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56話 ぶれる『匡花』

『ロードンの決闘を受けた』


 今、ドラグはたしかにそう言った。

 私が固まっているのにも構わず、ひとりで「竜の巣」へ行って来たと。


「どうして……!」


 力で解決したら、結局シオンは「力こそがすべて」という根本が変わらなくなってしまう――それはドラグだって分かっていたはずだ。

 私が意識を失っている間に何があったのか。

 ベッドに沈んだままの手を掴み、答えを急かすと。

 夫はどこか気まずそうに、月明かりの窓辺へ視線を逸らした。


「僕もシオンを力で支配することには反対だよ……でも」


 君を守るための力が欲しい――真っ直ぐな瞳に捉えられ、開きかけの口が閉じた。

 あんなに恐れていた場所へ、たった一人で行ってきたというのだから、彼の決意は本物なのだろう。

 でも――。


「それに、ロードンは力での勝負じゃないと納得しないだろうし」


 たしかにそうだが。

 本当に、それで良いのだろうか。


「だから……ちょっと、頑張ってみるよ」


 今は休んで、と身体をベッドに倒された。

 休んでいる場合ではないというのに――。


「……また何か考えてる?」


 鋭い指摘に、胸が小さく高鳴った。

 しかしいざ寝てみると、今にも眠りそうなほど目蓋が重い。


「自室で休みますわ」


「送ってほしい」と、夫へ向けて腕を伸ばすと。

 不安げな顔のわりに尻尾を揺らしている夫は、掛け布団を私の上に被せた。


「見てないところで、どんな無理をするか分からないから……当分は僕の部屋で休んで」

「そんな!」


 夫竜、もとい「人生の推し」の匂いが充満したこのベッドで過ごしていたら、正直養生どころではない。


 眠れないどころか、供給過多で息ができないのだが――?


「……なんで息、止めてるの? もしかして臭――」

「いえ! 良い匂い過ぎて息ができないだけです……あ」


 ポカンと口を開けたドラグを前に、ようやく気づいた。

 ドラグの前でだけは、気持ち悪いオタク発言はしないよう気をつけていたのに――まずい。

 疲労で口を滑らせてしまった。


「……っ」


 夫は俯き、何かを呟いている。

 その隙に、火照った頬を冷まそうとしていると。


「えっ、ちょっとドラグ様!?」


 無言のまま、冷えた身体を腕の中へ閉じ込められた。

 どこかホッとする甘い匂いが、ベッドのシーツよりもずっと濃い。


「……僕も君の匂い、好きなんだ」

「ひぇっ」


 今、髪の匂いを嗅がれた。

 それも深呼吸するように。


「あああの、このままだと具合がっ、著しく悪くなる可能性がああありまして」


 このまま密着していては()()()()だ。

 そう全力で訴えると、ドラグは渋々ながらも身体を離してくれた。

 最後に温かい指先が、そっと頬を撫でていく。


「今日はこのまま寝ない? 君が良くなるまで、ずっと看病するから……」

「えっ」


 全年齢対象のお泊まり会は何度か経験しているが、まさか。

 この添い寝状態が連日続くというのか――。


「……この姿が嫌なら、元に戻るけど」


 ドラゴンの身体は鱗が危ないし――と、無自覚夫はのたまうが。

 竜化した彼に添い寝されたら、それこそ休むどころではない。


「たいへん嬉しい申し出ではございますが、謹んでお断り申し上げます……」

「……そう? じゃあ」


 すっと起き上がった夫が、何をするのかと思いきや。


「ぐっ……」


 低く小さな唸り声とともに、彼は口の中へ突っ込んでいた手を取り出した。

 暗くてよく見えないが、指先につままれているのは――。


「これ、アレスターに頼んで薬にしてもらうから……ちょっと待ってて」

「いえ! ちょっとお待ちいただくのはそちらです!」


 ドラグがベッドから降りて、ようやく分かった。

 彼が手に持っているのは、「歯」――つまり「竜の牙」だ。

 突然の暴挙に理解が追い付かない。


「お婆様が言ってたんだ……僕らの牙は、万病に効くって」

「それ迷信ですっ!」


 まさか、私を治すために自分の牙を抜いてしまうなんて――。


 1週間で生え変わる、と笑っているが、歯を抜いたのだ。相当痛かったはず。


「ちょっと待ってて……」

 

 さっそく部屋を出たドラグは、放心する間に帰ってきた。

 牙を粉砕し、薬草と混ぜてきたのだという。


「はい……どうぞ」

 

 ゲームだと、そこそこのレアアイテムだった「竜の牙」。

 実際に飲むことになるとは思いもしなかったが、そのお味は――。


「うん、カルシウム」


 牙の存在感は薄れ、一緒に混ぜてある薬草とミルクの味の方が濃い。

 そして薬のおかげか、すぐに身体が温まってきた。

 眠い――。


「……おやすみ、エメル」


 返事をすることすら億劫なほどに、今すぐ眠ってしまいたい。

 薄れる意識の中、柔らかい感触が額に落ちた。


 キス――?


 ぼんやり見えるドラグの顔が、離れていく。


 やっぱり私、彼を失いたくない――。


 でも。

 意識不明状態の時に見た、元の世界の景色。

 母の悲痛な叫びと、父の真っ青な顔。

 そして昏睡状態となった『匡花(わたし)』のことが、今も頭から離れなかった。




 カーテンの開く音で、ふと目が覚めた。


「……ドラグ、さま?」


 隣に夫がいない。

 暗い部屋に、朝日を差してくれたのは――。


「おっと、起こしてしまったかの」


 分厚い遮光カーテンをまとめているのは、今朝もしっかりと燕尾服を着こなした、当家の少年執事だった。


「アレスター……?」


 まだ身体が重い。

 純白のネグリジェから伸びる脚は、自分のものではないかのように動かなかった。


「これ、無理をするでない! ワシが主人の見えるところへ運んでやるぞ」


 微笑むアレスターに抱えられ、向かったのは、朝日の差すバルコニー。

 太陽の光で温まったイスに降ろされ、アレスターの指先を目で追うと――広い庭先には、「再現度の高い推し竜」と「人生の推し竜」が向かい合っていた。

 それも、鼻がくっつきそうな距離で。


「ゔっ……!」

「ん? どうしたんじゃ、奥方殿!」


 胸が苦しいのか、と肩に手を添えてくれるアレスターに、是非とも言いたい。


「朝イチで推し同士の絡みとか見せられたら臨終してしまいます!」

「……お主、朝から元気じゃのう」


 先祖と子孫で修行、それも竜化した推し同士の共演が見られるなんて――フルマラソンの直後かというほど、心臓が痛い。

 フルで走ったことはないが。


「とかく深呼吸して、彼方(あちら)を見るのじゃ」


 アレスターの白い指先が示すのは、竜たちの翼に隠れていたジュード。

 オーク族の神官である彼は確か、最初にドラグの修行をつけていたのだったか。


「主人は初代ドラグマン殿の指導のもと、力を制御する修行を受け始めたのじゃが」

「じゃが……?」


 するとちょうど、ジュードの「起きてくれ!」という雄叫びが轟いた。


「あー、これは……」


『こいつ、あの吸血鬼以上の年増なんだよ』――以前聞いた、レヴィンの言葉を思い出した。

 初代ドラグマンは、どうやら寝ているらしい。

 そんな彼を起こそうと、ジュードは必死に前足を叩いている。


「シオン領領主は貴公の子孫なのだろう!? 困っている子孫を放って寝るな!」


 仕方ない。なぜなら、彼はかなりの「おじいちゃん」なのだから。


「推しの老後生活、永遠に見てられるな……」


 そんなことを真剣に考えながら、階下を見つめていると。


「熱っ……!」


 急に、右目が溶けそうなほど熱くなった。

 勝手に発動した【能力鑑定】が見つけたのは、黒く禍々しいダイアログ――ドラグについている【異形の翼EX】。

 ただ、違和感がある。

 この間と何か違う気が――。


「あっ、レベル!」


 ゼロだったはずのレベルが、『7』まで進化していた。


「どうして……」


 あれは制御レベルではない。

 単純に、彼の物理力もしくはドロドロの持つ謎の力が強まったということだ。


「そういえば……」


 ドラグは力を得ようと、ジュードとの修行をしていた。

 それがきっかけで、あの暴走が起こったというのか――。


「おっ、なんだか賑やかなのが駆けてきたのぅ」

「え……?」


 恐ろしい憶測は、子どもたちの明るい声にかき消された。

 獣族系の子どもたちが、10人ほど丘を登ってきている。転がりそうな子どもたちを支えているのは、頭に鎖の巻きついた大男――トナーク族の呪術師、カムカムだ。


「お早うございます、領主様! 並びに気品のある来客の方々」


 そういえば、領民たちに神官の存在は知られていない。

 カムカムは早速こちらを見上げると、礼儀正しくお辞儀をしてくれた。


「教会で暮らす子どもたちが、奥様……いえ、領主代理様のお見舞いに参りたいと申しましてね」


 なんと彼らは、「エメル村」の創設者である私を心配してくれているのだという。

 アニマル耳の生えた子どもたちは私を見つけると、夏色の小さな花束を掲げた。


「いつも野菜くれる人が言ってたんだ。ぼくたちに食べ物を分けてあげられるのは、エメルさまのおかげだって!」

「そんな……いえ、ありがとうございます」


 私はただ、必要な施設を作っただけだ。

 でも、子どもたちの輝くような顔を見られただけで、自分のやっていることが間違いではないのだと実感できる。


「ドラゴンだ!」

「黒いの、2体もいる!」


 竜化した竜人が珍しいのか、ダブル・ドラグが子どもたちに囲まれていた。よじ登るチビたちに戸惑うドラグに対し、初代ドラグマンは大人しく滑り台になっている――さすが、おじいちゃんは余裕がある。


「子どもたちはここでお待ちなさい。わたくしは奥方様の経過確認へ参りますゆえ」


 カムカムは診察に来てくれたらしい。

 トナーク族は、その複腕で触れたものの情報を感知する――そうして的確な診断ができるのだったか。

 彼らは呪術を駆使した治療を安価で提供していると、視察中に聞いたことがある。


「じゃ、ワシは朝食作りに行くからの。奥方殿はゆっくり治すんじゃぞ」


 子どもたちが持ってきてくれた花束を携えたカムカムと入れ違いで、アレスターが出ていった。

 2人きりになったところで、「いざ診察を!」とカムカムが6本腕をワキワキさせている。


「……お願いいたしますわ」


 何だか少し抵抗のある動きだが、これも治療だ。仕方ない――。

 決心して、服のボタンを外した瞬間。


「ちょっと待って……!」


 部屋に飛び込んできたのは、さっきまで下にいたはずの夫竜だった。

 慌てて人型に戻ったのだろう。黒い鱗が、まだ顔に張り付いている。


「胸に触れるのはダメ……です」


 まったく、この夫は――。


 昨日ポチャン先生が、「竜は嫉妬深い」と言っていたが、この気弱な夫竜も例に漏れずだったらしい。


「治療ですから!」

「ええっ! その通り、邪な感情は一切ございません」


 カムカムの仰々しい言い方は逆に胡散臭いが、嘘ではないと信じたい。

 そしてドラグの方はというと。カムカムの言葉を信用していないのか、「でも……」と不安げにこちらを見つめていた。


『奥様はカムカムに診てもらった方がいいよ、領主様』

「あら? この声は……」


 部屋の温度が少し上がったかと思うと、蛍光緑の塊が床から跳ねた。

 流動性のある身体を伸ばして、扉の下から入ってきたらしい。


「ややっ、これはポチャン様! 来てくださったのですか」


 半透明の触手を伸ばしたポチャンは、カムカムと握手を交わしている。

 昨日は分からなかったが、呪術師と医療師、意外と仲が良いらしい。


『昨日の様子だと、領主様がカムカムの治療を許さない気がしてね』

「さすが……」


 できるスライムだ、と確信した。

 ポチャンが言うには、医療師の自分ができるのはここまで、後のリハビリに近い治療はカムカムの方が適任らしい。


「ふぅん……そっか」


 ポチャン先生の言葉に、ドラグはようやく頷いた。

 町の中心にあるスライムの診療所は、たしか賑わっていたはずだ。貧しい層を支えるトナーク族の教会とは反対に、富裕層が絶大な信頼を置いているとか――そんな診療所の医療師が言うのだから、ドラグも折れるしかなくなったのだろう。


「では、診察を開始いたします。ご不安なようでしたら、領主様も同席なさっては?」

「えっ、でも……」


 壁の方を向いていてくれれば、別に問題ない。

 そう告げると、ドラグは落ち着かない様子で壁と向き合った。


 緊張するのはこっちなのだが――。


「楽になさっていてくださいね! でなければ、御身の小さな声を聞き逃してしまいますゆえ」

「……はぁ」


 昨日の薬液ゼリー漬け治療とは一変。カムカムの診察は、その大きな手を胸や背中、腹、頭に添えるものだった。

 目の見えない彼らは、こうして手から伝わる「音」を拾っているのだと言う。

「超高性能の聴診器」みたいなもの、だろうか。


「ふーむ。生まれつき虚弱体質なのでしょうか。負荷のかかりやすい臓腑をお持ちのようですな」

「……そうなんですね」


 カムカムの見立ては正しい。

 ただ、改めて言葉にされると、事実が重く胸にのしかかる。

 元の世界では、健康そのものだった私の身体――三徹に耐えられるあの身体へ戻ることは、もうないのだろうか。


「ややっ? これは……」


 突然、胸元の手が吸い付くように強くなった。

 深く探っているのだろうか――やがて鎖に隠れた顔を上げ、カムカムは首を傾げた。


「たいへん珍妙なことに、()()()あるのです。奥方様の身体の中に、魂の鼓動が……間違いありません!」

「えっ……」


 何のことか、と、一瞬固まったが。

 すぐに思い至った。

 やはり私の身体の中には、「私」以外にもう1人――()()が宿っているに違いない。

次回:『其方を「真の役割」へ導くため、私の魂は其方と共にあります』


 深まる時渡人の謎。


 そして――


「『査定の期限を延長しろ』、とおっしゃるのですか?」

「……そういうことですわ」


 監査官への交渉に挑む転生後妻。代わりに請求された、あり得ない代償とは……?

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