55話 呪術複腕と医術粘液
ピ、ピ、ピ――。
暗闇の中に響く電子音が連れてきたのは、どこかで見覚えのある光景。
真っ白な天井と、点滴バックから伸びる管、胸を不安にさせる音を鳴らす機械。
『私、は……』
声が出る。
でも、目以外は動かない。
『ここ、どこ……?』
森にある鐘楼小屋の屋根の上で、夫竜と向かい合っていたはずなのに。
「そんな……意識が戻る可能性はほぼないなんて」
この声は――。
『お母さん……!』
横たわっている身体の左側に、懐かしい気配を感じる。それでも首は動かない。
『お母さん、私! 意識あります!』
「……匡花」
声が聞こえていないのだろうか。
母のすすり泣きが聞こえる。
「母さん……俺だって泣きたいけど、今は抑えて。来週までに、次の措置について考えなきゃなんだから」
『お父さん……?』
私は今、戻っているのだろうか――。
時渡人が話していた、昏睡状態の元の身体に。
「措置も何も、生命維持装置は外さない! 絶対に諦めないんだから」
母の叫び声が、静かな病室にこだました。
想像よりずっと、私の元の身体はまずい状況になっているらしい。
『なのに、私……』
元の世界に残してきた家族や友人のことを、考えたことは当然あった。それでも、何もかもが夢のような気分で、ここまで『エメルレッテ』を生きてきたのだ。
母は当然のように、ひとり娘の心配をしてくれている。父も冷静な言葉を発しているが、声はずっと震えている。
『お母さん、お父さん……』
これがもし、私の夢の光景でないとしたら。
きっと戻るべきなのだろう。
でも――。
『あの竜に心を許せば、元の世界との繋がりは完全に断ち切られます――』
この荘厳な声は、間違いない。
『時渡人……』
私の魂をこの世界へ運んだという、謎の女性。
薔薇の刺繍のドレスが目の前に広がり、次の瞬間には病室が消え去っていた。
真っ暗な空間に、顔のない花嫁が浮かんでいる。
『帰るつもりがあるのならば、好意を伝えてはなりません――そう申し上げたはずです』
唇を噛みしめていると、時渡人は構わず言葉を連ねた。
私がドラグに心を傾けていること。そして何より、あの世界のシオンを愛し育てていることを責めるように。
「あなたが私をこの世界へ連れて来たのに!」
『ですが、あの竜に心を傾けているのは其方でしょう?』
契約婚を提案した当初のままで、都合が良かった――時渡人はそう言って笑った。
「……最初は、『シオンを復興すること』が、私の呼ばれた理由なんだなって思ってた。でも、違うんでしょ?」
『「真の役割」へ導くため、私の魂は其方と共にあります』
クリスタル族の鉱山で、たしかに時渡人はそう言っていた。
真の役割とは、いったい何のことなのか。
『ええ。其方は「真の役割」へ近づきつつあります――「ワチ」、この世界の神王と邂逅したのですから』
「え……?」
ワチくんに会わせることが、この花嫁の目的だとしたら。
私は最初からずっと、勘違いしていたのかもしれない。
この時渡人を名乗る謎の花嫁は、シビュラのためではなく、個人の思惑で私を呼んだのではないか――。
「あなた、何者?」
この世界で目覚めた時、『「廃課金げーまー」の力を発揮して、この地を救うのです』――なんてことを告げられたが。
今ではあれが、嘘だったと分かる。
『……今はまだ言えません。それよりも、其方は己の魂の在り処を考えておくことですね』
「元の匡花」に戻る可能性と、「エメルレッテ」として今の世界を生きる未来――それを天秤にかけろと言う。
「そんな、私は……!」
この世界で自分が成し遂げたことの重み。
自分を受け入れてくれた仲間たちへの愛着。
そして、夫であるドラグの間に生まれた絆――。
ぜんぶ、手放せるわけがない。
「でも……」
元の世界で待つ両親を、今の私は泣かせている。
最後に会っていた幼なじみの数人だって、きっと心配してくれているはずだ。
「私、は……」
選べない――。
そう口にした瞬間、涙があふれた。
この世界も、元の世界も、どっちも離れがたい。
今の精一杯の気持ちを、口にした瞬間。
『では、今は眠りなさい――あなたは今、大変な大惨事に見舞われているのですから』
「え……?」
何のことか、と顔を上げると。
闇を裂く光が飽和し、視界一面が真っ白になった。
「……あれ? ここって」
ところどころ剥げたタイルの壁に、石鹸とタオルの並ぶ棚――妙に薄暗いここは、グロウサリア家の浴室だ。
時渡人は消えている。
先ほどまでの光景が嘘であるかのように、私はなぜかバスタブの中で――全裸になっている。
「な……!?」
慌てて立ち上がろうとしたが、身体は重く動かなかった。
『ん? おや、目覚めたんだねぇ』
子どものような高い声が反響したものの、誰の姿もない。
もしや、とバスタブの外を覗くと。
「あ、貴方は……」
蛍光グリーンの塊が、半透明の身体をプルプルと揺らしていた。
この愛らしい滴型のフォルムは――スライム族だ。
『竜の奥様は過労で倒れていたんだよ』
「え……か、過労ですか!?」
たしかにここ最近、視界がかすんだり、心臓が苦しくなったりしていたが――まさか、倒れるまでいくなんて。
己の無理を反省する間もなく、黒い髭をつけたスライムは、『ワシは「医術師」のポチャンさ』と丁寧に名乗ってくれた。
『今はワシの粘液で回復中というわけだ』
「粘液……あ」
今更気づいたが、身体中が緑色のゼリーのようなもので固められている。
そのために、バスタブへ入れられていたのか――生暖かい液体が絡みつき、全身ヌルヌルで気持ち悪い。
『ワシに構わず、ゆるりとくつろいでね』
「はぁ……」
ポチャン先生が雄か雌かはさておき、姿形が違い過ぎる種族の前でならば、裸でもあまり気にならない。
ここはお言葉に甘え、エステを受けている気持ちで目を閉じようか――。
「ややっ、お目覚めですか!?」
「きゃあっ!」
床からの突然の声に、絹を裂くような、らしくない声をあげてしまった。
バスタブの下からせり上がるように現れたのは、6本の腕を生やした大男。顔に鎖が巻かれた、彼は――。
「トナーク族……!?」
でも、ゲームでは見たことのない顔だ。
「ええっ! わたくし、トナーク族の『呪術師』カムカムと申します」
スライム族の医術師のあとは、トナーク族の呪術師――いったい何がどうなっているのか。
いや、そんなことより。
「出て行ってくださいませ! 人型種族の女湯侵入は認められません」
「んんっ? わたくしは奥様の治療に参った『呪術師』ですから、恥ずかしがらずとも――」
「いいから出て行きやがれですわ!」
「夫を呼ぶ」と騒ぎ立てると、カムカムは首を傾げながらも出て行ってくれた。
思わずお嬢様口調が乱れたが、致し方ない。
まだドラグにも見せたことのない部分を人型種族に見せるのは、何だか抵抗があったのだ。
『追い出しちゃったねぇ。アイツには、「釜の火」の役割をしてもらっていたんだけど』
「釜の火……?」
この緑色のゼリーを快適な温度に保つため、カムカムの複腕が赤魔法を発動させていた――ポチャン先生の説明に、納得した。
だからバスタブの下から、ヌルッと出てきたのか。
『トナークは患部に触れて治療するからね。「胸に触れる必要がある」ってアイツが言ったら、領主様が「他の雄が触るのは絶対アウト」っておっしゃって』
「ドラグ様……」
嫉妬してくれているのは、ちょっと嬉しい。
でも、医療行為まで妨げるのはいかがなものか。
「後でお話し合いをしませんと……そういえば、夫はどこへ?」
今更だが、気を失う前はドラグと夜の空中散歩をしていたはずだ。
『君の夫がシオン中の医療系種族に召集をかけてから、もう2日経つよ』
「えっ……! では、私は」
あれから丸2日も眠っていたというのか。
ゲルダのドラゴンタクシー会社をとっちめたり、ドラグの破壊したリゾートホテルの修復依頼をしたりと、やることは尽きないというのに――。
「てことは、領査定まであと3日……こんなことしてる場合じゃない!」
『あっ、君、動いちゃだめじゃないか!』
身体にまとわりつくゼリーを払い落としながら、バスタブを出た瞬間。
『あたっ!』
背後から叫び声がした。
「大丈夫ですか!?」
バスタブに当たって跳ね返ったポチャン先生の身体が、少し床にこぼれている。
流石にこのまま置いてはいけない。
駆け寄って腕に抱えると、先生はニッコリして、『優しい君なら止まってくれると思った』と口にした。
「優しい……ですか?」
『そうだよ。領主代理の君が、弱い種族も生きやすい環境を作ってくれたんだってね』
それはギルドのことを言っているのだろうか――たしかに、領内を見回るノーム族の傭兵たちには、「力による喧嘩は止めてください」とお願いしているが。
「そのような話ならば、わたくしにもございますよ」
「うわっ!」
出て行ったはずのカムカムが、複腕の上腕二頭筋を見せつけるようなポーズで戻ってきた。
が――頭だけは外を向いている。
「わたくし達は、異種族を受け入れる孤児院を営んでいるのですがね。『エメル村』のオーク殿に、よく野菜を分けてもらっているのです」
「……そうだったのですか」
領内の食料満足度を少しでも上げるため、「ご近所さんには野菜を配るように」と伝えていたが――。
「食べ盛りの子ども達が大勢おりますから、大助かりです。ありがとうございます!」
実際に感謝の言葉をもらえると、少し重い胸が温かくなる。
ギルドの創設も、エメル村の施工も、間違いではない。異種族がみんなで協力する社会を、このシオンに築く――やはり「力」だけではダメだ。
「……領主代理として、今後も恥じない働きをするとお約束いたしますわ」
カムカムが浴室から出て行った後、ゼリーを拭って着替えを終えると、すぐに夫がやってきた。
目覚めたことを伝えてくれたらしい。
「エメル……!」
「ご心配をおかけし……わっ」
有無を言わさず、腕の中に閉じ込められた。
2日も眠っていたせいで、相当心配をかけてしまったのだろう。
「もし君が目覚めなかったらって……ずっと、怖かった」
「ドラグ様……」
ひんやりとした胸越しに、弱くも優しい彼の温度が伝わってくる。
縋りつく大きな身体を安心させるように、翼の方へ腕を回すと。尻尾が「離さない」というかのように、腰に巻きついてきた。
「……大丈夫? 変なこと、されてない?」
「はい?」
急に離れたかと思うと、ドラグは私の身体のあちこちを調べはじめた。
ドラグの召集で駆けつけたカムカムとポチャン、それぞれの治療内容を不安に思っていたらしい。
「はぁ……ドラグ様? あくまで治療ですから」
すっかり忘れていたポチャンを振り返ると、彼はバスタブのゼリーを身体に吸収させているところだった。
最初に見た時よりも、倍以上に身体が膨れ上がっている。
『領主様ときたら、「人の妻に不貞を働く気では?」って大騒ぎだったんだから』
カムカムの「患部に触れる医術」、ポチャンの「身体に体液を巡らせる医療」に、なかなか同意しなかったという。
「だって……他の雄の体液を妻の身体に巡らせるとか、絶対アウトだろ」
「ちょっとドラグ様、言い方!」
冷静にいかがわしい言い回しをしているのが、逆に笑えてきた。
それほどまでに、私の心と身体も回復してきたのだろう。
ポチャンと顔を見合わせ、溜め息を吐くと――。
『「竜は嫉妬深い」って、本当だったんだね』
「ですわね」
もう夜も遅いということで、ポチャンとカムカムは屋敷を去っていった。
彼らの治療のおかげで、身体はもうすっかり軽い。
「さて、ではゲルダたちへの対処と『エメル村』の施設修復依頼書を作成し……ん?」
談話室へ向かおうとしたのに、夫は無言で私の身体を持ち上げた。
そのまま、寝室へと続く階段を昇っている。
「ドラグ様、どこへ?」
夫はぎこちなく微笑むだけで、何も答えてくれない。
彼の寝室のベッドへ下されると。隣に腰掛けた彼は、床を見つめたまま青緑色の炎を吐き出した。
「もう、君には当分休んでいてほしい」
「えっ……そんな、どうして!」
「あんなことがあったんだ。口では『大丈夫』って言ってても、君はやっぱり無理をしてたんだって……」
僕も反省した――苦しげにそう言われて、次が紡げなくなった。
元の世界だったら、二徹なんて余裕だったはず。
でも。
エメルレッテは元々身体が弱いということを、失念していた――今思えば、この身体は「無理を咎める」ようなサインを出していたのに。
「ですが、ゲルダたちの暴挙を止めて『エメル村』の経営を安定させなければ……」
領査定の合格点に届かない。あのチビドラ監査官に、グロウサリア家の「シオン領統治権」を没収されてしまう。
「うん……分かってるよ」
俯く夫の顔を、強引にこちらへ向かせると。
静かな覚悟をたたえた眼が、すっと細くなった。
「だから、『勝負を受ける』って返事をしたんだ……ロードンたちに」
「…………え?」
次回:「……当分は僕の部屋で休んで」
夫竜、もとい「人生の推し」の匂いが充満したこのベッドで、転生後妻は朝を迎えられるのか……?
そして、思いもしないところから、新たなピンチ発生!?
「ふたつあるのです。奥方様の身体の中に、魂の鼓動が」




