57話 立ち上がる『エメル』
「奥方様の身体の中に、魂の鼓動がふたつ存在するのです……!」
確信したようなカムカムの言葉に、身体が動かなくなった。
『其方を「真の役割」へ導くため、私の魂は其方と共にあります』
時渡人の言葉が頭をよぎる。
ふたつの魂――私の中にいる時渡人のこと。
でも、そのことを周りに知られるわけにはいかない。彼女が何者か、また彼女の目的が分からない以上、このことは秘密にしておかなければ。
「あっ、ありがとうございます! もう結構です!」
我ながら苦しいと思いつつも、「体内で生きられる小動物を飼っている」と誤魔化した。
ここは幻想種だらけの異世界――きっとこのくらい不思議な生き物がいても、違和感はないはず。
『なんだいその生き物は! もうすぐ400歳のワシも聞いたことがないよ!』
「え……」
ポチャンの輝く瞳に、調子よく動いていた口が止まった。
ドラグも「初めて聞いた」と目を丸くしているし、何より診断したカムカムは無言で首を傾げている。
これはマズイ――が、押し通すしかない。
「そっ、そうですわ! 私のことより、夫の傷を診ていただけませんか?」
ドラグ自身が、「棺の中の何に襲われたのか分からない」と言った翼の傷について。トナーク族の呪術師ならば、何か分かるかもしれない。
「ドラグ様、よろしいでしょうか?」
「構わないけど……でも、この傷はもう」
ドラグの憂慮した通り、彼の傷はもう古く治せない――カムカムは触るまでもなく断言した。
「そんな……」
「しかもこちら、傷というより呪いの類ですねぇ。おそらく、『死霊系の種族』がかけたものでしょう」
「呪い、ですか?」
それが、危険なスキルが付与された原因――。
「……そうか。少し、納得した」
本当はそんなわけないのに。
20年経っても癒えない傷を背負って、今も苦しんでいるのに――。
『僕は、ずっと忘れられなかった。怖くて、情けなくて……本当に、嫌になるくらい』
夜の散歩の時に明かしてくれた、あの言葉が忘れられない。
夫は弱いが、強い竜だ。
自分の弱い部分を、ああして打ち明けられるのだから。
「ドラグ様……」
かすかに震える手に、そっと指を絡めた。
彼がひとりで戦っているわけではないと、伝えられるように。
「とても辛い記憶だったこと、承知しております。ですが、本当に思い出せないのですか?」
あの事故があった日、棺の中に何がいたのか。
カムカムは「死霊系の種族」と言っていたが――もし分かれば、ドラグを暴走させた危険なスキルを消せるかもしれない。
「……やっぱり、何に出会ったのか思い出せない」
「そう……ですか」
様々な憶測が巡っても、答えには辿りつかない。
結局、あの遺跡の祠を開けてみるしかないのか――ふと、かすかな物音に思考を遮られた。
振り返った先、扉の隙間に、燕尾服のテールがチラッと見える。
「アレスター……?」
「エメル、どうかした……?」
ドラグを見上げ、扉を指しかけたが。
気のせいだったのだろうか――。
もうそろそろ帰るというカムカムとポチャンに、今はお礼を言わなければ。
「そうでした、お代を……」
「いえいえっ、いただけません! 子どもたちを食べさせていけるほどの食料をいただいているのですからっ」
「それとこれとは別ですわ」
遠慮するカムカムに診察代を、そしてポチャン先生にも昨日の治療代を手渡す。
そうしてみんなが帰った後も、ドラグはまだ壁の方を向いていた。
「どうかなさいましたか?」
何かを思い詰めていそうな横顔に、そっと声をかけると。
ドラグはビクッと肩を揺らし、ため息を吐いた。
「……呪いのこと、考えてた」
その言葉に、少しだけホッとした。
翼の傷がもう治療不可なことへ、衝撃を受けているのかと思ったのだ。
「……そうですか」
言葉に迷っていると、縋るような手に引き寄せられた。
「また自我を失いかけて、この間みたいなことになったら……自分が怖いんだ!」
「君を傷つけたくない」――震える竜は、耳元でそう囁いた。
「僕はまだ、自分の力を制御する術を身につけられてないから……」
たぶん、彼は焦っている。
だったら、私にできることは――。
唇を引き結び、硬く大きな身体を抱きしめ返した。
「……エメル」
背中に回した手で、翼の付け根におずおずと触れると――ある一部だけ、異常に硬くなっていた。神経が弱っているのか、そこに触れても、ドラグは何も感じないらしい。
目には見えないが、おそらくここが傷を受けた場所。
あの黒く淀んだ泥があふれていた、源に当たる部分だ。
「……っ!?」
今、ドロッとした黒いものが手に触れた気がした。
液体でも、気体でもない何かが――しかしそれを確かめる間もなく、泥は消えていた。
「エメル、どうかした?」
「……いえ」
気のせい、だったのだろうか。いや、確かに泥はこの手に触れていた。
それでも私は、呪いかもしれない『黒い泥』に恐怖を感じなかった。
むしろ、どこか懐かしいような――。
「あぁぁ……どうしましょう!」
療養している間に、すっかり領査定の日になっていた。
現在の評価点は29点。
今日までに30点以上を出さなければ、シオン領は没収されると言う話だった。
でも――。
暴走したドラグが破壊した施設に、ゲルダのぼったくりドラゴン・タクシー。これらが影響して、むしろ点数が下がっているはず。
施設の修復依頼は出したが、到底間に合うはずがない。
「ほんと、どうしよう……」
お屋敷のある丘の上から、リゾートホテルを修復するシカクたち――ゴーレム族を眺めていると。
「これはこれは、酷い有様ですねぇ」
軽快な声を振り返った先には、相変わらず緊張感のないちびドラの仮面。
今最も会いたくなかった、監査官の姿があった。
「『エメル村』のグランドオープンから10日後。お約束通り、きっかりやって参りました!」
「ええと、それが……」
丘の中腹にある東屋へ誘導し、ベンチへお座りになっていただいたところで、本題へ入ることにした。
ちょっとした事故で施設が破壊されたこと、そして領主代理である私が倒れてしまっていたことを――いっそこうなったら、すべて正直に話すしかない。
「完全に言い訳だ」と分かっているが、他にどうしようもないのだから――。
背筋を真っ直ぐに伸ばしたまま、微動だにしないスーツの男。もといちびドラ仮面に、すべてを話し終えると。
「つまり、『査定の期限を延長しろ』、とおっしゃるのですか?」
「……そういうことですわ」
望むならば、できることは何でもする。
そう言って頭を深々と下げると、彼は静かに息を吸った。
「それなりの代償を払っていただければ、少しくらい待ちますが」
「えっ! 本当ですの?」
その代償とは、いったい何なのか。
なぜか黙ってしまった監査官に、先を促すと。
「では、口づけを所望します」
「は……」
くちづけ――って、なんだっけ?
余りにも唐突な提案に、幻聴かと思ったが。ちびドラは、至って真剣な口調で続ける。
手で3日、頬で1週間、唇で2週間延長すると。
「ええと……ふざけていらっしゃいます?」
「いえまさか! 貴女さまの唇は、私にとってそれだけの価値があるということ」
価値がある――?
今回の突拍子もない提案は置いて。思えば、彼は妙に私へ肩入れしていた。
『少なくとも、私個人は貴女に期待しておりますよ』
クリスタル族の鉱山で初めて会った時も、そう言っていたのだ。
それに、『エメル村』創設の時も力を貸してくれた。
本来中立の立場であるべき、監査なのにもかかわらず――。
「監査官様。以前、どこかでお会いしていませんか……?」
一瞬、空気が張りつめた。
ちびドラの奥に感じる、深淵のような瞳がこちらを見据えている。
「あの……もしかして、貴方は」
ふと思いついたことを口にしようとした、その直前。監査官は、重々しい空気を断ち切るように「まさか」、と声を高くした。
彼は神王ワチに仕える神官のひとりで、シオン領を査定する監査官。そして、なぜか元の世界のゲーム『幻想国家シビュラ』のマスコットキャラ、「ちびドラ」の面をつけている。
改めてちびドラの情報を整理してみたが、先ほどの思いつきが真実かどうか、自信がなくなってきた――。
「それで、どこになさるのです?」
顔が見えなくても、声に嬉しさがにじみ出ている。
ふつうの人間の、それも人妻のキスにそこまで価値を感じる理由がどこにあるのか――わざとらしく、深いため息を吐き出した。
「では……頬にいたしますわ」
ただ、間違ってもドラグが目撃しないよう注意しなければ。
以前、竜巻ハプニングの時。名助手のイオと事故で抱き合っただけで、とんでもなく面倒なことになったのだ。査定期間を延長させるためとはいえ、自分からキスをしたとバレたら、今度は施設が全壊になる恐れもある。
「あ、あの……屈んでくださいませ」
「ええ、喜んで!」
「しーっ!」
古木と雨上がりの匂いが立ち込めるテーブル下に膝を折り、ちびドラの面と向かい合うと。
「仮面をずらしていただきたいのですが」
このちびドラ、ずるい。
私の挙動不審ぶりを、近距離でじっくり堪能している。
「……はい」
いかにも仕方がなさそうに、面を引き上げると。これまで見えていなかった、彼の情報が見えるようになった。
「……っ」
髪は輝くような金色で、あごのラインはすっきり白いとか――やっぱり、どこかで見たような気がする。
このまま、目元まで上げて良いのだろうか。
息を呑み、面を外そうとした瞬間。
直前で手を取られた。
「焦らしていらっしゃいます?」
耳元で囁かれ、鳥肌がたった。
声が近い。
どこかで嗅いだような、爽やかな香りが鼻腔に広がる。
「はい、どうぞ」
「……し、失礼します」
熱をもった頬を隠すように、慌てて頬へ口付けた。
生まれたてのように清らかな肌――その熱が伝わってくる前に、さっと距離を取る。
たった一点触れただけで、もはや虫の息だ。
それに夫への罪悪感で、胸が焼けるように痛い。
「ドラグ様、ごめんなさい……」
東屋の壁に寄りかかり、深呼吸をしていると。
いつの間にか面を元通りにしている監査官は、声を上げて笑い始めた。
「なっ! 何がおかしいのですか?」
「いえ。既婚女性にしては、あまりにも初々しくて」
この先を教えたくなった――不穏な囁きをするちびドラに、肩が跳ねた。
ふざけた仮面越しだったから助かったものの。これがむき身の監査官だったら、気絶していたかもしれない。
あの面の下、絶対にイケメンだ。
「……あれ?」
完全には見えなかったが、あの白い肌に金の髪。それに、笑った時の声――。
やはり、最初に直感した人物で間違いないのだろうか。
「でも……」
頭に浮かぶ彼は人間で、目の前のちびドラは特殊な火の矢を放つ魔族のはず。
繋がらない――。
「助けて……」
「ん?」
今、消えかけの声が響いたような――。
ちびドラの指す方を、ゆっくりと振り返ったところ。
「宇宙が……近い」
「ひゃっ!?」
すぐ後ろの壁に、青い鱗に覆われた手がかかっていた。
「ボロネロ? いったい何が……」
ふらつく足取りの彼に手を貸したが、こちらが倒れそうになってしまった。
しかしこの状態、答えを聞くまでもない。彼は倒れる前の自分と、まったく同じ顔色をしているのだから。
「どう見ても過労です! また一晩で2往復とか、無茶をしているのではないですか?」
ぼったくりタクシー会社、やはりブラックすぎる。
早急に取り締まらなければ、ボロネロ以外のドラゴンまで倒れてしまうかもしれない。
でも、どうやったらゲルダを説得できるのか――。
「後妻の匂い、したから。ここ、来てみたら……い、た」
「ボロネロ!?」
眠りについたかのように、ボロネロは倒れていく。
しかし地に伏す直前、監査官が素早く彼の巨体を支えてくれた。
「このまま町の診療所までお運びします。貴女は、ご家族の方をお呼びいただけますか?」
「でも……っ」
ボロネロは大丈夫なのか。
どうやってゲルダに状況を伝えれば――。
ダメだ。
体と頭が、うまく動かない。
「エメルレッテ様、しっかり! 領主代理たるもの、この程度で驚いてはいけませんよ」
「あっ……」
声に弾かれ、いつの間にか足が走り出していた。
そうだ。今は自分にできることをしなければ。
でも、あの言葉。
やはり監査官は――。
「ううん、今はボロネロを……」
お屋敷の自室で休憩していたドラグにお願いし、すぐに竜の巣へ飛び立った。
「どいつにやられやがったんだぁ!?」、と吼えるロードン。
「……そう」と、冷静にコートを羽織るゲルダ。
彼らに付き添い、一緒に町の診療所へ向かうと。
「……え? そんなに危ないんですか?」
ポチャン先生の見立ては、私と同じ「過労」。しかしボロネロの肉体は限界を超えていて、細胞が死にかけているという。
『どう見ても休まず飛びすぎだね。ご家族は……万が一のことも、覚悟していてほしい』
「あ……?」
そう発したきり、放心するロードンの隣で。ゲルダは無言のまま踵を返した。
後をつけて行くと、彼女は「集中治療室」へ入っていった。
なぜか――薬液付けになったボロネロの身体を、持ち上げようとしている。
「ちょっと、何を!」
「なにって帰るのよ。ボロネロは……アタシの夫は、誇り高き『シオンの竜』なのだから」
「は……」
あり得ない。
しかしゲルダは、至って真剣に言う。
竜人族は「力に対する絶対的誇り」がある。自身の力で治すことも強さだと――。
次回:うわべだけの「言葉の殴り合い(レスバ)」ではない、前妻対後妻のまじめ対話。
「貴女……本当は、ドラグ様を愛していらっしゃったのでは?」
自分で言っておきながら、胸が苦しい――。
そんな転生後妻に向け放たれた、ゲルダの答えとは……。




