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5話 グロウサリア家には問題がある

「というわけで、シオン領を見物したいのですが」


 さっそく、その日の午後。毎度質素な食事の席で、外出したいと申し出たところ。あくびを噛み殺していたドラグは、弾かれたように背筋を伸ばした。


「きょ、今日はアレスターが不在だから、今度でもいいかな。僕は片づけと夕食の仕込みが……」

「ドラグ様が料理を?」


 やはり、昨晩の話は聞き間違いではなかった。あの手についた傷は、彼が口を滑らせたとおり、料理でできたものだったのだ。しかしなぜ当主自ら手掛けているというのか。ここへ来てから、アレスター以外に使用人を見かけていないが――。


「あっ、じょ、冗談です! 僕は書類仕事があるから」


 相変わらず目が泳いでいる。


「では、後日お願いいたしますわ」


 ここは頷き、微笑み返しておこう。まさかこの後、お屋敷から抜け出すなどとは思ってもいないだろうから。


「わぁ! これが現実(リアル)のシビュラ……」


 外に出て分かった。頬を打つ風が、地球とはまるで違う。丘を覆う草花や森の木々も、見たことのない形をしている。


「……本当に異世界なんだ」


 小高い丘に建つ古屋敷の門から見渡すことができるのは、青緑の山麓に抱かれる田舎町と田畑。道路も舗装されておらず、ゲームならば初期状態というべきだ。


「領の開発、全然進んでないみたい……」


 これが「問題」――やはり領地を立て直すことが、元神王の私に与えられたこの世界での役目なのだろうか。


「領民から話を聞けば、もっと色々分かるかも」


 景色を堪能しつつ、脱いだヒールを手に緑の丘を駆け降りていった。


「はぁ、はぁ……あれ? これって」


 丘の中腹に、薄暗い森へと続く小道がある。その入り口は、ぼんやり紫色に光る鉄格子と錠前で厳重に封鎖されていた。


「もしかして、『レベル解放エリア』?」


 箱庭ゲームとしての側面もある『シビュラ』では、プレイヤーレベルが上がると解放される新規開拓エリアがある。

 しかしグロウサリア家のお屋敷近くに、解放エリアなど存在しただろうか。


「これ、もう行けちゃう……?」


 現実はレベルなど関係ない。試しに鉄格子の隙間から、腕を入れてみよう――。


「コラっ! なーにをしておるんじゃ!」


 突然の怒声に、出しかけていた手を引っ込めた。買い物袋を抱えた少年執事が、滑るようにこちらへ迫っている。


「あ、アレスター!?」

「そこは立ち入り禁止……ってお主、どうしてここにおる?」

「それは……」

 

 エレガントな帽子のツバで顔を隠し、言い淀んでいると。「ははーん」、と含みのある声が上がった。


「ドラグが奥方殿をひとりで外へ出すわけがないからのう。大方、こっそり抜け出してきよったんじゃろ?」


 大正解、と言いそうになった口をつぐみ、背後の暗い森を振り返った。

 いったいこの森は何なのか――話を逸らしがてら尋ねると、アレスターはため息混じりに森を見据える。


「そこは『太古の遺跡』……森の奥には、古い魔法がかかった石造りの建物があるだけじゃ。以前そこで事故があっての。それきり、ワシが管理しておる」

「事故?」

 

 血よりも濃い彼の瞳に、暗い影が過ぎ去ったのを見逃さなかった。

『太古の遺跡』など、『シビュラ(ゲーム)』にはなかったはず――この場所で、いったい何があったのか。


「そこで20年ほど前、ドラグ……いや、主人が翼に怪我を負った。思えばそれからじゃろうか、あやつが妙に暗くなったのも」


 怪我。しかし最初に見た真の姿のドラグは、問題なく飛べているように見えた。


「いや、あれは怪我というよりか……っと。とにかく、この森に入るのだけは止めておけ。年寄りとの約束じゃ、良いな?」

「……はい」


 話しているだけで時々息が詰まりそうになる、あの卑屈な態度――あれはこの場所で起こった、何らかの事故のせいだというのか。

 より詳しく聞きたかったが、アレスターの暗い瞳を見る限り、これ以上は踏み込めない。


「それで、お主はどこへ行こうとしておったのじゃ? いつ・どこ・だれとを事前に報告するのならば、どこへ行こうとワシは構わんぞ」

「お母さん?」


 どこへ行く当てもないが、とにかく外の世界を見て回りたかった。彼らが秘密にする「問題」のことだけは伏せたが、正直にそう答えると。


「この丘から町を見下ろしながら降りて行けば、最近できたばかりのカフェがあるぞ。初日はそこでお茶でもしてみたらどうじゃ?」

「まぁカフェですの? それは気になりますわね」


 意外にも寛大なアレスターに甘えて、さっそく丘を降りることにした。

 いったいどの種族が経営しているカフェなのだろうか。シオンに住んでいる固有種は、ドラゴンやエルフの他にもゴーレム、ノーム、セイレーン――想像するだけで胸が高鳴り、呼吸が乱れる。


「あれっ……ほんとに、息が苦し……」


 元の身体より早く息が上がっている。20歳前後に見えたが、この世界の令嬢は運動不足なのだろうか。

 ペースを落とし、ようやく丘の下までたどり着くと。深い森の手前に、カフェの看板を見つけることができた。


「はぁっ……とにかくまずは、休ませてもらおう」


 キノコ型の可愛らしいロッジの扉を、震える手で開くと。


「いらっしゃいませ、『ブナ・カフェ』へようこそ」


 大人の腰ほどの高さしかない、おっとりした女性がカウンターの向こうから声をかけてくれた。きっとノーム族だ。その手前では、女性と同じ茶髪の子どもノームが、床板をモップで掃除している――画面の中でしか見たことのない彼らが目の前で動いている姿に、思わず「本物だ」とこぼしそうになる口を押えた。


「まぁ可愛いらしい……」

「ニンゲンっ!」


 つぶらな瞳が見開いたかと思うと。ちびノームは床下の扉を開き、穴の中に飛び込んでしまった――あまりに突然すぎて、何が起きたのか分からない。


「あらまぁ! ごめんなさいね。この領に人間は住んでいないから、たまの観光客が来るとすぐコレなの」


 おっとりと微笑む、右頬に古傷のある女店主に、カウンター席へ座るよう促された。小さな切り株が潰れないか心配だったが、案外丈夫なようだ。


「人間は嫌われているんですか?」

「まさか! ただ珍しいだけよ」


 『シビュラ』(ゲーム)に人間はいなかったが、やはりこの世界には存在する――他にもイレギュラーなことは多々ありそうだ。現にこのノームも、シビュラには存在しなかったキャラクターなのだから。


「はぁ……やっと一息つけました」

「走って来られたのね? いくらでもゆっくりしていってちょうだい」


 いつの間にか出されていたコーヒーカップを両手で包み、上品なレースのエプロンを着こなす店主を見つめると。ふと、ナノの顔が頭をよぎった――「森を回復するため、ノームを公費で雇う」と約束していたのだ。

 しかし今は、ドラグたちの隠す「問題」について探る方が先だ。ナノ(あれ)は時々ランダムで起こる不幸なイベントみたいなもので、数日放っておいたところで影響は無いはず。


「ところでマスター。シオンの抱える問題について、ご存知ないですか?」

 

 いつの間にか出されていたコーヒーカップを両手で包み、上品なレースのエプロンを着こなす店主を見つめると。


「問題……ねぇ。ワタシも最近ヨソから出戻ったのだけれど、竜人族のお家騒動は一番に聞きましたよ」

「お家騒動?」


 ちょうど店には他に客がいない。コーヒーを横に置き、「詳しく」とテーブルに近寄った。


「5年前に代替わりした領主様の息子が、手の付けられない暴君だそうでね」

「ぼ、暴君……?」


「領主様の息子」と言ったが、まさか――。


「一族の者はみんな屋敷から出て行って、途端に家が傾いたとか」


 おかしい。あの虫にすら怯えそうな(ドラグ)が、暴君とウワサされているのも謎だが。家が傾いたというのなら、豪華すぎる結婚記念品はなんだったのか。

 たしかに領主自ら料理をしている様子だったり、使用人を見かけなかったりはしたが――まさか。


「『問題』って……本当に?」

「真っ青になってどうしたの? さっ、この『キノコーヒー』をお飲みなさい。きっと楽になるわ」


 目の前で湯気を立てるカップを忘れていた。出されたものは飲んでおかないと、もったいない。


「ごちそうさま、今すぐ帰らないと!」

「お客さん、お勘定は」


 しまった、この世界の通貨をもっていない。

 先ほどカフェの話が出た時、アレスターに小銭を借りておけばよかった。


「すみません、今は持ち合わせが……丘の上の屋敷にいますから、後で必ず持ってきます!」

「あそこは領主様のお屋敷じゃ……あらまぁ」


 どういうわけか、下りの息切れを上りでは感じない。

 領主の息子が暴君――。

 家が傾いた――。

 一刻も早く事情を尋ねなければ。

 休む必要もなく、小走りで丘を駆け上がると。今もっとも会いたい夫の揺れるしっぽが、ちょうど門前に見えた――相変わらず影を帯びた顔で掃除をしている。


「ドラグさまっ、ちょっと、お話がっ」

「へ、部屋にいるはずじゃ! どうしてここに……?」

「そんなことより、それっ」


 黒い手に握られている、使い古された箒を指さすと。


「これは……今から視察に行くところで」


 とっさに箒を隠したようだが、もう遅い。


「尻尾に引っ掛けて隠した箒の柄、見えてますよ」

「えっ」


 これでやっと確信した。ドラグが必死に隠していた「問題」――この家は領主が家事をしなければならないほど困窮している、ということだ。

次回:領主家の意外な困窮理由

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