは、真紅の押印がなされた漆黒の封筒。そこに書かれていたのは――彼の実家である隣領・ブルームーントロイカと、人族の領・トウキョウトが煙を立てはじめているという知らせだった。
あのアレスターが笑っていない。ドラグも、口元に手を当てたまま沈黙している。
これは、ドッキリでも何でもない――。
「戦争……でも、どうして……?」
次回:第7章「無音の凍土:ブルームーン・トロイカ」始動
隣領へ戦争の調停に向かったエメルは、吸血鬼の領主夫妻に囚われてしまう……。
けれど、夫竜と歩んできた絆は揺るがない!
ゲームで培った知識を武器に、吸血鬼の夫婦問題、領地を覆う階級問題に挑んでいく。
残すはあと3章。
「シャイ後家」、ここからさらに加速します!
投稿開始予定:2025年9月20日(土)21時10分




