45話 温泉を最適化せよ
轟々と湧き上がる湯柱のしぶきに、頬の涙が塗りつぶされる。
まさか堆肥用の穴を掘るノームたちが、源泉を掘り当ててしまうなんて――。
「温泉……人間の都市、トウキョウトで人気の健康法だっけ?」
ドラグは濡れた髪をかきあげながら、こちらに向き直った。
初めて見る前髪を上げた顔に、思わず視線を逸らす――ツノの根元はあんな風になっていたのか。
「っ……あざとい」
この仕草、狙っていないところが厄介だ。
無自覚に色気を振り撒くのはやめてほしいが――そんなこと、言えるわけがない。
「オンセンってなんだべ?」
「熱い! なんだこりゃあ」
騒ぎ回るオークやノームたちを眺めるうちに、ふと思いついた。
もし人間以外の種族にも、温泉の魅力を伝えることができたならば。シオン領内だけでなく、他領からも集客が見込めるのではないか――。
「シカク、ちょっとお話が!」
施設棟建設地の事前調査をしていたゴーレムたちを呼び寄せ、「温泉施設」の追加建設を頼むことにした。
「トウキョウトに留学経験のある貴方ならば、きっとできますわ! いかがでしょうか?」
『エメル、これ……すっごく、イイ』
シカクは出会った当初、日に当たった身体を池に沈め、整えていた――まるでサウナから出た後の人間のように。
トウキョウトの健康法を好む彼ならば、きっと乗ってくれると思っていた。
「では、具体的な計画を立ててまいりましょう!」
「温泉」とひと口に言っても、各種族に適した温度、大きさ、深さなどはそれぞれ違う。それでもまずは、『エメルの大きさに適したものをひとつ作る』とシカクは提案してくれた。
『それがうまくいったら、次、作る。それ基準に、調整する、いい?』
「ええ、そうしましょう!」
それにしても、温泉――まさか異世界で、故郷の良き文化に再び巡り会えるとは思ってもいなかった。
すると、ここをただの農園にしておくにはもったいない。温泉の魅力を、シオンだけでなく他領へも宣伝しなければ――。
『夜までに、ひとつ作る』
「まぁ、さすが仕事がお早い! 楽しみにしておりますわ」
そう言って振り返ると、畑仕事の手を止めたオークやノームたちが、みんなテントに集合していた。どうやら温泉施設追加計画に興味津々らしい。
「オラたち熱いの苦手だ……人間はよぐ入れんな」
オークのカナメロにとっては、あの程度でも熱く感じるらしい。
そして温泉を掘り当てた、ノーム五姉妹といえば。
「オレらも水は苦手だよ。アレに浸かって、本当に気持ちいいのか?」
生来水が苦手という種族は仕方ない。しかし竜人のドラグや、水浴びの好きなエルフたちは計画に乗り気なようだ。
「うーん……やっぱり、みんなが楽しめるように工夫しなければなりませんね」
すると実地調査は必須級だ――というのは建前で、実際は1番楽しみにしているであろう私が1番風呂に浸かりたいだけなのだが。
みんなが寝静まった後、ランプを灯してこっそり裏の畑まで降りて行った。
オークたちは居住施設が建つまでグロウサリア家の庭でキャンプをしているし、ノームとエルフも帰ったはずだ。居たとしても、即席の湯船を作ってくれているシカクたちゴーレムくらいだが――。
「わぁ、露天風呂だ!」
大きな岩で固められた湯船に、お湯がたっぷり入っている。また下から噴き上げる水柱の水量を岩で制限し、適量が常に注ぐようになっていた。
「いつの間にか排水路まで畑の横にできてる……さすがシカク。仕事早いなぁ」
常設テントの下で服を脱ぎ、持ってきたタオルを身体に巻きつけた。
ランプを片手に、いざ温泉へ浸かると。
「はぁ……久々だぁ」
草津に鬼怒川、湯河原、熱海――巡りに巡った関東周辺の温泉地を思い出す。
「うーん、でも私にはちょっと温いかなぁ」
ずっと浸かっていられる温度という利点はあるが、どうにも物足りない。
たしか元の世界の温泉では、源泉そのままだと入れないから、沸かしたり水を足したりしていると聞いたことがある。
「それで冷たいのと熱い温泉を作ればいいか」
それにしても、今夜は月が明るい。
岩の露天風呂を照らし出すランプを消し、満点の空を見上げると――いつも屋敷のバルコニーから見ている星々が少し違って見えた。
赤く燃える巨大な星が、次々と丘の向こうに流れていく。
「ここ、本当に地球じゃないんだな……」
次に手をかざすと、エメルレッテの細く白い腕が、夜の闇に浮かび上がって見えた。
「この身体も、ほんとは私のものじゃ……」
そう呟いた途端。月に雲がかかっていないのに、急に辺りが暗くなった。
背後に気配を感じ、おそるおそる振り返ると――黒い気配を放つ、巨大な影が立っている。
「き――」
声のない悲鳴をあげた直後。
「ぼ、僕……です」
暗闇から響いた、この声は――。
「ドラグ様……!? どうしてこんなところに」
彼が突然現れたせいで忘れていたが、今はタオル1枚だった。
ドラゴンは夜目が利いたはず――慌てて身体を隠したが、ドラグはすでに顔を背けていた。
「お、温泉に入ったことないから、気になって……服、着ないんだね……って、ごめん! もう行くね」
「あっ、ま、待って!」
残念そうな声に、つい呼び止めてしまった。
「その……せっかくですから、ご一緒しませんか?」
このまま避け続けたら、また以前のようになってしまう。
それだけはダメだ。
「……服、脱ぐんだよね?」
「え、ええ。一応マナーですから」
長い沈黙の後、衣の擦れる音が響いた。
あれ――そもそもドラグ、タオルとか持ってきているのだろうか。
でも自分で「一緒に」と言い出した手前、今さらダメとは言えない。
「……隣、失礼します」
「ど、どうぞ」
なぜかお互い敬語になったことに、ふと笑いが込み上げた瞬間。凪いでいた水面が大きく波立った。
本当に今さらだが。夫、つまり『人生の推し』と一緒にお風呂とか、相当にギルティな行為なのでは――いや、これは仕事で実地調査中なだけ。
頭を切り替えなければ。
「ドラグ様」
「は、はい……なに?」
「竜人の方にとって、この湯加減はいかがでしょうか?」
しばらくの沈黙の後。
「体温が低い竜人にとっては少し熱い」――そう、早口の答えが返ってきた。
ドラグは、ずっと顔を森の方へ向けている。
ランプの灯りは消えているが、月明かりと自分の夜目で私のことが見えてしまうのだろう。
気を遣ってくれているらしい――。
「あ、あのさ……君って案外恥ずかしがり屋なのかなって思ってたんだけど」
私があまり気にしている様子がない、とドラグはまた早口に言った。
気にしていない、なんてこと、あるわけがない。
仕事モードに入っているから――できるだけ淡々と答えれば、ドラグは「ふぅん」と声を低くした。
「……そっか。仕事ね」
何だか含みのある言い回しだが、そんなことを気にする間もなく、ドラグはこちらに向き直った。
「あ……」
あからさまに身体を隠すのは、逆に失礼な気がする。「お前見てるだろ」、と決めつけるようで。
しかし「さぁどうぞ!」と見せるようなものでもない。
どうするのが正解なのか――迷ううちに、黒い手が肩に向かって伸びてきた。
「ひっ……」
思わず声を出してしまったが、手が引っ込む前に指を掴んだ。「嫌ではない」、と意思表示するために。
「あ、あのさ……仕事、大変みたいだから、マッサージしてあげようかなって」
「えっ、マ? 待っ!」
「大丈夫。力加減、だいぶ覚えたし……安心して」
いや、そこじゃないんだが――拒めないうちに、もう片方の手も肩に触れた。両肩にずっしりと重い手が乗っている。
「あ、あの……ドラグ様こそお疲れでしょうし、こんなことをして頂くわけには」
「いいから……楽にしてて」
冷たい指先が素肌を滑る感覚に、身体がいちいち震えてしまう。
そうするうちに、鋭い牙を見せた口が、耳元に近づいてきた。
「可愛い」――そう囁く唇が、耳をくすぐる。
「……っ!」
とっさに振り返ると、顔中赤くなったドラグと視線が繋がった。
いつもは触れ合っていても、彼には余裕があるように見えたが――温泉の熱のせいだと分かっていても、真っ赤になっているところを見ると、少し嬉しくなる。
「可愛いのは、どっちでしょうね」
「えっ……?」
心地よい熱に浮かされて、ドラグの頬にそっと触れた。
『完全に心を許せば、元の世界に戻れなくなる』――時渡人の言葉がこだまするが、関係ない。
やっぱり私、この人が好きだ――。
いつもとは違う、熱に浮かされている私。
丸くなった黄金の瞳に自分の姿を見つけ、近づいた瞬間。
「ん……?」
やけに胸元や腰が涼しい。
視線だけで下を見ると、身体を覆っていたはずのタオルが落ちていた。
「わっ、お待ちを! タオルが……」
「誰も見てないよ」
何も纏っていない腰に、ドラグの手が触れた。もう片方の手で頭を引き寄せられ、のぼせそうなほどに全身が熱くなる。
声が出ない。
顔を背けられない。
多分、このままキスするんだ――焦り半分、期待半分にそう思った瞬間。
「わっ……オンセン、あつい!」
「キャア、ニシカ! ドラゴンと人間のカップルがいる!」
子どもたちの高い声に、頭が一気に現実へと引き戻された。
いつの間にか、ノームの子どもたちが温泉に次々と入ってきている。
「ど、ドラグ様! このままだと事案です!」
「え……?」
渾身の力でツノを握り、離れることに成功した。慌ててタオルを拾い、ドラグを振り返れば、彼はツノを押さえつつため息を吐いている。
「えめる……夫婦のじゃましてゴメン、出てく」
気を使うニシカたちに、「構いませんわ」と笑顔を取り繕った。
「温泉はみんなで入ってこそ、ですから」
その言葉は本当だ。
「ね?」とドラグを振り返ると、復活した彼は諦めたように微笑んでいる。
「おっ、なんだ領主さまたぢ、もう入ってたんだべか!」
今度はディズロム率いるオークの団体がやってきて、お湯が溢れ出した。
シカクは「ゴーレムも余裕で入れるサイズにする」と言っていたが、すでにぎゅうぎゅうだ。
「な、なんだ! この惨状は……」
なんと、騒ぎを聞きつけたナノまでやって来た。
「たらいの中の芋でもあるまいし! 野蛮な文化だ」
さっそく面倒くささを発揮しているナノに、「気持ちいいですよ?」と誘いをかけてみたが。「はぁ?」と鋭く睨み返された。
「ナノさ、足だけでも入ってみたらどうだ……?」
「足……まぁ、それだけなら」
あのシスコン、いつの間にカナメロへ心を許したのか。
昼間の会話を聞いたわけではないが、きっと和解以上の何かが2人の間に起こったのだろう。
リーダー同士仲良くなり、またカナメロの恋が発展すれば、それほど喜ばしいことはないのだが――私への扱いは雑なくせに、少し複雑だ。
「こ、これは……! たしかに悪くない」
「……んだべ?」
足湯だけでも、感動する気持ちは分かる。それだけ温泉の力はすごい。
ただナノは、「タオルを巻いても、いろんな種族と混浴は抵抗がある」、とこぼした。
やはり、それぞれのニーズに応えた洗い場や湯船を設計する必要があるようだ。
「農園の中に温泉、宿泊施設……あれ?」
そんな施設に覚えがある。
たしか週末だけ田舎に行って、農業を体験してグランピングする施設――そんなものが、元の世界で流行っていたはずだ。
「そうだ……いっそここを、『農業体験型リゾート施設』にしてしまえばよいのでは!?」
閃きとともに声を上げると、周囲が波を打ったように静まり返った。あんなにはしゃいでいたオークたちでさえも。
そんな中、隣のドラグが拍手を送ってくれた。
「食糧の生産量を増やすだけじゃなくて、農園を観光施設としても機能させられる……それ、最高のアイデアだと思う」
「ありがとうございますっ!」
ドラグの言う通り。これなら、領査定の項目「食料」、「観光」、「娯楽」の点数をすべて上げられるかもしれない――今すぐ出て、企画書を書き換えなければ。
瞳に炎を宿したつもりで立ち上がると、なぜか黒い手に引き戻された。
「でも今は、少しだけ仕事を忘れてゆっくりしない……?」
「でも」
その先を言いかけて、口をつぐんだ。
ただひたすらに走り続ければ良い、というわけでもない。だからこそ元の世界でも、社畜生活の合間を縫って温泉巡りをしていたのだから。
「そうですわね」
腕をぐっと伸ばし、深呼吸をした。
大騒ぎのどさくさに紛れて、ドラグは再び肩を揉んでくれようとしている。
「あ、ドラグ様そこです! もっとこう、えぐり込むように」
「え、えぐり込むって……壊しちゃいそうで怖いんだけど?」
とにかく仕事は抜きにして、今は楽しいバスタイムを過ごそうか――。
次回:いっそ、この露天風呂に住みたい――
堕落しかけるも、せっかくのビジネスチャンスを領主代理が逃すはずはなかった。
『農業体験型リゾート』計画、ついに本格始動!




