54話 幼なじみドラゴンズ
『背中へ……気を付けて。ヒゲ掴んだほうがいいかも』
白月に黒竜――幻想的な風景に見惚れつつ、夫の背中へ乗った瞬間。
すさまじい風の抵抗を受けながら、夫は星の瞬く空へ昇っていった。
「わっ――」
叫び声が風に押し戻される。
頬が凍りつくように冷たい。
天井の開いた飛行機に乗っているような、激しい衝撃に襲われる――。
『エメル、大丈夫……?』
雲の高さにまで到達する直前、夫竜は勢いを落とした。
ようやく息が吸えるようになり、一安心だが――それよりも。
「楽しい!」
思わず素で答えてしまったと、気づいた直後。
『……っ、そっか』
前を見据えた竜は、高い咆哮を上げた。
笑っている。あの夫が――。
稀に聞く夫の笑い声に、シオンを一望できる夜景、空を飛ぶ高揚感。
その何もかもに全身が熱くなる。
『町の灯り、だいぶ増えたね。あっちの光は……ゴーレム族の森かな』
地上に瞬く白い点の下には、忙しなく動く影がいくつも見えた。あれは、見回りのウェアウルフたちだ。
夜間動けないゴーレム族の会社を警備する仕事を、今もしっかりこなしているらしい。
「あちらは、オークたちの宿舎ですわね」
屋敷の丘の麓に、農場前の点々とした灯りが見える。
逆に灯りがまったくないところは、壊れたホテルだろう。みんなで力を合わせ、1日がかりで瓦礫を撤去したばかりだ。
何となく口を閉じると、ドラグまで沈黙してしまった。
『……ごめん、本当に。そんな言葉では償えないって、分かってるんだ』
「いえ! もう良いのです」
施設は半壊だが、ゴーレムたちが必ず直してくれる。
元々荒廃していた土地が、今はこんなにも賑やかになったのだ――私たちがいる限り、シオンに住む彼らは何度だってやり直せる。
再びそう慰めると――。
夫竜は無言のまま、高度を落した。
「わっ……!」
『しっかり掴まってて』
夫が人の姿に戻ったのは、森の中にある鐘楼小屋の屋根の上。
赤い塗装が剥げかけた屋根板に、並んで腰掛けた。
「ここはどこでしょうか?」
「エルフの森の近く……」
目の前には、ぼんやりと光る青い池が広がっている。
「きれい……ですわね」
特になんの捻りもない感想を口にした後、張り詰めた沈黙が流れた。
彼は「うん」と小さく発したきり、青い水面に視線を落としている。
やはりまだ、昼間のことを気にしているのだろうか――。
「あの、ドラグ様」
今回の暴走に心当たりはないのか。
そう尋ねると。
「アレスターから聞いた。昔の事故のこと……君に話したって」
事故と今回のことは、きっと関係している――確信は持てないが、と付け加えるドラグに向き直り、息を呑んだ。
きっと今話すべきだ。
彼が所有しているスキルについて。
「実は、ずっと怖くて言えなかったのですが……」
クリスタル族の鉱山で、初めて【能力鑑定】のスキルを発動した時。ドラグから、不穏なスキルが読み取れたことを話すと。
夫は長いため息とともに目を伏せ、「そっか」と呟いた。
「……聞いてくれるかな? あの時のこと」
恐れを隠すように、そして私の反応を探るように。夫は時々こちらへ視線を向けながら、口を開いた。
子どもの頃、アレスターの言いつけを破って「太古の遺跡」に入り込んだ時のことを。
「あの時一緒にいたのは、ゲルダ、ボロネロ、ロードン……幼なじみ4体で、忍び込んだんだ」
『度胸試ししようぜ!』
ロードンが、そう提案したのだという。
「まったく、ロードンらしいですわね」
「うん。でも……そのせいで、酷い目にあったから」
資材を盗んだレヴィンを追い詰めた時。たしかあの遺跡には、結晶石でできた祭壇があったはずだ。
その祭壇には地下へと続く扉が隠されており、さらにその先には結晶石の棺がある――ドラグはそう言って声を落とした。
「棺には『とんでもない怪物』が眠ってるって、ボロネロが聞いたっていうから……」
僕も最初は気になった。
彼は、そう正直に告白した。
しかし遺跡に行くと分かったゲルダは――。
『お父様に、ここへは行くなって言われたわ。アタシはパス!』
気の強い彼女らしく、雄竜たちを置いて引き返したという。
そして残された幼なじみたちが、水晶のような蔦が絡まる、古い石の扉を見つけた後。
『……飽きた。ゲルダ、追いかける』
相変わらず読めないボロネロも、気まぐれに遺跡を離れた。
残ったのは、ドラグとロードン――。
『面白くねーやつらだな。テメェはまだ見込みあるぜ!』
あの頃のロードンは、僕を見下していなかった――彼は、震える声でそう吐き出した。
そういえば、ロードンは「ドラグが一度ロードンを負かした」と言っていた。
きっとこれから明かされる過去の事故が、彼らの関係を変えてしまったのだろう。
『オレ様が最初に祠を開けてやる!』
ロードンは、そう言ってドラグの肩を乱暴に押しのけ、祠の中へ進んだ。
そして現れた、光る青緑色の棺――。
まるで生き物のように、半透明の蓋がすっと音もなく開いた。
「……その時、何かが飛び出してきた」
ドラグの声が、低く沈んだ。
水面の光を映した夫の白い頬が、さらに色を失っている。
「なにか、ですか?」
「うん……黒くて、どろどろで、半透明の」
見たこともない生き物、霧、それとも呪いの類か――ドラグの疑問に、ふと今朝の光景を思い浮かべた。
その泥を、私は実際に目にしている。
「どす黒いどろどろと一緒に、棺の中から……手が伸びたんだ。たぶん、人間の手だったと思う」
『うおっ……!?』
ロードンが叫んだ直後。彼は、目を見開いたまま意識を失っていた。
そして。
「僕は、とっさにロードンを守ろうとして……翼を広げた。だけど次の瞬間、激しい衝撃が走って……」
今でも耳に残っているのは、ぐしゃっ、と骨が軋む音。そして翼を裂かれる痛み。
「痛くて、怖くて……それでも、動けなかった。泥が、僕の身体にまとわりついて、息ができないくらい重くて」
あれがいつ終わったのかも、どうやって助かったのかも、よく覚えていない――ただ、竜生の中で一番恐ろしい時間だった。
そう残して、彼は一度口を閉じた。
「ドラグ様……」
震える夫の肩に、手のひらを添えた。
彼の勇気を振り絞った告白を邪魔しないよう、さり気なく。
「気がついたら、ロードンと二人で遺跡の中に倒れてた。何事もなかったように……でも。確かに、あの時僕の翼は傷ついたんだ」
揺れる黄金の瞳が、折り畳まれた黒い翼に向く。
「今朝、自分の身体が思うように動かせなくなった時……アレと似た泥が、身体からあふれてきたんだ」
ドラグの言う通り、禍々しい謎の泥が、彼の全身から垂れていた。
「あれは……なんだったんだろう。君が見た、僕のスキルに関係あるのかな」
【異形の翼EX】
ゲームのシビュラをやり込んだ私でも、見たことのないスキル。
「それが暴走に関係しているかは、定かではありません。でも……」
関わっている線は濃厚だ。
「ロードンは、棺を開けた時のことをまったく覚えていないのですか?」
「うん……何も覚えていないって。でも僕は、ずっと忘れられなかった。怖くて、情けなくて……本当に、嫌になるくらい」
あの時の恐怖の記憶と、翼に残った傷。
それが彼の心にまで侵食し、すべての自信を失ってしまった――しかも居合わせたロードンは何も覚えていないと言うのだから、もどかしくて仕方ない。
「遺跡を調べれば、何かわかるかもしれません」
「でも……今は、それどころじゃないだろ」
領主の座をかけたロードンとの決闘に、領査定の日だって迫っている。
冷静な言葉に、それ以上先が紡げなくなった。
ドラグのことは、初代ドラグマンに任せるしかないのか――。
「でも、本当に決闘をお受けになるのですか?」
夫が自信をなくしてしまった理由は分かった。
そんな壮絶な過去を経ても、彼が今変わろうとしていることだって、分かっている。
でも――不安定な今の彼が、ロードンに勝てるのだろうか。
いや、そもそも力で勝負をつけること自体が間違っている。
「僕が臆病で非力で、力の制御もできない未熟者だって……そう言いたいんだろ」
「いえ、違います! ただ」
「……ただ?」
相変わらずジメジメしたドラグに向き直り、硬い鱗に手を添えた。
冷たいのに、温かく感じる――初めて触れた時のことが、懐かしい。
「私、ここに来てから貴方の良いところ、たくさん見てきました」
『人生の推し』と言っても過言ではない彼の魅力は、「力」ではない。
突然異世界で目が覚め、戸惑っていた私に、ホットミルクを作ってくれたこと。
恐怖を押し殺して、私をロードンたちから守ってくれたこと。
資材盗難の犯人探しの時だって、行き詰まった時には一緒に答えを探してくれた――挙げればきりがない。
「さっきだって、とても素敵な空中散歩に連れ出してくださいました」
すべてを言い切ると、夫はゆっくり顔を上げた。
暗闇でも明るい光を放つ瞳が、今にもこぼれ落ちそうに潤んでいる。
「飛ぶのはどのドラゴンだってできるよ。ボロネロの方が、僕より上手く飛べるし……」
「でも、ドラグ様の背中じゃなければ乗りませんでしたよ?」
ドラグだったから、安心して身を預けることができた。
濡れた頬に指先を伸ばし、そう告げると――。
ふだんは陰気か凛々しいに振りきれている顔が、ふにゃっと笑った。
「……っ!」
「エメル!?」
稀に見るSSレア・スマイルに、一瞬意識が遠のいたらしい。
いつの間にか、ドラグの腕に支えられていた。
近い――これ以上鼓動を感じる距離にいたら、今度こそ意識が落ちる。
「急にどうしたの……?」
すっかり笑顔が消えてしまったドラグが、こちらをのぞき込んでいる。
「そっ、そんなお顔もできるのですね……」
視線を逸らし、震える声でそう呟くと。
顔を隠そうとした手を、少し強い力で掴まれた。
「……もしかして、照れてる?」
不安げだった顔に、いつの間にか笑顔が戻っている。
尊い――。
胸の前で手を組み、瞼を閉じた。
その笑顔を、瞼の裏へ焼き付けるために。
「エメル……僕も、君に笑っていてほしい」
「ひぇっ!?」
思わぬご褒美ボイスに、瞼を開けた瞬間。
「……あれ?」
視界一面、真っ青になっていた。
ドラグの顔が歪み、消えていく。
「エメル……!? やっぱり、どこか具合が……」
声が遠ざかっていく。同時に、ピ、ピ、ピ、と規則的な電子音が響いている――。
いったい、何が起こっているのだろうか。
『生命維持装置を止めるって、どういうことですか……?』
ガラス越しのような誰かの声が、頭の中に響く。
なんだか懐かしい声――。
いや、そんなことより、今は気をしっかり保たないと。
『娘はまだ生きているんですよ!?』
私の、本当の名前。
あの声は――。
「お母さん……?」
次回:私は今、戻っているのだろうか――。時渡人が話していた、昏睡状態の元の身体に。
『己の魂の在り処を考えておくことですね』
「元の匡花」に戻る可能性と、「エメルレッテ」として今の世界を生きる未来――転生後妻の決断は……。




